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サーカスの唄

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:西條八十、作曲:古賀政男、唄:松平 晃

1 旅のつばくろ 淋しかないか
  おれもさみしい サーカス暮らし
  とんぼがえりで 今年もくれて
  知らぬ他国の 花を見た

2 昨日市場で ちょいと見た娘
  色は色白 すんなり腰よ
  鞭(むち)の振りよで 獅子さえなびくに
  可愛いあの娘(こ)は うす情

3 あの娘(こ)住む町 恋しい町を
  遠くはなれて テントで暮らしゃ
  月も冴えます 心も冴える
  馬の寝息で ねむられぬ

4 朝は朝霧 夕べは夜霧
  泣いちゃいけない クラリオネット
  流れながれる 浮藻(うきも)の花は
  明日も咲きましょ あの町で


《蛇足》
昭和8年
(1933)3月22日、東京・芝浦で開かれた「万国婦人子供博覧会」を記念して、ドイツのハーゲンベック・サーカスが来日しました。団員総勢約150人、動物182頭。日本人が初めて見る本格的なサーカスでした。
 博覧会場での公演開始は3月28日。

 東京のあと、名古屋、福岡、大阪など日本の主要都市で公演、どこでも大入り満員の大成功を収めました。動物を使うサーカスは、それまで曲馬団と呼ばれていましたが、これを機にサーカスという言葉が使われるようになりました。
 写真は
ハーゲンベック・サーカスを描いた絵はがき(着色写真)の一部です

 このサーカスの宣伝のために作られたのが、『サーカスの唄』です。この歌は、古賀政男の快調なメロディと西條八十のしゃれたフレーズによって大ヒットし、ハーゲンベック・サーカスが帰ったあとも、ジンタとして長く使われました。
 ジンタは、明治末期から大正時代にかけて、サーカスや映画館の客寄せ、広告宣伝などに使われた通俗的な吹奏楽で、ジンタッタ、ジンタッタと聞こえるところから、こう呼ばれるようになりました。

 サロイヤンのサーカス追想やブラッドベリのサーカス幻想に惹かれる一方で、こういう純日本的な旅芸人の世界にも、心が騒ぎます。

(二木紘三)

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コメント

 二木先生 いつも有難うございます。
先生のサイトにくると、必ず泣き---人のあわれ人生のあわれを必ず考えさせられます。 この曲はもちろん、子供の頃から聞き知ってはいたのですが、カラオケで聞くこともなく自分でも歌うことのない曲だったのです。 ところが、一昨年の春ごろ、京都のサロンで出会った歯科医のKさんが歌うサーカスの唄に衝撃をうけたのでした。ほんとうに侘しい情感があり思わずひきこまれてしまう、そういう歌い方だったのです。その方は人生の先輩でしたが仲良くさせてもらい、祇園でも何度か飲ませていただきました。しかし、お会いするようになってほんの数ヶ月の夏ごろ、日本と台湾の友好協会が主催する会に出席している時---どうも、食べ物がとおりにくい、灼熱感があるとおっしゃられ、---その後急速な悪化を見、残念ながら昨年旅立たれました。 それ以後、この唄も僕の涙唄の一つになってしまいました。自分が落ち込んだ時には、K先生の軽妙な侘しいサーカスの唄をもう一度ききたくてたまらなくなります。
  旅のつばくろ------

投稿: 能勢の赤ひげ | 2007年11月 4日 (日) 00時09分

 歌の出だしからして、軽快な古賀メロディ。それが西條八十の歌詞とぴったりマッチしてよどみなく流れていきます。しかし、そんな軽快なテンポの底流には、何ともいえない哀感や詩情というようなものが同時に流れており、それがこの歌をより魅力的なものにしております。

 「知らぬ他国の花」を偶然見初めて、心ときめかせながらも、すぐに次の興業地へ行かなければならない。かくてこの身はかの町を遠く離れても、心は今もなお「他国の花の面影」にとどめている。一過性の出会い、別れ、そして切なく残る想い。
 『サーカスの唄』のテーマとは、サーカス自体のもつ「流離譚的哀しさ」なのではないでしょうか。西條八十の歌詞は、そのへんの機微を実に見事に捉えていると思います。

