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人生の並木路

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:佐藤惣之助、作曲:古賀政男、唄:ディック・ミネ

1 泣くな妹よ 妹よ泣くな
  泣けば幼い 二人して
  故郷を捨てた 甲斐がない

2 遠い淋しい 日暮れの路で
  泣いて叱った 兄さんの
  涙の声を 忘れたか

3 雪も降れ降れ 夜路の果ても
  やがて輝く あけぼのに
  我が世の春は きっと来る

4 生きて行こうよ 希望に燃えて
  愛の口笛 高らかに
  この人生の 並木路

《蛇足》 昭和12年(1937)公開の日活映画『検事とその妹』(渡辺邦男監督)の主題歌。
 映画は岡譲二・原節子主演で、両親を亡くしたあと、助け合いながら生きてきた兄妹の物語。

(二木紘三)

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コメント

二木さん、大分変りましたです、プロバイダー私と同じですね、今後ともお世話になりますので宜しくです。

投稿: KOBAです。 | 2007年9月 3日 (月) 21時23分

突然では有りますが、失礼致します。
私は、東京在住の林田一郎と申しますが、以前から、二木先生のホームページが大好きで何度もお邪魔させて頂いて居りますが、今回、私が主幹致して居ります、高校(世田谷・松蔭高校)の恩師矢島五郎先生を偲ぶ会のホームページに生前大好きだった、恩師の愛唱歌、「高校三年生」と人生の並木路の歌を是非リンクさせて頂きたくお願いにあがりました・・先生に教えを受けた約500人の卒業生が、お別れ会で大合唱した歌は脳裏から忘れる事の出来ない想い出です。
是非是非ご許可致して頂きたくお願い申し上げます。
(ちなみに、高校三年生は作曲家の丘先生がたまたま立ち寄った私の母校の高校の運動会で生徒達が楽しそうにホークダンスを踊って居た時の様子を詩にしたものだそうです。・・・ご自分の回顧をTVの対談で語られました。)

投稿: hayasida | 2008年1月 6日 (日) 22時17分

今は亡き兄に 思いを馳せて居りましたら 無性に泣きたくなりました 戦後の乏しい暮らしを いや 当に赤貧洗うが如き暮らしを 普通と思えたのは兄のお陰でした しみじみと泣きたい・・・   

投稿: 寅  君 | 2008年7月11日 (金) 20時24分

 また濱野成秋が書きますこと、お許し下さい。このブログはまさに私の感性に合致します。『人生の並木道』は、田舎から東京に出て来た人なら、涙なしでは聞けない唄です。私がさる高校の教師をしておりました頃、修学旅行で担任していた子が浜松駅でホームに会いに来ていた兄と、夜汽車のたった5分間、語り合うのですね。事前にそうしたいと許しを乞いに来たその子たちは幼くしてお父さんを亡くし、兄が浜松の工場に働きにいき、お母さんも病没。極貧のなかで、妹はけなげに高校生活をまっとう。私はお母さんの葬式に行きましたから、その辛さを見て泣きました。夜汽車が汽笛を鳴らして発車する直前まで語り合う兄と妹。その光景は今でも私の心に焼き付いています。私自身、まだ人生迷いばかりで大東京で目的喪失していた時期でもあり、いまでも『人生の並木道』を聞くと、幼い兄妹の夜のプラットフォームの光景と、それを見つめる、人生、この先、どうしてよいやら、迷い苦しみ、故郷に残した父母に詫びる自分の若き姿が想い出されます。

投稿: 濱野成秋 | 2009年10月 6日 (火) 09時49分

デイック・ミネのヒット曲ですが、この「人生の並木道」を聞くたびに、何故か涙が出てきます。
今日(日曜日)浅草六区通りで流しのグループがこの曲を歌っていました。しみじみとした情感に思わず聞き入ってしまいました・・・

投稿: エスペロ | 2010年2月14日 (日) 17時38分

初めてメール致します、荒澤と申します。
数年前より、ハーモニカ倶楽部に入り懐メロや童謡を練習して、公民館の文化祭等に発表していました。
今年1月から、「歌う会」立ち上げたら40数名の参加を得て、毎月2回ハーモニカの伴奏で楽しく歌っています。
26日には、古賀政男の「人生の並木道」が出てきます。このブログで練習させて貰っています。
今後も利用させて頂きます。
ありがとう御座いました。 さくらんぼより。

