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東京ラプソディ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:門田ゆたか、作曲:古賀政男、唄:藤山一郎

1 花咲き 花散る宵も
  銀座の柳の下で
  待つは君ひとり 君ひとり
  逢えば行く ティールーム
  楽し都 恋の都
  夢のパラダイスよ 花の東京

2 現(うつつ)に夢見る君の
  神田は想い出の街
  いまもこの胸に この胸に
  ニコライの 鐘も鳴る
  楽し都 恋の都
  夢のパラダイスよ 花の東京

3 明けても暮れても歌う
  ジャズの浅草行けば
  恋の踊り子の 踊り子の
  ほくろさえ 忘られぬ
  楽し都 恋の都
  夢のパラダイスよ 花の東京

4 夜更けにひととき寄せて
  なまめく新宿駅の
  あの娘(こ)はダンサーか ダンサーか
  気にかかる あの指輪
  楽し都 恋の都
  夢のパラダイスよ 花の東京

5 花咲く都に住んで
  変わらぬ誓いを交わす
  変わる東京の 屋根の下
  咲く花も 赤い薔薇
  楽し都 恋の都
  夢のパラダイスよ 花の東京
  楽し都 恋の都
  夢のパラダイスよ 花の東京

《蛇足》 昭和11年(1936)のヒット曲。

 このころ、東京の重心は今よりかなり東にあり、銀座や浅草、神田が繁華街の代表格で、新宿が新興の盛り場として活況を呈し始めたところでした。
 渋谷や池袋は、まだほとんど郊外といった感じで、流行歌の対象にならず、ようやく歌に歌われるようになったのは、昭和30年代に入ってからです
(『東京の人』など)

 上の絵は昭和12、3ごろの銀座を描いた絵葉書。柳並木がまだありました。

(二木紘三)

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コメント

出勤途上、車の中でマンドリンによる古賀メロディをききます。ちょっと憂鬱な朝はこの曲を聴くと心が晴れ元気になる自分です。

投稿: 越野利栄 | 2007年9月14日 (金) 19時43分

 蛇足には時代背景が昭和11年にヒット、あるいは昭和30年代に入ってからよく唄われる様になったと有りますが・・・
 私が聞き覚えたのは戦後間もなくの事でした。
 父が作った当時の自作電蓄、ピックアップは今のもの(最近はもうこれも見ることがなくなった)の様な細い物じゃなく、ヘッドは現在のデジカメ位の大きさで、重さはデジカメより重いくらいの物でした。
 短い鉄の針を一曲ごとに差し替えて使用する物です。
 その重いピックアップを、歌を刻んだ盤に乗せ、早いスピ-ドで回し、曲を聴きます。
 その、今では考えられないような、たいそうな装置からこの歌が聞こえて来ていたのを思い出します。
 今、この曲を聴いていても、なんだか、その昔の装置から音が出てるような錯覚さえ覚えるから不思議です。

投稿: Hikoさん | 2008年8月 2日 (土) 21時51分

今でも流行りそうな気がします。
この歌大好きです!

投稿: たか | 2009年1月18日 (日) 01時55分

長野県の岡谷マンドリンクラブの定期演奏会で、東京ラプソディ
と殆ど同じ曲のスペイン民謡が演奏されました、司会者も言っていましたが、これの盗作かも知れませんが、古賀政男が歌謡曲に取り入れた感性はさすがです、大ヒットでした。

投稿: 月の輪熊 | 2010年8月19日 (木) 12時54分

描写音楽に「森の水車」「しゃぼん玉」・・等がありますが、
「のぞかれた花嫁」は、古賀政雄 作曲になっていますし、
「韓国歌謡全集」のサイトは似ている曲が沢山あります。

投稿: なち | 2010年8月19日 (木) 16時32分

初めまして。

昭和40年生まれです。

高校生の頃から
「藤山一郎先生」のファンでした。

投稿: お園 | 2011年5月17日 (火) 21時36分

 東京浅草界隈の路上で懐かしい昭和歌謡を歌い演奏している「東京大衆歌謡楽団」は、東海林太郎風の歌い手と、アコーデオン・ウッドベースなどで良い雰囲気をだしています。
 東京スカイツリー観光のついでに浅草あたりを散策する時間がありましたら、隅田川に架かる吾妻橋(水上バス乗り場がある赤色の橋)のたもとに行くと、運が良ければ「東京ラプソデー」とか「誰か故郷を想わざる」などの古き良き昭和歌謡が聴けます。
 

投稿: かんこどり | 2012年4月26日 (木) 18時24分

花咲き 花散る宵も
  銀座の柳の下で
  待つは君ひとり 君ひとり
  逢えば行く ティールーム

cafecherryvirgo戦前の銀座のティールーム、二人の飲み物は、何だったのでしょう?

