« 唐獅子牡丹 | トップページ | しゃれこうべと大砲 »

鎌倉

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


文部省唱歌、作詞:芳賀矢一、作曲:不詳

1 七里ヶ浜(しちりがはま)の磯づたい
  稲村ヶ崎(いなむらがさき)名将の
  剣(つるぎ)投ぜし古戦場

2 極楽寺坂(ごくらくじざか)越え行けば
  長谷観音(はせかんのん)の堂近く
  露坐(ろざ)の大仏おわします

3 由比(ゆい)の浜辺を右に見て
  雪の下道(したみち)過ぎ行けば
  八幡宮の御社(おんやしろ)

4 上(のぼ)るや石のきざはしの
  左に高き大銀杏(おおいちょう)
  問わばや遠き世々(よよ)の跡

5 若宮堂(わかみやどう)の舞の袖
  しずのおだまきくりかえし
  返しし人をしのびつつ

6 鎌倉宮(かまくらぐう)にもうでては
  尽きせぬ親王(みこ)のみうらみに
  悲憤の涙わきぬべし

7 歴史は長き七百年(しちひゃくねん)
  興亡すべて夢に似て
  英雄墓は苔むしぬ

8 建長(けんちょう)円覚(えんがく)古寺の
  山門高き松風に
  昔の音やこもるらん

《蛇足》 明治43年(1910)の 『尋常小学読本唱歌』に掲載されました。鎌倉の歴史観光ガイドのような歌です。

 最初のワンコーラス分は前奏なので、歌うときには2コーラス目から入ってください。

1番=元弘3年(北朝は正慶2年、1333)5月21日、新田義貞は稲村ヶ崎を回って鎌倉に攻め込もうとしたが、水が深く、渡ることができなかった。
 『太平記』によれば、このとき義貞が黄金造りの太刀を海に投じて竜神に祈ったところ、水が引き、干潟となったので、6万余の新田軍は鎌倉に突入することができた、とある。

4番=承久(じょうきゅう)元年(1219)1月27日夜、鶴岡八幡宮での右大臣就任拝賀の儀を終えて石段を下ってきた3代将軍実朝は、大銀杏の陰から飛び出した甥で前将軍頼家の遺児・公暁(くぎょう)によって暗殺された。
 公暁は、乳母の夫で、有力御家人の三浦義村に「親の仇を討て」とそそのかされていたといわれるが、暗殺後、その義村の配下によって殺された。
 その大銀杏は平成22年(2010)3月10日の未明、強風のため根本から倒れた。写真は在りし日の大銀杏。

5番=源義経の愛妾・静御前を歌ったもの。文治元年(1185)、義経が兄頼朝と不仲になって京都から脱出したとき、静もこれに同行。しかし、翌年吉野山で義経と別れたのち捕らえられ、鎌倉に送られた。
 都第一と歌われた白拍子
(しらびょうし)=踊り子の舞を見たいという頼朝・政子夫妻の求めにより、鎌倉鶴岡八幡宮社前で踊ったが、そのとき歌ったのが、義経を恋い慕う次の2首。

  吉野山峰の白雪ふみわけて入りにし人の跡ぞ恋しき
   しづやしづ賤
(しず)のをだまきくり返し昔を今になすよしもがな

 頼朝はこれを怒り、「殺してしまえ」と命じるが、政子がそれを諌め、髪を下ろすことで許された。同年7月静は義経の子を出産するが、男児であったため、即日由比ヶ浜に沈められてしまった。
 そののち静は許され、京に帰された。以後の消息は不明だが、故郷の磯村で小さな庵を結び、義経と殺された子の菩提を弔い続けたと伝えられる。

6番=ここで歌われている親王は大塔宮護良親王。後醍醐天皇の皇子で、一時征夷大将軍に任ぜられたが、足利尊氏の讒言(ざんげん)によって(『太平記』による)失脚。建武元年(1334)、尊氏によって土牢に幽閉され、9か月後の建武2年、尊氏の弟 ・直義(ただよし)の部下・淵辺義博(ふちのべ・よしひろ)によって殺された。
 この土牢の場所に、明治2年
(1869)、明治天皇によって創建されたのが鎌倉宮。
 なお、大塔宮護良親王は、昔は「だいとうのみや・もりながしんのう」と読むのが一般的だったが、現在は「おおとうのみや・もりよししんのう」と読むのが一般的になっている。

