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はるかな友に

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:磯部俶、唄:ボニー・ジャックス 他

1 しずかな夜ふけに いつもいつも
  思い出すのは おまえのこと
  おやすみやすらかに たどれ夢路
  おやすみたのしく 今宵もまた

2 あかるい星の夜は はるかな空に
  思い出すのは おまえのこと
  おやすみやすらかに たどれ夢路
  おやすみたのしく 今宵もまた

3 さびしい雪の夜は いろりのはたで
  思い出すのは おまえのこと
  おやすみやすらかに たどれ夢路
  おやすみたのしく 今宵もまた

《蛇足》 昭和38年(1963)2月にNHKから放送されました。

 この「友」は当然女性で、しかもただの友達ではないでしょう。普通、同性の友人のことを、こんなふうに優しく思ったりはしませんよね。恋人にちがいない人を「友」と呼ぶ抑制された表現が、相手との関係の精神性を暗示しているような気がします。

 しかし、『はるかな友に』という題でなければ、親が遠く離れて暮らすわが子を思う歌、と取れなくもありません。

 磯部俶(とし)は早稲田大学グリークラブ出身の作曲家。合唱曲を数多く作っています。この歌はグリークラブの合宿中に作られたそうです。

(二木紘三)

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コメント

先日、混声合唱団の演奏会でアンコールにこの曲が歌われ、よく聞いた歌なのに曲名がわからずモヤモヤしておりましたが、合唱団のメンバーに尋ねて「はるかな友に」だと知りました。しかも「うた物語」にとりあげられていて、何度も聞いては感動をあらたにしております。《蛇足》に書かれているように、これは母が遠くわが子を思う歌という感想がぴったりです。40年以上も前に亡くなった母を思って目がうるみます。

投稿: 林 一成 | 2007年10月 4日 (木) 09時35分

 愛犬を亡くしてからもう3年になろうとしています。気持ちが落ち込んだとき、ナット・K・コールの曲をかけて、ウヰスキーのグラスを手にあいつの鼻先でよく歌ったものです。
 「くさいな~、うるさいな~」みたいな顔で鼻をそむけ、迷惑そうにしていたあいつ・・・でも、結局いつも付き合ってくれました。あいつのいない今は、気持ちが落ち込むとギターを弾きながらこの『はるかな友に』をひとり歌っています。歌いながら涙が止まりません。
 私にとっての“はるかな友”は、天国できっと楽しくやっているだろう“あいつ”に他ならないのです。

投稿: ふれっど | 2007年11月 9日 (金) 20時27分

定年退職してすぐ、地域の混声合唱団に入りました。
私と同じ頃入団した人がいました。
陽気な人で直ぐ人気者になりましたが、一年後病気で急逝しました。通夜に駆けつけた団の人たちで急遽、この歌をうたうことになりました。それまで比較的平静だった私でしたが、歌いだすと表現しがたい思いが込み上げてきて歌えなくなりました。

投稿: 周坊 | 2008年6月26日 (木) 21時59分

昭和38年2月のボニージャックスの録音には、早稲田大学グリークラブ、
慶應義塾大学ワグネル・ソサィエティ、上智大学グリークラブの学生三団体が
バックとして参加したようです。テープを所持していますが、聴いていてもこれほどの
大人数になると、単なるバックというより、早稲田グリークラブOBとして、
プロのボニーが合唱に特別参加しているような印象さえ受けます。

投稿: | 2008年6月27日 (金) 01時23分

cafe小学校でこの歌を習った時。。。
大好きな友人の事を思って、こういう日が来るのかなァと
思いながら歌っていました。
頭の良い子で厚生年金病院で働いていました。今もそこで
幸せに働いていてくれる事を祈っています。
一寸した事で破綻してしまった友情でしたが一言有難うと言いたいです。

投稿: sunday | 2008年6月27日 (金) 16時04分

数年前、歌の好きだった義兄の葬式で、仲間が混声合唱で、この歌を唄ってくれました。式次第にこの曲があるのを見て、ハンケチを用意しておきました。涙が止らないだろうと。

