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仕事の歌

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


ロシア民謡、日本語詞:津川主一

1 悲しい歌 うれしい歌
  たくさん聞いたなかで
  忘れられぬ一つの歌
  それは仕事の歌
  忘れられぬ一つの歌
  それは仕事の歌
  (*)ヘイ この若者よ
     ヘイ 前へと進め
     さあ みんな前へと進め

2 イギリス人は利口だから
  水や火などを使う
  ロシア人は歌をうたい
  自らをなぐさめる
  ロシア人は歌をうたい
  自らをなぐさめる
  (* 繰り返す)

3 死んだ親が後に残す
  宝物は何ぞ
  力強く男らしい
  それは仕事の歌
  力強く男らしい
  それは仕事の歌
  (* 繰り返す)

《蛇足》 原曲名は『ドゥビヌーシカДубинушка)』。
 ロシアの帝政末期から革命期にかけて、波止場人足たちが引き綱のろくろを巻きながら歌ったのが元歌といわれます。写真は1908年に撮影された波止場の荷揚げ人足たち。
 抑圧と搾取に対する怒りがテーマとなっているため、ツァーリ
(皇帝)の政府は禁止しましたが、民衆の間に広まるのを止めることはできませんでした。

 日本語詞としては上記のほかに、下記の合唱団白樺によるものがあります。このほうが原詞により忠実なようです。
 津川主一の日本語詞にも、元になった歌詞が何かあったようですが、確かなことはわかりません。

      (作詞:ボクダーノフ、補作:オリヒン、日本語詞:合唱団白樺)

      (*印=繰り返し)
     1 悲しい歌 うれしい歌 いろいろ聞いたけれど
       忘れられぬ歌は一つ それこそ仕事の歌
       忘れられぬ歌は一つ それこそ仕事の歌
       (*)エイ! みんなでひけや エイ! 力を合わせて
          声を合わせてひけや

     2 親は倒れ 死の間際に 息子に残すものは
       貧しい暮らし つらい運命(さだめ) 悲しい仕事の歌 
       つらい運命 悲しい仕事の歌
       (*)

     3 親から子へ 子から孫へ それは歌いつがれて
       身も心も疲れたとき なぐさめ力づける
       身も心も疲れたとき なぐさめ力づける
       (*)

     4 シベリアへの道は遠く 囚(とら)われ人は歩む
       鎖の音うつろになり 流れる仕事の歌
       鎖の音うつろになり 流れる仕事の歌
       (*)

     5 道の端に山をなして うち捨てられた骨は
       皇帝どもの手なぐさみに 殺された者の骨
       皇帝どもの手なぐさみに 殺された者の骨
       (*)

     6 おごる者ら ほしいままに 酒におぼれる陰で
       積もる雪の下にあえぐ 哀れなロシアの民
       積もる雪の下にあえぐ 哀れなロシアの民
       (*)

     7 夜の闇もやがては去り 苦しむ民は目覚め
       皇帝どもを倒すときに 歌わん仕事の歌
       皇帝どもを倒すときに 歌わん仕事の歌
       (*)

(二木紘三)

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コメント

「仕事の歌」切々と胸に迫りくる哀しい調べ、この曲を聴いておりますと、帝政時代ロシアの人々の苦しみが昨日の如くに、迫ってまいります。
それとともに、多くの人々の犠牲と、努力と奉仕の上に築かれた現在の平和な日本に、感謝と、その幸せを限りなく感じます。
いつまでも何時までも平和な日々が続くよう、ただひたすら願わずにはおられません。今後とも名曲をお聞かせください。

投稿: 篠崎信夫 | 2007年9月 2日 (日) 19時09分

最近このサイトを知り毎日溢れる物を抑えながら聞き入っています。忘れかけた青春の日々が蘇ります。この歌も新宿の歌声喫茶
《カチューシャ》で覚えました。40年も前
の事。私なんでこんなに幅広く歌を知っているのかな?と考えたら童謡は母の影響、ロシア民謡は歌声喫茶だったのです。
妻となり母となりそして祖母になった今、寄る年波を払う様にこのサイトで元気を戴いて
います。