8番=建長寺は鎌倉五山の第一位で、けんちん汁発祥の地として知られる。円覚寺は同二位。

(二木紘三)

|

« 唐獅子牡丹 | トップページ | しゃれこうべと大砲 »

コメント

昭和30年修学旅行で初めて東京鎌倉に行きました、初めて乗る東海道線
の車中で先生のガリ版刷りの歌集を歌いその中にこの歌があり哀愁に満ちたメロデイーに惹かれ今でもこの歌を聴くと半世紀まえの東海道線から
少し見えた富士山が今のように思い出します

投稿: 奥田丈太郎 | 2007年9月 1日 (土) 14時10分

この歌をうたうようになったのはいつごろからだったのでしょう。

初めての鎌倉は、大学の合宿で。古美術研究会の合宿。七里ガ浜に面する学生向きの安宿だった。江ノ島におちる夕日の美しさが何とも言えず印象に残っている。

 この曲の歌詞はどれも好きなのですが、特に 六番

     鎌倉宮(かまくらぐう)にもうでては
     尽きせぬ親王(みこ)のみうらみに
     悲憤の涙わきぬべし

 これを聞く度、歴史の残酷さを痛切に思うのです。

    といいながら、実は最近まで「早とちり」をして

      鎌倉宮  を  鶴岡八幡宮に
      親王   を  実朝   に取り違えていました。

 最近やっと、軌道修正したところです。

 先生が解説されているように、鎌倉宮は土牢のあるところです。

昨年、どうしても大塔の宮の臨終の地が見たくて鎌倉を訪れてきました。
時間の無い旅ですので主目的は土牢。タクシーで鎌倉宮を告げると、こんなお客はほとんどいないとの返事がかえってきます。

土牢があったと思われる地に、明治になり神社を創建されたとか。絶対的根拠はありませんが、昼なお暗き湿っぽい土牢が大塔の宮惨殺の場所として--さもあらん--の感を強くしております。

カラオケの機会も多いのですが、他の方がうたうのをきいたことがなく、唯一僕ひとりの歌として楽しませていただいております。

投稿: 能勢の赤ひげ | 2007年10月 8日 (月) 00時04分

私の母の実家は、鵠沼でした。亡くなる4ヶ月前に孫と私を連れて自分のふるさとを案内してくれました。数え6歳で西片町で関東大震災にあい、その時の話をしてくれました。鎌倉などにも連れていってくれました。この曲を聞くと懐かしく思い出しています。

投稿: 昔の少女 | 2008年6月20日 (金) 22時45分

歴史に弱い私は、この歌を聞いて鎌倉時代の歴史を覚えました。「大楠公」(青葉茂れる桜井の…)もそうです。

歴史の時間に、講談と歌で教えてくれる先生がいたら、子供たちはみんな歴史に強くなると思うんだがなあ。冗談じゃなく、ほんとにそう思っているんです。

投稿: 吟二 | 2009年5月14日 (木) 00時50分

小学校の高学年のころ、隣家のお母さまが歌ってくれました。
歌詞は理解できなかったものの、格調高い詩に惹かれました。長じて意味が分かったときには鎌倉の地に憬れたものです。

あれから半世紀。隣家のお母さまは現在80代後半ですが、今でも覚えておいででしょうか。
お会いできたら歌っていただきたいものです。

投稿: りこ | 2009年6月 2日 (火) 11時17分

小学校の音楽の時間に素敵な女性の先生に教えてもらいました。それ以来鎌倉に対する憧れが芽生えました。 1番の歌詞はよく覚えていたのですが、それ以外はうろ覚えで本サイトで歌詞とその意味を知り、ますます鎌倉にあこがれて、同士を募り、歌詞をコピーして配って鎌倉旅行をしました。この歌を初めて知った者が大部分でしたが、歌と旅行に感銘を受けてくれました。八幡宮の大銀杏でもこの歌を知っていれば大きく感動が違ってきます。雪の降り積もった階段を実朝が今にも降りてきそうな気がしました。
 2~8番の歌詞のところはすべて回ったのですが、経路の都合上、1番の七里ガ浜の新田義貞様には会っていないのです。1つ宿題が残りました。
 後世に残したい歌の1つですね。
 

