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高原の旅愁

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:関沢潤一郎、作曲:八洲秀章、唄:伊藤久男

1 むかしの夢の 懐かしく
  訪ね来たりし 信濃路の
  山よ小川よ また森よ
  姿むかしの ままなれど
  なぜにかの君 影もなし

2 乙女の胸に 忍び寄る
  啼(な)いて淋しき 閑古鳥(かんこどり)
  君の声かと 立ち寄れば
  消えて冷たく 岩蔭に
  清水ほろほろ 湧くばかり

3 過ぎにし夢と 思いつつ
  山路下れば さやさやと
  峠吹き来る 山の風
  胸に優しく 懐かしく
  明日の希望を 囁(ささや)くよ

《蛇足》 昭和15年(1940)5月、コロムビアから発売。『湖畔の宿』のB面でしたが、若い人たちに愛唱されたそうです。

 伊藤久男は明治43年(1910)生まれ。帝国音楽学校でピアノを学び、昭和8年(1933)にコロムビアの専属歌手となりました。
 なかなかヒットに恵まれませんでしたが、昭和15年
(1940)に『高原の旅愁』がヒットし、一流歌手の仲間入りをしました。

 大戦中は『暁に祈る』『熱砂の誓い』など軍国歌謡を歌いましたが、戦後は『イヨマンテの夜』『オロチョンの火祭り』などの勇壮な歌や『あざみの歌』『山のけむり』などの抒情歌謡をいくつも歌いました。
 昭和58年
(1983)没。

 1番の5行目にあるような「かの君」とか「かの人」といった言葉は、近年の歌謡曲ではさっぱり目にしなくなりました。
 『酒は涙か溜息か』の2番「遠いえにしのかの人に」、『誰か夢なき』の3番「あわれかの君今在
(ま)さば」、『悲しき竹笛』の4番「風よ伝えよかの君に」のような、思慕する人を婉曲に表現する言葉が使われなくなったのは、ちょっと寂しい気がします。

(二木紘三)

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コメント

昭和30年代の終わり頃かとおもいます 飯田線の温田駅で中国からの
一時帰国の人をこの歌を唄いホームで送っていたのを思い出します
ここは満州に多くの人が移住し満州に向かった駅と思います
聞くたびに座席の角に座った女性を想います

投稿: okuada | 2007年9月 7日 (金) 14時21分

「MIDI歌声喫茶」~~【二木絃三のうた物語】とニューリアルされ、綺麗な画面になって音質も素晴らしく嬉しく拝聴しております。
以前にお願いしました「誰か夢なき」も~~有り難うございました。
累計(09502124)凄い数字となりまして慶賀に存じます。
名曲【高原の旅愁】を聞きながら~~当時18才位の頃で『暁に祈る』『熱砂の誓い』等の軍国歌謡が隆盛の頃でしたから友人と秘かに歌ってたのを思い出しています。
馬齢を重ね(85才)になり懐かしきメロディーをメデイアの発達と併せて元気で聞ける喜びを噛みしめています。有り難うございました。
~<謝_(._.)_謝>~
京都(1922年生まれ)

投稿: 大宮賢三 | 2007年12月13日 (木) 18時11分

 昭和十八年十一月二十八日の夜でした。我が家で、両親と妹達、それに親戚や隣組の人達が集まって、学徒出陣で、明日の夜行列車で広島へ向かう私のために、ささやかな壮行会が開かれました。

 その酒宴のさなか、そっと席を発った私は、ハーモニカを持って誰もいない暗い裏庭に行き、もう生きてこの家に帰って来ることはあるまいと心に深く思いながら、大好きだった「高原の旅愁」を吹き鳴らしました。

 しかし、気がつくと、日頃から尊敬していた伯父が後ろに立っていました。そして、伯父は「生きて帰って来い。死んではならぬ」と私の肩を叩きました。

 「高原の旅愁」は、その年の秋、同じ学徒出陣の二人の友人と共に、群馬県の沢渡温泉に一泊し、翌日、榛名湖とその周辺の高原を歩いた懐かしい旅の思い出と深く結びついています。

 幸いに私はフィリピンから生還しましたが、二人はどうなったことか、終戦後今日まで、ついに連絡の取れないままに終わっています。

投稿: 石田福蔵 | 2008年1月 3日 (木) 18時27分

 6年前自身の不始末から退職した私は、友人の世話で8月から12月まで長野県伊那谷のりんご農家の手伝いをしました。

失意の私は、たくましくもやさしいご夫婦にめぐまれ、中央、南アルプスの眺めのすばらしいりんご園で働くうちに力を取り戻したのでした。

休日には近くの山に登ったり、雪煙の舞う赤石岳を臨む高原に紅葉狩りに連れて行ってもらったり、温泉に行ったり本当によくしてもらいました。
帰郷するとすぐに新しい仕事が見つかり今日に至っています。
 
