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あゝ新撰組

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:横井弘、作曲:中野忠晴、唄:三橋美智也

1 加茂の河原に千鳥が騒ぐ
  またも血の雨 涙雨
  武士という名に生命(いのち)をかけて
  新撰組は今日も行く

2 恋も情けも矢弾(やだま)に捨てて
  軍(いくさ)かさねる鳥羽伏見
  ともに白刃(しらは)を淋しくかざし
  新撰組は月に泣く

3 菊の香りに葵が枯れる
  枯れて散る散る風の中
  変わる時世(じせい)に背中を向けて
  新撰組よ 何処(どこ)へゆく

《蛇足》 新撰組は、これまで幾度となく小説や映画、テレビドラマに取り上げられてきました。
 近藤勇
(写真)の統率力と決断力、歴史の流れが明確になったのちも戦い続けた土方歳三の意志の強さ、志半ばに胸の病で逝った沖田総司の悲劇性など、新撰組には多くの人を惹きつけるドラマチックな要素がいくつもあります。

 個別に見ると魅力的な人物の多い新撰組ですが、組織としてみると、問題がないわけではありません。

 自由への欲求は人間の本源的な資質の1つですが、全体主義や独裁はこれと真っ向から撞着するシステムです。ですから、全体主義国家の権力者が抑圧的な支配を続けるうちに矛盾が増大してきて、そのシステムは遅かれ早かれ崩壊します。
 全体主義国家の権力者はそれを知っていますから、国民が反抗・抵抗の気持ちを起こさないようにしようとします。そのために利用するのが「恐怖」です。権力者に逆らったら、どんな目に合わせられるかわからないという恐怖心を起こさせて、反抗・抵抗の芽を摘もうとするのです。
 このような統治手法を恐怖政治といいます。

 ちなみに、平凡社の世界大百科事典では、恐怖政治を「武力ないし暴力を背景とし、反対派に対する逮捕、投獄、処刑、殺害などの手段を用い、民心をして恐怖せしめることによってみずからの権力の維持とその政策の貫徹とを図ろうとするような政治形態」と定義しています。

 恐怖政治の始まりは、フランス革命後、ジャコバン党政府が、反革命と目された者数万人を処刑したケースとする説が有力です。フランス語では、terreur (恐怖)という一般名詞を固有名詞化したLa Terreurという言葉で表現されています。

 このTerreur(テロル)からテロリズムという言葉が生まれ、各国語に入りました。テロルは独裁者の暴力支配を示す言葉でしたが、テロリズムは反体制側からの暴力も含むようになっています。昨今よく耳にするテロはテロリズムの略語として使われるようになった言葉です。

 近年は、支配者によるあからさまなテロリズムが減ってきたのに対して、反体制側からのテロが頻発しています。そのため、「テロ=反体制側の暴力」と思い込んでいる人が多いようですが、ほんとうに怖いのは支配者によるテロです。
 反体制側のテロは為政者が対抗してくれますが、支配者自体が暴力マシンと化したら、民衆が抵抗するのは非常に困難だからです。現代でも、金一族支配下の北朝鮮やトルクメニスタン、カザフスタンでは、支配者側によるテロが日常化しています。

 恐怖政治を行う全体主義国の支配者や独裁者は、ほとんど例外なく、そのための特別組織を設けます。この特別組織は、多くの場合超法規的な存在であって、公的・私的に何をしようと、とがめられることはめったにありません。
 ナチスのゲシュタポや親衛隊、旧東独のシュタージ、チャウシェスク治下ルーマニアのセクリターテ、戦前の日本の特別高等警察
(特高)、軍事政権時代の韓国の国家安全企画部、現北朝鮮の国家安全保衛部などがその端的な例です。

 これらの特別組織は、拷問、暗殺、誘拐、処刑、強姦、強制収容所などの方法で民衆に恐怖心を与え、権力者に逆らえないようにしようとします。

 前置きが長くなりましたが、ここでいいたいのは、新撰組がこうした特別組織と高い類縁性をもっていた、ということです。拷問、暗殺、公然殺害は何度も行いましたし、初期には芹沢鴨らの一派がゆすり・たかりも行いました。

 テロリズムの重要な特徴として、暴力が敵に対してだけでなく、身内にも向けられるということが挙げられます。
 新撰組も、近藤らの方針に反対したり、批判的だったり、疑問をもったりする者を「士道に背いた」という名目のもとに、何度も粛清しています。