投稿: りゅう | 2009年9月22日 (火) 20時23分

この鎌倉の近くに若い頃2年ほど住んでいましたので、良く行きました。勿論女性を探すためでした。しかし和装の麗人には会えませんでした。京都に行くべきだった
と悔やんだりしました。(昔のことです。)

投稿: 海道 | 2009年9月23日 (水) 07時11分

小学校時代、先生から聞いたこの静御前の歌から、私のブログの名前「しづのをだまき」を決めました。

投稿: Bianca | 2009年9月24日 (木) 11時48分

鎌倉の大銀杏、倒壊してしまいましたね。

雪まじりの風が原因とのことですが、その程度の風雨など何百回となく経験していたろうに。樹齢1000年を越える老木で、弱っていたんでしょうか。残念です。

投稿: ひろ | 2010年3月10日 (水) 12時54分

大銀杏が倒れたことを知って飛んで行きました はや職人さん達が 根のところに筵を被せて水を掛けて居りました ひこばえが出てきたとか 又800年待ちましょう (´,_ゝ`)プッ

投稿: 寅  君 | 2010年4月24日 (土) 11時36分

一昨年、急性大動脈解離で緊急手術を受け、九死に一生を得たのを機にHOMEPAGEをつくり、若いころの思い出を書き残すことにしましたので、「春の日の花と輝く」、「マギー若き日の歌を」と、この曲をリンクさせていただきました。

投稿: 関口益照 | 2010年7月25日 (日) 04時22分

投稿: 関口益照 | 2010年7月26日 (月) 11時58分

関口益照様
リンクはどのページでもご自由にどうぞ。連絡は不要です。
お大事に。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2010年7月26日 (月) 15時21分

小学校の遠足で、ガイドさんから教わった時の印象は、何と物悲しい曲だろうというものでした。しかし、その後鎌倉の歴史を知るにつけ、悲劇がつきまとった古都の雰囲気をよく表した曲だと感じるようになりました。作曲は誰なのでしょう。
1番に歌われている名将、新田義貞は鎌倉を占領するという武勲を挙げながら、尊氏と対立して不運な死を遂げます。公暁、静御前の悲劇は言うに及ばず、6番の護良親王は、建武の中興から室町幕府への戦乱期に葬り去られた倒幕の戦功者でした。武家の都鎌倉には、血で血を洗う権力闘争がつき物だったのかも知れません。
鎌倉は3方を山に、1方を海に囲まれた天然の要害で、切通しと呼ばれる山間の道を通らないと行き来が出来ない地勢になっていました。そこでも多くの血が流されたのでしょう。切通しのところどころに祠と石仏が彫ってあるのが見られます。
現代の鎌倉は首都圏から手軽に訪れることが出来る観光地として大変人気がありますが、日帰り客が殆どであるため、午後7時を過ぎると昼間の喧騒が嘘のように静まり返ります。店じまいをしてしまうところも多いですが、人気が少なくなった夜の街で飲食するのも鎌倉のもうひとつの楽しみ方です。

投稿: Yoshi | 2011年5月 4日 (水) 11時07分

古希を迎え、「新老人の会コーラス部」入会の機会を得、「鎌倉」短歌の歌を習い、すっかり歌詞のすばらしさ心を揺さぶられ、友人と七里ヶ浜から円覚寺まで巡ってみたいと話していますが、広島の田舎者には順路がわからず、調べることもできず、話が堂々巡りをしている昨今です。
厚かましいことですが、どなたか鎌倉駅からの巡り方をお教え願えませんでしょうか。歌詞に込められた当時の在り様を知り、この歌をたびたび聞かせてもらっています。
ぶしつけなことを言っていることは重々承知で、もし何方かお聞き届けいただけたら…ありがとうございます。

