« バイカル湖のほとり | トップページ | 波浮(はぶ)の港 »

果てもなき荒野原

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


ロシア民謡、作詞:I. スーリコフ、日本語詞:井上頼豊

1 果てもなき荒野原
  息絶ゆる馭者(ぎょしゃ)あわれ
  息絶ゆる馭者あわれ

2 うるむ眼に馬見つめ
  言い残すその言葉
  言い残すその言葉

3 我が友よ いざさらば
  ここ荒野に我眠らん
  ここ荒野に我眠らん

4 我が馬よ 運びゆけ
  我が想いを父母(ちちはは)
  我が想いを父母に

5 伝えてよ 我が妻に
  永久(とわ)の別れ この指輪
  永久の別れ この指輪

6 悲しみにおぼれずに
  縁(えにし)あらば家をもてや
  縁あらば家をもてや

7 荒野にて凍(こご)ゆるも
  汝(な)が面影抱(いだ)きゆく
  汝が面影抱きゆく

《蛇足》 ロシアの古いメロディにスーリコフが詞をつけました。

 5~7番に妻への深い愛情が感じられますね。
 これは蛇足中の蛇足ですが、6番は、「悲しみに負けないで、いい人がいたら再婚しなさい」という意味です。「新しい住宅を買いなさい」という意味ではありません。若い人が勘違いするといけないので、念のため。

(二木紘三)

|

« バイカル湖のほとり | トップページ | 波浮(はぶ)の港 »

コメント

私は樺太(サハリン)生まれの樺太育ち。中学2年で予科練を志願し合格、家族と最後の別れに中学のあった豊原(ユジュヌイ・サハリンスク)から汽車で東海岸を北上、樺太を東から家族の住む西海岸の炭鉱の村までスキー行軍を企てました。学校は丁度冬休みで雪の降る頃です。宿で寝る頃に大吹雪になり、宿屋の亭主がスキーで横断など自殺行為でもっての外、馬橇を雇って行きなさいと、もの凄い剣幕。結局、馬橇を雇うことにして寝に就きましたが、翌朝は快晴。しかし、馬橇を雇ったのは正解でした。雪が積もって慣れた者でなければ、道に迷ってしまうのです。北緯50度の国境沿いに一日がかりで東から西に横断しました。この歌を歌う都度、あの時のことを思い出します。途中、猟師の家が1軒あるのみでした。熊こそ冬眠して出てきませんが、狼、狐、野犬がうろうろしていただろうと思います。この歌を知っている方は多くないようですが、私にとっては非常に思い出となる歌です。

投稿: 大門坊 | 2009年5月10日 (日) 23時59分

冬の樺太国境を横断した有名人に女優の岡田嘉子がいる。彼女は恋人の杉本良吉と共に1938年1月3日地吹雪の舞う国境を越えたところを直ちにGPUに捕らえられた。二人は別々に収容され、その後再び会うことなく、杉本はスパイ罪で翌年銃殺刑。岡田は10年近くを刑務所で過ごした後、日本に一時帰国、柴又の寅サン映画などにも出演した。しかし、結局はモスクワに帰って死去。岡田について、詳しくはウイキペディアを参照されたい。小生がモスクワでお世話になった日本人に寺島儀蔵氏がいる。寺島氏は北海道自治講習所修了後、日本共産党に入党。3.15事件で逮捕、数年の入獄生活の後、20才代の頃に樺太国境を越えてソ連に亡命。しかし、ソ連でも再び監獄とラーゲリ強制労働。日本に一時帰国出来たのは85才になってからだった。中公文庫から「長い旅の記録」と題する同氏の著書が出ている。樺太国境を越えた日本人には悲惨な結末が待っていたようだ。

投稿: 大門坊 | 2009年5月15日 (金) 00時09分

何とも悲しい物語ですね。極寒のシベリアではこのような悲惨な出来事があったのでしょう。
メロデイはその割には明るいですね。諦めの心境かもしれません。

投稿: 三瓶 | 2016年3月12日 (土) 17時26分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« バイカル湖のほとり | トップページ | 波浮(はぶ)の港 »