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ひまわりの小径

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:林春生、作曲:筒美京平、唄:チェリッシュ

1 あなたにとっては 突然でしょう
  ひまわりの咲いている径で
  出逢ったことが
  私の夢は 終わりでしょうか
  もう一度愛の行くえを 確かめたくて
  恋は風船みたい
  だからはなさないでね
  風に吹かれ 飛んでゆくわ
  たちどまる二人には
  交わす言葉もなくて
  恋はいつも 消えて行くの

2 あなたはいつか 忘れるでしょう
  ひまわりの咲いている径で
  出逢ったことを
  いけない人は わたしでしょうか
  それなのに涙しのんで ふりむくなんて
  恋は風船みたい
  だからこわさないでね
  わたしだけの 宝なのに
  うつむいた二人には
  交わす瞳もなくて
  恋はいつも 消えて行くの

  恋は風船みたい
  だからはなさないでね
  風に吹かれ 飛んで行くわ
  たちどまる二人には
  交わす言葉もなくて
  恋はいつも 消えて行くの


《蛇足》
昭和47年(1972)5月リリース。

 ひまわりの咲く道で、あの人と突然めぐり会うことなど、望むべくもない歳になってしまったでしょう、あなたも。せめて歌でときめいてください。

(二木紘三)

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コメント

向日葵の花咲く小道ではなく、其の花が好きな素敵な方に出会ってしまったことが何事も無くおくっていた静かな人生が心騒ぐものに…私が神ならば青春は人生の最後に持ってこようものを…

投稿: 村尾 忠 | 2007年9月20日 (木) 01時19分

チェリッシュの奥様の高い澄んだ声が耳もとに聞こえてきます。グループとしての魅力が何か無いと生き残れなかった時代だった。

投稿: M.U | 2008年7月20日 (日) 14時26分

「恋は風船みたい、だからはなさないでね。」ここもこの唄
を引き締めていると思います。

投稿: M.U | 2008年8月24日 (日) 11時17分

悦ちゃんが松崎君に恋をして。。。。
長い恋愛でしたねぇ。そしてあまり年齢のかわらない
私も恋をしていました。
悦ちゃんが。。。何かの時に「松崎君が何も(結婚の事を)
言ってくれないから」と言った事に。。。
女心としていたく同情した記憶があります。
あの輝いていたチェリッシュも普通の人になってしまいましたね。

投稿: sunday | 2008年8月24日 (日) 15時46分

人生の最後に青春良いですね。私は欲張りだから両方欲しい
しかし若い時の青春は昔のことですね。長寿青春大賛成です。

投稿: M.U | 2008年9月 4日 (木) 16時17分

交わす言葉もない。こうゆう言葉が出てくると、恋も終わり
だと、先生はおっしゃっていますが、残念だけど当たっています。このうた物語にも3曲ばかり有りますね。

投稿: M.U | 2008年9月11日 (木) 15時41分

この歌も「白いギター」も詞が綺麗(青春をくすぐっています。)悦ちゃんの声も素晴らしかった。

投稿: M.U | 2008年9月16日 (火) 14時30分

ひまわりの咲いてる・・・で出会えば風船のように飛んで
行く物でしょうか。自分達の事は棚に上げて。この唄は大
好きだがハッピーエンドに成らなかった物でしょうか。唄
に成らないのなら致し方ありません。

投稿: 海道 | 2008年11月30日 (日) 15時12分

ひまわりの咲いた小径で出会って、二人は立ち止まるけれど、交わす言葉もないという歌です。二人は以前交際していたのでしょうか、それとも時々すれ違うけれど話したこともないのでしょうか。“恋はいつも消えていく”とありますから、好きなタイプの人とすれ違っただけかも知れません。そうだとすると、何とも移り気な“恋”ですが、若く多感な頃はただ一度の出会いに恋を感じることもあるでしょう。しかし、モネの絵のような明るい夏の情景が思い浮かぶ歌詞です。
チェリッシュが流行した頃の私は貧乏大学生。『避暑地の恋』なんて歌もありましたが、当時の私は避暑地などとは無縁の身で、暑い京都の夏を悶々として過ごしました。大学から鴨川を越えて西に行った所に同志社がありました。いかにも私立といった感じの瀟洒な校舎が立ち並び、綺麗な女子大生もいて、住む世界が違うと感じたものです。