投稿: 平原 君枝 | 2011年10月 3日 (月) 18時59分

平原君枝 様
 鎌倉近辺に住んでいる者です。鎌倉の名所旧跡をお訪ねになりたいとのことですが、この歌に出てくる七里ヶ浜から稲村ヶ崎、長谷観音、鎌倉大仏、八幡宮、円覚寺、建長寺を駆け足で巡るだけでしたら、多少費用はかかりますが、鎌倉駅から観光タクシーをご利用になるのが、もっとも手っ取り早く効率的、かつ体力温存に最適なアクセスかと思います。通り一遍の観光案内でしたら、ドライバーがやってくれます。また、定期観光バス(よしつね号、しずか号など)も走っています。ただ中世の武家都市鎌倉の歴史あるたたたずまいを堪能されるのでしたら、宿泊されてゆっくり、じっくり回られるのがお勧めです。上記以外の古刹や旧跡もたくさんありますし、鎌倉特有のやぐら、切通し、谷戸(やと)などをお知りになりたければ、鎌倉の歴史に詳しいガイドさんもいます。鎌倉観光協会(0467-23-3050)、鎌倉市役所観光課(0467-23-3000)、鎌倉観光総合案内所(0467-22-3350)などにお問い合わせください。ホームページもあります。
 なお、鎌倉市内はシーズンを通して混雑していますが、とくに春・秋の観光シーズンは道路の渋滞がひどくマイカー規制があります。
 老婆心ながら申し添えますが、八幡宮の社殿脇の、実朝暗殺に利用されたといわれる大銀杏は、一昨年の大風で倒れ、現在は二代目が育成栽培中です。
 以上、鎌倉観光の一つの例をのべましたが、お役に立てる情報は、やはり観光案内所でお調べになった方がよろしいように思います。では、楽しい鎌倉旅行になることを祈念しております。

投稿: ひろし | 2011年10月 5日 (水) 23時37分


ひろし様
ご丁寧な鎌倉のご案内、一生懸命読ませていただきました。自分勝手なお願いを初めての投稿にさせていただき、あ~あやはりご返事はどなたからもいただけないな…
今ひろし様の情報を見させていただき、本当にうれしく
ありがとうございました。私たちも最低3日間は必要かね?
話は先に行ったり、後戻りしたり、なかなか実現しそうになく、さみしい気持ちになっていました。
ひろし様のメールをコピーし明日がコーラスの練習日なので、話し合います。ありがとうございます。

投稿: 平原 君枝 | 2011年10月13日 (木) 18時42分

愚生只今仕事でネパールに来ております。去る二月一日に来て、この十一月三十日まで働いて十二月一日に帰国し、来年三月一日にまたこちらに…。
貴殿のこのホームページ友人(湘南乙女はん)の紹介で見させて貰いました。七里ヶ浜も唐獅子牡丹もしゃれこうべと大砲も拝聴。大変勉強になりました。投稿された他の方々の文も全部読ませて頂きました。異国にいることを忘れてしまいました。嬉しかったので一言書かせて頂きました。

投稿: 伊藤鉄郎 | 2014年3月28日 (金) 18時43分

「鎌倉」懐かしい歌です。 音楽の先生から習いました。 
中学の時 バス遠足で鎌倉・江の島へ 行きました。
海のない県で生まれ育ったので 海に憧れていました。

その後 ご縁があって結婚。 鎌倉市腰越に半年、藤沢に 12年。
湘南は第2の故郷なりました。

今は片瀬江の島から 25分くらいの所に住んでいます。

時々は 湘南の海が見たくなると 一人でデジカメを持って 出かけてます。「鎌倉」の歌を口ずさみながら・・・

また、歌を聴かせてください。

投稿: 湘南 乙女 | 2014年3月29日 (土) 12時04分

高橋勝巳様
メールアドレスが間違っていましたので、お返事が差し上げられません。メールアドレスをチェックのうえ、もう一度ご連絡ください。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2015年11月 7日 (土) 02時42分

近年、学校では昔の唱歌が歌われなくなったとよく聞きますが、この「鎌倉」のように、歴史を知ること、または知るきっかけになるような歌はぜひ残してほしいと思います。また、国語の古文の勉強にもなりますね。言葉が難しいから子供に判らないという理由もあるそうですが、メロディに載せて覚えさせれば効率よく覚えられるし、日本情緒に触れることもできます。我々だって「夕焼け小焼けの赤とんぼ、負われてみたのはいつの日か」を、「追われてみたのは」と思っていたとか、意味が分からないでも覚えた歌なども、たくさんありますよね。