投稿: Bianca | 2008年8月17日 (日) 19時17分

いい歌ですね。平易で郷愁を誘うメロディーです。
11月にバンクーバー室内合唱団が出雲市に来ますが、地元の混声合唱団と合同で歌うことになっています。
磯部さんは世界でこれだけこの曲が歌えたら、きっと天国でもご満足でしょう。

投稿: 三瓶 | 2009年9月 3日 (木) 22時15分

約2年前に投稿されたふれっどさん、貴兄の気持は私にはよくわかります。ほんとに犬好きなんですね。人間は2面性があるけれど、犬にはそんな知恵がないから可愛いですね。無くなった愛犬を思いながら一杯やるのも、人生の有情ですね。

投稿: いっちゃん | 2009年9月 4日 (金) 19時54分

この歌を初めて聴いたのは十代の終わりの頃なのですが、「おまえのこと」この部分でいつも不思議な気持になるのでした。
私を「おまえ」と呼んだのは、今は亡き父ただ一人。友よりも、もっと深く近いものを感じるのはそのせいでしょうか…。
そして、この「おまえ」は、もう二度と会えない人なのではないか…聴きながら、歌いながら、漠然とそう思っていました。
フレッドさんのコメントを読んで、お気持ちが私にはとても良くわかりました。

投稿: nobara | 2009年9月 5日 (土) 13時51分

ふれっどさんのお名前、カタカナで書いてしまいました。お許しください。

投稿: nobara | 2009年9月 5日 (土) 13時58分

1960/11/19富士山の吉田大沢で雪崩がありました。早大山岳部では4人の部員を失い、その慰霊祭でグリークラブの方々がこの歌をうたってくれました。
それから49年後、2009/10/10当時の部員、OB約40名が5合目の佐藤小屋に集まって「富士山の4人を偲ぶ会」(50回忌)を行いました。翌日ケルンの前では「都の西北」とともにこの「はるかな友に」を皆で歌いました。
私もこの雪崩で頂上近くから6合目近辺まで流され、かろうじて救助されました。私には亡くなった4人の「友」とともにこの歌は忘れないものになっています。

投稿: ezs02123 | 2009年10月11日 (日) 22時29分

この歌の「友」とは、アルバイトをしてもお金が足りずに、合宿に来れなかったメンバーのことらしいです。グリークラブのOBで合宿の指導に来ていた磯部さんが合宿の就寝のまえに静かな曲を、と作られたそうですが、二木先生がおっしゃるように、想いを寄せる相手ととった方がずっと自然に感じられるのですが…。それにしても、磯辺俶さんてかたは心優しい人だったのですね。そういえば唄っていたボニージャックスも早稲田グリークラブ出身でしたね。本当に心安らぐ名曲ですね。

投稿: かせい | 2010年2月12日 (金) 01時56分

同性の友人、肉親、ペットと対象に関わらず、異性愛に見がまう深い愛情はわくものなんですね。賛美歌にも「わが魂の 慕いまつる イエス君の麗しさよ. あしたの星か 谷のゆりか 何になぞらえて歌わん 」というのがあり、ここではキリストも恋人のように歌われています。

投稿: Bianca | 2010年2月12日 (金) 11時31分

このようなリンクフリーのページを作って下さった先生に感謝してます。思い出し療法(専門家は回想法といっておられるようですが)と勝手になずけてよくわからないままホームページを作っています。物持ちがいいためか、片づけが出来ないせいか、、古いハガキが出てきて、この歌を思い出しました。高校時代の親しい友が遠い憧れの人と文通するなかで、私にもおこぼれで情報が時々入りました。その二人のことを思い出すのはこの歌しかありません。手紙に「はるかな友」が書いてあったとか、、若い日の情熱が消えてしまっても静かに温かく残る歌の一つだと思います。良きこと美しきことに乾杯!!このことをページに掲載したところです。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~arimamina/
思い出し療法のラストのページに、、、

