« 人生の並木路 | トップページ | 故郷の人々 »

ゴンドラの唄

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:吉井勇、作曲:中山晋平、唄:松井須磨子

1 いのち短し 恋せよ少女(おとめ)
  朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に
  熱き血潮の 冷えぬ間に
  明日の月日は ないものを

2 いのち短し 恋せよ少女
  いざ手をとりて 彼(か)の舟に
  いざ燃ゆる頬を 君が頬に
  ここには誰れも 来ぬものを

3 いのち短し 恋せよ少女
  波に漂う 舟の様(よ)
  君が柔手(やわて)を 我が肩に
  ここには人目も 無いものを

4 いのち短し 恋せよ少女
  黒髪の色 褪せぬ間に
  心のほのお 消えぬ間に
  今日はふたたび 来ぬものを

《蛇足》 松井須磨子は、明治19年(1886)3月8日、長野県松代に生まれ、上京して、早稲田大学教授・島村抱月が主宰する劇団「文芸協会」の俳優養成所に入りました。
 初公演『ハムレット』のオフィーリアで認められ,続いて『人形の家』のノラなどで成功を収め、劇団のスターとなりました。

 その間、妻子ある師・島村抱月と恋愛関係に入ったことで、世の非難を浴び、文芸協会から追放されます。
 しかし、それに屈することなく、同じく早大を追われた抱月とともに、劇団「芸術座」を結成、以後、女座長として毎公演主役を演じました。

 それらの公演では、須磨子が劇中歌を歌うのが特色で、とくに『復活』で歌われた『カチューシャ の唄』や、『その前夜』の『ゴンドラの唄』、『生ける屍』の『さすらいの唄』は、大評判になりました。
 写真は『ゴンドラの唄』に出演中の松井須磨子
(早稲田大学演劇博物館所蔵)

 これらの歌を作曲したのが、長野県から上京して、抱月の書生になっていた中山晋平でした。中山晋平は、これらの作曲によって一躍有名作曲家となり、以後『船頭小唄』『出船の港』『東京行進曲』『東京音頭』などのヒット曲を次々と発表します。
 歌謡曲や民謡のほか、『舌切雀』『証城寺の狸囃子』『砂山』『てるてる坊主』などの童謡も数多く作曲しました。

 『ゴンドラの唄』の作詞者は、明星派の歌人として出発し、石川啄木などとともに、文芸誌『スバル』の創刊に当たった吉井勇です。
 吉井勇は、伯爵家の次男に生まれましたが、長男が早世したため、嗣子となりました。しかし、放蕩と情痴に日々を過ごしたあげく、爵位を返上し、晩年を京都で過ごしました。
 
「人の世にふたたびあらぬわかき日の宴のあとを秋の風ふく」(『酒ほがひ』)などの名歌を数多く残しています。

 大正7年(1918)11月5日、抱月は折から蔓延していたスペイン風邪のため急逝。須磨子は『カルメン』の公演を続けましたが、翌大正8年(1919)1月5日、芸術座の道具部屋で自殺しました。

 『ゴンドラの唄』は、戦後、黒沢明監督の傑作の1つ『生きる』によって再び有名になりました。
 癌のため余命4か月くらいとの宣告を受けた市役所の市民課長
(志村喬)が、非人間的な官僚主義の末端で無意味に生きた〈勤続30年〉を取り返すために、機械的に処理していた古い陳情書を取り出し、下町の低地を埋め立てて小さな児童公園を作ることに挺身して死ぬ……という映画です。

 志村喬が、雪の降る児童公園で1人ブランコに乗りながら、『ゴンドラの唄』を口ずさむシーンが、深い感動を呼びました。

(歌詞についての追記)
 吉井勇の歌詞は、ロレンツォ・デ・メディチが1490年に謝肉祭
(カーニバル)を盛り上げるために作った「Trionfo di Bacco e Arianna(バッカスとアリアドネの勝利)」を下敷きにしたという説があります。

 メディチ家はルネサンス期にフィレンツェを支配した豪族で、その最盛期の当主がロレンツォでした。統治や経済的能力に加えて、詩才にも恵まれていたようです。

 「Trionfo di Bacco e Arianna」は8聯60行から成る長詩で、テーマは『若さは美しいだが、あっという間に消えてしまう。明日はどうなるかわからないのだから、今のうちに楽しんでおこう」というもの。
 このテーマは『ゴンドラの唄』と共通していますが、歌詞はほとんど似ていません。ロレンツォの詩には、ゴンドラも、紅き唇の
黒髪の乙女も出てきません。

 ほかに『ゴンドラの唄』によく似た詩があります。森鴎外が独訳書から再訳したアンデルセンの『即興詩人』に出てくるヴェネツィア民謡です。ちょっと長いですが、挙げておきましょう。

 朱の唇に触れよ 誰か汝(そなた)の明日猶在るを知らん
 恋せよ 汝の心(むね)の猶少(わか)く 汝の血の猶熱き間に
 白髪は死の花にして その咲くや心の火は消え 血は氷とならんとす

