« シェナンドー | トップページ | 人生の並木路 »

人生劇場

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:佐藤惣之助、作曲:古賀政男、唄:楠木繁夫

1 やると思えば どこまでやるさ
  それが男の 魂じゃないか
  義理がすたれば この世は闇だ
  なまじとめるな 夜の雨

2 あんな女に 未練はないが
  なぜか涙が 流れてならぬ
  男ごころは 男でなけりゃ
  わかるものかと 諦めた

3 時世時節(ときよじせつ)は 変ろとままよ
  吉良の仁吉(きらのにきち)は 男じゃないか
  おれも生きたや 仁吉のように
  義理と人情の この世界

  (セリフ)
   ああ夢の世や 夢の世や
   今は三歳(みとせ)のその昔
   十有余年がその間
   いと懐かしき父母(ちちはは)と
   朝夕眺めし山や川
   春は花咲き夏繁り
   秋は紅葉の錦織
   冬は雪降るふるさとの
   由緒正しき郷士(ごうし)にて
   一人男子(おのこ)と生まれける
   その運命のいたずらか
   はかなき恋の戯れか
   浮き立つ雲に誘われて
   一人旅立つ東京の
   学びの庭は早稲田なり

4 端(はした)役者の 俺ではあるが
  早稲田に学んで 波風受けて
  行くぞ男の この花道を
  人生劇場 いざ序幕

《蛇足》 尾崎士郎の同名の小説を下敷きにして作られた歌で、昭和13年(1938)発表。

 義に篤く、利にはうとく、信ずることのためには損得を考えずに突き進むという早稲田マンのイメージは、この小説と歌によって作られたといっても過言ではありません。
 残念ながら、私はまだそういうタイプの早稲田出身者に会ったことがありませんが、きっとどこかにはいるのでしょう。

 小説は、昭和8年(1933)から足かけ11年間、『都新聞』『東京新聞』に連載されました。『青春篇』『愛慾篇』『残侠篇』『風雲篇』『離愁篇』『夢幻篇』『望郷篇』『蕩子篇』の各編から成り、任侠の世界を描いた『残侠篇』を除いて、作者の自伝的小説とされています。

 昭和10年(1935)に『青春篇』が刊行され、川端康成が絶賛してベストセラーになりました。
 『青春篇』は、三州
(さんしゅう)吉良(愛知県吉良町)に生まれた青成瓢吉(あおなり・ひょうきち)が、青雲の志を抱いて早稲田に学び、放埒(ほうらつ)な青春を送り、学校騒動で主役を演じ、料亭の娘お袖と恋仲になるが、やがて学校も女も捨てる、という物語です。
 非常に日本的な成長小説(Bildungsroman)と見ることができます。

 『青春篇』は、刊行の翌年、内田吐夢監督によって日活で映画化され、映画史上に残る名作となりました。戦後も何度か映画化されましたが、なかでも脇役にスポットライトを当てた内田の『人生劇場――飛車角と吉良常(きらつね)(写真)や、加藤泰監督『人生劇場――青春・愛慾・残侠篇』がよく知られています。

 歌に出てくる吉良の仁吉は、幕末期の実在の侠客。慶応2年(1866)4月8日、伊勢国鈴鹿郡(ごおり)の荒神山(こうじんやま)で起こった穴太(あのう)の徳次郎vs.神戸(かんべ)の長吉(ながきち)+吉良の仁吉+清水次郎長の子分たちの大喧嘩(おおでいり)で命を落としました。
 この小説では、仁吉の血筋を引くという吉良常が重要な役割を演じています。

 歌は、通常3番までですが、「幻の4番」といわれる歌詞を発見したので、掲載します。佐藤惣之助が作った歌詞か、あるいは別の人があとで付け加えたものかはわかりません。

 早大OBの方からから、間奏の部分に入るセリフをご教示いただきました。これも、元からあったものかどうかはわかりません。映画か芝居のなかで使われたものか、あるいは早大生・OBの間で自然発生的に作られたものではないかというような気がします。

(二木紘三)

|

« シェナンドー | トップページ | 人生の並木路 »

コメント

私は、中途視覚障害者でかろうじて左目で文字がぼんやりと解読できます。
人生なかばで(55歳)で早期退職をしました。
現在、この歌をかろうじて選曲でき聴くことができました。私にとって、うれしい限りです。
曲のスタート・マークを探し出し、クリックするのが困難です。
できれば、ワードでの選択方法があると、弱視者・全盲者にもアクセスできるのですがね。

投稿: 益子   良夫 | 2007年9月 3日 (月) 10時32分

私も早稲田OBです。クラス会の飲み会などがあると、誰かが必ずこの歌を歌いますね。ところで、この6月、一人娘が結婚しました。披露宴で花婿(早稲田OB)と共に、人生劇場を歌いました・・・

投稿: 五十嵐岳男 | 2007年9月 8日 (土) 19時43分

五十嵐岳男さま
コメントを拝見して、思わず書き込ませていただいています。
おそらく、私は五十嵐様の数年後輩です。
私にも一人娘がおりまして、今大学一年生です。
残念ながら早稲田には行ってくれませんでしたが、でも娘に合ったところに入ってくれました。
いつか披露宴でこの歌を花婿と歌えたりしたら、私はきっと泣いてしまいます。

投稿: 品川の早稲田マン | 2007年9月22日 (土) 00時54分

二木さんのサイトをやっと探しだしました。
懐かしい人生劇場のセリフに暫し思い出に浸りました。
いろいろなバージョンがあったのでしょうが私たちのはこうでした。

 ああ夢の世や 夢の世や
 今は三歳(みとせ)のその昔
 十有余年がその間
 いと懐かしき父母(ちちはは)と
 朝な夕なに眺めし山や川

 春は花咲き夏繁り
 秋は紅葉の錦織
 冬は雪降るふるさとの
 生まれ正しき郷士にて
 一人男(おのこ)と生まれける
 その運命のいたずらか
 はかなき恋のいたずらか

