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故郷

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一

1 兎(うさぎ)追いしかの山
  小鮒(こぶな)釣りしかの川
  夢は今もめぐりて
  忘れがたき故郷(ふるさと)

2 如何(いか)に在(い)ます 父母(ちちはは)
  恙(つつが)なしや 友がき
  雨に風につけても
  思い出(い)ずる故郷

3 志(こころざし)をはたして
  いつの日にか帰らん
  山は青き故郷
  水は清き故郷

《蛇足》 大正3年(1914)、小学校6年生用の音楽教科書『尋常小学唱歌(六)』に掲載されました。

 「あなたの好きな童謡」というアンケートを取ると、『赤とんぼ』などとともに、常に最上位にくる歌です。
 この歌や作詞者・作曲者については、ネット上に膨大な量の情報があるので、詳しいことはそれらをご覧ください。

(二木紘三)

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コメント

私が小さなアコーディオンを手に訪問している高齢者の施設で、1時間から2時間、十数曲を合唱した後、最後に必ず歌うことにしているのがこの「故郷」です。
お年寄りたちは、それぞれの歌にまつわる過ぎ去った日々の思い出を楽しんでくださるのですが、歌によっては歌わない人もいるし、当然ながら「のり」もそれぞれに少しずつ違います。ところが、この「故郷」だけはどこの施設でも、みんな必ず歌ってくれます。「故郷」を歌うと、みな一様に幼いころの世界に吸い込まれていくように思います。歌に癒しの力があるとすれば、この歌はその力を一番たくさん持っているのかもしれません。

投稿: 阿弥陀堂 | 2008年2月 9日 (土) 10時30分

 先日知人が亡くなり、その葬儀に参列しました。
私の住む北陸は浄土真宗の盛んな土地柄ですが、しばしば葬儀のセレモニーの前後に、この「故郷」がBGMとして静かに流されます。今は安らかにふるさとの自然に還っていった亡き人の魂を偲ぶには、きわめてふさわしい曲だと思います。
 お坊さんには大変申し訳ないのですが、式での読経や説法よりもこの歌の方が、はるかに心に響いてきます(この罰当たり者には)。事実、読経が終わり、そっと静かにこの曲が流れた途端、涙することの方が多いのです。
 ところで、この歌の作曲者である岡野貞一先生は誠実なクリスチャンであり、40年間にわたって毎日曜には、本郷中央教会で礼拝のオルガンを弾き、聖歌隊の指揮に当たっておられたと聞きます。この岡野氏をはじめ、滝廉太郎、山田耕筰等、日本人の琴線に響く名曲を生み出した作曲家には、なぜか敬虔なクリスチャンが多いようですね。
 余談ですが、以前ラジオ放送で恵泉女学園の大塚野百合先生が、滝の受洗と荒城の月との関連を指摘しておられました。

投稿: くまさん | 2008年4月27日 (日) 13時23分

   我が父祖(ふそ)ら依(よ)るみちのくの青嶺(あおね)かな
       (俳句朝日「望郷の一句」採用の拙句ー著作権法の関係で左表記)

 私は、この歌を聴くとたいがいはジーンと来て、目頭が熱くなります。もしそうではなく、聴いてもさしたる感興を覚えない時は、心が「あさっての方」を向いている時で、要注意です。
 ともあれ私にとって『故郷』は、「望郷の曲」として欠かすことのできない一曲です。
 くまさん様。どうもありがとうございました。

投稿: 大場光太郎 | 2008年4月27日 (日) 17時47分

川崎市にいる4歳になる孫が去年の夏、我が家(北九州市)に遊びにきたとき近所の小川でハヤと小鮒を釣りました。最近少しずつきれいになってきた小川です。孫が長じてじいさんのことを思い出すよすがになってくれたらと思っています。

   七月の青嶺まぢかく溶鉱炉  山口誓子

誓子が北九州の八幡駅に降り立ったときに詠んだ句だそうです。
大場光太郎さんのすばらしい句を拝見してこの句を思い出しました。大場さんの故郷の青嶺は、岩手山でしょうか。