投稿: 荒澤 信一 | 2011年6月21日 (火) 09時33分

大分の衛藤と申します。

知人より「二木紘三うた物語」を教えてもらいました。
私は、地区の老人会(会員20名)の会員で年2・3回このカラオケで皆さんと歌いたいと思いますので「曲と歌詞」を使わせて下さい。雑音が無く大変良い音声ですのでよろしくお願いします。

投稿: 衛藤博文 | 2011年7月28日 (木) 13時36分

初めてメールいたします。
兵庫県明石市の下里と申します。
「人生の並木道」本当に良い唄ですね、P・Cを開くたび(ほぼ毎日聞いています)濱野様の投稿を拝読、その様子が目に浮かぶようです。時代がどんどん変わってしまい、この唄を聞いて感動する世代も少なくなっていると思いますが、何時までも残って欲しい名曲だと思っています。

投稿: 下里 昭 | 2012年11月23日 (金) 22時03分

 元歌は知らない、森進一や美空ひばりで聞いた世代です。
この歌の題「人生の並木路」について考えてみたことを書きます。
 前半の「人生の」ですが、なにかしら大上段で、おおげさな表現、気恥ずかしいですね。説教でも始めるのかい、という感じ。
 しかし、後半の「なみきみち(並木路)」はやさしい音のひびきです。並木路子という歌手もいました。『並木の雨』という名曲もありました。硬いイメージの「人生の」が「なみきみち」で中和される感じがします。

 「人生の一本道」、「人生の雪どけ道」、「人生のけもの道」、「人生の泥んこ道」、「人生の登山道」、「人生の田舎道」、「人生の帰り道」(帰り道はなかったか!?)。どれもうまくいきませんね。さすが佐藤惣之助先生は「なみきみち」ということばのやわらかな力を見抜いておられますね。

 苦境の中で助け合う兄妹といえば、野坂昭如の「火垂るの墓」と山崎豊子の「大地の子」を思い浮かべます。

投稿: 七色仮面 | 2012年11月24日 (土) 14時56分

 二木先生の母校を八年がかりで卒業したものですが、先生の博識とまじめを絵に描いたような「蛇足」には、いつも唸っております。そこでお願いがあります。
 この「蛇足」にもう少し味付けをしていただきたいのです。
 数年前に「ニキのうた物語」は最高だ、と教えてくれた、(今は体調を崩して休業を余儀なくされている)行きつけの寿司屋の旦那の癒しになればと思い、初めて投稿しました。
 先輩のご健勝を祈念しております。

投稿: 不肖の後輩 | 2014年4月21日 (月) 23時26分

二木先生
「人生の並木路」はりんごにとっても特別な歌です。
義父は十代で両親を亡くされ乳飲み子の末妹を含め3人の弟妹の親代わりとして苦労。生涯このを歌を愛されたそうです。そのようなわけで当時としては晩婚、30歳で17歳の姑と結婚。主人は7人兄姉の末子ながら残された姑を引き取り転勤生活を共に致しました。

濱野成秋様
コメント拝読。込み上げてくるものがあります。
フェイスブックにもお邪魔して濱野様の熱き思いの一端が
伺えました。傑作の完成をお祈り致します。
沢山の抒情歌の紹介もありがとうございます。

投稿: りんご | 2015年2月 2日 (月) 15時42分

義父は十代で・・・。
 コメントを拝読して、短く纏めておられますが、この裏には壮絶なドラマが隠されているものと思います。
 義父は、逃げられぬ想像を絶する苦労を負わされ、その苦労に立ち向かい乗り越えた事に、言葉では言い表せない程の人間の強さ・情けの深さを感じざるを得ません。
 この義父に敬服するばかりです。
 この義父ありてご主人あり。
 7人兄弟の末っ子でありながら転勤生活を共にされた主人と貴女はご立派だと思います。
 義父におかれましては、落ち着いた生活ができるようになると必死に育てたその親心・兄弟愛、その時の苦労が蘇り「人生の並木路」が無性に心の奥深く滲み込み特別な歌となり、当時を振り返りながら、なを弟妹に愛情をそそいでおられたのでしょう。

投稿: 茂 | 2017年11月29日 (水) 21時33分

初めてお邪魔します。いつも先生の歌物語、楽しくまた懐かしく拝聴いたしております。様々な歌にお詳しい先生に教えていただけたらと思い、思い切ってメールいたします。昭和31、2年頃の青春歌謡だと思いますが、「あの娘は言った、好きと一言、線香花火の火花の中でユウガオのように咲いていた」と、こんな歌詞が含まれていた歌をご存じないでしょうか。長年心に引っかかっていて、いろいろ調べてみてもわかりません。もし、ご存じであればぜひご教示いただければと思います。よろしくお願いしいたします。