 新撰組のファンのなかには、新撰組は尊攘派志士のテロを取り締まった組織で、正義の士の集まりだったと主張する人がいます。
 尊攘派が天誅と称して数々のテロを行ったことは事実ですが、だからといって対テロ機関の行動はテロではないということにはなりません。
 アメリカのCIAや旧ソ連のKGB、現ロシアのFSBが行った、あるいは現に行っているテロは枚挙に暇がありません。反体制派のテロほど騒がれないのは、国家機関によるテロのため、民衆の目にはほとんどさらされないからです。

 新撰組が一般民衆にはほとんど害を与えなかったのは、活動期間が約4年と短かかったうえに、小規模な組織であったこと、活動地域が京都近辺に限られていたためでしょう。

 それでは、新撰組の性格がゲシュタポやシュタージ、国家安全保衛部などのテロ組織とイコールだったかというと、これは疑問です。

 まず、基本的な条件が異なります。全体主義および全体主義における独裁という概念は、市民社会が成立し、自由や民主という考えが芽生えて以降に生まれたものですが、幕藩体制という統治システムは、歴史の発展段階説的に見ると、中世的な封建制度の遅い末裔にすぎません。
 このような土壌では、ゲシュタポその他のような強力な暴力組織を継続的に維持するのは困難です。

 第二に、新撰組が支配者側からの指示・命令によって結成されたのではなく、メンバーが自主的に結成し、それを支配者側が追認し、利用したにすぎない、ということです。
 つまり、結成から活動まで、支配者の意志が能動的に働くことはほとんどなかったわけです。

 新撰組が、その活動手法において権力者によるテロ組織と高い類縁性をもっていたにもかかわらず、それほどの害を及ぼさなかったのは、このへんが原因ではないかと思われます。

(二木紘三)

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コメント

二木さんの、MIDIカラオケがなくなってガッカリしていました。
今日やっと見つけて、うれしかった。本質をしっかり教えていただいて、有難う御座いました。人民と言うのは、恐怖の暴力ばかりではなく、現代社会においての、あらゆるマスコミの報道に扇動されやすいように思います。急激な変化は、低思考のわれわれには、あれあれというまに、とんでもない環境の中に置き去りにされてしまいます。物価の問題も、税金の問題も、弱者の切り捨て
に。洗脳、扇動をいかに防衛したらいいものか。ありがとうございました。

投稿: DO_ぱぱ | 2008年1月 5日 (土) 12時06分

編曲がすばらしいです。
こんな風に曲が生き返るとは・・・。

投稿: 春平太 | 2008年1月12日 (土) 23時10分

歳三は戊辰戦争の為に産まれて来たようなものですね。
ちょっとした出遅れで薩長の敵となってしまった、会津
の殿様。愛しき日々ですね。

投稿: M.U | 2008年6月 3日 (火) 14時51分

三橋美智也が歌うこの曲も素晴らしいのですが、NET(現在のテレビ朝日)が1965年~66年に放送した「新選組血風録」の中で、春日八郎が歌ったものも忘れられません。「花の吹雪か 血の雨か 今宵白刃に 散るは何 誠一字に 命をかけて 新選組は 剣を取る」で始まる歌。(高橋掬太郎作詞・渡辺岳夫作曲)
土方歳三に扮した栗塚旭の演技はクールで孤愁感がただよい、たまらない魅力をたたえていました。土方に最もふさわしい俳優だったと言えるでしょう。
新撰組はたしかに「テロ集団」だったかもしれませんが、風雲の幕末に命をかけて奔走し、そして花と散っていった“悲劇性”が今でも我々の心を捉えるのでしょう。

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年6月 3日 (火) 17時07分

新撰組を語って一番は浅田次郎の名作「壬生義士伝・吉村貫一郎」をおいて他になし。鳥羽伏見、淀の千両松の奮戦です。敗退する幕府軍の最後尾で「徳川の殿軍、義のため仕り候」と叫ぶ二駄二人扶持の最下級武士南部脱藩、新撰組隊士吉村貫一郎。司馬遼太郎「燃えよ剣・土方歳三」も影が薄くなります。新撰組大好きな方に一読お勧めします。
三宅

投稿: S6年生まれ | 2008年8月28日 (木) 19時50分

私は土方歳三の生き方に魅力を感じます。先生の言われるとうり皆かってに動いたのだから組織に成っていません。新政府に逆らいとうした。そうして幕府に使えたのだから。官軍にわずかの家来を引き連れて突入して行った。(五稜郭)辞世の句「よしや身は蝦夷が島辺に朽ちぬとも、魂は東(あずま)の君やまむらむ」。信玄の弟 信繁が重なってみえるのです。

投稿: 海道 | 2008年10月23日 (木) 17時03分

この歌好きです、そして二木さんの編曲素晴らしいです。 特に1番と2番の間奏のお琴の音色は、原曲よりも。
新撰組についていえば、その対象となった人の中に、明治維新後の新生日本を建設するのに役立つ人がいたかもしれません。karaoke

