« 宇宙戦艦ヤマト | トップページ | 海に来たれ »

美しい十代

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:宮川哲夫、作曲:吉田 正、唄:三田 明

1 白い野ばらを 捧げる僕に
  君の瞳が あかるく笑う
  いつも心に 二人の胸に
  夢を飾ろう きれいな夢を
  美しい十代 ああ十代
  抱いて生きよう
  幸福(しあわせ)の花

2 昨日(きのう)習った ノートを君に
  貸してあげよう やさしい君に
  つらい日もある 泣きたいことも
  あるさそれでも 励ましあって
  美しい十代 ああ十代
  抱いて咲かそう 幸福の花

3 遅くなるから さよならしよう
  話しあったら つきない二人
  「明日またね」と 手を振りあえば
  丘の木立に 夕陽が紅い
  美しい十代 ああ十代
  抱いて生きよう 幸福の花

《蛇足》 昭和38年(1963)、三田明のデビュー曲。気恥ずかしくなるぐらい手放しの青春讃歌。翌年、日活で映画化されました。主演は西尾三枝子と浜田光夫で、三田明も出演しています。

 歌詞は、高校生同士の素朴な交際がテーマですが、映画は、これとは全然違い、やくざに憧れるチンピラと孤児の少女の恋物語。この頃の日活は、どんな内容でもとにかくやくざとか流れ者といったものと絡ませたかったようです。

 デビュー当時、写真家の秋山庄太郎に「日本一の美少年」と絶賛されたそうです。十代にはただ可愛いだけだった三田明は、40歳過ぎてから、とくにテレビ時代劇に出るようになってから、渋いいい味を出すようになりました。
 男は、やはり40歳過ぎなくっちゃね。

(二木紘三)

|

« 宇宙戦艦ヤマト | トップページ | 海に来たれ »

コメント

今、この曲を聴くと

清らかな乙女の時代を過ごしてきたことが、
懐かしくよみがえります。

昔を懐かしむことは、老人になったのかもしれませんが、

純粋だったあの頃を思い出し、何度も聴きたくなる曲です。


★あの頃、美少年だった三田さん、最近、どうされているんでしょう

投稿: 華鍬 | 2008年2月17日 (日) 01時19分

私はこの歌をふくめ青春歌謡が大好きです。たまには何時まで青春しているんだとヤジが飛んできますが。

投稿: M.U | 2008年5月26日 (月) 13時58分

この歌を聴くと懐かしく思い出すのは今から45年前当時小学校6年生の時でした。

体育館で卒業前の謝恩会があり、クラス全員でこの曲を合唱しました。

謝恩会では給食を作ってくれていたおばさん達からの真心のご馳走をいただきました。

メニューは何品かありましたが、なぜかデザートの
「赤い寒天」が強く印象に残っています。

投稿: 赤い寒天 | 2008年9月23日 (火) 11時40分

遠藤実先生の高校三年生に匹敵する吉田先生の青春歌謡ですね。高校三年生は集団生活ですが、この歌は二人の
世界を唄っていますね。この延長線上にあるのが、霧の
中の少女、舞妓はん、江梨子、若い二人の心斎橋・・・
若い二人の綺麗な関係を唄っているから。

投稿: 海道 | 2008年12月31日 (水) 11時26分

このころは男女交際禁止、恋愛は御法度の時代でしたね。だんだんと受検色が濃くなりつつありました。と同時に紅白歌合戦に熱狂し、ゴールデンタイムには歌謡曲
番組が賑やかな頃でした。同級生にこの歌を紹介され、大好きになりました。母と一緒にコンサートに行き、客席の総立ちの応援に圧倒された思い出が有ります。
三田明さんは今年5月20日にこの曲のアンサーソングとして、#美しい時代をもう一度# という曲をリリースされ 元気に活躍されています。

投稿: F. T. | 2009年9月 6日 (日) 10時14分

赤い寒天様 50年前の私の小学6年生の時の「6年生を送る会」には「緑の寒天」が出ました。今あれほど強烈な緑は日本では見たことがありません。多分発がん物質か何かで使用禁止になっているのではないかと思われます。なお現在でも米軍横須賀基地の、米軍将校専用のレストランで「赤」「緑」の両方を楽しむことができます。