 しかし考えてみれば、私たちとて、時々にさまざまな人間模様と交錯し合い、時には忘れがたい人との出会いと別れがあるわけです。なにせ誰もが、諸行無常のこの現し世の旅の途中なのですから。その意味で私たちも、昔日のサーカスの旅芸人とそう大差ないのかもしれません。
 人間であることのこの普遍的な哀しさが、この歌を時代を越えた名曲にしているゆえんなのかな、とも思います。

 (余談)近所の水路道で、本日ふきのとうが2、3個大きく芽吹いていました。厳冬といわれながらも、春は確実に近づいているんですね。

投稿: 大場 光太郎 | 2008年2月10日 (日) 18時34分

サーカスの唄は小林旭も唄ったような気がします。二階で唄っているような高音でした。

投稿: M.U | 2008年6月29日 (日) 13時21分

はじめまして、
歌詞の"馬の寝息でねむられぬ"のところが、
あの娘のことを考えると、心が冴えて
眠れないのを、馬の寝息にせいにしている
ところが、人の心を表現した本当にうまい詩ですね。

人の心の温かさを感じます。

投稿: 恵ちゃん | 2008年10月18日 (土) 23時32分

この歌を聴くと、サーカスではありませんが旅芸人(役者)の一座を連想いたします。 村は十以上の地区に別れ、各地区にそれぞれ神社がありました。春や秋になるとそれぞれの地区で祭りが催され、前述した旅芸人がやってきました。祭りの当番に当たった班(祭事では当元とうもと)と言う)はその一座の役者をもてなします。
当元になったときは、どんな役者が我が家に泊まりに来るのか柱に隠れて様子を窺った記憶です。

また夕方になると「芝居が始まるぞー」の意味を込めて拡声器から歌が流れます。(あえてスピーカーとは言わない)5、6曲をテ-プレコーダーに吹き込み繰り返し流していた記憶です。今思えば、おそらく戦前の歌か終戦直後の歌ばかりだっただろうと推測されます。勘太郎月夜唄、名月赤城山などはその最たるものの一部でした。(著作権の問題なんかお構いなしの時代かな?)

演じる内容は決まってチャンバラと現代劇、歌謡ショーです。チャンバラの台詞には必ず「丁度今から三年前・・」が何処に入っており、勧善懲悪の世界です。役者の身なりも決まっていて、ヤクザ(ここでは主人公)は青いパッチ(ももひき)に三度笠、月代の部分は横に傘の様に毛が飛び出しています。これが実に格好いいのです。
実際にはあのようにはならないと思いますが、映画でも同じ髪型ですね。また傘張り浪人(元は侍だろう)は病弱で月代には薄く毛が伸びています。(月代に薄く毛が生えていると言うことから、失職したばかりと推察できます)

小学の高学年から中学に掛けて旅役者の一座にあこがれた一人です。もう五十年以上も前の懐かしい昭和の一コマです。

PS:一座の名前で、三橋(達也?)一座があった(昭和33年ごろ)記憶です。まさかあの有名な三橋達也氏とは考えられないが三橋美智也の名前と比較していたので今でも鮮明に覚えています。

投稿: グ・グロリア | 2008年10月19日 (日) 00時47分

二木紘三先生
また、この様なサイト立ち上げて頂き誠に有難うございます
一時小生のPCのお気に入りに登録していたのですが無くなり
大変侘びしさを感じてをると共に小生先生の事を心配してをりました小生只今37才になり営業職をしてをりますが、昨今の情勢郁々苦戦してをりまして日々苦しいときも先生のサイトで小生の心(奮立たせ)日々精進してをります
どうか末永くお付き合い願います。