 その後は年に一度は訪ね、手伝いをすることにしていますが、去年今年と続けて身内の慶弔で行けませんでした。
この歌を聴くたびに、伊那の山や小川の風景が目に浮かび行きたくて堪らなくなる私です。

投稿: 内倉功 | 2008年1月 4日 (金) 13時31分

 何時も素敵な歌を有難う御座います。この曲は私が生まれた1年前に出来たのですね、感無量です。ところで後年同じ作曲・歌の「山のけむり」私にはこの歌のアンサーソングと思えて成りません、皆さんは如何ですか。

 伊藤久男の歌は大好きです。子供の頃、あのいかつい顔で良くいい声が出るなと感心していました。多くの歌を歌っています、たとえば「サロマ湖の唄」「サビタの花」「イヨマンテの夜」「ブラジルの太鼓」等々です。もっと聞きたいと言うのは、私だけですか。

投稿: von Nomisky | 2008年2月 1日 (金) 23時49分

von Nomisky様
「山のけむり」はこの唄のアンサーソングだとおっしゃておられますが、そう言われればそうかなと思います。
「イヨマンテの夜」声量がないのでこの歌だけは唄えません。

投稿: M.U | 2008年7月 3日 (木) 19時12分

伊藤久男の「高原の旅愁」、タイトルは知っていましたが、これほど美しいメロディーとは感じておりませんでした。
この2月からBGM代わりに掛け捲っておりましたが、5月にCDを買い求めてしまいました。オリジナルはもっと素晴らしかろうと。
しかし、結果は豈図らんや、情感を沸き立たせる演奏等こちらには、かないません。
結局CDは2回程でお終い、またこちらのお世話になっています。

投稿: 山ちゃん | 2008年7月 8日 (火) 20時43分

この歌は失恋女性の心情を心なごむ詞に表したのですね。(現在では女性に対して君と言うので勘違いしそう
ですが)「わかって下さい」この詞も女性心理ですね。
「山のけむり」は出会ったばかりの男女なのでアンサーソングかしら。しかし他に見つかりません。暫くお待ち
下さい。

投稿: 海道 | 2009年1月 3日 (土) 20時28分

アンサーソングとしては「リラの花咲く頃」はどうでしょう?(岡本敦朗)

投稿: 海道 | 2009年1月 4日 (日) 21時47分

人は皆恋に破れると信州に逃げて来るのでしょうか。そういう魅力が有るのでしょうね。よく他人に信州はいい所ですねと言われます。冬の信州を知らないから。

投稿: 海道 | 2009年2月23日 (月) 10時58分

いい歌ですね。学生時代に同じ下宿生が上手に唄っていました。ニックネームは歌手。こんな感じでした。
http://www.youtube.com/watch?v=YeADCjb-hFU

投稿: PHOENIX | 2009年7月26日 (日) 23時08分

二木先生おはようございます。
私は1944年生まれですから先生より2歳後輩になります。
信州伊那市に住んでおります。
先日ボランティアでやってます歌の会で上田遠足をしました。
楽しみにしていました上田電鉄別所線で春原駅長さんのハーモニカに合わせて歌う事も出来ました。
一番最初は、なんと歌の会の会歌に決めてあります「ふるさと」でした。
二番目に「高原の旅愁」が来ましたが、以外と知らない人が多くてびっくりしました。
もう5年前に亡くなった高峰秀子さん似の母が口ずさんでいて私は知らずに覚えていました。
とても好きな曲のひとつです。

投稿: タンタン | 2011年6月 5日 (日) 06時32分

二木先生 いつも楽しく懐かしく拝聴、拝見させて頂いております。本当にありがとうございます。

さて、『高原の旅愁』を開けたところ、歌詞と先生の蛇足が表示されておりません。他の歌は表示されているので、この曲だけおかしいのかと思い連絡させて頂きました。

投稿: コタロー | 2012年2月24日 (金) 11時52分

この歌は昭和15年ですから私は未だ生まれていません。八州先生作曲、伊藤久男唄の我が信州の名曲だとは思いますが流行った頃を知りませんので肌で憶えていないのです。そう言う歌は唄えても何処となく不安になるものだと思ってしまいます。このサイトで練習しろ。それは賢い。でも画面に向かって音痴で伊藤久男風に唄ったら近所から〇〇家の爺ちゃんこの頃少し変とクレームがつきそう。

