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2007年9月13日 (木)

想い出のサンフランシスコ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:ダグラス・クロス、作曲:ジョージ・コリー
日本語詞:三田恭次、唄:トニー・ベネット

想い出すのは あの日の夢
風に揺れて 散っていった
二人の儚(はかな)い 恋の姿よ
(しあわ)せいつ この胸に

想い出のサンフランシスコ
あなたと二人して
堅く抱きあい 口づけした
悲しい別れの丘よ

想い出のサンフランシスコ
あたしの心は
今日も一人寂しく
あなたを恋い慕う

I left my Heart in San Francisco

The loveliness of Paris
Seems somehow sadly gay
The glory that was Rome
Is of another day
I've been terribly alone
And forgotten in Manhattan
I'm going home to my city by the bay.

I left my heart in San Francisco
High on a hill, it calls to me.
To be where little cable cars
Climb halfway to the stars !
The morning fog may chill the air

I don't care !
My love waits there in San Francisco
Above the blue and windy sea
When I come home to you, San Francisco,
Your golden sun will shine for me !

《蛇足》 1954年に発表。スタンダードナンバーの1つ。日本では『霧のサンフランシスコ』という題名でも知られています。

 写真はサンフランシスコ名物のケーブルカー、前方の島はいくつもの映画の舞台になったアルカトラズ島。

(二木紘三)

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コメント

この曲の和訳歌詞を作成いたしましたので、ご覧ください。改善すべき点がございましたら、上記ブログの方へご投稿ください。2008・7・8 訳者記

投稿: Rosy-Tomorrow | 2008年7月 8日 (火) 07時12分

2回目の投稿です。外国のポピュラーも数曲あります。この歌は故江利チエミが歌っていましたね。ウクレレを弾く自分はハワイアン音楽をやりますが、ハワイアンは知っている人が多くいませんので、専ら童謡、唱歌、懐メロ等を老人ホーム等慰問のかたちで弾いています。最も単独の時もありますが、複数の人で演奏しますが、楽器はそれぞれが得意のものでやるので、混成のバンドです。石原裕次郎等が人気がありますね。それと園 まりが人気ですね。他は童謡ですね。何しろ老人施設が多いですから。

投稿: 高森宗光 | 2009年1月16日 (金) 18時04分

カラオケでよく歌う曲ですが、コメントが少ない様ですので書かせていただきます。
サンフランシスコは日本からも比較的近く、人気の観光地ですので訪れたことのある方も多いと思います。アメリカの代表的な風景としてTVなどにも頻繁に登場します。私が中高生の頃見た、『卒業』、『ブリット』などの映画にもサンフランシスコが登場していたのは後になって知りました。私が初めて降り立ったアメリカの地もサンフランシスコでした。その後も数え切れない程訪れていますので、私は国内の都市よりも余程土地勘があります。
『想い出のサンフランシスコ』の歌詞にはcable cars、hill、morning fogなどサンフランシスコの名物が登場していてわかりやすいですが、むしろ最初のNarrationの方が訳しにくいようです。Tony Bennett、Julie London、Connie Francisなどはこの部分を前奏として歌っています。以下に私訳を試みます。

愛らしいパリの華やかさも私には何だか悲しい
栄華を誇ったローマも今の私にはそぐわない
マンハッタンでは私は孤独でひどく淋しかった
私はあの湾に面した町へ帰ろう

第一行でgayは華やかなという意味でしょうか。因みに現在のサンフランシスコにはgay(同性愛者)が多いですがここでは関係ないでしょう。第二行は『ローマの栄光は過去のものだ』と訳したいところですが、another day は今日でない日(後日)という意味で、過去という意味はありません。
ご意見・ご批判があればご指摘下さい。

