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朧月夜(おぼろづきよ)

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一

1 菜の花畠に 入日薄れ
  見わたす山の端(は) 霞ふかし
  春風そよふく 空を見れば
  夕月かかりて におい淡し

2 里わの火影(ほかげ)も 森の色も
  田中の小路(こみち)を たどる人も
  蛙(かわず)の鳴くねも 鐘の音も
  さながら霞める 朧月夜

《蛇足》 大正3年(1914)に『尋常小学唱歌 第六学年用』の教科書に発表されました。
 日本の田園風景をつづった格調高い叙景歌で、『故郷』『紅葉』などとともに高野・岡野コンビの代表的作品。

 1番の「におい」は、ここでは香りの意味ではなく、鮮やかな色あい・色つやのこと。2番の「森の色」の色とほぼ同義です。

 『枕草子』に「花びらのはしにをかしき匂ひこそこころもとなくつきためれ」とあります。「匂いやか(または匂やか)な女性」といった表現がありますが、これは、つやつやと輝くように美しい女性、という意味。

 2番の「里わ(里曲)」は、里、すなわち村落のあたり、という意味。

 上の絵は2007年の年賀状用に描いたものです。

(二木紘三)

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コメント

 菜の花畠に入日薄れ 見わたす山の端霞ふかし…。昔の田園風景が鮮やかに甦ってまいります。懐かしい、懐かしい風景です。さながら、この歌だけで完結している、一つの小天地の趣きです。

投稿: 大場光太郎 | 2008年3月15日 (土) 19時23分

詞は同郷の著名人ですが、この様な風景は我々が幼少
の頃にはどこにもありました。いまは荒れ野原になって
しまいました。

投稿: 海道 | 2009年6月 1日 (月) 08時09分

朧月夜はいつ聴いても心ほのぼのとさせられます。日本人の心のふるさと、いいですね!私も菜園をやっていますが、春の菜の花が咲く頃はいつも朧月夜を口ずさんでいます♪いい歌を毎回聞かせて頂き、ありがとうございます!

投稿: 庄司光男 | 2009年11月22日 (日) 12時17分

昭和30年代の田舎育ちの自分としては、こうした日本の原風景が日々失われて行くことを大変残念に思いますね。
ただ、菜の花が咲き乱れる頃、高野辰之の故郷である長野県中野市(旧豊田村)から飯山市へ続く国道117号線を千曲川沿いに走ってみると、まだまだ唱歌『朧月夜』の世界を堪能できます。

投稿: 流星 | 2012年7月27日 (金) 04時14分

皆さん今晩は

いいですね

この歌詞

なにか格調高い漢詩でも聴いてるみたい

文語体の表現って切れ味がいいね

特に「・・・におい淡し」のフレーズ

最高!

あたしの子供の頃からの愛唱歌です

今でも学校で教えているのかな?

投稿: トッコ | 2013年5月17日 (金) 23時18分

今夜の様な寒い日はこの歌の様な風景を想像します。小学校の時の遠足で田舎道を歩いていると、一面のレンゲ田の向こうに真っ黄色の菜の花畑が見えました。そこには本当の春がありました。ほのぼのとした日本がありました。思い出の中の春です。車社会が田舎の風景をすっかり消してしまいました。母の実家もいつの間にか洋風の家になっていました。もう訪ねる事もないでしょう。一緒に遊んだ従兄たちも一人ずつ黄泉の国へ旅立っていきました。そこには一面に菜の花が咲いているかも知れませんね。

投稿: ハコベの花 | 2015年3月10日 (火) 22時59分

 歌は格調高く、二木先生の絵も、のどかでこころが休まります。
家路をたどる農夫の姿が、なんとも牧歌的です。
 
 ハノイの田舎では、野良仕事を終え、鍬をかついで家に帰る農民の姿をふつうに見ます。バイクに鍬を積んで、夫婦が二人乗りで家に帰る姿もほほえましい。放牧された牛たちがねぐらに帰るのに、田舎の道路を、車を待たせてゆっくりと横断したり、村の路地を一列に並んで歩くのも趣があります。この国は、自家用車の普及はまだです。

 私は、日本で定年になったのに、いまだ会社勤めをしている、余暇を享受できない65歳の愚か者です。
仕事が終わると、時々、バスを利用せず、迷路のような路地を歩いて、家に帰ります。すれちがう多くのバイクの光と騒音をさけて夜道を歩くのは、かなり煩わしい。しかし、家路をたどる喜びは、やはり2本の足で歩いて帰ることだと妙に実感するしだいです。
それゆえ絵の中の農道をゆっくり歩く農夫の姿に、思うことが多いのです。
 ただ、最近のハノイの春の天気は、日中も夜も、ほとんど月も太陽も見えない霧雨の続く毎日です。朧月夜は、日本人が享受できるうるわしい風景です。

投稿: 越村 南 | 2015年3月11日 (水) 15時52分

 この曲に触れると、私はいつも薬師寺東塔を遠くに望む奈良盆地の光景を思い浮かべます。奈良は日本史の墓場と評された所だけあって、郷愁をそそる場所に事欠きません。幾度も足を運んだ土地ですので、東戎の私には、この曲とともに安らぎを与えてくれる街です。

投稿: 槃特の呟き | 2015年3月11日 (水) 23時57分

越村南さん「家路をたどる喜びは、やはり2本の足で歩いて帰ることだ」――>至言です。歩ける人は、とか、歩ける限りは、といった条件はつくとは思いますが。

投稿: コマツ | 2015年3月13日 (金) 18時23分

今日から3月…
春の宵、南風が吹いて空に薄雲がたなびき、月は朦朧としてかすむ。 高校時代に習った漢詩の一句が今も忘れずに口をついて出てきます。

春宵一刻 値千金
花に清香あり 月に影あり
歌管楼台 声細々
鞦韆 院落 夜沈々  蘇軾

「春」と聞いただけで、思わず気分が高揚してきます。
詩もメロデイーも心にしみわたるような感じで、遠い昔の懐かしい日本の原風景が浮かんできます。
寺尾智沙・田村しげる が、抒情歌のゴールデンコンビとするならば、高野辰之・岡野貞一はまさに唱歌のゴールデンコンビですね。

投稿: あこがれ | 2017年3月 1日 (水) 12時23分

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