投稿: 海道 | 2012年9月14日 (金) 16時25分

私は何故、いつまでも青春時代を引きずって生きているのだろうと考えています。彼と歩いた思い出の道、話した言葉が鮮やかに甦ってきます。甘い感傷ではなく、深く沈みこむような虚しさに襲われるのはなぜでしょうか。この歌を聴くたびに淋しさが胸にあふれてきます。もう半世紀以上も過ぎているのに、伝えたい言葉が一杯あるのに、月日だけは無情に過ぎていきます。生きていてほしいと願うばかりです。皆様もどうぞ誰かの思い出の為に生きていてください。

投稿: ハコベの花 | 2016年3月 4日 (金) 23時39分

わたしは、この歌のメロディが嫌いではありません。むしろ、好きな方です。しかし、抒情歌の「八洲秀章」のメロディとは異質なものを感じていたので、ちょっと調べてみました。
 すると、この歌がリリースされた当時(昭和15年)の原盤では、作曲家名は「鈴木義章」となっていることが分かりました。本名の「鈴木義光」でもなく、ペンネームの「八洲秀章」でもないのです。かれが「八洲秀章」を用いるようになったのは、昭和14年のことのようです(くわしくは「さくら貝の歌」の《蛇足》をご覧ください)から、この歌がリリースされる前のことです。とすると、当然、この歌の作曲家は「八洲秀章」でなくてはなりません。なぜ「鈴木義章」なのでしょうか。これからは、わたしの独断的推察です。
 実は、この歌がリリースされる前に、あの「さくら貝の歌」が出来ていたのです。原盤には「八洲秀章」のラベルが貼ってあったはずです。ところが、かれの渾身の力作も、戦時下という状況から不運にもお蔵入りになってしまいました。失意の底にあったかれに、次に課せられたのがこの歌だったのででしょう。関沢潤一郎の作詞も、わたしの目には、傷心の女性を癒す信州の自然を描いて、決して悪い詞だとは思いませんが、初恋の女性を失い、それに追い打ちをかけて、レコードの発売中止という悲運なかれにとっては、ただ懐かしい信州の風景を歌った、通り一遍の失恋の詞のように感じられたのではないかと思います。そうであれば、一般受けする演歌調でいこう、いやそれは社命でもあったでしょう。こうして出来上がったのが、この歌のように思います。かれにとっては、不本意な歌だったのです。ですから、この歌は「鈴木義章」という別人がつくったことにしたかった、ということではないでしょうか。
 では、なぜ後に「八洲秀章」にしたかです。これも憶測の域を出ませんが、一つはかれの予想に反してこの歌がヒットしたこと、もう一つは、初恋の女性の死の痛みから、少し抜け出せたからでしょう。時間のなせる業のように思います。

投稿: ひろし | 2016年3月 9日 (水) 15時11分

私はこの歌が八洲秀章だとは知らずに聴いていました。抒情歌でもなく演歌でもない歌だと思っていました。楽譜が全く読めませんので感覚でしかわからないのですが、あざみの歌にもそんな感じがします。演歌に近い感じがします。歌詞に対してもう少しサラッとした曲なら良いのにと昔から思っていました。この歌が好きな方からお叱りを受けそうですね。好みの違いですからお許しを。

投稿: ハコベの花 | 2016年3月 9日 (水) 21時24分

間を置かずのコメント投稿ご容赦ください。

ひろし様の「ご推察」多分に大当たりだと思います。
世は正に戦時色濃厚たらんとする頃、軍の圧力、社命など、曲調は歌詞と違和を感じるほどアップテンポ。
 伊藤久男の唄で馴染んだこの曲の作者が八洲秀章だったとは…、不覚でした。 言うならば、『流行歌謡』の八洲版。 ハコベの花様と同じく本日初めて知りました。
 伊藤久男のハリのある歌声は、この後『軍国歌謡』のオファーを受けていくことになるのですね。

投稿: かせい | 2016年3月10日 (木) 01時26分

、高原は「かの君」を思い出す場所なのでしょうか。この歌を聴いたのは中学3年ぐらいだったと思います。信州の高原には素敵な恋が待っていると思い込んでしまいました。ずっと憧れていたのに一度も出かけたことがありません。高校の夏休みに毎年登山の募集があったのですが、心臓が悪いと思い込んでいましたので行ったことがありません。今も恋を懐かしむ所だと思っています。足が元気なうちに一度訪れてみたいものです。ただ、夫とは行きたくないのです。ロマンのかけらもないからです。つくづく自由が欲しいと思います。自由を私に!!

投稿: ハコベの花 | 2017年3月 9日 (木) 23時59分

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