投稿: なとりがおか | 2009年9月 6日 (日) 20時39分

赤い寒天に思い出のある人がいるなんて驚いています。昭和17年ごろだったと思いますが、お隣のお兄さんの出征する壮行会が市民会館であり私は多分2、3歳だったと思いますが、折り詰めに入っていた透き通った赤い寒天の美しさに見とれていました。
こんなにきれいな色がこの世にあるのかと思ったのでしょう。いまでもその時の感動が忘れられません。それから、戦争がひどくなり、赤い色も桃色も戦争が終わるまで私の視界から消えていきました。ところでこの歌あたりから顔がきれいで歌が下手な歌手が多くなって来た様に思います。

投稿: ハコベの花 | 2009年9月 6日 (日) 21時25分

私の自論ですが、「脳は遺伝するし、ルックスも遺伝
する、歌も」三田明は吉田先生の門下生ですから、それなりの歌手のように思えます。あとはその人の好みでは
と思います。

投稿: 海道 | 2009年9月 9日 (水) 16時33分

この歌を中学生の時初めて聞いたとき「白い野ばらをハー 捧げる僕にハー・・・」と一節ごとに出て来る「ハー」が不思議で仕方がありませんでした。上手な歌い方の定義を仮に「楽譜通りに正確な音程で、明瞭な発音で、正しい発声法で歌う」ということにすれば、デビュー当時のこの歌手は上手ではなかったと思います。これとは別に、この歌を今聞いてみると若さというか青春というか現在の自分には到底ないものを感じ、大変いい歌だと思います。

投稿: なとりがおか | 2009年9月 9日 (水) 23時16分

今日「明日またね」と声をかけ、熟女の方とミーティングの場を後ににしました。フレーズが気になり、この曲に辿り着きました。とても心地よい曲でした。

投稿: 夏橙 | 2012年7月 8日 (日) 21時05分

この曲は同窓会で毎年歌われています。
恋愛の歌ではなく、仲間の歌として。

10代で知り合った仲間達は長年
10代、20代、30代、40代、50代
の歌詞の前に美しいを入れてニヤニヤしながらこの歌を歌ってきました。美しく仲間と共に年を重ねたい願望です。
仲間といれば、心はいつも青春
そんな私たちはもうすぐ美しい60代になります。
これからも友と一緒に70,80、90と歌い続けたいです。

心が落ち込みそうになるときこの曲を聴いて仲間を思い出し、私の人生の応援歌でもあります。

投稿: アンジェラ | 2013年5月 1日 (水) 09時41分

この曲がヒットした昭和38年は予備校に通っていた頃で、まことに個人的な話で恐縮ながら出身高校は仙台市内の男子校だったため(当時の仙台市は公立も私立も男女別学で、宮城県内の他の市町村も男女別学が多かった)、二木先生の《蛇足》「気恥ずかしくなるぐらいの青春賛歌 高校生同士の素朴な交際」とはまったく無縁な日常でした。
今の女房とも見合い結婚だし、青少年期から今の老年期に至るまで愛だの恋だのとはまったく無縁に過ごしてきており、『うた物語』に投稿される方々の恋愛経験とはまったく無縁の寂しい人生です。

投稿: 焼酎百代 | 2014年8月11日 (月) 20時07分

「白い色は恋人の色」と言う歌がありましたが、若い人達、(頃)の歌には白が出てきますね。「白い真珠のこの肌で」(アカシアの雨がやむとき)「白い野ばら」(美しい十代)「花かげ白く」(サビタの花)「白い花が咲いて」(白い花が咲く頃)「あの白いブランコ」(白いブランコ)「白樺の白い木肌」(夕月の歌)「白いハンカチ」(池上線・千登勢橋)「白い喫茶店」(春なのに)「白い手をのべて」(初恋)など。白は純真無垢を表すのでしょうね。

投稿: 海道 | 2015年7月13日 (月) 13時41分

私事になり、口幅ったいのですが、現役時胃がんの全摘手術のあと、1年少しで声帯近くのリンパ節に転移、声が出なくなるまで、カラオケでリクエストするのはまずこの曲でした。みんなの老けた?表情を見ながら歌えます。優しい歌ですよね。