投稿: 鏑川 | 2008年5月 5日 (月) 11時39分

 私はこの歌を10代半ばで知りました。もっとも原曲に近い北川剛さんの詩でなく,意訳された津川さんの詩でした。その後,原詩を知ることになりましたが,私が日本人だからなのでしょうか,津川訳に心情がよく合います。
 朝鮮戦争の時期に,学資をかせいで学んでいたため,アルバイト(ドイツ語ですね)を終えて,夜晩く駅から自宅に帰る人通りのない道を,この歌を口ずさみながら,自らを奮い立たせたものでした。とくに第3の詩はそうでした。
 その後ロシアで暮らす機会があって,第2の詩はすっかり同感しました。ロシア人たちはじつに歌が好きです。

投稿: 山田 | 2012年2月 3日 (金) 00時05分

40数年ぶりにこの歌が胸に湧きおこりました。悲しいかな、この仕事のうたの背景を知らず、なぜ、こんなにも苦しいのか分かりませんでした。仕事は楽しくなくちゃ、と仕事を好きになることばかり考えていました。職場のパワーハラスメントを集めているうちに
働く事の苦しみ、悲しみが渦まき始めたのでしょうか
働く人の4割が非正規社員。年金だけでは食べて行けない現実。少しでもと足を運べば、若者に邪険にされ
老いる手枷、足かせに苦しむ・・・今の歌でした。
歌詞もうる覚えでしたが、しっかり歌い、元気になりたく思います。

投稿: 田中  | 2012年11月28日 (水) 03時20分

また歳末が来ます。この寒空に震えながら、職もなく、住むところもなく、明日の希望もない、たくさんのホームレスがいます。そこまで窮迫してはいないが、この不景気の下で、いつ首を切られるか、戦々恐々としている1700万人を超える非正規雇用者(全労働者の3分の1超)がいます。これが、現今の日本社会の実態です。

 はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る
 これは、今から百年前に、かの石川啄木が詠んだものです(『一握の砂』所収)。かれはこの当時、両親をはじめ家族5人を抱え、貧窮の底にいました。「はたらけど はたらけど」という、かれの嘆きは、現在のわたしたちにも、実感をともなって迫って来ます。また、かれは貧しい人たちや、弱い立場の人たちに暖かな眼差しをそそぎ、それを歌にしています。

 啄木が生きていた時代から100年。日本は福祉国家を標榜し、「生涯安心」のセーフティネットをつくるべく目指してきましたが、今それが破綻しかねない状況にあります。下手をすると、近い将来に、セーフティネットから零れ落ちた人たちの累々たる屍と、この歌のような哀しい労働歌だけが残るという、暗澹たる時代が来ないとも限りません。


 
 

投稿: ひろし | 2012年11月28日 (水) 16時09分

ひろし様

 別にケンカ売るつもりではありませんので、冷静に判断してください。上記ご意見を述べられたのち、あなたはどうされますか?それがお聞きしたいのです。
 私は全共闘世代の末端に位置する年代です。元全共闘の闘士でもありません。不幸にも、その時代に生れついただけです。
 今度の選挙もボイコットするつもりでいましたが、昨日から急激に事態の変化が起きてきましたし。
 ま、このサイトは歌にまつわるものですから、政治的意図はまったくありません。
私も、学生時代、五木寛之の小説に影響され、ソビエトをほんの少し旅しました。まだ「ソ連」の時代です。
 停車する駅では、農民たちが現金収入求めて、とれたての果物ーリンゴだったかなー売りに、列車の窓口まで押しかけてました。「ソ連」も、地方はまだまだ豊かではないな、と実感しました。けれど、一般のロシア人は半分アジア的な感じで、親近感感じました。
 話を元に戻します。「ひろし様」の年代は存じ上げません。しかし、上記のような感性お持ちの方なら「累々たる屍」と「哀しい労働歌だけが残る」などとのんきなこと言っていてはいけません。行動起こさなきゃ!
 私は既に60過ぎた年代ですが、「SR戦闘団」の魂だけは持ち続けたいと、このペンネームにしました。

投稿: SR戦闘団 | 2012年11月28日 (水) 17時20分

ひろし様 さぁ、ご一緒にうたいましょう!今をただ、歌いましょう。鼻をふくらませるちからのある方はせせら笑いでも、一緒に歌いましょう。それぞれに、こころの歌ですから。