日本情緒と言えば「祇園小唄」なども、ぜひ子供たちに覚えさせてやるべき歌だと私は思います。欧米調の歌ばかりでは美しい日本情緒は忘れられていくばかりですものね。

投稿: 吟二 | 2016年12月15日 (木) 06時24分

春爛漫の鎌倉に昨日4月14日(金)行ってきました。
我家から最寄り駅まで歩くと 最寄り駅~池袋駅~横浜駅~鎌倉駅のコースを約1時間40分で行けます。
関東草笛の会・鎌倉大会「草笛定期演奏会」に参加するため久しぶりの鎌倉詣です。毎年「鎌倉まつり」の初日に鎌倉鶴岡八幡宮の境内をお借りして開催されてきた「草笛定期演奏会」も既に25回を迎え楽しみにされている人も多いようです。「鎌倉まつり」初日の草笛開催は、沢山の催事と重なるので前回から日程を変更されたそうです。

天気は晴で20℃を超え満開の桜、源氏池脇の 鶴岡幼稚園広場藤棚付近は観光客、関東草笛の会会員で一杯でした。
♪(^^♪足元には餌を求める鳩、桜吹雪が舞って花筏に埋め尽くされた池をみながら(^^♪、春うららな場所で草笛演奏をしました♪♪(^^♪(^^♪

 86歳の河津会長の司会・進行で最初に全員で「鎌倉」を草笛演奏しました。3番の八幡宮の御社や4番の大銀杏などに草笛で思いを馳せることができました。
 私は「春の唄」の他に「幸せなら手をたたこう」を演奏して聞いてる人たちと共に、鎌倉の春を楽しみました。

投稿: けん | 2017年4月15日 (土) 09時02分

 けん様のコメントから春爛漫の鎌倉の様子を偲ぶことができました。ありがとうございます。私も久方ぶりに高校時代の友5人で東京芸術劇場の前のレストランで公園の葉桜の花の舞い散りを見ながら、ランチタイムをしました。みんな鎌倉好きで、「しばらく行っていないね」という話がでました。

 鎌倉八幡宮での草笛定期演奏会が25年も続いているなんて素晴らしいですね。「うた物語」のサイトにお邪魔するようになってから、一度は草笛の音色を生で聴いてみたいと思うようになっていました。「鎌倉での草笛」考えただけでもうれしくなります。鬼が笑うかもしれませんが、来年の開催日がお分かりになりましたらお知らせください。鎌倉好き達と連れ立って行ってみたいと思っています。

投稿: konoha | 2017年4月15日 (土) 12時20分

 昔、親友と行ったときの話です。
あの頃はまだ品川駅から東海道線に乗って鎌倉でした。二人は北鎌倉で下車し、その日は円覚寺は素通りし建長寺から、その裏山に登り天園ハイキングコースを歩き、途中、覚園寺に寄り鎌倉宮へでました。

 天園ハイキングコースでの出来事です。
 雨上がりの日で山道はぬかるみもありました。二人で「人がいなくていいね」と話しながら、そろそろ山道も終わりに近づき先は道路という所でしたが、山道は細くぬかるんでいました。左手は崖、右手は崖下で安全のため手すりが設けてありました。瞬間、前を歩いている友が足をすべらせ、あわやというところで手すりにしがみつき宙ぶらりんになってしまいました。私は直ぐに友を助けようとしましたが、友は助けを断り自力で上がりました。二人のやりとりを聞いていたのでしょう、うしろから男性ハイカーがおかしそうな表情をして通りすぎていきました。

 「普通、手を借りて上がるよね」と私、友は「ひとりで上がったほうが汚れないから」、あの男性は女性ふたりで何しているんだろうと思ったに違いないと私たちは吹き出してしまいました。

 それから何事もなく覚園寺を拝観し、鎌倉宮へでました。護良親王が幽閉されたという奥底深い土牢を覗き、ここに九ヶ月居たのかと思いを馳せて二人でぞっとして帰路につきました。