投稿: 周坊 | 2008年4月27日 (日) 18時58分

周坊 様
 私の上コメントへのご感想たまわり、まことにありがとうございます。
 山口誓子の名句、私もお気に入りの句です。しかしこの句が北九州の八幡駅で作られたことは、今まで知りませんでした。
 環境意識の高まりと共に、全国各地の河川、小川がきれいになり、故郷本来の姿を取り戻しつつあること。大変喜ばしいことと存じます。
 私の拙句をお褒めいただき、恐縮に存じます。
 いえいえ。岩手山は、確か岩手県の有名な山かと…。私の「青嶺」とはそんな名だたる山ではございませんで、山形県内陸部の太郎村という一寒村の、低く連なる山々です。
 周坊様、矢嶋様、くまさん様、sundayさん…。これ以上言わずとも、お分かりですね。今後よろしくお願い申し上げます。    大場光太郎拝

投稿: 大場光太郎 | 2008年4月27日 (日) 19時33分

大場様
 「我が父祖ら 依るみちのくの 青嶺かな」
私には俳句の素養は皆無ですが、大場様のこの御作大変気に入りました。故郷への万感の想いが、なんと自然に詠われた句なんでしょう!
青嶺が名だたる山でないというのが、私には却ってうれしいですね。兎を追っかけたり、小鮒を釣ったりした山や川が本当のふるさとですよね。素敵な句に出会えて幸せです。ありがとうございました。              

投稿: くまさん | 2008年4月27日 (日) 21時55分

くまさん 様
 私の方こそ、本当にありがとうございました。
 と申しますのも、私はこの『故郷』、何とかコメント出来ないものかと常々考えておりました。それにしては、どうもうまくまとまりそうもないし…。そう致しましたところ、本日くまさん様が、何とコメントされたではありませんか。そして御文に触発されまして、『よし。オレも短文でいってみよう』となり、今回のコメントにあいなりました。まさに、絶好のタイミングでした。それで御礼申し上げた次第です。
 ところで、くまさん様のこれまでのコメント。私は常々、注目致しておりました。他の方々にはまことに申し訳ございませんが、その内容の広がりといい、その深さといい、全コメンテーター中ピカ一なのではと、ひそかに畏敬致しておりました。
 それゆえかえって、くまさん様とはお近づきになれずに、今日に至ってしまいました。上御文にて、そのような畏兄より拙句のお褒めにあずかり、まことに恐縮に存じます。
 このようなこと言わずもがなではございますが、今後とも『うた物語』の更なるご発展のため、畏兄のご尽力を賜りますよう、若輩の私からもお願い申し上げます。 (皆様にご迷惑でしょうから、お返事はけっこうです。)    大場光太郎拝
 
 
 

投稿: 大場光太郎 | 2008年4月27日 (日) 23時58分

大場 様
 二木先生や各位のご迷惑をも顧みず、再度筆を執らせていただきます。
私のような軽輩者の拙いコメントに対し、余りにも過分なるお言葉を頂戴して、唯々赤面し恥じ入るばかりです。私の方こそ大場様から多くのことを教えていただき、学ばせていただきました。そして何よりも、大場様のこの「うた物語」に寄せる深い愛情と真摯なお人柄には、強く打たれるものがありました。こちらこそ今後ともよろしくお願い申し上げます。

投稿: くまさん | 2008年4月29日 (火) 10時49分

    故郷にあヽ忘れ物虎落笛(もがりぶえ)   (拙句)

くまさん 様
 ご丁寧にもご返信賜り、まことにありがとうございます。また御文中にて、過分なるお褒めにあずかり恐縮に存じます。
 ところで、くまさん様が「雪国」にお住まいなのは存じておりましたが、「北陸」の方でしたか。それに「真宗王国」ということは、石川県、富山県あたりでしょうか?あるいは福井県?今後何かのコメントで、もし差しつかえなければ、もう少し具体的な県名なり地名なりをお教えいただければ幸いです。
 またおそらく現在お住まいの所は、くまさん様の故郷にほど近い所かと推察致します。もしそうであれば、実に羨ましい限りです。
 私の方こそ、今後ともよろしくお願い申し上げます。