投稿: 飯塚と申します | 2009年3月13日 (金) 21時45分

この唄は、小林旭、松原智恵子共演で空中ブランコ・サーカスが演じられた日活映画「さすらい」(昭和37年2月)、で聞きました。懐かしいいい唄ですね。

投稿: 前期高齢者 | 2009年8月13日 (木) 11時46分

「サーカス」関連の唄でゆったりとした曲はありません。これもリズム歌謡調に作られています。ひばりの「陽気な渡り鳥」も「悲しき小鳩」も。

子供の頃、親から「○○しないとサーカスに売られちゃうよ」と脅かされたので、サーカスの人は「売られていった悲しい身の上の人」と思っていました。

そして「あの人たちは酢を飲んでいるからあんなに体が柔らかいんだよ」と聞かされたので、今でもそうなのかと思っています(若干疑問に思いながら)。

サーカスって、子供心をいろいろ想像の世界に連れて行ってくれますよね。テンポの良いこの唄が昔から大好きです。

投稿: こぎつね | 2009年8月13日 (木) 21時19分

この物悲しい曲を聴くと私が初めて観たサーカスの状景を思い出します。
思い出すのはピエロや芸をする動物ではなく、たる回しを芸とする、20代ぐらいとおぼしき女性です。舞台の中央に寝転び大きな樽を足で様々な方向に回すのですが、むき出しにされた彼女の足が異様に短く逞しく、肉体労働者の形をしていたことを当時10歳の私は妙にはっきりと記憶しています。
当時のサーカスの厳しさ辛さは彼女の姿が物語っていたのだと〔サーカスの唄〕の曲を聴くたびにこのサーカスの女性芸人を思いだすのです。

投稿: おキヨ | 2009年8月15日 (土) 11時57分

能勢の赤ひげ様のコメント拝読し、この歌にはまっております。
機会あるたびに歌ってみますが、急逝された老歯科医様の域には到底及ばないように思います。

旅のつばくら~つばくろ  獅子さえなびくに~なびく

この歌を沢山の歌手が歌っているのに驚きました。歌詞もなぜか変化しております。
石原裕次郎の歌う「サーカスの歌」は好いように思いました。

 

投稿: 広島 親 | 2009年11月 9日 (月) 04時18分

 大正9年生まれの父が好きな歌でラジオで聞いているそばで、子どもながらに覚えました。ジンタという不思議なことばですが<蛇足>の解説により長年の疑問が笑いとともに氷解しましたね。この歌は「サーカス」というモダンな装いはあるけれど、日本の旅芸人の流転を歌って人々の心をとらえていると思います。作詞家の西条八十は「越後獅子」も作詞してますが、どちらにも、旅芸人に対するまなざしの優しさ、こまやかさを感じます。「サーカスの歌」では<夜の月>「越後獅子」では<昼の月>が、流れ者の心の慰めとしてでてきますが、西条氏の特有の感性ですね。
 5,6才の頃、神戸に住んでいましたが「木下サーカス」がやってくると宣伝カーが街を走りまわって、近所の子どもたちがうきうきしたことを覚えています。テレビの普及する前の娯楽の少なかった時代の出来事です。
 私は、だいたいは国産品、国内仕様を愛そうとつとめてきましたが、やはりサーカスは空中ブランコ、アクロバット、ピエロなど体格のいい、彫りの深い顔の欧米人の方がピタリと決まるように思います。
 大人になって、フランス映画、フエリーニ監督の「道」にでてくるサーカスの旅芸人の描き方を知って、日本の旅芸人のイメージは情緒的すぎるなあと感じました。テントに入ってくる毎日の客の数、すなわち興行収入を気にしながら生活し、客の数が減ってくれば次の場所を探して移動していく、サーカスとはけっこう自由な営業なんだと思いました。日本の場合は興行権をにぎった土地の親分衆にしばられていますから。この映画は人間の良心、とくに良心の呵責について考えさせられました。自分の身を滅ぼすまでに良心の呵責をもっていたのは頭の弱い少女ジェルソミーナだったのです。聖なるものは利口な者、器用な者には宿らない、というふうに私は解釈しました。今ではサーカスといえば、ジェルソミーナが無邪気にラッパを吹くシーンがでてきます。
 

投稿: 久保 稔 | 2012年8月17日 (金) 02時17分

ど田舎に生まれ育ったが、ある時両親が市内で興行されていたサーカスに連れて行ってくれたのを思い出しました。今ではサーカスって、コーラスグループの事と言われそうな。

投稿: 海道 | 2012年10月14日 (日) 15時43分

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