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悲しき口笛

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:藤浦 洸、作曲:万城目 正、唄:美空ひばり

1 丘のホテルの 赤い灯(ひ)
  胸のあかりも 消えるころ
  みなと小雨が 降るように
  ふしも悲しい 口笛が
  恋の街角 路地の細道
  ながれ行く

2 いつかまた逢う 指切りで
  笑いながらに 別れたが
  白い小指の いとしさが
  忘れられない さびしさを
  歌に歌って 祈るこころの
  いじらしさ

3 夜のグラスの 酒よりも
  もゆる紅色 色さえた
  恋の花ゆえ 口づけて
  君に捧げた 薔薇の花
  ドラの響きに ゆれて悲しや
  夢と散る

《蛇足》 昭和24年(1949)のヒット曲。

 この曲は美空ひばりのデビュー曲ということになっていますが、実は、この曲以前に、『かっぱブギ』という1曲がありました。しかし、全国的に流行したのは、この曲が最初です。

 同じタイトルで、ひばり初の主演映画の主題歌にもなりました。12歳のひばりの歌と演技のうまさにびっくりしました。

 サブカルチャーにも造詣の深い世界的指揮者でパーカッション奏者の岩城宏之は、「美空ひばりは幼時からクラシック教育を受けていたら、マリア・カラスに匹敵する世界的大歌手になっていただろう」と語っています。
 この上ないオマージュだとは思いますが、大衆歌謡のファンには、ひばりがカラスにならなくてよかった……と思っている人も多いのではないでしょうか。

(二木紘三)

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コメント

 映画の中で、シルクハットに燕尾服の少女・美空ひばりが、『悲しき口笛』を歌うシーンが今でもたまに流されます。それが、私が生まれた昭和24年の映像であってみれば、なおのこと。この歌への思い入れが、一段と深くなろうというものです。
 ところで、美空ひばりが亡くなって間もない頃。野坂昭如が、「美空ひばりは戦後日本の形代(かたしろ)だった」と評しておりました。
 敗戦の痛手覚めやらぬ頃、時代が美空ひばりという天才少女歌手を求め、一気にスターダムにのし上げた。しかし時に時代は、一転して容赦ないバッシングの嵐を彼女に浴びせたりもした。時には時代の花形としてもてはやされながら、時には時代の罪・ケガレを一身に負って川に流される人形(ひとがた)のような存在。(よくは覚えていませんが)野坂は、そう言いたかったのだろうと思います。
 しかし美空ひばりという稀有なスターの凄さは、時代の与える毀誉褒貶(きよほうへん)のすべてを、真正面から一身で受け止めることが出来たということでした。
 私はハッキリ申し上げて、生前はあまり好きではありませんでした。しかしその死後かえって、美空ひばりという大きな存在の喪失感を実感しております。

投稿: 大場光太郎 | 2008年9月28日 (日) 20時04分

小学生の時代にこの歌を歌い先生に叱られた記憶があります。そのころからこの歌は好きでした。古稀を迎えるころになって、“サーカス“の4人組が歌っています。都会的なセンス、上品なお色気、もちろんハーモニーはあたりまえ。ジャズのフィーリングがすばらしい。歌謡曲もかくも変わるのかと想います。『悲しき口笛 変奏曲』です。

投稿: レフティ しげ | 2008年10月18日 (土) 20時56分

 歌は好きだが、その歌手はどうもあまり好きになれないということがあるものです。わたしの場合、それが美空ひばりだというと、ひばりファンからブーイングがおこりそうですが。昨日はひばりの祥月命日だそうで、あらためてこの歌を聴いて見ました。
 この歌が全国津々浦々にまで流れていた頃、わたしは新潟の片田舎の中学生でした。頬にニキビが出来はじめ、思春期特有の‘性に目覚める頃’でもあります。異性を意識しはじめ、とくに大人の世界におこる恋愛や結婚など男女の問題には、強い関心を示しはじめた頃です。そんな折、村々を巡回して来る映画(当時田舎では、‘活動写真’と言ってました)で、唄う彼女の衝撃的シーンにお目にかかるのです。そのシーンについては、すでに大場光太郎様が印象的にコメントされていますが、あどけない少女が何と燕尾服姿でシルクハットを被り、手にはステッキを持って登場したのです。そして、大人顔負けの堂々たる歌唱力で『悲しき口笛』を唄ったのです。もちろん当時ですから、白黒映画ですよ。
今のご時世でしたら、こましゃくれた子どもが大人のスタイルで、大人の歌(流行歌)を唄っても、だれひとり関心を示さないでしょうが、当時の田舎中学生にとっては、晴天の霹靂にも似たショックでした。ショックの中身は、ひとつには子どもでありながら、隠微な、妖しげな大人の世界を知った彼女への嫉妬であり、同時に、やはり彼女はわたしとは違う世界に住む異邦人だという意識ではなかったかと思います。冒頭わたしは「歌は好きだが、その歌手はどうも」と言いましたが、未だにその潜在意識が働いているのかも知れません。

投稿: ひろし | 2009年6月25日 (木) 16時09分

私は美空ひばりが好きではありませんでしたが、私の思春期だった中学生当時、映画“悲しき口笛”でシルクハットを被りステッキを小脇に抱え燕尾服を着て妖精のようにスクリーンに登場したおませな美空ひばりが私達に与えた衝撃は大きく、美空ひばりは嫌いだが幼い頃の”ひばり“は好きだと思って居られる方は我々世代の方の中にはきっと多いと思います。私もその一人なのですが、正直言ってあの頃は戦後の荒廃期でもあり、食べるのが精一杯で娯楽など数える程しかなくその一つが活動写真でしたが、彼女の歌と燕尾服が食べることだけでなくあらゆることに空腹を味わっていた私達に藤浦洸の美しい作詞と共に、多くの夢と希望を与えて呉れました。あの時競演した津島恵子は綺麗でしたね、今でも此の曲を聴くと何故か甘酸っぱい郷愁に駆られます。然し、何もなかった貧しいあの当時の方が今よりずっと何もかも燦(きら)めいていたような気がするのはどうしてでしょうか?きっと今のほうが夢も希望もない穢い厭な世の中になったからでしょうね(;;)

投稿: y.okamoto | 2009年6月29日 (月) 08時38分

どこかで書かせて戴きましたが、私が初めて観た映画は鶴田浩二とひばりの「あの丘越えて」でした。この頃の歌は綺麗な声で良かった様に記憶しています。先生の言われる「吉永小百合」は無技巧で素朴に対して、ただ純粋だったのかも知れませんですね。ひばりの歌の中では「津軽のふるさと」と、このサイトで教えて戴いた「マリモ哀歌」が好みです。

投稿: 海道 | 2009年6月29日 (月) 12時20分

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