投稿: 大場光太郎 | 2008年5月10日 (土) 18時30分

大場 様
 故郷に程近いも何も、現在の私は故郷の真っ只中というか、どっぷり故郷に浸りっぱなしと申しますか・・・。
私の住んでおります処は、小矢部市という富山県西部、礪波平野の一角を占める人口3万3千人余りの、平凡な田舎町です。この町も、嘗ては石動町ー石が動くと書いて「いするぎ」と読みますーといって、北陸道の要衝の一つとしてそれなりの重きをなした土地で、現在でもJR北陸線の駅名は「石動駅」としてその名残をとどめております。
泉鏡花原作の芝居「滝の白糸」に、金沢とともに登場する地名なので、鏡花ファンの中には「ああ、あの石動か」とご存知の向きがあるかもしれません。
 自宅から5キロほど西に向かうと、加賀と越中にまたがる礪波山、またの名を倶利伽羅峠という、平家物語にも出てくる源平の古戦場があります。ここには今も野兎や狸が住み着いており、近くの現場作業員などが時々捕まえては、狸汁にして賞味しております。また家のすぐ近くには小矢部川という川が流れており、近所の太公望達が小鮒やウグイなぞを釣っております。つまり、この「故郷」の歌詞の原風景がそのまま眼の前にあるという、なんともレトロな環境の中で暮らしておる次第です。
 ところで、あの「ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む・・・」という童謡「夕日」は、すぐ東となり町高岡市の作曲家「室崎琴月」先生の作品です。加賀二代藩主前田利長の依頼を受け高山右近が設計築城したといわれる高岡城、その城跡の公園内に「夕日」の歌碑が建っています。さらにもう少し南方に足を伸ばすと、風の盆恋歌の越中八尾で・・・
 
いけません、つい我がふるさとPRになってしまいました(笑)。二木先生、どうか適当な頃合を見て削除して下さるようお願いします。

投稿: くまさん | 2008年5月12日 (月) 17時28分

 二木先生 素敵な音楽を有難うございます。

 実は先日、「故郷」の作詞者、高野辰之の生地・長野県中野市(旧豊田村)へ行きました。彼が兎を追った斑尾山へ登り、小鮒を釣った斑川を散策し、高野辰之記念館を見学しました。彼は偉大な国文学者だったのですね。啄木のような詩人かと思っていましたが。
 少しがっかりしたこともあります。斑川が生活廃水で汚れ、コンクリートで護岸されていたことです。まあ、しかたないのでしょうが。  またお便りさせていただきます。

投稿: 夢追い人 59歳 男 | 2008年5月23日 (金) 21時30分

二木先生いつもありがとうございます。
先生の「歌には力がある」に賛同します。
下の息子が研修で海外にホームステーをしたときのことですが、帰国した彼のノートに「故郷」の詩がメモってありました。現代に育つ若者、の彼のメモ、思わず尋ねたら「詩を全部思い出せないんだよね」の返事。遠く離れた地、与えられた一室でこの詩を思い出しながらノートに書いた彼のそのときの情景が目に浮かびました。何があったのか詳しくは知りません、がこの詩が彼を一時支えたのだと思います。その後なんとなく彼が人に優しくなったような気がします、おかげさまで今も生意気を言いながら元気に大学に通っています。

投稿: 親ばかの見本  | 2008年9月21日 (日) 14時17分

二木先生いつもありがとうございます。
先生が同じ長野県生まれと知り嬉しく思っております。
私は先生より2歳後輩です。
伊那市に生まれずーっと伊那市育ちです。
3年前から友人3人と地域の方々に来ていただき、歌の幼稚園”ふるさと”という名称で歌の会をおこなっています。
園歌は唱歌の「ふるさと」です。私は「ふるさと」は、国歌にふさわしいと思っていました。
旧豊田村の高野辰之館も何度も行きました。行く度に新しい発見があります。