投稿: 樹美 | 2015年7月13日 (月) 18時11分

> 赤い寒天に思い出のある人がいるなんて驚いています。

赤い寒天、端午の節句によく食べました。毎年、いつも一緒に暮らしている母方のお婆ちゃんが作ってくれました。その後、父方のお婆ちゃんの家に遊びに行きました。料理を詰め合わせた重箱が用意してあって赤い寒天も入っていました。赤い寒天が一番好きでした。「孫が遊びに来るから嬉しい」、とお婆ちゃんはよく言ってられましたよ、とお葬式の時どなたかが話されていたのが頭に残っています。父方のお婆ちゃんの家に遊びに行くのは年数回でした。

先日スーパーで赤い寒天を探したのですがありません。白の寒天はあるのですが・・・。店員さんは「赤はないんです、あれは着色なんです、着色料は別売りです、毒ではないですよ、買われますか?」とのことでした。買う気は失せてしまいました。

今、白い寒天を作って食べています。
子供の時、わくわくして食べた美味しかった赤い寒天・・・ではないですね。


投稿: yoko | 2015年7月14日 (火) 07時36分

この二木先生のサイトに入るたびに青春時代がよみがえります。「秋止符」の「かんこどり」さんの貴重なご意見を拝見し暫く投稿を見合わせているうちに早いものです8年が経ちました。気が付かない間にリニューアルもされていました。初めて投稿した赤い寒天の思い出が「なとりがおか」さん「ハコベの花」さん「yoko」さんの思い出と共有できましてたいへん嬉しく思います。

投稿: 赤い寒天 | 2016年1月24日 (日) 09時35分

何故にかくも涙もろいのか
古希を目前に益々拍車がかかっています。
皆さまのコメントを再読しつつ、「焼酎百代様」のコメント、冒頭「昭和38年」という文字を目にしただけで急に胸に込み上げてくるものがあり目頭が熱くなりました。
条件反射としかいいようがありません。
ココへおじゃまする度タイムカプセルを開ける思いを味わっています。
三田明、当時は衝撃の美少年でした。
一昨年、県のホールで「舟木、西郷、三田」のコンサートがありました。かれは声も伸び、歌もうまく長年の努力を偲ぶに十分でした。美貌にも衰えはなかったと思いたい私です。

紅い寒天、青い寒天も
懐かしいものです。結婚式の折詰めに必ず入っていたものです。いつの頃よりかその寒天を食べずに捨てるようになりました。そのころから人間関係が希薄になり殺伐した世に変化してきたよう思われてなりません~?

投稿: りんご | 2016年1月24日 (日) 10時34分

赤い寒天さん、
おかえりなさい。

投稿: コマツ | 2016年1月24日 (日) 23時36分

本曲へご投稿の皆さま

私は、北九州から出て来て46年目、茨城県日立市で、定年農業に勤しむ者です。
 本曲の作曲家、吉田正さんは、本市のご出身です。当地には、「吉田正音楽記念館」と言う市立の記念館があります。
 昨年末、すぐ北の福島県、田村郡小野町にある作詞家・丘灯至夫さんの生誕地も訪ねました。舟木一夫唄「高校三年生」の作詞者です。生家は、まだ現役の旅館です。
 作曲は遠藤実さんだったと思います。
レコード会社の違う吉田正さんからすれば、良きライバルと言った所でしょうか。
 今朝の、NHKラジオ深夜便は、福島県双葉郡浪江町出身の作曲家・佐々木俊一さんの特集でした。「長崎物語」「明日はお立ちか」「高原の駅よ さようなら」「お俊恋唄」等々・・・。
 茨城県北部から福島県にかけては、結構、歌謡曲の作詞、作曲家、歌手の方が沢山、出ておられます。
 震災、原発事故、復興支援の意味からも、是非、当方面へもお出掛け下さい。

投稿: 竹永尚義 | 2016年1月25日 (月) 16時22分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 宇宙戦艦ヤマト | トップページ | 海に来たれ »