投稿: いくちゃん | 2018年5月 2日 (水) 21時06分

茂さま
心のこもったコメントをいただきながら今日になって気が付きました。失礼致しました。
加齢とともにこの歌が胸に染みてきます。

投稿: りんご | 2018年5月 4日 (金) 09時34分

いくちゃん様
私は「あの娘は言った……」は存じませんが、どなたかこの歌をご存じの方、あるいは検索名人の方、ご協力を。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2018年5月 4日 (金) 12時55分

二木先生
ありがとうございます。うかつにも、先生の「訪問者の方へ」欄の、「コメントには返事をなさらない」旨読んでいなかったために、大変失礼なコメントを差し上げてしまいました。後で気が付き、汗顔の至りです。にも関わらず、このたび、このように訪問される皆様にお声かけいただき、恐縮いたしております。本当にありがとうございました。以後気を付けたいと思います。

投稿: いくちゃん | 2018年5月 6日 (日) 11時00分

朝から二木先生の演奏を聴いては泣いています。
私家版「人生の並木道物語」とご理解ください。
飲んだくれの父親は遠近の村で酔いつぶれて迷惑をかけていました。長兄が12歳、次兄が10歳の秋でした。村で一軒の電話の有るお宅に10キロ離れた村から「酔いつぶれてるので迎えに来てくれ」と連絡。伝言を受けた兄2人が
提灯をたずさえ、リヤカーで向かった日暮れの道の後ろ姿が甦ります。頭脳明晰ながら早退、欠席と農事を優先の親、この子を進学させてやってくれと中学の担任が訪ねた炉端の場面も記憶にあります。一刻者で名刺には「百姓」の二文字。青年団のリーダとして活躍。工業高校に進学した次兄は初月給か結婚の28歳まで欠かさずの仕送り。無論ボーナスも。
64歳で脳梗塞で倒れた長兄は半身不随、言語障害のまま療養の甲斐なく3日旅立ちました。安住の地で弟妹を見守ってくれていると信じたいものです。
共感の皆様  私的なコメントはご遠慮ください。
常連の皆様のお心には十分通じるものと信じているので
それだけで十分です。

投稿: りんご | 2018年9月 9日 (日) 09時10分

 8月4・5日は、月山ビジターセンター辺にいました。
『庄内三十三観音詣り』の連れ合いに同行し、月山登山と弥陀ヶ原の植物観察が目的す。
 山形行は4回目でしたが、初めての立石寺で不思議な体感を得て以来、毎度目的以上の感動があります。
 今回は、月山頂上直下で不注意から熱中症状がおきた為、白装束のおひとさんたちに大変なおせわをおかけしてしまいました。
 
『うた物語』のブログに、『人生の並木道』で行き会ったどこか哀しみを秘めて欲得無く歩むおひとさんを重ねています。ここに嘘、偽りのない『真実』を観ます。

 今、ブログに集う方々は身内のように思っています。コメントで分かる限り、住んでいらっしゃる地域やその方の故郷の気象情報をチェックするのが毎朝の習慣になっています。
 家にはテレビがないので、『ウエザーリポートch.ー・・・』サイトと自治体発令の情報が主です。
 『標高1450M しっとり濡れる雨が降っています。気温も低く、山は秋』鶴岡市Aさんから9日午前6;05のリポートです。

 山形で出会った心優しいおひとさんは「『うた物語』のブログに集う方に違いない」と思い込んでおります。
 
 
 
 

 
 
 
 

投稿: 野歩本 | 2018年9月 9日 (日) 12時13分

最初におことわりしておきますが、これは私信ではありません。
うた物語に投稿させて頂くようになってから、2年余の間に 大勢の方々と触れ合うことができ、自然に仲間意識のようなものが芽生え、時には、力づけられたり励まされたり、共に喜んだり悲しんだり・・・学ぶこともたくさんありました。
どなたのコメントも、それぞれに素晴らしく、個性もあり違いもあり、好みもありましょうが、比較することはできませんし、コメントはあくまでも普遍的で誰もが納得できる形で投稿してきたつもりですが、時々 疑問に感じる時もあります。

konohaさん、はこべの花さんに続いて、リンゴさんのお兄様の旅立ちに対する悲しみを慰め共有することは、うた物語の仲間として、きわめて当たり前のことであり、普遍的な行為だと思います。