投稿: Yoshi | 2012年11月17日 (土) 20時50分

 「想い出のサンフランシスコ」を聴くと、20年ほど前の秋、妻と二人で訪問したサンフランシスコ旅行を思い出します。定年前の休暇を利用しての約10日間のアメリカ旅行で、大胆にも、団体ツアに頼らず、個人旅行でした。最初にボストン、次いでワシントンDC、そして最後にサンフランシスコに立寄りました。
  初日は、坂の上のユニオン・スクエアから、歌詞にも出てくる、かの有名なケーブル・カーに乗って、フィッシャーマンズ・ワーフ散策に出かけました。二日目は、フェリーで金門橋の対岸にわたり、サウサリート近辺を散策しました。三日目は、マイクロバスによる日帰りツアを申し込み、長躯して、ヨセミテ国立公園を観光しました。あっという間の三日間でしたが、幸い天気に恵まれ、サンフランシスコの思い出は鮮明に脳裏に残っています。
  それにしても、”サンフランシスコ”って、何と美しい響き(語感)の地名なのだろうかと感心している昨今です。

投稿: yasushi | 2018年2月24日 (土) 14時44分

現役時代、サンフランシスコにビジネスの客がいてこの街をよく訪ねた。たまの休みにはあちこちの有名処を訪問し、また販売店の社長が持っていたヨットに便乗させていただき、サンフランシスコ湾を周遊する等、シスコには非常に愛着がある。この歌はトニーベネットはじめ、フランクシナトラ等、たくさんの有名歌手に歌われてきたが、私にとってはジュリーロンドンの歌が最高だ。「大恋愛の末、失恋の痛手からマンハッタンを逃げ出してきたわたし……でも、わたしには、この傷心を癒してくれる、わたしの愛するサンフランシスコが待っている。パリとかローマもこの街には遠く及ばない。そこにはきっとわたしの新しい恋が待っているはずよ」とプロローグを含め、こんな調子でジュリーが切々と歌う姿が堪らない。この歌は、その詩のオリジナルからすると、女性を主役にした方がピッタリするような気がする。

投稿: mike | 2020年7月 1日 (水) 21時28分

貴コメントを拝見し、この歌を数十年ぶりにYouTubeにてなつかしく聞きました。Tony、Julie、Andy、Brenda、Frankらの熱唱です。
mike様、ありがとうございました。
(以下、通常のコメントを記載いたします。)
この歌は私にとって、約半世紀前から原歌詞全節を諳んじて歌える数少ない外国の歌の一つです。
その当時、私は、この歌の情景を次の様に思い浮かべながら原歌詞で歌っておりました。今も歌うなら同じです。
なお、以下の歌詞は、メロディーに合わせて歌えるよう日本語に置換されています。
*********************
我が心(こころ)残(のこ)したサンフランシスコ

きれいな パリは
なぜか ゲイじみて哀しい
栄華の跡(あと) ローマは
別の日のこと
僕は 孤独に嵌(はま)り
忘れてしまった マンハッタン
僕は戻(もど)る 我が故郷(ふるさと) 入り江の街に

我が心(こころ)残 したサンフランシスコ
丘の頂(いただき) 僕を呼ぶ
そこへは 小さなケーブルカー
昇る 星空の道!
朝霧が 冷やす大気

でも 良(い)い!
我が愛の待つ そこサンフランシスコ
風おどる 青い海をこえ
帰えれば 君 サンフランシスコ
君の金色(きんいろ)の陽(ひ)が 輝く 僕に!
*******************
[付記] ”The glory that was Rome, Is of another day” (栄華のローマは、パリとは別の日のこと)という日本人には不可解な記載について
(1)この歌詞は、1953年秋にDouglass Crossにより創作されています(出典Wikipedia「思い出のサンフランシスコ」[脚注1])。なお、この脚注1(単語数約2,000語の紀行文)には、この歌を生んだ作詞者、作曲者およびサンフランシスコ市の「うた物語」が記載されています。
(2)上記フレーズは、名作映画Gone with the Wind「風と共に去りぬ」(1939年12月15日に米国公開:出典Wikipedia「風と共に去りぬ」)の、主人公スカーレット・オハラScarlett O'Haraの最終シーンでのセリフ「After all, tomorrow is another day !」(和訳は「明日は明日の風が吹くワ!」、「明日があるワ!」など)の援用のようです。
(3)また、今にして思えは、作詞1953年当時のヒット映画「ローマの休日」(1953年8月25日に米国公開:出典Wikipedia「ローマの休日」)の終わりのシーンが想起されます。それは記者会見での質問「王女様が訪問された都市cityのうち一番のお気にいりはどこですか?」に対する、アン王女の回答 ”Rome! By all means, Rome! “ (ローマです。何と言ってもローマです)のシーンです。これを意識し、サンフランシスコに比べて劣るローマの印象(作詞者の私見)の記載を敢えて控えたのかも知れません。
なお、上記(2)と(3)の映画シーンは、キーワード「風と共に去りぬ」と「ローマの休日」によるYouTubeにて確認できます。以上