投稿: konoha | 2017年4月15日 (土) 16時39分

konoha 様
 関東草笛の会・鎌倉大会「草笛定期演奏会」参加のコメントで春爛漫の鎌倉の様子を偲ばれたそうで嬉しいです。
 
草笛演奏の場所については第1回目は「鎌倉まつり」の初日にあわせて「大塔の宮・鎌倉宮」で初演奏、第3回目は「鶴岡八幡宮の舞殿」で、第4回目から鶴岡八幡宮境内の源氏池脇の鶴岡幼稚園広場藤棚付近になったそうです。
 
草笛演奏の時期については昨年から「鎌倉まつり」の初日から「鎌倉まつり」の期間内に日程を変更されたそうです。来年の時期確定しましたら この欄でお知らせするようにします。

初回から草笛演奏を楽しみにご来聴される方から「楽しみにしています」とお声を掛けられました。次回も今年のように天気も良く温かく桜満開であればと願っています。

なお 関東草笛の会では5月21日(第3日曜日)10:00~15:30第28回春季定期演奏会を「国営・昭和記念公園みんなの広場中央売店前」で実施します。私は「春の唄(野口雨情)」、「仰げば尊し」、「幸せなら手をたたこう」をこの「うた物語」で練習し参加したいと思います。

なお「草笛」は自然の素材である草や樹木の葉っぱで「音」を創り、音楽をします。葉っぱを唇にあて、息(自分の心と書きます)を吹きかけ、その強弱・長短で葉っぱの振動を加減しながらメロディを奏で、草笛特有の音を醸し出します。「自然」と「人間の持つ感性」の融合を両者の接点である唇で音にする人間の知恵と言われています。

投稿: けん | 2017年4月17日 (月) 17時28分

けん様
 ありがとうございます。草笛のお話、感銘致しました。まさに「自分の心」で奏でるのですね。わたしの最初の記憶の中の草笛は、白黒映画で土手で親子が歩いていて、親か子かどちらかが草を摘んで口に当てて奏でたシーンでした。それからTVの旅番組でおじさんが奏でる音色でした。素朴でいいなあと思いました。

 都会では聴くことができない音色だと思っていましたので、来年のその日はよんどころのない用事は別として、ぜひ聴きに行きたいと思っています。よろしくお願い致します。

 覚園寺は足利尊氏ゆかりのお寺であるため、明治以降長らく不遇のお寺でした。今の様子はわかりませんが、先のコメントの時代はひっそりとした良いお寺でした。

 

投稿: konoha | 2017年4月17日 (月) 20時05分

福岡から、所用で東京に行き、先週の土曜日に中学3年からの親友(葉山在住)の車で江ノ電の写真を撮りにいきました。その時に駅の写真を駅員さんの許可を取って、撮りました。その駅が「七里が浜駅」でした。彼に車の中で、「鎌倉」を歌いました。「七里ガ浜哀歌」もあったことだと後で思いました。電車ファンの孫が喜んでくれるだろうと次の日曜日を楽しみにしています。

投稿: 江尻陽一 | 2017年10月25日 (水) 23時54分

2009年、5,14、の吟二様のコメント。同感に思います。また、2016年12月のコメントも同感です。昔の言葉は意味があると思います。

投稿: 今でも青春 | 2017年10月26日 (木) 09時31分

本当にそう思います。「琵琶湖周航の歌」もそうですね。また「真白き富士の根」も当時の若い人の海難事故が未だ胸に響いてきます。

 鎌倉の化粧坂(けわいざか)は七つの切り通しの中でも一番険しいというか斜面のきつい坂です。扇ガ谷から源氏山公園へ抜ける坂です。長年の雨の浸食で今は木の根や岩がむき出しで登り辛い道ですが、当時もかなり行き来が大変だったと思います。化粧坂の由来は死者に化粧したとか、また遊女の小屋があったとかですが、こんな険しい所のどこに遊女小屋があったのかなと想像しながら登った思い出があります。

投稿: konoha | 2017年10月26日 (木) 10時41分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 唐獅子牡丹 | トップページ | しゃれこうべと大砲 »