投稿: たかねまい | 2009年12月30日 (水) 15時24分

この「ふるさと」は心に屈折した想いがあって素直に歌えません。高野辰之も3番の歌詞で、志を果たして、いつの日にか、帰らん、のところで、かすかに疼きをもらしております。村の金で師範学校を出してもらいながら、地元で教員になるという約束を裏切って上京し、文部省音楽取調掛として岡野貞一と文部省唱歌をせっせと制作するが、悶々としたものを抱えていたのだろう。朧月夜にしても紅葉にしても淡々と情景を詠うのみで、情念や感情を歌詞に出さない人だったのに、ふるさとの3番で、ついにあふれる思いをこらえきれず、というところが面白い。こうして青雲の志を抱いて上京しながらも、上級ポストはほぼ薩長で独占され、やがて挫折していくときに故郷への想いが脳裏をかすめるのだろう。このシチュエーションは、りんご村から、お月さんこんばんわ、とか、僕は泣いちッち、赤いランプの終列車、哀愁列車、近いところで木綿のハンカチーフと連綿と続きます。
徳川時代の、親の言うとおりの進路が決まっていた時代から、自分で進路を決めなくてはならないようになり、能力に自信のあるものはすべて上京して腕試しして、イナカモノであることを思い知らされるパターンが見えます。おそらく北原白秋とか石川啄木とかの才能を知ってがっくり来たのではないか、そんなこんなことを考えると、とてもノスタルジーだけでは歌えないのです。

投稿: kieros2005 | 2009年12月30日 (水) 17時11分

英国国歌に似てますね。

投稿: cochia | 2010年5月12日 (水) 23時50分

先日中学の同級会で帰省しました。120人いた卒業生の中で地元に残ったのは8人でした。このままではいずれやっていけなくなると地元の人達は口々に言うけれどそれなりに知恵を出し合い研究をしているようでした。知恵で恩返し出来ないか痛感しました。

投稿: 海道 | 2011年12月 1日 (木) 13時22分

「をのこやもむなしかるべきよろずよにかたりつぐべきなはたたずして」という万葉の歌があります。男と生まれたからには名を立てなくてはという思いが半世紀前までは有った様な気がしたのですが、今の若者はいかがでしょうか。半世紀前、彼が兵庫の但馬から列車に乗って関西の大学に入る時、必ず偉くなってこの汽車で故郷に帰ろうと決心したと言いました。努力家でしたから偉くなられたとは思いますが、故郷は遠きにありて思うものになってしまったのではと思います。この三番の歌詞を心に刻んで汽車に乗ったと話してくれたのですが、現実には難しいものがあります。こうした思いを胸にどれ程の若者が汽車に乗って故郷を後にした事でしょう。胸が痛み涙腺が緩まれる方も居られるでしょね。

投稿: ハコベの花 | 2011年12月22日 (木) 22時41分

前のメールに書き足りない事がありました。志を立てるには(学問を究める)ことと(社会的な地位をあげる)ということがあると思います。明治、大正の頃には(学問)の方が多かったかもしれません。社会を良くするという意識が若者に多かったかも知れません。今は社会的地位を得るが多い様に思われるのですがいかがでしょうか。経済優先の社会ですからねぇ。

投稿: ハコベの花 | 2011年12月23日 (金) 00時08分

岡野貞一さん、滝廉太郎さん、山田耕筰さんがクリスチャンとは知りませんでした。岡野さんは鳥取県出身で、同じ山陰人として親近感があります。
今年は”故郷”を会合で3回歌いました。
3番の”志をはたして いつの日にか帰らん”が話題になっていますね。
私は生甲斐のある人生を送って、故郷を懐古している誌ではないかと思います。

投稿: 三瓶 | 2011年12月24日 (土) 20時07分

11月3日は市民の日なので、我が長野県は「おやき」と伊那名物「ソースローメン」を販売予定です。ポスターは松本城、上高地、美ヶ原をパンフレットと共に松本市役所より送ってもらいましたのでそれを使用して信州のPRに専念します。

投稿: 海道 | 2012年10月10日 (水) 18時34分

来年25年2月の「県人会のつどい」ではハーモニカとコラボで春の小川、みかんの花咲く丘、夕焼け小焼けを合唱する予定でしたが、昨年の故郷の反響がもの凄く、春の小川に変え故郷にしました。郷里の偉人の魅力もありますが、市民の田舎への郷愁もあるのでしょうね。観客席全員で唄って下さるのです。中には涙しながら。

投稿: 海道 | 2012年12月10日 (月) 13時30分

もう11年前になりますが地方都市の高校で卒業式の歌に加えました  志を果たして~いつの日にか帰らん  このフレーズは門出に悪くないと思いました  もちろん、国歌・仰げば尊し・校歌も除いてはいません
ところで、私は  いかにいます父母 のところを いかにおわす父母 と覚えたような記憶があります  錯覚でしょうかね