戦前の明るい雰囲気って、、、この後の暗い数年間とその後の復興。。
物心ついた頃のお年寄りは、皆さん痩せておられた。その印象が強くて、うまく想像できません。

楽し都 恋の都
  夢のパラダイスよ 花の東京
  楽し都 恋の都
  夢のパラダイスよ 花の東京

なんと素敵な時代があったのでしょう。東京が、shine夢のパラダイスupだったとは。。

投稿: taka-shiz | 2014年9月 4日 (木) 10時43分

かんこどり様

2012年4月26日、今から6年前「東京大衆歌謡楽団」を
ご紹介されていたのですね。ぼ~つとして気がつかずに失礼しました。コメントをじっくり読ませて頂きました。

>東京浅草界隈の路上で懐かしい昭和歌謡を歌い演奏している「東京大衆歌謡楽団」は、東海林太郎風の歌い手と、アコーデオン・ウッドベースなどで良い雰囲気をだしています。

 3年ぐらい前、吾妻橋のたもとで東海林太郎風の姿勢よくキチッとした身なりで歌われている長身の男性を見かけたことがありました。その方が高島孝太郎さんだったんですね。
 先週「お富さん」で一章さん、焼酎さん、konohaさんが「東京大衆歌謡楽団」を応援されていることを知りました。
2018年5月18日に「お江戸日本橋亭」に入り「高島4兄弟」の演奏・唄を楽しみました。100人弱の会場は「かんこどり様」の頃からのファンと思われる方で満席でした。
 高島四兄弟は「東京ラプソディ」を懐かしく軽快なリズムと唄で 十分満足させてくれました。感謝しています。
 
 6月2日(土)「大阪狭山市文化会館」、3日(日)「京都テルサホール」、7日(木)「東海道かわさき宿交流館」、など6回演奏が予定されているようです。

投稿: けん | 2018年5月21日 (月) 09時03分

 「東京ラプソディ」は、私が生まれた頃(1年前)世に出たこともあり、親近感のある愛唱歌です。各番の歌詞の末尾が、♪夢のパラダイスよ 花の東京♪とあることから、短調ではあるものの、明るく、楽しく、元気よく歌える、”東京”讃歌と言えましょう。
  このたび、「東京ラプソディ」のブログを閲覧しているうちに、歌詞が5番まであることに気づきました。これまで、5番の歌詞で歌われるのを聴いた記憶がなく、改めて、藤山一郎さんが歌う「東京ラプソディ」をCDで聴いてみると、やはり、4番まででした。念のため、手許の歌謡曲の本「昭和の歌謡曲1」(新興楽譜出版社 S46)を調べたところ、こちらも、このブログと同じく、歌詞は5番まで載っていました。背景には、何らかの理由・経緯があるのでしょう。
  それはさておき、、歌詞5番を眺めていましたら、そのなかに、”東京の屋根の下”という言葉があることにに気づき、はっとしました。
  私の大好きな愛唱歌「東京の屋根の下」(佐伯孝夫 作詞、服部良一 作曲、灰田勝彦 唄 S23)と同じ文言です。「東京の屋根の下」も、各歌詞の末尾が♪二人の夢の 東京♪、あるいは、♪楽しい夢の 東京♪とあることから、長調の、明るく、楽しく、元気よく歌える、”東京”讃歌と言えましょう。
  このように、「東京ラプソディ」と「東京の屋根の下」は、時を隔てて、曲想は大分異なるものの、”東京の屋根の下”という言葉で繋がっている、”東京”讃歌であると思うと、新たな発見をしたようで、嬉しい気分になります。
  ついでながら、”東京の屋根の下”という言葉には慣れ親しんでいて、何の違和感もありませんが、”大阪の屋根の下”や”京都の屋根の下”という言葉は聴いたことがないようで、何やら興味深く感じる次第です。

投稿: yasushi | 2018年6月 1日 (金) 16時21分

”大阪の屋根の下”や”京都の屋根の下”には、思わず笑っちゃいましたが、悔しいけれど 確かに「東京の屋根の下」
は、スマートでシックな感じがしますが、件の、”大阪のー”となると、聞き慣れてないこともありますが、どことなく、ばたくさい感じがしますね。

この曲は、いわば「東京行進曲」のオマージュだとも言われていますが・・・さすがに古賀政男! もしかすると、それを越えているかも知れませんね。

作曲家 古賀政男の脳中は、昭和4年に出た中山晋平の「東京行進曲」がいつも浮かんでいて、いつかそれ以上の曲をというファイトに燃えていたのです。ここで東京をテーマにしたした都会風な洗練された、軽快なメロデイーを作ろうと思い立ち、神宮外苑を廻りながら想を練ったのでした。 そのころの外苑は一番スマートな地域だったのです。
そうして出来上がった曲を、門田ゆたか に詩をつけさせさせたのです。出来た歌は、「東京ラプソデイー」と名付けられ 題名からしてモダンでスマートなものでした。・・・

