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ふるさと(五木ひろし)

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:山口洋子、作曲:平尾昌晃、唄:五木ひろし

1 祭りも近いと 汽笛は呼ぶが
  洗いざらしの Gパンひとつ
  白い花咲く 故郷(ふるさと)
  日暮れりゃ恋しく なるばかり

2 小川のせせらぎ 帰りの道で
  妹ととりあった 赤い野苺(のいちご)
  緑の谷間 なだらかに
  仔馬は集い 鳥はなく
  ああ 誰にも故郷がある
  故郷がある

3 お嫁にゆかずに あなたのことを
  待っていますと 優しい便り
  隣の村でも いまごろは
  杏(あんず)の花の まっさかり

4 赤いネオンの 空見上げれば
  月の光が はるかに遠い
  風に吹かれりゃ しみじみと
  想い出します 囲炉裏(いろり)ばた
  ああ 誰にも故郷がある
  故郷がある

《蛇足》 昭和48年(1973)リリース。
 歌詞は思い切りふるさと演歌ですが、曲はちょっとフォーク調。

 杏といえば長野県の善光寺平が名産地で、春になると、里の至るところが白い花でおおわれます。作詞にあたっては、そのあたりがイメージされたのでしょう。山口洋子は『千曲川』も作詞しているので、この想像はあながち的外れではないと思います。

(二木紘三)

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コメント

杏の花咲く、善光寺平の美しい風景が蘇ります。
故郷があり、思い出があり、郷里に還られる人は幸せですね。

投稿: 柾木 忍 | 2007年9月13日 (木) 03時58分

この歌が流行った頃、小学校高学年でした。東京生まれ東京育ちの私には、この歌の風景がとてもあこがれで、ラジオの番組にリクエストをして愛川欽也さんに伝言を読まれた事があります。私にとってはこの「ふるさと」と「千曲川」は小学校時代にタイムスリップする懐かし曲です。今でもこんなふるさとが欲しいと思います。

投稿: くり2ママ | 2007年10月30日 (火) 12時54分

恥ずかしながら、NHKの“ちりとてちん”で初めてこの曲を知った20代です f^_^;
「いい曲だなぁ」なんてかる~く考えて検索してみたら、なんとまぁ地元を歌った曲ではありませんか!!
あまりにも驚き、運命を感じて(笑)コメントさせていただきました。

♪ああ 誰にも故郷がある 故郷がある♪

悲しいときつらいとき、雪に埋もれたただただ白い故郷を思い出します。
寒々しい光景のはずなのに、私にとってそれは、心をあたためてくれるホッカイロみたいに。
故郷がある。
本当に幸せなことです。

投稿: ももいろこぶた | 2007年12月16日 (日) 00時34分

NHKの”ちりとてちん”で久し振りに聴いて、昔を思い出しています。曲・詩ともなかなか味わいある歌だと再認識しました。忘年会のカラオケこれに決めました。
曲があればのことですが。

投稿: 平ちゃん | 2007年12月26日 (水) 10時27分

私もNHKの朝ドラちりとてちんでこの曲を聞き、なんともいえないノスタルジーな感傷にふけりました。前から聞いてはいたのですが改めて歌詞をしっかり聴き曲を聴いている内に遠い昔、高校生だった私は関西からはほど遠い宮城県の田尻という田舎の親戚の家まで一人旅をし、ひと夏、農家の生活したことを思い起こします。
田舎の生活は初めての都会暮らし、見るもの聞くもの新鮮でどんなに心を癒されたことか、ここが故郷だったらどんなに良いだろかと思ったことでした。それ以後、この曲を聴くとまるでふるさとへ帰ったような気がするのです。

投稿: 雄琴のけいぼう | 2007年12月31日 (月) 19時17分

田舎を捨てざるを得なかった者にとっては、辛い歌です。今では祖霊舎にご先祖様を祭り炊きたての御飯とお茶を供えるのが毎日の日課です。子供の頃の故郷が頭に残像として残っているだけでも故郷が無い人に比べれば幸せなのでしょうね。

投稿: 海道 | 2012年9月25日 (火) 05時53分

二木先生 うた物語フアンの皆さん!
明けましておめでとうございます。
今朝、夢の中でこの曲が流れ・・・目が覚めました。
早速、二木オーケストラの名演奏を数度聴き返しました。
しっとりとした中に心地よいテンポに心が癒される思いでした。
思い返せば、この曲が世に出た昭和48年に結婚したことを想い出しています。
今でも、五木ひろしの熱唱が耳元に残っています。
私の故郷は、生まれは東京ですが、昭和20年終戦と同時に両親の故郷である佐賀に住むようになり現在に至っています。
佐賀は田園都市でもあり、特に昨年は、佐賀市では3回目の「佐賀熱気球世界選手権大会」が開催され、世界から多くの選手が参加し、連日、大空でのバルーンショーが展開され、各地からの大勢の見物人を魅了したところです。


投稿: 一章 | 2017年1月 3日 (火) 10時58分

 「ああ 誰にも故郷がある 故郷がある」
 終戦後、東京日本橋堀留にある生地問屋の2階に住んでいました。問屋は大きな警察署の前にあって、よく進駐軍のジープが行き来しているのを見ていました。兄たちはおまじないと思って「I am hungry」と米兵に寄っていったと言っていました。母は妹をだっこして外にいたら、すごく大きい黒人兵が寄って来たので、とても怖かったと言っていました。妹にチョコレートを渡したそうです。

 日本橋から豊島区へ昭和25年、私が小学校に入学する前に引っ越してきました。麦畑あり、肥だめあり友達が落っこちました。私ではありません。オニヤンマ、ギンヤンマ、しおからとんぼを兄たちは「とりもち」を竿の先につけ、振り回してとんぼとりをして、私は妹とイトトンボを追いかけていました。

 金銀のとかげ、池にはおたまじゃくしの卵、原っぱの草を結んで「こっちにおいでよ」と呼んで、友達の足を引っ掛ける遊びをしたり、隣りの家の垣根ごしの木いちごをつまんで食べたり、群生したコスモスの尺取り虫を眺めたりしました。夕方にはコウモリが飛んできて、夕焼け空に遠く小さな富士山が見えました。

「ああ 誰にも故郷がある 故郷がある」

でも・・・でもですが「朧月夜」は私の心の故郷の情景です。風が薫り、静かな春の宵、菜の花畑、かえるが鳴いています。・・・菜の花のお浸しが大好きです。茹でる前に一輪とって花瓶に挿します。因みにこんにゃくは海のものとばかりと思っていました。

投稿: knoha | 2017年3月 7日 (火) 11時14分

 案外若い人のコメントが多いと感じました。若い人だけでなく、日本人に故郷は必要なんだと思います。
 昭和25年は私も小学校入学です。同年の方のコメントに心揺さぶられる思いがしました。「こんにゃく」の話は面白いですね。

投稿: 今でも青春 | 2017年9月19日 (火) 20時19分

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