『野原の松の木の陰の小さな茅葺きの小屋にいて、
 東に病気の子供あれば 行って看病してやり、
 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い、
 南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいい
 ・・・・・』
宮沢賢治の心を、忘れないようにしたい と、思っています。

投稿: あこがれ | 2018年9月 9日 (日) 12時41分

早いもので、このブログ「うた物語」に投稿させて頂くようになってから4年目に入り今日に至っています。
私もあこがれさまがおっしゃられておられることに全く同じ思いを抱いております。
今現在、宅配業務に精が出るのも、うた物語、そして多くの仲間の皆さんと出会えたこと、二木先生の選曲と素敵な演奏に感謝の気持ちでいっぱいです。
仲間の皆さんのコメントを拝読するたびに、ああそうなんだ・・・いろんなご経験をなされてこられた思いが、ひしひしと胸に迫り、暫し涙することも・・・そして、励ましとともに元気とやる気をいただくことも数多くありました。
これからも、二木先生の素敵なメロディーに乗りながら、仲間の皆さんとともに「人生の並木路」を元気で歩んでいきたいと思っているところです。

投稿: 一章 | 2018年9月 9日 (日) 15時13分

皆さまのコメントに感無量です。

投稿: りんご | 2018年9月 9日 (日) 17時27分

この  人生の並木路
  
  人と 人との情感を鋭く刺激し 考えさせてくれ
   また このうえなく やさしい仏心に包んでいただける    
     ほんとうに 素晴らしい曲です

  りんごさま  お気持ち お察しいたします
    でも 一人っ子の僕で  あこがれさま 一章さま
  のように  りんごさまの想いを計ることができているのか  
  おかれた環境で ものの考え方がかわるのも
    道理でしょうね

  うまく 書けないのですがーー

  これだけは  いつも思うことです
 りんごさま  苦労され いろんな悲しみに会われたでしょう
 でもね ぼくは  兄弟 姉妹のおられる方
        羨ましくて仕方ないのです

  一人っ子で 父を三歳でなくした自分
     爆発しそうな 気持ちになります

  兄弟がどれほど ほしかったか
     父さんのいる 友がどれほど 羨ましかったか

  今まで 誰にもこの感情を発露したことはありません

   つっぱって つっぱって生きてきた道

   涙と洟で ひどい状況になりました


  いろんな 人生 

   やはり 人に迷惑をかけず 自分が正しいと思う道
  を ゆっくりと進むことですね

  みなさまの 投稿から  気付きをえられる
    有り難うございます

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年9月 9日 (日) 20時24分

りんご様
9月3日家族のために耐えがたきに耐えて尽くしてこられた御兄様がご逝去なさった由、本当に御兄様を敬愛されたりんご様のお胸の内はいかばかりかと、さぞ御無念であろうとお察しいたします。御兄様のご冥福を心よりお祈り申上げます。りんご様もご主人を亡くされておられますので、御兄様も貴女のことを一番心配されておられたと思います。このうえは、貴女自身がくれぐれもお身体に気をつけられて、愛する御子様のためにも明るく生きていってください。(丁度貴女が大変なときに、赤胴鈴之助でくだらないことを言っていたのですね、失礼しました。)
    2018.9.9 迷える古羊

投稿: 迷える古羊 | 2018年9月 9日 (日) 23時27分

生きていこうよ 希望に燃えて
愛の口笛 高らかに
この人生の 並木路

ちょうど今日が満79才の誕生日で、これから又新たな人生をスタートしますが、はて、これから先 どんな日々が待っているのやら・・・と、正直、希望よりも不安のほうが勝っているような心境で、とても高らかに口笛を吹いていられるような気持ちには正直なれません。

通院と薬漬け、その上、週に2~3日は、標高930mの六甲山まで、往復100kmの九十九折れ路を運転し、管理人業務と調理の仕事をこなして、くたくたになって帰宅、翌日は半病人状態で・・・一体いつまでこんな事をさせられるのかと、後継者の手配もしてくれそうもない法人本部や不甲斐ない我が身を恨んだり・・・と、風雨の激しい人生の並木路(林道)を、歩きつづけています。

しかし、考えてみると、これも又ありか?と、先輩のyasusi様や、同年兵の一章様が、教えてくださっているようで、やはり 人生、いくつになっても、希望に燃えて生きていかねばならないのでしょうね。 (79才の抵抗・・)

