« 哀愁列車 | トップページ | 網走番外地 »

赤と黒のブルース

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:宮川哲夫、作曲:吉田 正、唄:鶴田浩二

1 夢をなくした奈落の底で
  何をあえぐか 影法師
  カルタと酒にただれた胸に
  なんで住めよか なんで住めよか
  ああ あのひとが

2 赤と黒とのドレスの渦に
  ナイトクラブの夜は更ける
  妖しく燃える地獄の花に
  暗いこころが 暗いこころが
  ああ またうずく

3 月も疲れた小窓の空に
  見るは涯ない闇ばかり
  倒れて眠るモロッコ椅子に
  落ちた涙を 落ちた涙を
  ああ 誰が知ろ

《蛇足》 昭和30年(1955)のヒット曲。

 学生のころ、「身を持ち崩す」というのに憧れて、多少自堕落な生活を送ったことがありました。しかし、しょせん小市民的な性格ゆえ、身を持ち崩すことはできませんでした。健全だったわけでもありませんが。
 酒もギャンブルも弱くては、平手造酒
(みき)やドク・ホリディにはなれません。

 1番の奈落は、サンスクリットのnarakaからきた仏教用語で、地獄のこと。劇場では、舞台の下のせり出し装置などがある空間を指します。
 カルタはここではトランプのことで、賭博を意味します。

 3番のモロッコ椅子は、モロッコ革を張った椅子で、形はいろいろあります。(写真)Moroccochair
 
 モロッコ椅子を作詞家・宮川哲夫の造語だという人がいますが、英語やスペイン語、フランス語などにもあり、彼の造語ではありません。
 英語の場合、Moroccoと頭文字を大文字にすれば国名ですが、moroccoという綴りではモロッコ革という普通名詞になります。chinaが磁器または陶磁器、japanが漆器という意味になるのと同じです。
 モロッコ革は、なめし方で表面を粒状にしたモロッコ産の山羊皮のこと。なめす際、昔はヌルデ
(ウルシ科)の樹液を使いましたが、今は化学物質を使っているようです。

(二木紘三)

|

« 哀愁列車 | トップページ | 網走番外地 »

コメント

鶴田浩二の声と見事にマッチングした詞と曲だと思います。
身を持ち崩すと思えばそうでしょう、そうでは無いと思えば、そうでしょう。

投稿: M.U | 2008年7月19日 (土) 19時25分

この歌詞のもつ暗く退廃的ななかになんともいえない甘美な世界が当時高校生の私は知らない世界を覗いたような魅力を感じたものでした。

私は小学高学年のとき鶴田浩二さんのファンになりファンレターを出したのですが、驚いたことに返信がありました。以来事あるごとにいろいろな案内書が届くのです。その頃にはもう、洋画ファンになってましたので〔私はもう貴方のファンではありません〕とご丁寧な手紙を(^o^)
しばらくは〔天下の鶴田浩二を袖にした〕と家族に大笑いされたものです。

投稿: おキヨ | 2008年7月20日 (日) 11時47分

東京では廃れていたかもしれませんが四国の田舎ではダンスホール全盛の時代、といっても踊るとも踊るでもなく、この曲で柱の陰に隠れて彼女とチークダンスに身をやつしていました。昭和一桁の思い出です。
昔の青年

投稿: S6年生まれ | 2008年8月25日 (月) 20時59分

鶴田浩二は復員後、一時高田浩吉劇団の劇団員でした。そのため、上下関係や礼儀に厳格な彼は、高田先生からお電話が入ると、電話器の前で直立不動で最敬礼をしながらお話ししたそうです。

女優との浮名も多く、特に彼が最も真剣だったと言われる岸惠子との恋は、彼女がフランス映画監督シャンピと結婚してパリへ行ってしまったことで終止符を打ちましたが、長い間、彼の心に影を落としたそうです。

そんな華麗な女性遍歴もあいまって、紅灯の大都会に、何か昔の陰がある男の退廃したアンニュイ(けだるさ)が漂う、しかも頬に傷のあるすごい色男の用心棒、そんな役をやらせたら鶴田の右に出る人はいませんでしたよね。

この歌はそんな彼にピッタリの歌でした。私は昔、向島の料亭で社長のお供で業界の社長たちと酒席を共にした時、この歌を歌って、社長達からいい歌だなと言われたことがあるので、想い出の歌です。

投稿: 吟二 | 2008年9月10日 (水) 20時42分

鶴田浩二と吉田正は無二の親友で飲み仲間でもあったそうですが、二人とも戦争をしって居られた人ですね。だから「街のサンドイッチマン」から始まる鶴田の歌には
何となく、良い意味で影があるように聞こえるのです。

