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故郷の人々

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:S.C.フォスター、日本語詞:勝承夫

1 遥かなるスワニー川 その下(しも)
  なつかしの彼方よ わがふるさと
  旅空のあこがれ はてなく
  思い出ずふるさと
  父母(ちちはは)います
  長き年月(としつき) 旅にあれば
  おお つかれしわが胸
  父母(ふぼ)をしたうよ

2 あぜ道さすらいし 思い出
  はらからと遊びし 楽しき日
  夢あまき歌声 むなしや
  おお 行きて暮らさまし
  母のもとに
  長き年月 旅にあれば
  おお つかれしわが胸
  父母(ふぼ)をしたうよ

     Old Folks at Home

1. Way down upond de Swanee ribber,
   Far, far away,
   Dere's wha my heart is turning ebber,
   Dere's wha de old folks stay.
   All up and down de whole creation,
   Sadly I roam,
   Still longing for de old plantation,
   And for de old folks at home.
     (Chorus:)
       All de world am sad and dreary,
       Ebry where I roam,
       Oh! darkeys how my heart grows weary,
       Far from de old folks at home.

2. All round de little farm I wandered
   When I was young,
   Den many happy days I squandered,
   Many de songs I sung.
   When I was playing wid my brudder
   Happy was I
   Oh! take me to my kind old mudder,
   Dere let me live and die.
     (Chorus:)

3. One little hut among de bushes,
   One dat I love,
   Still sadly to my mem'ry rushes,
   No matter where I rove
   When will I see de bees a humming
   All round de comb?
   When will I hear de banjo tumming
   Down in my good old home?
     (Chorus:)

《蛇足》 日本でもファンの多いスティーヴン・コリンズ・フォスター(1826年~1864年)の代表曲の1つ。
 アメリカ合衆国・フロリダ州の州歌(State song)です。州歌については『テネシーワルツ』の蛇足をご覧ください。

 昭和30年代以前には、中学のたいていの音楽教科書に載っていました。私も中学の教科書で覚えました。
 日本に登場したのは明治21年(1888)で、『明治唱歌第二集』に大和田建樹作詞『あはれの少女』として掲載されました。
 

 スワニー川(写真)は、フロリダ半島の付け根の部分を流れる川。ジョージア州南東部のオーカフィノーキー湿地に源を発し、何カ所も蛇行しながら南西に流れ、メキシコ湾に注ぐ390kmの川です。
 重要な河川交通路ではなく、とりたてて特徴のある川でもありませんが、この歌のおかげで世界に知られる川となりました。

 古くは、現地インディアンの言葉で「葦の川」を意味するGuasaca Esqui(グアサカ・エスキ)と呼ばれていましたが、その後Suwannee Riverと呼ばれるようになりました。Suwanneeは、キリスト教の聖人San Juanee(スペイン語でサン・ファニィ)がなまった黒人の俗語が元になっているといわれます。

 主人公はおそらく放浪中の逃亡奴隷で、プランテーションに残っていてもう再会することのできない老父母への思いや子ども時代を懐かしむ気持ちが、黒人英語で書かれています。
 曲は原詞に合わせて3番までにしてあります。

(二木紘三)

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コメント

フォスター・・・日本人にこれほど愛されるアメリカの作曲家はいないでしょう。解説にあるように、私も中学時代にフォスターの名曲をいくつも習いました。初めは「草競馬」だったと記憶していますが、その後「おおスザンナ」や「懐かしきケンタッキーのわが家」「夢路より」など、どれも素晴らしい歌だったと思います。
この「故郷の人々」も、スワニー川ってどこにあるんだろうかと思いつつ聴いたものですが、中学生の頃はもちろん分かりませんでした。
最近調べたら、この曲はプランテーション・ソングの一つだそうで、黒人たちの哀感を歌ったものなのですね。南北戦争と黒人の奴隷解放を目前にした時代だっただけに、フォスターの感慨が伝わってくるようです。
今の中学生も、フォスターの名曲をどんどん聴いてほしいと思います。