投稿: 田中  | 2012年11月28日 (水) 19時06分

 小学生のバス旅行の際、ガイドさんが合唱指導をして、教えてくれました。ロシアのメロディは美しいと思うとともに、哀しい音調だなあと思いました。二木先生の解説文で歌の背景がわかりました。政治はめまぐるしく変わるが、歌のいのちは長いですね。
 私も、憂鬱な党派性から逃れて、この歌の楽園で憩いのひと時を楽しみたい人間のひとりです。

投稿: 音乃(おとの) | 2012年11月28日 (水) 19時50分

私は入社当初から仕事とは楽しく無いものだと教え込まれてきました。しかしそれが楽しかったのです。時には御客様の所で問題を起こしその究明に2~3日会社に泊まりこみ原因に再発防止を加え御客様に謝罪に伺ったりで気が付いたら定年でした。高度経済成長の成せる業かも知れませんが。

投稿: 海道 | 2012年11月29日 (木) 05時29分

SR戦闘団 様
 喧嘩を売られたなどと毛頭思っていません。むしろわたしに対する叱咤激励だ、と受け取っています。
 あなた様は「全共闘世代の末端に位置する年代」と仰っていますから、わたしよりかなりお若いようにお見受けします。わたしは、今年喜寿を迎えています。
 コメントを拝読していたく感心したのは、あなた様が還暦を過ぎても、まだお若いころの「魂」をお持ちになっていることです。寄って立つ思想が、確実に身についている証左ですね。わたしは思想らしいものも持たず、ただ流されるままに、ここまで生きて来たという感慨しかありません。
 閑話休題。
 本題に入ります。「ご立派なご託宣を並べているが、お前は何をしたいのか。何もしなければ事態は変わらないぞ。」と。ご同感です。しかし、このブログの主旨は、あくまで該当する歌についてのコメントを期待されているわけです。政治や思想を語るには、やはり抑制的でなければ、というわたしの判断で、尻切れトンボになってしまいました。読者諸賢にお任せする、と言えば、逃げ口上になりますか。

投稿: ひろし | 2012年11月29日 (木) 12時41分

田中 様
 「ご一緒に歌いましょう」とお誘いをいただきありがとうございます。
 学生時代ノンポリではありませんでしたが、セクト主義が嫌いな、一学生に過ぎませんでした。歌声喫茶にもなじめず、わずかな期間しか行きませんでしたが、ロシア民謡や労働歌は結構覚えました。この歌も、その時覚えたものの一つです。
 社会人となってからは労働組合員として、かなり突っ張っていた方だと思います。ストライキも経験しました。その時、この歌もよく歌いました。このころが、わたしの疾風怒濤時代でしたね。今や往時茫々の心境ですが。

投稿: ひろし | 2012年11月29日 (木) 13時02分

 「労働歌・・・仕事の歌」ひとりで歌いますか、ふたりで歌いますか?早く気がついてあげれば彼女は廃人になっていなかったでしょう。パワーハラスメントが悔しい。前向きで公務を楽しみ、まだまだ勉強をと残業後も夜学に走った、努力を愉しむ人でした。組織とは残酷なものです。年齢に見合った役職者以外、整理の対象となり、人格のダンピングで追い込みをかけます。せめて、ひとりで歌えるよう、この歌をプレゼントしていたら、せめて、ふたりで歌っていたら・・・仕事の歌には苦しみを支える力があります。 やっと、笑顔にあえたのは2年の歳月が流れてからでした。普段から、ひとりでも、ふたりでも、この歌を歌い続けましょう。このうたにしがみつくだけの、その人のために。そして、わたしのために。
紅孔雀 様、すみません。相乗り、ごめんなさい。

投稿: 紅孔雀田中  | 2012年11月29日 (木) 18時32分

ひろし 様

ご執筆をなさる方ですね。
ひろしワールド、往時茫々の世界に棲みたいです。
美しい言魂に出会えましたのも、この歌のお陰です。
「ひろしワールド」大切に保存させていただきました。
この歌と共に、こころの糧とさせていただきます。
ありがとうございました。
労働歌、もっと、知りたいです、歌いたいです。

投稿: 田中 | 2012年11月29日 (木) 19時30分

SR戦闘団様およびそれに関連するコメントをご投稿なさった皆様へ
当サイトの趣旨からだいぶ外れてきているように思われますので、どうかご自制願います。勝手ながら、直近のSR様および紅孔雀様のコメントは不表示とさせていただきます。この件に関する今後のコメントも同様に処理いたしますのでご了承ください。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2012年11月29日 (木) 22時12分