投稿: josame | 2020年7月 5日 (日) 15時31分

Wikipedia「想い出のサンフランシスコ」脚注1には、この歌の作詞者、作曲者およびサンフランシスコの物語の調査結果が紀行文のかたちで公開されています。僭越ながら、以下にその原文(英文)の作詞者&作曲者に関する要所の日本語置換を試みます。
*************************
標題 I left my heart in San Francisco: Touring the vibrant city that inspired a song
我が心(こころ)残したサンフランシスコ:この曲を湧かせた活気いっぱいの街を巡る
著者: STEVE TURNER
データ更新:2010年1月4日

この曲を探してサンフランシスコに来ました。もちろん、曲そのものではなく(曲はすでに私のiPodにあるので)、この曲を湧かせた街並みとそれを作詞作曲した男たちの物語を探しに来ました。
約半世紀前にTony Bennettによりリリースされた「I Left My Heart in San Francisco」は、これまでに録音された中で最も感銘を与えた都市国歌のうちの1つです。
1964年に、この歌は、サンフランシス市の会議・観光局によって取り上げられ、市のキャンペーンに音楽的要素を付加しました。 5年後、2つの公式市歌の1つになりました(もう1つは同じ名前の1936年の映画「サンフランシスコ」です)。
~~~(中略)~~~
この曲は、2人のアマチュア作家の創作です。彼らは、サンフランシスコの入り江で育ち、戦時の兵役後にニューヨークに移住しました。
作曲者のGeorge Coryは、バーでライブのピアノ演奏をしていました。作詞者のDouglass Crossはラジオ局で働いていました。彼らは、作詞作曲のパートナーであるだけでなく、互いに恋人(lovers)でもありました。 そして、彼らは70年代に互いに3年以内に死亡しました。共にまだ50代でした。
この歌は、サンフランシスコの金色の太陽の下では作成されず、1953年の秋にニューヨークのブルックリンハイツ(Brooklyn Heights)で作成されました。現在、知られている歌詞は「サンフランシスコに戻る (going home; return to) とき」で始まり、最終節では「僕が帰る (come home) とき」になっています。
稀(まれ)のインタビューで、Coryは言いました。「思いは純粋な郷愁でした。人々の暖かさも開放感もそして美しさも逃しました。僕たちは本当にニューヨークには馴染(なじ)めませんでした。」
Crossは次のように付け加えた。「ニューヨークは苦しくて冷酷な都市です。そこでは恐怖と破局の突端で生きています。ニューヨークは疲れています。サンフランシスコには新しさと活力があります。」
~~~(中略)~~~
CrossとCoryには再度ヒットした別の歌はなかったけれど、彼らはそれを必要とはしませんでした。彼らは歴史書に載ったのです。市がそれを公式の歌として採用したことを彼らが聞いたとき、Crossはサンフランシスコの「歴史、伝説、そして魅力」の輝きとしてのこの歌の詩情性を確信しました。
多面性のすべてであることを確証はできませんが、Tony Bennettは、この歌の人気にかかる質問に対し「質の高い都市についての質の高い歌」だと簡明に返答し、それは的を得ています。
~~~以下略~~~

原典:Wikipedia「想い出のサンフランシスコ」脚注1
I left my heart in San Francisco: Touring the vibrant city that inspired a song
By STEVE TURNER;UPDATED: 13:10 BST, 4 January 2010
https://www.dailymail.co.uk/travel/article-1240259/I-left-heart-San-Francisco-Touring-vibrant-city-inspired-song.html

以上

投稿: josame | 2020年7月22日 (水) 01時01分

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