 浮き立つ雲に誘われて
 一人旅立つ東京の
 学びの庭は早稲田なり

(我ながらよく覚えていました。)

投稿: 私の娘の婿殿も早稲田 | 2007年9月25日 (火) 12時58分

「私の娘の婿殿も早稲田」様
 おもしろいですね。長すぎて、間奏の間に語りきれないかもしれませんが、こちらに差し替えました。
 ただし、5行目の「朝な夕なに眺めし」は、ここだけ語調が崩れていますので、「朝夕眺めし」に変えました。

投稿: 管理人 | 2007年9月25日 (火) 18時20分

管理人さん、差し替えていただいて恐縮です。
私が学生の頃はカラオケがまだ普及しておらず
アカペラでしたのでセリフはいくら長くてもいいですし
四番を歌っても差し支えなかったのですね。

その後カラオケで歌う時は苦労しました。
三番までしかないので二番の伴奏をバックにセリフをのんびりと語り
三番の伴奏で四番を歌ったりしました。
それも随分昔のことです。

娘の婿殿は酒も飲まず人生劇場も歌いません。
少しつまらないですね。

投稿: 私の娘の婿殿も早稲田 | 2007年9月26日 (水) 10時43分

早大卒の私の先輩や同僚の中にこの歌が大好きな者が何人もいて、サラリーマン時代には飲み会でよく一緒に歌いました。別名「早稲田民族主義」の歌といった感じですね。
早稲田マンには(ウーマンもいますが)、義理人情や恩義に篤い人がけっこういます。そういう人たちと手を取り合って、残り少ない人生を歩んでいければと思います。吉良の仁吉のような人は、少なからずいると思いますよ。

投稿: 矢嶋武弘 | 2007年12月22日 (土) 17時35分

矢嶋武弘さま

歳をとって病気をすると涙もろくなっていけません。

この唄を聴きながらコメントを拝見し、一生懸命生きてる奴は、(まことに勝手ながら)みんな早稲田の仲間だと思って勝手に泣いちゃいました。

投稿: 端役者 | 2007年12月22日 (土) 19時31分

以前にも戦前の曲を聴かせて頂いてコメントしたことが
ありますが、この曲は早稲田マンとして涙がでる程懐かしい曲です。昭和22年9月早稲田大学理工学部応用化学科を卒業して社会人となり、今でも現役ですが、二木先生の「蛇足」と「編曲」は素晴らしい。そんじょそこらで売つている「懐かしのメロデイー CD版」とは比べものになりません。
損得を考えずに突き進む早稲田マンはいませんか? ここにいますよ(笑) 先生も頑張つて下さい。

投稿: 田原 弘 | 2010年6月18日 (金) 20時26分

高校の英語の先生
 早稲田の出で
 この時代の同世代だったんでしょうか
  杖をつきながら
 教えていただきましたが
  馬鹿な生徒には
  とどいてなかったか
 残念無念 よくききゃよかった・・・と

投稿: 二宮 | 2010年6月18日 (金) 21時01分

>義に篤く、利にはうとく……私はまだそういうタイプの早稲田出身者に会ったことがありませんが、きっとどこかにはいるのでしょう。<
→ここにおります。私です。義に篤く、利にはうといあまり、ずっとビンボーです。

投稿: ソーダイOB | 2012年6月27日 (水) 16時14分

端役者様
小生も、このサイト開くたび、、涙がでます。ご自愛ください。小生も、毎日薬をかかせない状態ですが、、人生劇場を聞くと元気になります。強く正しく長く生きようと、、思います。元気なうちに高田馬場に→→→家内と一緒に行こうと思っています。
高田馬場の駅に着いたとたん きっと、、泣きます。

投稿: 端役者2 | 2012年8月21日 (火) 20時55分

入学して初めてのコンパで先輩から聞いたのが、この歌でした。「早稲田に来た」との実感がわいてきました。一年生とはいえ、私はこの年22歳。浪人をしていたわけではありませんが、高校卒業のとき父親から進学を反対され、父親の事業を手伝ってから3年後に「進学する」と宣言したら、「1年限りで、勉強して早稲田だったら許してやる」といわれ、無謀にもチャレンジすることにしました。父親はあきらめることを期待していたようですが、それでも合格した時は喜んでくれました。親不孝を許してくれた親に今も感謝しています。「人生劇場のセリフ」はその意味でもとても響きます。

投稿: 如海 | 2014年11月 3日 (月) 12時42分

はじめまして。
仕事でいろいろな流行歌の「原詩」を調べておりましたところこのサイトに辿り着きまして、セリフと4番の歌詞に驚愕いたしました。
いろいろ調べなおしましたところ、どうやら後年に早稲田の学生が作ったようですね。しかも、今では5番も作られていて、14代総長だった奥島孝康氏が歌われているそうです。
 早稲田なりゃこそ 一目でわかる  
 辛い浮き世も 楽しく生きる
 バカな奴だと 笑わば笑え
 人にゃいえない こころいき
「早稲田大学第二校歌」とありました。 

投稿: nana-million | 2016年9月26日 (月) 15時45分

 高校のころこの歌が流行りました。同じ寮にいろいろ高校生や大学生がいた団体の設立した寮だったので、友人がこの歌をクリスマス会で歌ったのです。もう50年以上も前のことです。面白いなあと思いながら聞いていました。
 早稲田のことは意識していませんでしたが、「義理」という言葉に惹かれた思いがあります。

投稿: 今でも青春 | 2016年9月26日 (月) 17時39分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« シェナンドー | トップページ | 人生の並木路 »