二木先生へ。

 私は今朝から反論を書き始めようとパソコン開きましたら、先生からの禁止令の表示。
「仲裁は時の氏神」と申します。
先生の御説に従います。先生の「歌」のサイト、しばし混乱させましたことお詫び申し上げます。

投稿: SR戦闘団 | 2012年11月30日 (金) 09時56分

 二木先生、SR様、すべての皆さんへ。

 このサイトの趣旨をつい忘れて、コメントを書いてしまいました。熱くなってしまったのは、私でした。反省しています。ごめんなさい。
 さあ皆さん、歌いましょう。そしてコメントを読ませてください。

投稿: 紅孔雀 | 2012年11月30日 (金) 14時21分

 六十年ほど前の二〇歳代に津川主一訳で覚えて以来の愛唱歌です。中でも第二連は絶唱とされますが、二木紘三先生の「蛇足」で波止場人足の歌からと知り、いろいろ考えさせられました。「イギリス人は利口だから水や火などを使う」というのを、漠然とアメニティのことと、豊かで快適なホームライフを楽しんでいるということと思っていたのですが、これはイギリスで発明され早くに実用化されていた蒸気機関のことですね。そうして『ロシア人は歌を歌いみずから慰める」は、私は例えば酒場の光景を想い描いていましたが、どうも酒場の歌ではなくて、それこそ仕事の歌で、レーピンの名画「ヴォルガの船曳き」が連想され、「機械の助けのないロシア人は歌で励ましながら綱を引く」ということだと思えて来ました。ロシア語の知識はありませんが、何語にも「慰める」とも「力づける」とも訳され得る言葉はあるようで、ここでも原語はそれだったのでしょう。
 白樺合唱団訳の方にはこのくだりは全くないので、また別のバリアントのようですね。

投稿: dorule | 2012年12月 6日 (木) 15時19分

再説:津川主一訳について。
 津川主一氏は関西学院で神学を専攻し、牧師になり、賛美歌も訳しましたが、「おおスザンナ」を始めとする名訳でフォスターの歌を日本に広めるのに大きく貢献したほか、「合唱名曲全集」などの著書も多く、全日本合唱連盟理事として、うたごえ運動とは別のところで合唱の普及に力を注いだ功労者でした。ただ、『仕事の歌』の2番に関する限り、先にコメントしたような理由で、「自ら慰める」は不適切な訳語だと考えます。これでは酒場の歌になってしまう。私もそうでしたが、昭和生まれならほとんどの人の胸に染みこんでいる名曲「船頭小唄」(おれは川原の枯れすすき)に通じる哀愁。それはそれですばらしいのですが、この歌は酒場の片隅の歌ではなかった、というのが私の「発見」でした。3番でこれは「力強く男らしい」仕事の歌と言っているではありませんか。
 リフレーンの訳にも問題があります。平和と独立を願う学生運動の後尾に連なっていたためか、「ヘイこの若者よ、前へと進め」を、理想をめざして、と受け取り、「しかしなんだか急にアジテーションになるなあ」というような違和感を感じながらうたっていました。アジテーションと受け取ったのは「若者よ」という呼びかけのためでもありました。当時の私たちには、「若者よ」と言えば、まず、ひろし・ぬやまの獄中作詩(関忠亮作曲)が連想されましたから。
  若者よ 体をきたえておけ
  美しい心が逞しい体に
  辛くも支えられる日がいつかは来る
  その日のために体をきたえておけ
  若者よ
ですが、「仕事の歌」の「若者」と訳された語の原語は、英語のボーイと同じく、多くのヨーロッパ語で、青少年ばかりでなく「男」一般をさすことがある語でしょう。とりわけ、労働者などを相手にするときはそうで、ここは「さあ男ども」というノリであり、「前へと進め」は(抽象的な)理想めざして、というわけではなく、前掲コメントで触れたレーピンの「ヴォルガの船曳き」のイメージで、「がんばって足を踏みしめて歩け、引っ張れ」というリフレーンだと、今は思います。ただし、津川主一訳のようにうまく歌える訳し方は思いついていません。

投稿: dorule | 2012年12月21日 (金) 18時40分

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