投稿: 海道 | 2009年4月24日 (金) 06時56分

全くの思いこみです。この歌、もし当時の日活・松竹映画などの主題歌でなかったとしたら、ハンフリー・ボガート主演「カサブランカ」をモチーフにしているのではありませんか。最初からそんな気がして聞いています。

投稿: 僭称二代目人生幸朗 | 2009年7月19日 (日) 20時10分

S50年代、最初に買った音楽Tapeが鶴田浩二の”赤と黒のブルース”です。ニヒルでヤクザっぽいハンサムがあの声で左耳に手をやり歌う”赤と黒のブルース”見ると痺れました。その後東京に転勤しカラオケで歌うとき、ママさんに”何を喘ぐかxxxx”の 音程が悪いと何度も指摘されながら歌ったものです。後年TVドラマで水谷豊と競演で彼が警備員となり  彼独特のじっれたい説得シーンを見たことが
ありますが、岸恵子とのLOVE affairはこの蛇足で知りました。田舎者の私に取って夢や叶わぬ世界を見せてくれた 鶴田浩二さんは62才の若さで亡くなったことはしりませんでした。

投稿: 黒原大雲 | 2010年5月12日 (水) 22時37分

この曲「赤と黒のブルース」は、鶴田浩二さんが見事な歌唱力で大ヒットしましたが、作詞されたのが「宮川哲夫」さんでしたが、52歳の若さで亡くなられ、本日の命日を偲び懐かしく拝聴しております。
この曲を初めて聴いたのが、確か中学三年の頃で、ラジオから流れていたのを想い出します。
この曲を初め、作曲家の吉田正さんとのコンビで、数々の名曲を世に出されていますが、特に私が好きな曲は、橋幸夫の「雨の中の二人」です。
中学・高校時代の好きだった彼女が想い出されます。
それにしても、いつも感心しているのですが、二木オーケーストラの心に迫る見事な演奏です。
今後ともよろしくお願いします。

投稿: 一章 | 2016年9月30日 (金) 21時03分

短い間隔の投稿で大変失礼します。
毎度ワンパターンで恐縮ですが“茨城が生んだ大作曲家”吉田正と名コンビと言えば佐伯孝夫ですが、宮川哲夫も名コンビでした。〽何をあえぐか影法師…妖しく燃える地獄の花に…倒れて眠るモロッコ椅子…唸るほどの名調子です。
昭和30~50年代の二番煎じ三番煎じ的な歌が目につく昨今、現役の作曲/作詞家には吉田正・佐伯孝夫・宮川哲夫の爪の垢でも煎じて飲んで貰いたいものです。

投稿: 焼酎百代 | 2016年10月 1日 (土) 12時18分

焼酎百代様 コメントありがとうございました。
私の勉強不足でした。
ご指摘のご三方は、私も大フアンです。
先ほど、芋焼酎で晩酌をしたところです。
今後ともよろしくお願いします。

投稿: 一章 | 2016年10月 1日 (土) 21時30分

 一章様 「雨の中の二人」私も大好きです。
橋幸夫の持ち歌のなかでも一番好きと言ってもいいかも……。
「♫ 雨が小粒の真珠なら 恋はピンクのバラの花‥‥」
という、「宮川哲夫」の詞もおしゃれですが、軽快でセンチなムードの「利根一郎」作のメロディも讃えるに値するものだと思います。 レコード大賞受賞曲となった「霧氷」も 宮川・利根」コンピによる名曲ですね。
宮川哲夫がもう少し長生きしてくれれば、吉田正、利根一郎との名曲が沢山生まれたかもしれませんね。

投稿: かせい | 2016年10月 2日 (日) 00時04分

二木先生、皆さま今日は。
「赤と黒のブルース」作詞:宮川哲夫さんのご命日9月30日早朝、NHKラジオ深夜便で、「作家で綴る流行歌:宮川哲夫(作詞)作品集」がありました。思い出深い、良い曲ですね。
因みに、作曲:吉田正さんは、今、私の住む日立市出身です。没後、郷里の丘の上に市立「吉田正音楽記念館」と言う施設が出来ました。
皆さま、どうぞお出掛け下さい。無料です。
宮川哲夫さんは、伊豆大島波浮港のご出身。吉田正さんと共に、とっくに故人になられました。沢山の懐かしい、良い曲を残してくれました。
私は、40数年前に故郷北九州を出て、今、日立市に住んで、お百姓をして老後を過ごしています。

投稿: 竹永尚義 | 2016年10月 2日 (日) 11時13分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 哀愁列車 | トップページ | 網走番外地 »