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川は流れる

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:横井弘、作曲:桜田誠一、唄:仲宗根美樹

1 病葉(わくらば)を 今日も浮かべて
  街の谷 川は流れる
  ささやかな 望み破れて
  哀しみに 染まる瞳に
  黄昏(たそがれ)の 水のまぶしさ

2 思い出の 橋のたもとに
  錆びついた 夢のかずかず
  ある人は 心つめたく
  ある人は 好きで別れて
  吹き抜ける 風に泣いてる

3 ともし灯も 薄い谷間を
  ひとすじに 川は流れる
  人の世の 塵にまみれて
  なお生きる 水をみつめて
  嘆くまい 明日は明るく

《蛇足》 昭和36年(1961)リリース。

 この年は、私が田舎から出てきて大学に入った年です。東京で始まった生活は、その後初めて外国に行ったときより、もっと強いカルチャーショックがありました。

 横井弘の作詞では、『あざみの歌』と並ぶ傑作だと思います。御茶ノ水橋や聖橋(ひじりばし)から神田川の水面をじっと見つめている若い女性を見かけると、この歌を思い出します。

(二木紘三)

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コメント

昨日深夜、希望曲を投稿いたしましたところ、早速「川は流れる」を採用頂きまして、まことに有難うございました。
今日は、繰り返し繰り返し一日中聞いておりました。
東大病院に通う折、時に聖橋から川を見つめている若い女性に会うことがあります。
そして、この歌が思い起こされ、言い知れない思いが心をよぎります。
特に、すずかけやいちょうのわくらばが川面に浮かび流れゆく風景はこの歌の情景そのものであり、実感として迫ってきます。
そして、歌は生きている感ひとしおのものがあり、先生の解説とともに、心に深く刻まれて来ました。
誠にありがとうございました。
今日一日、心安らかに過ごすことができ、心から嬉しく、深く感謝申し上げております。まことにありがとうございました。

投稿: 篠崎信夫 | 2007年8月25日 (土) 02時40分

久しぶりに聴きました懐かしい

投稿: おさむ | 2007年9月11日 (火) 17時04分

なつかしいな

投稿: オサム | 2007年9月11日 (火) 17時06分

本当に懐かしく、思い出しながら聞いています。どれも思い出のある懐かしい曲でうれしいです。もうひとつ欲張りなお願いがあります。松山恵子の十九の浮草が聞きたいのですが、お願いします。一層の活躍を祈ります。ありがとう。

投稿: 大下 章 | 2007年10月25日 (木) 11時53分

 昭和44年に地方の大学を卒業したあとしばらく東京で働いていたことがありますが、ひとりで大都会の人ごみの中を歩きながら、「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の『間』にある。」という三木清の言葉とともに、よくこの曲を口ずさんでいたことをなつかしく思い出します。詩と曲が一体となったすばらしい名曲ですね。
横井弘の作詞の最高傑作のひとつだという二木先生の意見に私も全く同感です。
 当初私はこの詩について、大都会に生きる人々(とりわけ若い男女)の孤独や哀愁を見事に表現した詩だと思っていたのですが、やがてこの詩がこれほどまでに私達の胸に染み入るのは単にそれだけではないと思い至りました。三番の歌詞を口ずさんで行くうちに、孤独感や悲しみの表現の裡にもなにかしら静かな落ち着きと希望を感じられるのです。川は流れる、決して澱みはしないよ、この詩はそう語りかけているようです。私の大好きな歌です。

投稿: 熊野良敬 | 2008年1月 5日 (土) 22時57分

この曲は中学1年の時、帰省した今は亡き兄に連れて行ってもらった新宿のラセーヌという喫茶店で仲宗根美樹が歌っているのを聴きました。長野から行ったときはま蒸気機関車でした。

投稿: redfezer | 2008年4月 7日 (月) 20時56分

 意外にも、三島由紀夫が絶賛していた歌だそうです。
 三島といえば、美意識の権化のような人でした。その三島が絶賛したくらい、この歌の詞と曲は完璧だと思います。都会に生きる人の、孤独感、喪失感のようなものが、ひしひしと伝わってまいります。
 既に、篠崎様や熊野様が見事なコメントをしておられますから、この歌の内容について、これ以上述べることはありません。

 そこで、この歌と三島との関わりについて、更にー。
 三島事件後何ヶ月かして、有志による「偲ぶ会」が都内某所で執り行われました。仲宗根美樹さんも招かれて、『川は流れる』を三島への葬送の歌とする予定になっていたそうです。
 しかし、いざその段になると、彼女は感極まって、どうしても歌うことが出来ませんでした。近くにいた主催の一人が、「いい。もういい。お前さんがこの場に、そうして立ってくれただけでいいんだ。」と言って、慰めてくれたそうです。

 皆様は、今なお三島への思いは複雑なものがおありでしょうが。
(一方では「平和憲法」に触れ、他方では「三島」を語る。矛盾しているようですが、私の中ではそれぞれ収まるべきところに、矛盾なくきちんと収まっております。私は物事を「右か左か」で捉えてはおりません。なるべく、物事を幅広く、ニュートラル(中立)な視点で見ようと心がけております。)

    三島死してより予言者の不在かな  (拙句)