投稿: KZ | 2010年1月 9日 (土) 22時15分

3番: 菊の香りに葵が枯れる……( )よ どこへゆく
  
教師をしていた時分、( )の中に何が入るか? と生徒に考えさせたものです  日本史の教師ではありませんが、菊と葵を取り上げるなんて憎い表現ですね  教材に使って興味を持たせるのにもってこいの歌詞だと思います

投稿: くろかつ | 2010年5月12日 (水) 19時43分

芹沢鴨粛清後の新選組の組織は
理想的だったと思います。
豪放磊落で情に厚い近藤勇、
隊士に恐れられることを選んだ土方歳三、
現代の組織でもこの基本が生かされている組織は
強いと思います。
 ところで、三橋美智也の唄は滅びいく者の哀愁、
春日八郎の唄無骨な集団の哀愁がこもっています。

投稿: 霧笛 | 2011年6月18日 (土) 21時36分

二木さんのページを数年ぶりに探し、形を変えて出会えたのには感激しました。
「あ~あ新撰組」も良い歌ですが、昭和36~37年の現在のTBStvのテレビドラマ「新撰組始末記」主題歌「新撰組の唄」が忘れられません。

中村竹弥、戸浦六宏、明智十三郎、喜多川千鶴
1 葵の 花に吹く 時代の嵐
  乱れてさわぐ 京の空 ~

ドラマのエンディング、雪の三条大橋を傘を差して渡る中村竹弥主演の近藤勇の後ろ姿にかぶせて、ナレーションの芥川隆行の名調子が半世紀を経た今でも耳に焼き付いています。
冷厳な土方歳藏役の、戸浦六宏もこの役以外あまり活躍しませんでしたが、印象深い役者でした。

投稿: 高 木  薫(タカギカオル♂) | 2011年11月12日 (土) 06時04分

 あの「川は流れる」の横井弘の作詞だったのかと思いつつ、この曲を何度も聞きました。新撰組はいってみれば不逞の輩の集まりですが、なぜかファンが多い。私もその一人で高校2年の時、司馬遼太郎や子母沢寛を読んで以来のファンです。新撰組は終りの方で甲府出撃を命じられます。これは無血開城には邪魔だから江戸から放り出そうという勝海舟の判断です。ズバリ捨て駒です。3番の「新撰組よ何処へゆく」はもはや役割も行き場もなくなった浪人集団の立場をいいあてています。実はここからの新撰組がおもしろいんですね。戊辰戦争がおこると、徳川方の大名は長岡藩、会津藩をのぞいて皆、勝ち馬に乗ろうとなだれをうって官軍につきます。「忠」や「義」などあったもんじゃない。この保身に汲汲とした武士の姿と対照的なのが、捨て駒のあつかいをものともせず最後まで抵抗した新撰組です。彼らに拍手をおくることでカタルシスを感じます。忠臣蔵のファンと一脈通じるようにも思います。理屈っぽくを言えば権力者に一矢をに報いた男たち、簡単に言えばカッコいい男たちです。左翼史観で言えば反革命勢力、白色テロでしょうが、野暮な呼称ですね。

投稿: 久保 稔 | 2012年9月28日 (金) 11時28分

久保 稔 様
 あなた様が新撰(選)組をカッコよく思われるのも、ファンになられるのもご自由ですが、歴史的事実の誤認があるのは残念です。
 あなた様は「徳川方の大名は…なだれをうって官軍につきます。『忠』や『義』などあったもんじゃない。」「…最後まで抵抗した(のは)新撰組です。」とコメントされていますが、わたしの知る限りでは、新撰組がまともに戦ったのは鳥羽・伏見の戦いくらいで、甲陽鎮撫隊(名称はもう新撰組ではない)としての甲府城乗っ取り戦は、戦の体をなさなかったと言われています。要するに、負け戦になれば、「忠」も「義」もないのです。己の命惜しさに脱走者が相次いだということです。巷間新撰組が最後まで信義を全うしたかのように言われるのは、近藤勇や土方歳三の個人的行動に負うところが大きく、組織としての新撰組は緒戦(鳥羽・伏見の戦い)でほぼ終わったと言えるのではないでしょうか。
 また、「権力者に一矢を報いた男たち」と持ち上げておられますが、短い期間であるにせよ幕府権力の一組織として、反幕勢力を弾圧していたのは事実ですから、左翼史観でなくとも白色テロと言えるのではありませんか。

 