投稿: くろかつ | 2014年3月22日 (土) 09時59分

くろかつさん
私も いかにおわす父母 と覚えています錯覚ではないように思います。
ところで、この歌は北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの両親が出席される集会で、最後に全員で合唱します。横田さんも一緒に歌われており、それを思い出すたびに涙が流れてなりません。
この歌も名曲ですね。

投稿: 栗さん | 2014年6月19日 (木) 11時25分

「故郷の空」が♪ああ 我が父母 いかにおわす」ですね。

投稿: なち | 2014年6月19日 (木) 12時11分

 昨日、蛍池公民館で『日本の歌百選を歌おう会』でのトリの歌は、発表から18日で100年を迎えたとのことで「故郷」をそれぞれ思いを込めて歌いました。
日本で最も多くの方々が歌われているということに加え、この歌と出会えて皆で歌えてこのブログ・メイトとの思いも共有出来ることにも、感謝しつつ・・・。
 
 国歌「君が代」に継ぐ順国歌としてこの「故郷」を推薦したい思いで一杯です。

投稿: 尾谷光紀 | 2014年6月20日 (金) 10時22分

 志をはたして いつの日にか帰らん
なかなか 意味深長な、すこしつらいような歌詞ではないでしょうか。
若い時、都会に出て行った若者の何人が、志を果たせたか。そういう意味の、つらい、です。
志という言葉に、罪つくりなニュアンスを感じるのは年のせいでしょうか。若者にはふさわしいんですが。

 映画『張り込み』(野村芳太郎監督 1958年公開)で、強盗殺人犯の石井(田村高廣)が、昔の恋人(高峰秀子)を北九州の温泉地に呼び出して、ひそかにというか、命がけの逢引きをする。
東京へ出てみたが、住み込み店員、日雇い人夫、血液を売って生計を立てたり・・何もいいことがなかった石井。せめて警察に捕まえる前に、故郷にもどって昔の恋人に一目会いたかった。
逮捕の直前、旅館の植え込みの木の葉で、草笛のようにして、『故郷』を吹く。原作にはない、映画だけの創作場面ですが、忘れられないシーンです。

投稿: 音乃(おとの) | 2014年9月29日 (月) 13時19分

山で雉を追い、川でフナとナマズ、それにカニを獲った僅かの実績があります。野兎が棲まない筈はありませんが、見も聞きもしませんでした。60年後、猿とニュートリノと言うヘンテコ四つ脚の出没が激しいらしい。青緑の日本海は変わらず、しかし褐色やけの‘餓鬼‘時代に獲り放題だったサザエにアワビ、ハマチにヒラメは消え失せた。村人でさえ漁業許可を持たねば、獲るのは御法度。海辺に暮らしながら、‘海の幸‘はスーパーマーケットのフリーザーにあり。

それでもこの旋律がしばしば心に響きます。「如何に在ます 父母」は、天国の彼等を想像して、懐かしくなります。耳の長いノウサギ(同じノウサギ属、日本種とやや異なるようです)を普段のフィールド観察で見かけます。ウサーギーオーイシと音程狂いの口笛をふき、捕まえられやしないかと、沢山ある出入口の一つで吹き終えるまで待っていたりします。おかしいですね。 

投稿: minatoya | 2014年10月 7日 (火) 06時36分

私は群馬県桐生市で生まれ、13歳で東京に遊学しました。桐生を離れて70数年が経ちましたが、桐生市は関東平野が北の山岳地帯に突き当たる所に在って、2本の川に囲まれて居り、正に「山は青く、水は清い」街なので、この歌の3番まで来ると、必ず桐生で遊んだ時を想い出しジンと来ます。

投稿: 尾山喜一 | 2015年6月 7日 (日) 19時03分

 歌に心情を揺さぶられています。少しお尋ねしたいのですが。音楽のことも不案内ですが、少し自己流でギターを練習しています。ところで、楽譜をA4にコピーして気づきました。同じ作詞と作曲「岡野貞一」なのに本によって、「♭」と「♯」が付いているのです。確か「♭」は寂しい曲で「♯」は明るく元気のいい曲になると読んだか聞いたかしたようなのですが。このことはどうなのでしょうか。「♭」は秀学社で「♯」はのばら社、と日本文芸社です。
 どなたかご存知の方は御教示ください。