(日本コロンビア 懐かしの歌声 魅力のすべて=第2集より)

投稿: あこがれ | 2018年6月 2日 (土) 08時42分

私は京都(1年)、大阪(7年)、横浜(12年)に住み、今は東京(20年)に住んでいます。

そうですね、〇〇の屋根の下と言えるのは東京だけですね。
逆に〇〇人、と呼ばれてしっくりくるのは京都人、大阪人、横浜人ですね。私はどう見ても自分を東京人とは思えません。
東京は大きすぎるからでしょうか。いまだに”東京の屋根の下”は、仮の雨宿り、って意識があります。

子供の頃から東京にあこがれていました。そのことを
「丘にのぼりて」でコメントしました。
念願かなって退職は東京駅を見下ろせるビルのオフィスでした。
「男の純情」でコメントしました。

小学校時代、セルロイドの下敷きに東京タワー、羽田空港、上野動物園のモノレールなどがプリントされていたことが思い出されます。そんなことも東京への憧れをそそりました。

小学校6年生のときだったかと思うのですが・・・・
テストで”電気で動くものを書け”と言うテストがありました。私はその一つとして”モノレール”を挙げました。
返された採点はXでした。
先生に、なぜ?、と問うたところ、
先生は「モノレール」って何だ、と聞きました。

私はモノレールについて説明したところ、
先生は、「そんな物ない」と言いました。

*注;懸垂式モノレールは昭和32年、私が小学校3年の時上野動物園で開業しました。

私「上野動物園にある」
先生「自分で見たのか」
私「本に書いてある」
先生「自分で見たこともないのに知った風に言うな!」
と先生は私を叱りました。

私は、悔しくて、早く大人になって東京に行きたい、と思ったものです。

投稿: yoko | 2018年6月 2日 (土) 11時20分

あこがれ様、yoko様の”〇○の屋根の下”論などを楽しく読ませて頂きました。
  あこがれ様の「東京ラプソディ」誕生秘話、勉強になりました。yoko様の小学生時代の思い出を話で、小学生高学年のときに、休み時間に廊下で、「青春のパラダイス」を口遊んでいて、先生から”流行歌を歌うとは怪しからん”とお叱りを受けたことを思い出しました。
 「東京ラプソディ」は、古き良き時代の代表的歌謡曲の一つですね。
 

投稿: yasushi | 2018年6月 2日 (土) 13時56分

 皆様こんにちは。当時の先生方は「あれするな。これするな。」は大方でした。
 6年生当時、学校近くの店での買い食いが問題になり、「休み時間に出てはいけない。」と禁止されました。

投稿: 今でも青春 | 2018年6月 2日 (土) 14時43分

 yoko様の小学6年時の苦い思い出、同情を禁じ得ません。
 京都人、大阪人、横浜人など、使い方は人様々なのでしょう。私は「横浜人」の代わりに「浜っ子」が使いやすいです。本貫の地は東京と答えると、それじゃ江戸っ子ですねと言われますが、今では東京に江戸子など一人もいないでしょう、居たら150歳を超えていますから、江戸っ子じゃありません、東京っ子ですと答えることにしています。

投稿: 槃特の呟き | 2018年6月 2日 (土) 23時59分

北関東在住ですが、都内の道路(日光街道、首都高、第二京浜・・・)は、うた物語「夜霧の第二国道」に投稿した通り急用(知り合いの通夜など)で利用する程度で東京は近い割に遠い?所です。
yoko様のコメント>しっくりくるのは京都人、大阪人、横浜人・・・に関連??した話ですが、都道府県民性はあるようです(参考:矢野新一著「県民性」(河出書房新社)、樋口清之「出身県別日本人の性格と行動パターン」(講談社))。

投稿: 焼酎 | 2018年6月 3日 (日) 08時54分

二木オケの力強い演奏と共に、皆様の素敵なコメントを拝読しながらいくつかのことが頭に浮かんでまいりました。

先月の東京大衆歌謡楽団の佐賀公演で、アンコールの一曲として歌われたのがこの曲「東京ラプソディ」でした。
会場を巻き込んだ長男・孝太郎の力のこもった声量に圧倒されたところでした。

また、この曲を聴く度に懐かしく想い出されるのが、生まれが東京(当時の荻窪・現在、三鷹市)で、昭和20年の東京大空襲の後、両親の故郷である佐賀に移り住みましたが、やはり都会的な町並み雰囲気には憧れます。

この曲を作曲された古賀政男の生誕地は、隣県の福岡県大川市で時折、「古賀政男記念館」に出向いています。

それにしても、二木先生の演奏の見事なアレンジと共に、リズムセクションでの、ドラム・シンバルの響きにはぐいぐいと引き付けられます。
ありがとうございます。
今後とも素敵な演奏をお待ちいたしております。

投稿: 一章 | 2018年6月 3日 (日) 10時54分

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