投稿: 有馬 美生 | 2010年4月 3日 (土) 17時34分

その相手の女性は、今、私とブログでやり取りさせてもらっている女性の、亡きお母さまらしいです。ああ、私ひとりで、感激しております。

投稿: 風゜船(ぷうせん) | 2010年4月30日 (金) 00時38分

昭和39年早稲田入学。本部封鎖、ロックアウトなど騒然たる構内であった。本部キャンパスにあったクラブの部室は、ワンゲル部や演劇研究会などと同じ、昼でも暗い長屋のような建物の奥にあった。当時、演劇の発声練習の締めくくりで、必ず歌われていたのがこの歌で、曲名はわからなかったが歌詞とメロディは、いつしか聞き覚えた。2年程後に火事で部室焼失。それから数十年、カラオケブームとともに、いろんな歌を歌ったが、この歌だけは、曲名もわからず、うろ覚えで伴奏なしで口ずさんだ。題名を知ったのは、数年前、インタネットで歌詞検索がサポートされ、「しずかなよふけに・」と入れてヒットし,初めて曲名を知りました。思い出深い曲です。

投稿: ひらのひろし | 2011年5月19日 (木) 17時16分

あさっては愛猫の一周忌です。
ねこ白血病で11歳で逝ってしまったあの子。
去年の今頃はもう苦しい危篤状態でした。

静かな夜更けにいつもいつも
思い出すのはおまえのこと・・
先ほど、この歌を断片的に思い出し、
上記の歌詞で検索したらこのサイトが出てきました。
歌詞をプリントしました。

これからは、ライフパートナーのような存在だった
あの子を思って、いつでも歌えます。

ふれっどさんにも励まされました。
このサイトめぐり合ってよかったです。

投稿: しま | 2011年5月26日 (木) 21時37分

 化粧品のCMで流れている曲「悲しき天使」を検索していて,このサイトに巡り会いました。
 今日,この「はるかな友に」に行き当たり懐かしく聴いています。

 小生が初めてこの曲に出会ったのは,今からちょうど40年前です。
 当時,勤務先の同期入社の友達と山の会を作り,1泊した山小屋で早稲田・鵬翔山岳会OBであるS氏から教わりました。彼は早稲田グリークラブにも所属していたようです。
 以後,山の会で集う時,彼はいろいろな歌を教えてくれました。その中でもこの歌はいつも歌っていました。

 その後,小生は会社の混声コーラスクラブに入り,そこでもこの歌を歌っていました。

 その彼も,5年前に63歳で永眠しました。
 この歌を聴くと,彼とのいろいろな想い出が脳裏を駆け巡ります。

投稿: 川崎の住人 | 2011年10月14日 (金) 08時27分

ここは記憶との出会いの場所です。頁をくって流れてくる演奏が時々記憶にある調べと同じで、その出会いにホッコリ嬉しくなります。このメロディー題名を「はるかな友に」と言うのも歌詞も全く覚えていません。ただメロディーだけが1963年の記憶ファイルに刻まれていたんです。

若き女性への詩ならば、いま余計に心が和みます。

投稿: minatoya | 2013年5月30日 (木) 08時32分

1年1ヶ月間、9回の抗がん剤治療を生きて終了した白血病患者です。友人知人の多くがどういう言葉をかけていいのかわからず、何もできなかったと今言います。
何をしてもらったら、うれしいか、抗がん剤治療や副作用をどのように乗り切ったか等々今のうちに話しておきたいことがあり、「"がん"を語り合う会」を開きます。子どもさんを見送られた方、母親を見送られた方も協力してくださいます。みんなでいろんなことを語り合う会でです。
会の終わりにみんなで「遙かな友に」を歌いたいと思って検索していましたら、ここにたどり着きました。
入院中、この歌詞を消しゴムアートで作った絵はがきをいただき、何よりのお見舞いでした。