投稿: 大場光太郎 | 2008年4月21日 (月) 18時13分

今67歳ですが,1963(昭和38年)に丸の内の都庁の近くの日石ビルにあった会社に入り仙台名古屋等支店や子会社のドサ廻りして1978(昭和53年)に駿河台下の小川町にある関連会社に出されて毎日船橋にある借り上げ社宅から通いました。御茶ノ水駅のホームから見える下の神田川には鯉が泳いでいたり平べったい船が通ったりしていました。駅周辺の学生街はいつも人でいっぱいでした。当時を思い出して懐かしくなりました。有り難う御座います。
  旅人よ行きてラケダイモンの人々に告げよ 我等命を守りて彼の地に倒れたりと ローマ人の手紙より
  拙者の好きな言葉です。 汗顔恐々

投稿: 年金霞喰浪人 | 2008年5月20日 (火) 18時10分

私の中で歌謡曲といえばこの曲、我が家にテレビがきて初めての歌がこの曲でした。

投稿: 白川賀博 | 2008年6月23日 (月) 04時08分

私73歳。歌は下手です。同窓会では酔った勢いで時々歌います。私が歌っている時、大抵はみんな知らん顔です。この前、「川は流れる」を歌いました。そうしたら、女性の皆さん(当然皆おばあさん)が一緒に合唱してくれました。感激でした。

投稿: 野瀬富夫 | 2008年7月25日 (金) 22時10分

中宗根美樹、舟木、小百合この3人は同級生のように思います。いまだにこの歌には馴染めません。それは歌い方が独特
だからです。

投稿: M.U | 2008年7月26日 (土) 15時05分

有り難うございます。いつも楽しませていただいております。

 私がまだ小学校の低学年で、この歌が毎日のように村営の有線放送から流れていたころ、病弱でいつも床に付いていた祖母が亡くなりました。
初めての家族の死であったために、子供心に強烈な記憶として残っております。
まだ幼かった私にとって、この歌詞の深い意味など分かりようもありませんでしたが、
見近な家族をなくした少年の心にも、美しい言葉で表現されたこの歌の哀しみが伝わり、今も歌詞の一言一言が鮮明に記憶の中に残っています。

投稿: 田中 勝三 | 2008年8月 5日 (火) 22時02分

今の私の一番好きな曲です。辛い事があってもこの曲を聴くと心が落ち着いて、また明日から頑張ろうって思います。

投稿: 桜子 | 2008年9月 7日 (日) 22時36分

2番の「ある人は 心つめたく ある人は 好きで別れて」のところが当時を思い出させます。

イントロのメロディーも好きで、着メロに自分で編集して入れていたこともありましたが、携帯を変えたらその機能がなくなり残念です。

元々はB面の曲でしたね。パンチのある歌を歌っていて、その流れの「雨の花園」がA面でした。当時はそこそこヒットしたと思いますが、今ではほとんど聞くことはないですね。
それも聞いてみたいです。

投稿: 卓 山 | 2008年11月11日 (火) 18時55分

皆様の様な高尚な事は書けませんが、素朴な思いでを・・

この歌は丁度高校1年のころ流行った唄です。
田舎から出てきて木曽川のほとりの小さな町の高校に通っていました。

ある日の日曜日、木曽川の中州の砂の上で泣いている女の子を見かけました。
年は自分と同じくらいだった様な記憶です。失恋したのでしょうか?。あるいは仕事の辛さから
だったのでしょうか。この唄を聴くと泣いていたその子の背中を思い出します。
また、今は幸せになっているかと・・
(時期的には病葉の季節ではなかったかも)

当時、ここらあたりには大小さまざまな紡績工場があったのでそこの女工さんかと思います。
(違っていたらご免なさい)
時期的には「ああ、上野駅」の集団就職にも通じる人たちで主に九州方面の方達です。

(女工さん・・もう30年ほど前に死語となっていますね。七夕や盆踊りの季節、男性の数の2、3倍の
の女性で、「見渡す限り女性ばっか」と初めて七夕を見た時そう思いました)

投稿: グ・グロリア | 2008年11月21日 (金) 22時42分

小学校3、4年生の頃有線放送から毎日夕方になると流れてきたこの歌は、学校から帰って冷たい手を炬燵の中で温めながら聞いていた気がします。母と一緒に口ずさんだこともあります。そのあと少年少女向けラジオドラマを聞いていました。病葉とは何か、祖父にでも聞いたのでしょうか、その年齢で知っていました。家のそばの小川を流れる紅葉を連想しつつ夕暮れのさみしさの中、切ないような気がしつつ聞いていました。仲宗根さんのハスキーがかった声をもう一度聞きたいです。
お茶の水の聖橋からの流れを唄った歌であるとは知りませんでした。今度のぞいてみます。

投稿: 藻井 | 2008年11月22日 (土) 18時19分

仲宗根美樹・舟木・吉永小百合と私は同級です。この歌は、都会の川に似合いますね。今住んでいるところの川は余にも水量が豊でキレイなので、ずっと忘れていましたが・・・この歌詞と歌声に引かれ、愛唱した若いころがよみがえりました。

投稿: Bianca | 2008年11月23日 (日) 18時43分

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