投稿: ひろし | 2012年9月29日 (土) 00時02分

新選組に歴史的価値はほとんどありません。強いて言えば
池田屋事件で時代を数年遅らせたことでしょう。何故新選組に人気があるのか。それはひたすら徳川に付き浮気をしなかったからでしょう。近藤、土方、沖田、井上皆多摩出身徳川の天領出です。彼らは歴史的感覚などほとんど持ち合わせていません(近藤が若干持っていたと言えるかもしれません)ただ武士になりたかっただけです。徳川の為に徳川方の反勢力に最後迄戦いを挑んだだけです。それを忠、義と言えば言えると思いますが。土方に国家観など
なかったと思います。あったのは徳川のために武士らしくだけでしょう。最後迄戦い壮烈な死を遂げた。そこに純粋な清々しさを感じるのでないでしょうか。

投稿: akichan | 2012年9月29日 (土) 06時14分

ひろし様
 お返事ありがとうございます。私の拙いコメントなど読み捨ててくれればよかったのに
と思いつつまたコメントを書きますが、議論をする気はありませんのてよろしく。ただ私の前のコメントの言葉を補い、私はこういうふうに考えますと言うばかりです。どうかよろしくお願いします。


1 「甲陽鎮撫隊」ですが当時の文献資料にはこの名称は存在せず、あったかどうか疑わしい、大正時代の「今昔備忘記」に初めてでたものを子母沢寛が小説に書き定説化した経緯があり、コメントの字数をへらすために新撰組でおしとおしました。鎮撫隊は約300人の混成部隊で、結成後1か月足らずで出陣のため統制がきかず逃げる者をとめられなかった。しかし新撰組の隊員は逃げずにとどまり、その後も新撰組の名前は復活し宇都宮、白河口、会津、五稜郭へと転戦しています。はっきりしているのは土方歳三の死後、相馬主計が最後の新撰組局長として署名の上降伏しています。でもかつてのように組長、組頭。隊員といった組織的行動は鳥羽伏見以降はむりでした。新撰組の組織はそうだが主力隊員たち、不逞集団は連絡を取りつつ新撰組として生きた、私の立場です。

2 鳥羽伏見、淀、橋本で隊員の約3分に1を失いますが、壊滅したとはいえないのではないでしょうか。官軍の火力と大兵力の前には大きな仕事は出来なかったですけど、それは彼らの責任ではありません。近藤勇、土方歳三,永倉新八、原田左乃助、斉藤一などこの時点で健在です。新撰組はけっして近藤、土方の個人プレイではなく組織として連携しあって機能していたことが生き残った永倉新八の「新撰組顛末記」を読んでそう気づかされます。小説がヒーロー中心に書かれているのであって新資料などの発見で少しずつ変わってきていると思います。

3 「忠や義もなく保身に汲汲する」というのは先の鎮撫隊の寄せ集め部隊のことではなく、徳川恩顧の大名のことです。例えば徳川譜代の彦根藩が鳥羽伏見で負けて大坂へ敗走する味方の幕府軍へいちはやく砲撃を加えたという例です。これを聞いて薩摩の大久保があきれて笑ったといいます。さらにまた奥羽越列藩同盟で会津が落ちたのを見て仙台、米沢、庄内3藩が自領で戦うことなく降参した。覚悟もないのに列藩同盟など作るな。会津藩はなんと思ったでしょう。もちろん負け戦になれば命惜しさにいろいろ画策するでしょうが、限度があるでしょうということがいいたいのです。簡単にいえば恥をしれということです。ここは私の美学みたいなものですから読み飛ばしてください。

4 私は「最後まで抵抗をした新撰組」とは書きましたが彼らの中にに「最後まで信義を通す気持ちがあった」というのはどうかなと思います。捕まっても指示を出した松平容保や榎本武陽は助命が許されても新撰組は死罪ですから一本道を行っただけのような気がします。

5 白色テロとよぶのを否定してないんですよ。もっといえば幕府の犬でもよろしい。考え方のちがいなんです。野暮じゃないかなという感想です。理由は(私の考えですからどうかよろしく)明治維新は革命じゃないとおもいます。農民町民の主体的な登場もなく徳川から薩長へと武士の間で政権が移っただけの改革です。ですから革命、反革命の概念などいらないと思います。最後に、よく考えたら「新撰組は幕府の犬だ」といったらその人の歴史観はもちろん人格までもわかってしまいそうですね。

管理人さん、長いコメントになりました。すみません。今回はお見逃しを。
 

投稿: 久保 稔 | 2012年9月29日 (土) 08時16分

まことに勝手ながら、このページへの投稿受付をしばらくの間中止します。(管理人)

投稿: 管理人 | 2012年9月29日 (土) 11時29分

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