投稿: 今でも青春 | 2015年11月 4日 (水) 18時07分

 故郷は遠くにありておもうものという室生犀星の歌があります。故郷には、愛と憎しみといったアンビバレントな気持ちがあるのではないでしょうか。煩わしい親族との人間関係もある。啄木のように石をもって追われたような思いの人もいる。錦を飾るという言葉があるが、その裏の意味は錦がない者は帰り辛いということだ。卑近な言い方で言えば、土産物がないと帰れない。故郷とはそういう一面がある。
 この歌は、山や川の美しさを歌い、親孝行と立身出世の夢を語っていますが、親孝行したい時に親はなしというのが現実で、思うような錦を飾れないのが現実です。しかし夢はかなわなかったが、山河だけが変わらぬ姿で自分を迎えてくれる。あるいは、もはやその村落の風景は破壊されて思い出の中にしかないが、失われたがゆえに美しい。年のせいでしょうか、そんな風にうけとれます。

投稿: 越村 南 | 2016年5月26日 (木) 00時03分

「旅に病み、夢は枯野を駆け巡る」という芭蕉の句が浮かびます。私は”枯野”が故郷の野山、山河に思えます。芭蕉は約150日間で2400Km歩いたそうですね。
いつか私も、と思い先日都内を歩いてみたのですが、9時間かかって12Km、それが私の限界でした。
しかし、80才でエベレストを登頂した三浦雄一郎さんの例もありますので、私にもまだ’何くそ’という気持ちは残っています。

先日、従兄の訃報を受け取りました。従兄のお母さんと私の父は仲の良い姉弟で、子供の頃お正月にはよく泊まりに行って遊びました。従兄からのある年の年賀はがきに、「遊びに来てください。一緒に私の母とあなたの父の故郷を訪ねませんか。」とありました。従兄との夢は実現できませんでした。

村はずれの川辺の石畳も飛び石もまだそのままだと思います。昔はいつも誰か人がいて洗い物をしていました。私も泥だらけになった靴や長靴をその川辺で洗いました。今は静寂の中、近ずく村人もいないだろうと思います。
故郷、行きたいなぁと思います。

投稿: yoko | 2016年5月27日 (金) 09時17分

♪ 兎追いしかの山~ ♪

童謡にも絵本にも幼稚園のお遊戯にもウサギさんやタヌキさんはよく出てきます。
しかし私は故郷の野山でタヌキもウサギもみたことがありません。これは子供心にも不満でした。

でもいました。もうずいぶん昔のことですが・・・。夕飯時に母が、「今日、タヌキを見たよ」と話したのです。畑仕事を休んでいたとき、一匹のタヌキがキョロキョロと周りを見回しているのを見たそうなのです。しばらくしたら茂みの中から三匹のタヌキが出てきたそうです。二匹は小さな子ダヌキで、もう一匹はお母さんタヌキなのでしょう。最初のタヌキはお父さんタヌキで周囲を警戒していたのだと思われます。三匹のタヌキは子タヌキを中心にして揃って畑の水がめの水を飲んでいたそうです。

山にタヌキの家族が住んでいる!なんだか嬉しくなりました。以来、今に至るまで、このタヌキの家族の情景を時折思い出していました。あの赤ちゃんタヌキ無事に育っただろうか、とか、お父さんタヌキ、頼もしいなぁ、などと思い出していました。でもこれはもう数十年も昔の話です。

最近ネットで知ったのですが、野生のタヌキの寿命は6~8年で、タヌキは生後10カ月くらいで独立して行動するようになるのだそうですね。あのタヌキの家族の子孫、まだ故郷の山で住み続けているのだろうか・・・。心配です。なんだか少し悲しい気持ちになります。無事に暮らしていて欲しい、と・・。
神様、タヌキさんの命、短すぎます。