投稿: ラムズイヤー | 2013年6月17日 (月) 16時19分

友というのは合宿に参加していない部員のことと聞いています。まだ戦後の混乱が残る時代で高度成長期のはるか前ですから、決して生活は楽ではなかった時代です。今では想像できないので、恋人と解釈してしまうのも仕方ないですが。

投稿: おっこち | 2016年7月26日 (火) 17時34分

おっこち様
創作の動機(モチーフ)がそのまま表現として表れるとはかぎりません。合宿に来られなかった友人が創作の動機という話は、私も昔から聞いていますが、歌詞自体を読むと、とても同性の友人への感情とは思えません。
「しずかな夜ふけにいつもいつも/思い出すのはおまえのこと/おやすみやすらかにたどれ夢路/おやすみたのしく今宵もまた」が同性の友人への思いだとすると、それは友情というレベルを超えた特別な間柄の相手への感情吐露だという印象を受けます。同性間のそういう関係や感情をけっして否定するわけではありませんが。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2016年7月28日 (木) 00時12分

例年、11月に入って木枯らしが吹く頃になると、年賀欠礼の喪中はがきが届くようになります。古稀を過ぎる頃からは、同窓仲間の喪中はがきがぽつぽつ来るようになりました。年々寂しい思いを強いられていた矢先、木枯らし2号が吹いた寒い日に、1通の喪中はがきを受け取りました。大学時代の同期生で、わたしが好感をもっていた女性の訃報でした。同じ学科を卒業した15人の同期生のうち、不明者もいますが、訃報は彼女で5人目です。彼女は、わたしの大学の教授の娘でした。わたしは「好感」を持っていただけで、特別のお付き合いをしたわけではありあせん。彼女は、容姿は美形の範疇には入らないまても、涼しい目をした、細面の理知的な顔立ちで、背丈もスラリとした、なかなかのシャン(美人)でした。サークルでも、コンパでも、彼女の行動は目立っていましたが、「教授の娘」ということからでしょうか、浮いた話は聞こえてきませんでした。
 卒業後、彼女は教師になったのですが、10年くらい経って、風の噂で彼女がまだ独身であることを知りました。「彼女は、卒業したらすぐにでも結婚するだろう」と思っていたわたしは、ちょっと意外に思いましたが、とくに、深く考えた訳ではありません。還暦を過ぎた同期会で、40数年ぶりに彼女に会いましたが、「まだ独身です」と明るく笑っていたのが印象的でした。わたしは「教授の娘」のレッテルを背負った人生はどうだったかと、彼女に聞こうとしましたが、教授の顔を思い出して止めました。2年前の喜寿の同期会でも、彼女は溌剌とした姿を顕わし、同期生の中では「もっとも元気で、最も長生きするだろう」と、皆から太鼓判を捺されていました。彼女自身、内心ではそう思っていたかもしれません。しかし、仏教でいう「無情の風一度吹けば、たちまち現身は白骨となる」の例え通り、人の命とは儚いものです。
   木枯らしやはるかな学友(とも)に合掌す   ひろし

投稿: ひろし | 2016年11月17日 (木) 15時36分

17年前、70才の若さで亡くなった私の10才違いの兄貴の葬儀で、海兵77期(最終期)のコーラス仲間20名程が兄貴を偲びながら歌ってくださったことを思い出します。私も先輩の方達の中に入れて頂き一緒に歌いましたが涙が溢れて自慢の低音もとぎれとぎれで歌になりませんでした。
二木先生のコメントの通り、私もこの歌は懐かしい異性や遠く離れた我が子を思い歌ったものだと思いますが、その時、我が子の葬式にも出席できず又亡くなったことも知らされず、遠く広島の地でひとり病気静養中の年老いたお袋のことが頭の中をよぎっていたのかも知れません。 その翌年、92才の長寿を全うし先に逝った我が子の後を追うようにお袋も旅たちました。
「なに~ あんたも先にきとったんね~」と広島弁で喋っているお袋の姿が目に見えるようです。


投稿: あこがれ | 2016年11月21日 (月) 18時13分

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