投稿: Yoshi | 2012年8月26日 (日) 12時17分

今は70歳すぎた頃に人によって第二の青春(成春?)があるらしい。集団見合いらしいが唄われるのは不倫歌か何とも不釣合いです。先生のこのサイトから選択すればいくらでも受ける歌があると思うのですが。

投稿: 海道 | 2013年5月30日 (木) 03時13分

村尾さん 大分遅れてますが投稿読みました。「神ならば青春は人生の最後に持ってこようものを」・・その想い いやぁ同感です。まったくその通り。青春が人生の最後にあったら。ホントにホントに・・・。神田川も馬場の町も。ホントにホントに。この想いとてもうまく表現できません。

投稿: 林 滋 | 2015年11月 3日 (火) 17時49分

1972年、と言えば、「ひまわりの小径」のひと月後、6月に発売された麻丘めぐみさんの「芽ばえ」が強く記憶に残っています。街中で麻丘めぐみさんの歌声が流れていたように記憶しています。

その年から翌年にかけて私はある会社のコンピュータ室でオペレータをしておりました。シフト制勤務で夜勤もありました。税金の通知等、連続帳票の打ち出しでは、時に何時間も用紙交換以外他にする仕事はありません。そんな時は休憩室でブラブラと時間を潰しているだけでした。休憩室には週刊誌などの雑誌がありました。その一つに麻丘めぐみさんのグラビア写真が載っていました。私は夜勤が回ってくるたびにその写真を眺めていたのです。そのためか今日に至るまで彼女のその可愛らしい姿が脳裏に焼き付いてしまいました。

小さな会社でしたが女性社員はたくさんいました。社員の半数以上、150人くらいでしたか、は女性でした。新入社員の歓迎会ではその半数以上、10人くらい、が女性でした。話下手な私も楽しそうな女性たちの輪の中に少し加わらせて戴きました。社員が増えて会社が発展していることを素直に嬉しく感じていました。しかしその後彼女たちとは二度と出会うことはありませんでした。

女性の社員は多かったのですが彼女たちの職場か会社の社屋内にあるわけではありません。採用された女性のほとんどはキーパンチャーという職種への配属でした。キーパンチしてコンピュータの入力カードを作成する仕事です。彼女たちは数日の新人研修期間が終ると大手企業のコンピュータ室に送られて行きました。当時、派遣法はまだありませんでした。皆わが社の正社員です。数か月経って、あのときの気になる彼女たち今どうしているだろう、と思っていたところ、「もう辞めたそうだよ」という声が聞こえてきました。

社員のバス旅行が催されました。出向しているキーパンチャーの彼女たち、たくさん参加するだろうな、と思って期待で胸が膨らみました。しかし彼女たちはほとんど参加していませんでした。がっかりでした。それでも二~三人は参加していたでしょうか。バスの中である女性がマイクを持って歌いました。ヒットしていた麻丘めぐみさんの「芽ばえ」でした。

♪ もしも あのとき あなたに 出会わなければ ・・ ♪

帰りのバスで私はうとうとと眠っていました。霧の中で女性の声が聞こえてきました。「彼岸花よ。」半分目が覚めてバスの窓から外をみると沿道に咲いているたくさんの赤い彼岸花が流れるように去って行くのが見えました。私はぼんやりと、美しいなぁ、と思っていました。
・・・・

1972-1973年の思い出です。曲「ひまわりの小径」をきっかけに蘇ってきました。あの彼岸花の群生は僕の孤独でさびしい心の象徴だったのだろうか?それとも参加しなかったキーパンチャーの女性たちの見送りだったのだろうか?そんな妄想が浮かびます。そしてあのバスは風に吹かれて行ってしまったのだろうか?

16才の麻丘めぐみさんの歌声が響きます。

♪ もう あなたのそばを はなれないわ~
  はなれないわ~ ♪

その麻丘めぐみさん、ことし還暦のお祝いをなされたようですね。

投稿: yoko | 2015年12月 2日 (水) 10時20分

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