投稿: yoko | 2016年12月 4日 (日) 21時52分

 ♪ 小鮒(こぶな)釣りしかの川 ♪

家の前に海があるのに海釣りをしたことがありません。
また、川で釣りをしたこともありません。

しかしあるとき竹で編んだ農具のザルをもって家のそばの川に入りました。鮒を捕まえたかったのです。川底の水草や石組みをザルでつつくといろいろな生き物がでてきます。蛇やトカゲもでてきました。小さな鮒も出てきました。・・が、水中の鮒はとてもすばしこくてザルではとても掬い取ることはできませんでした。

後日、田んぼの排水溝に近い水たまりに大きな鮒が数匹行き場を失って閉じ込められているのを見つけました。私は手掴みで三匹とらえました。家に帰って大きなバケツに水道の水を満たし三匹の鮒を移しました。

日は少しさかのぼりますが、ふとした偶然で居間の床下に石が積み重ねてあるのに気が付きました。「あの石何?」と聞いたところ、「〇〇が子供の時造った池だ。石を集めて上手に造った。器用な子だった。」と祖母は答えました。〇〇とは祖母の息子で母の弟です。19才のとき病気で死にました。祖母は彼の布団に入り、彼を抱き、私も一緒に死にたい、と言って泣いたそうです。その6年後に私は生まれました。

そんなこともあり、私も池を造り鮒を放してみたいと思っていました。祖母にそれを見せたかったのです。バケツに鮒を移した翌日、朝目が覚めるといの一番で鮒の様子を見に行きました。鮒は三匹とも腹を上にして水に浮かんで死んでいました。水道の水じゃ駄目だったんです。かわいそうなことをしました。

投稿: yoko | 2016年12月23日 (金) 10時21分

この故郷の歌が流れると 私自身60年以上前の小学生に戻ったような気がします。昭和26・27年頃 今は無くなったが創立80年近い村の小学校からミニ遠足に出かけていました。(当時 熊本県上益城郡下矢部村大字牧野)
兎を追うほどの広さはありませんが近くに小鮒やしじみの獲れる小川がありました。

田植えが済みますと間もなく小さな水田からカエルの合唱、ホタルの乱舞・・その光景を足元にみながら遠くの山を写生しました。

遠くに見える名前は「内大臣」という名前の山です。
私達がミニ遠足をした白い岩がたくさんある丘は「京の上臈(じょうろう)」と呼ばれ平成29年の今でもあります。

『平家由来の地  京の上臈
 平家没落のとき、平家の公達が矢部の内大臣に落ちのびて来た。その後を慕って京の都より上臈たちがやって来た。そうしてここに辿りついて前途を見渡したが内大臣は遥かに遠くまで霞んでどちらに行けばよいかわからなかった。すぐ近くに大きな滝(千滝)が恐ろしい音を轟かして落ちていた。か弱い女の身でここまで追って来て疲れ果てたところに、一門の公達はこの滝に身を投げて死んだという噂を村人から聞いた。実は公達は上臈を追い返すことを
考え身を隠しでいたのであったが、その噂を聞き気落ち、力さえ失って空しく内大臣を見つめたまゝそこに立ちすくんで白石に化してしまった。』

その内大臣に逃げ込む平家の公達を追っかけることができなくなったか弱い京都の上臈たちはそのまま泣き崩れ人間の大きさ位の白い岩は灰色になっています。

その頃の友達の数人はこの世を去っています・・。

投稿: けん | 2017年1月17日 (火) 21時24分

 `15.11.05にコメントされた【今でも青春】さん、🎸を楽しみながらのレベルアップはいかがでしょうか?
そして ♯・♭ の意味も既におわかりかと思いますが、「故郷」のオリジナル・キーは "G"で ♯ はひとつ=ト長調ということになります。
しかしながらこのキーで歌えば高音が出にくい方もあってキーを下げて歌う場合も多々あり、♭ ひとつ=キー:"F"=ヘ長調にすれば2度下り少し歌い易くなります。
二木先生はさらに歌い易いように4度下げて♯をふたつにして、つまりキーを"D"=ニ長調にされています。
 他の楽器で音域の狭いウクレレ・大正琴・二胡等が独奏する場合には、その楽器に合うキーにトランスして楽譜も書かれていますのでこれもまた興味津々です。

投稿: 尾谷光紀 | 2017年2月20日 (月) 11時53分

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