 来(きた)れ 彼(かの)軽舸(けいか)の中に
 二人はその蓋(おほひ)の下に隠れて 窓を塞(ふさ)ぎ戸を閉ぢ
 人の来り覗ふことを許さざらん

 少女(おとめ)よ 人は二人の恋の幸を覗はざるべし
 二人は波の上に漂ひ 波は相推し相就き
 二人も亦(また)相推し相就くこと其波の如くならん

 恋せよ 汝の心の猶少く 汝の血の猶熱き間に
 汝の幸を知るものは 唯だ不言の夜あるのみ 唯だ起伏の波あるのみ
 老は至らんとす 氷と雪ともて汝の心汝の血を殺さん為めに

 森鴎外は『即興詩人』を明治25年から34年(1892~1901)にかけ、断続的に雑誌『しがらみ草紙』などに発表しました。単行本初版は、明治35年(1902)

 吉井勇は、昭和18年(1941)発行の自著『歌境心境』のなかで、(即興詩人)は中学2年の時、出版を待ちかね買い、一気に読了した旨記しています。
 また、松井須磨子宛の手紙に、次のように記しています。
 「この時作つた『ゴンドラの唄』は、實を云ふと鷗外先生の『卽興詩人』の中の『妄想』と云ふ章に『其辭にいはく、朱の唇に觸れよ……』とあるのから取つたものですが……」
(相沢直樹著「『ゴンドラの唄』考」による)

 吉井勇は文芸誌『スバル』の主宰者の一人で、鴎外はその主要な寄稿者でしたから、交流はあったでしょう。したがって、吉井勇がテーマやフレーズを無断で使ったとは思われず、事前に鴎外の了承を受けていたはずです。

 詩としては、『即興詩人』のヴェネツィア民謡より『ゴンドラの唄』のほうが傑作だと思います。とくに冒頭の「命短し 恋せよ少女」は彫琢の1句といってよいでしょう。

(二木紘三)

|

« 人生の並木路 | トップページ | 故郷の人々 »

コメント

なぜか 歌いたくなります。
 「恋せよ」というのが いいですね。
 
 吉井勇の 記念館というのが
 土佐の物部川の 山奥 大栃の 近くにありまして
いろいろ企画をしています
 また 一度は 訪ねていきたくなりました。

投稿: 二宮 博 | 2007年9月 5日 (水) 01時25分

MIDI歌声喫茶からのファンで新作HPにたどり着くのに歌のHPから
リンクからリンクへと放浪の旅しながら やっと二木さんの名前見つけた時の嬉しかった事。最初に開いたのが
懐かしい 黒沢監督 生きる の主題歌 ゴンドラの唄です。
二木さんが 蛇足に書かれていますように最後のシーン
志村喬さんが ブロンコに乗りながらこの唄を口ずさみながら 死んで
いきますね。とても寂しい唄でしたが 感動しました。
また 松井須磨子もよかったでしょうが、森繁久弥が低音で唄ったのも
よかったです。
一日の最終章がこのHPです、好きな曲聞いて 癒され 明日への活力
となります。有難うございます。
蛇足
役人気質は今昔 同じ 残念です。

投稿: 川本 常二郎 | 2007年9月20日 (木) 23時34分

私は 企業戦士として 我を忘れて 夢を 追いかけ 人生の大半を 海外で 英語に まみれて 過ごしました。今、我が人生を振り返り 家族も なくし、夢からもさめ、この歌に出会い 日本の言葉の 美しさ、情感の深さに 涙 あふれる 思いです。
すばらしい歌、すばらしいメロディに 忘れていた心が よみがえりました。
深く感謝いたします。
二木殿の ご健康と ご活躍を お祈りいたします。 

投稿: オオシオ ソウヘイ | 2008年4月 1日 (火) 21時26分

オオシオ ソウヘイ様
貴兄のコメントを読ませて頂き、胸が熱くなりました。コメントに感動し、差し出がましいのは承知のうえで一言述べさせてください。
「ゴンドラの唄」を聴く時、いつも黒沢明監督の「生きる」を思い出します。余りにも有名なこの映画のことはさて置き、オオシオ様が言われるように、これほど情感に満ちた濃密な日本語の歌はないと思っています。
「いのち短し 恋せよ少女(おとめ)」の中に、人生の意味が凝縮されているように思います。私も貴兄と同じように“企業戦士”として生きてきましたが、いつしか老境の域に達しました。今さらジタバタしても始まりません。 せめて最期は、志村喬の扮する市民課長がブランコに揺られながら死んだように、“川の流れ”に揺られるようにして死にたいものです。そして、出来れば、あの市民課長のように、ほのぼのとした笑みを浮かべながら死にたいものです。 
勝手気ままな拙文で失礼しました。オオシオ様のご自愛をお祈りいたします。

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年4月 3日 (木) 17時01分

いのち短し 恋せよ少女 黒髪の色 褪せぬ間に

といいますが、現代では茶髪の乙女ばかりになってしまいました。それとともに、恋も薄っぺらく、刹那的なものばかりなってしまったような気がします。

投稿: 大場光太郎 | 2008年4月23日 (水) 19時50分

この記事へのコメントは終了しました。

« 人生の並木路 | トップページ | 故郷の人々 »