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年6月 8日 (日) 15時00分

ジョージ・ガーシュインの「スワニー」は、
アル・ジョルスンやジュディ・ガーランドの絶唱で名高い名曲ですが、
いわばフォスターへの「オマージュ」なのでしょうね。
長歌に対する反歌というような。

同じくジョルスンからガーランドへと歌い継がれた佳曲
「ラカバイ・ユア・ベイビー」にも、歌詞にスワニー河が
登場しますが、アメリカ人にとって、スワニーやディキシーに
象徴される深南部は、人種・出身州・リベラルか保守かを問わず、
心の原点、マホロバであり続けるのでしょう。


投稿: 若輩 | 2008年6月 8日 (日) 19時05分

 小学校五年の新学期が始まって間もなくのことだったでしょうか。音楽の授業で、クラス全員にプラスチック製のタテ笛が配られました。学校の勉強が大嫌いだった私にしては珍しく、この笛にたちまち夢中になりました。学校の帰りも弾いて帰ったり、家の中でもずっと練習していたり。「好きこそものの上手なれ」で、そのうち半音の指の使い方もマスターし、たいがいの曲はすらすら弾けるようになりました。
 ある晩。当時お世話になっていた母子寮の集会がありました。余興の一つとして、寮の母子全員が集まった中で、私が前に出てタテ笛を披露することになりました。その時弾いたのが、この『故郷の人々』です。弾いていますと、前に座っていたお母さんたちが、「コタロ君(とそう呼ばれていました)うまいね。天才だね!」「んだなあ(そうだなあ)」などと話ている声が耳に入ってきました。私は、今の言葉で言うなら『てなわけ、ないだろう』とくすぐったい気持ちになりながらも、あくまで冷静で無事弾き終えることができました。
 子供の頃なら世間の人は、簡単にいくらでも褒めてくれるものです。しかし大人になるにつれて、世間様の要求するハードルはどんどん高くなり…。
 学終えて人に褒めらることもなし  (拙句)
 ともあれ。私にとって一番懐かしい「故郷の人々」はとりもなおさず、母子寮時代同じ屋根の下で長く暮らした人たちです。しかし今となっては、皆どこでどうしておられるのやら、皆目分からなくなりました。

投稿: 大場光太郎 | 2008年7月12日 (土) 18時45分

こちらでは、作詞者はやはりフォスター自身という見解です。
ただ、管理人様のご指摘のように、何らかの「元ネタ」
はあったのでしょう。

http://www.pitt.edu/~amerimus/ofah.htm

最近はあちらでもご多分に漏れず、差別用語改訂
の動きが盛んな様子です。ただ、フォスター自身
には差別意識は微塵もなく、南北戦争では一貫し
て連邦政府を支持していたとあります。

http://en.wikipedia.org/wiki/Old_Folks_at_Home

リンカーン大統領、ジョン・ブラウン、フレデリック・ダグラス
などと共に、今度の就任式を見せたかった一人です。

投稿: 若輩 | 2009年1月23日 (金) 09時08分

度々このロシア名が登場する見苦しさをお赦しください。この歌謡は「想い出の流れに」という題ではありませんか。出だしは、”おーもいでの なーがーれの かーなたに…”というものでした。樺太の真岡中学卒のI先生が田舎の学校には珍しい大型オルガンを弾き、歌ってくださいました。先生はロシア語が堪能で、ある日曜日に村の北方彼方にある海難慰霊塔(インディギルカ号遭難者慰霊碑)にまで引率してくださいました。船乗りの歌で、ヤーブロコ”林檎”というのがあるんだよ、伊作よよく聴け、と言い、歌ってくださいました。このサイトで「スワニー河」を聴いた途端に、あの猿払の荒涼たる砂浜が忽然と出現しました。

投稿: イサコフスキー | 2011年12月10日 (土) 07時29分

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