投稿: あこがれ | 2018年9月 9日 (日) 23時39分

あこがれ様
 お誕生日おめでとうございます。
79歳ですか・・ご活躍ですね・・山仕事ですものね、凄いと思います。 私も、手も足も腰もくたびれているのに、貴兄と同年齢の79歳まであと5年も剣道頑張れるだろうかと思います。そろそろ、若い者の邪魔にならんように、年寄の冷や水から上がって温水につかりたいものだと思っていた処ですから・・でも、〔全剣連〕は「生涯剣道」を目標を掲げています。これって、死ぬまでやれと言うことですかね・・剣道で長生きせよ--ということでしょうね。 では妹様に宜しくお伝えください。お身体ご大切にされますように ・・  2018.9.10  迷える古羊

投稿: 迷える古羊 | 2018年9月10日 (月) 15時25分

 「人生の並木道」は、昭和12年に世に出たとのことであり、言うなれば、私と同年兵ということになります。これまで、幾度となく聴いて、歌詞1番や4番は諳んじて歌えます。
  どちらかというと、長調で明るい歌が好きな傾向のある私は、この歌をカラオケで歌ったことはありませんが、逆境に立ち向かう兄妹愛を謳った、心に響くいい歌だと思います。
  あこがれ様には、本日誕生日を迎えとの由、おめでとうございます。”まだまだ若い”を合言葉に、お互いに、元気で楽しい余生を過ごしたいものですね。

投稿: yasushi | 2018年9月10日 (月) 15時44分

あこがれさま
 お誕生日おめでとうございます。
一日遅れのお祝いのコメントになってしまい申し訳ございません。
79歳になられた今日、週2~3日、六甲山まで往復100キロの運転。お仕事は、管理人と調理のお仕事の由・・・
ほんとに凄いと驚くと同時に感服いたすのみです。

私事で恐縮ですが、これまでのあこがれさまのコメントでは、私のことを同年兵と思われておられるご様子ですが、一歳年下の弟分になります。・・・と申しますのは、来月の10日で78歳の誕生日を迎えます。したがって、あこがれさまは私の兄貴分にあたられます。

これから先の「人生の並木路」には、困難な路など難所が多々予測されると思われますが、お互いに毎日を元気百倍の気持ちと笑顔を忘れずに過ごして行きたいものですね!
今後とも素敵なコメントを楽しみにいたしております。  一 章

投稿: 一章 | 2018年9月10日 (月) 21時19分

この人生の並木道
兄弟のある人も無い人も
ここに集う仲間を心の兄弟とも思って生きていけたらいいですね。
能勢の赤ひげ様の心情を察するにつけても涙腺が緩みます。

優しく、毅然と 諭すようなコメントの数々  ひろし様の現在が実の兄の様に気がかりでなりません。

投稿: りんご | 2018年9月11日 (火) 08時07分

 皆様一同に送ります。
 カミさんがこの歌が好きで「知っているか」と聞かれたのを思い出します。これを聞くとその頃を思い出します。
私は知っていましたが、歌詞の深い意味は知りませんでした。

投稿: 今でも青春 | 2018年9月11日 (火) 20時13分

私には兄が4人いました。4年の間に3人の兄が亡くなりました。もう80も半ば過ぎていましたから、悲しいと思う気持ちはありませんでした。お葬式代も全て自分で支払って弟妹にお金を使わせない様に旅立ってくれました。両親が早く亡くなりましたので次兄が父の後を継いで5人の弟妹の面倒をみてくれました。次兄が亡くなる前によく無言電話がかかってきました。誰かのいたずら電話だと思い、「こちら、警察です。何か御用ですか」と言ってからぴたりと掛かってこなくなりました。亡くなった後で、これは次兄からの電話だったと他の兄妹が教えてくれました。私たちが心配で元気な声を聞きたかったようです。随分この兄にお金をせびったり、怒ったりしましたが、殆ど言うことを聞いてくれました。亡くなる前に一言優しい言葉を掛けていたらと後悔しています。この歌を聴くと我儘を聞いてくれた兄に感謝したくなります。でもまだ生きているように思えてなりません。

投稿: ハコベの花 | 2018年11月13日 (火) 20時59分

 生きている内にせめて優しい言葉を掛けて上げたいと思うのは皆同じです。そうなんです。そんな気持ちがこのブログを読んだり書いたり人に共通するのです。私はそう思います。身近な人が亡くなると何かいろいろなことを考えます。

投稿: 今でも青春 | 2018年11月14日 (水) 19時10分

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