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エル・チョクロ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:Enrique Santos Discepolo、作曲:Angel Villoldo

               El Choclo

Con este tango que es burlón y compadrito
se ató dos alas la ambición de mi suburbio;
con este tango nació el tango y como un grito
salió del sórdido barrial buscando el cielo;
conjuro extraño de un amor hecho cadencia
que abrió caminos sin más luz que la esperanza,
mezcla de rabia de dolor, de fe, de ausencia
llorando en la inocencia de un ritmo juguetón.

Por tu milagro de notas agoreras,
nacieron sin pensarlo, las paicas y las grelas,
luna de charcos, canyengue en las caderas,
y un ansia fiera en la manera de querer ...

Al evocarte, tango querido,
siento que tiemblan las baldosas de un bailongo
y oigo el rezongo de mi pasado ...
Hoy, que no tengo más a mi madre,
siento que llega en punta'e pie para besarme
cuando tu canto nace al son de un bandoneón...

Carancanfunfa se hizo al mar con tu bandera
y en un 'perno mezcló a Paris con Puente Alsina,
triste compadre del gavión y de la mina
y hasta comadre del bacán y la pebeta.
Por vos shusheta, cana, reo y mishiadura
se hicieron voces al nacer con tu destino...
Misa de faldas, querosén, tajo y cuchillo,
que ardió en los conventillos y ardió en mi corazón !

《蛇足》 アルゼンチン・タンゴは、キューバから伝来したハバネラ、それがブエノスアイレス周辺で変化したミロンガ、ヨーロッパから移入されたポルカ、黒人系住民の音楽カンドンベなどが混じり合って成立した音楽形式だとされています。

 生まれたのはブエノスアイレス南東部、風紀の悪いラ・ボカ地区で、娼家などにおけるわいせつなダンスのための音楽として盛んに演奏されました。
 そんなところから、最初のうちは上中流社会から蔑視されました。その後、アンヘル・ビジョルド
(Angel Villoldo)などの努力によって音楽的に向上し、1910~20年代にパリでおおいに認められて流行したことなどから、アルゼンチンの国民音楽としての地歩を築くようになりました。

 『エル・チョクロ』が最初に演奏されたのは、1905年11月3日のことです。
 ブエノスアイレスの中上流階級向けの会員制レストラン「エル・アメリカーノ」では、クラシック音楽が定期的に演奏されていました。
 そのオーケストラでピアノを演奏していたホセ・ルイス・ロンカッジョ
(Jose Luis Roncallo)のところに、友人のビジョルドが、作ったばかりのタンゴを持ち込みました。それがあまりにすばらしかったので、ロンカッジョは「エル・アメリカーノ」でぜひ演奏したいと思いました。

 しかし、前述したように、タンゴは下層階級の音楽で、しかもレストランのオーナーがタンゴを嫌悪していたため、タンゴとしては演奏できません。
 そこで彼は、クリオージョのダンス音楽だということにして演奏することにしました。クリオージョはフランス語のクレオルと同じで、中南米生まれのヨーロッパ人、とくにスペイン人の子孫を指します。
 こうして『エル・チョクロ』は演奏され、大成功を収めました。

 『エル・チョクロ』はトウモロコシの実という意味です。ビジョルドがこのタイトルをつけたのは、彼がトウモロコシ入りのシチューが大好物だったことと、この曲がそのシチューを思う存分食べられるような収入をもたらしてほしいという願いを込めてのことだったといいます。

 しかし、エル・チョクロはビジョルドの知人のポン引きのあだ名だったというのが真実のようです。それを認めると、タンゴはわいせつな音楽という評価を裏付けることになってしまうため、ビジョルドは認めませんでしたが、後年、彼の妹がそれを事実だと証言しています。

 歌詞は1947年に発表されたものです。
 この曲はアメリカに渡って"Kiss of Fire" となりました。

(二木紘三)

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コメント

曲はよく耳にします、しかし詞が英語ではないので全く解りません。曲(タンゴ)の成り立ちを良く理解出来ます。日本でも同時期に〇〇のタンゴなどの歌が出されていますがこれは音楽は世界を巡ると言う事でしょうか。

投稿: 海道 | 2011年10月14日 (金) 16時14分

アメリカに渡って「キス・オブ・ファイヤー」になった
との情報を見落としていました。そちらには 色々な情報がありますね。

投稿: 海道 | 2011年10月20日 (木) 14時30分

 「蛇足』によりますと最初の演奏が1905年とありますが驚きです。日本では前年(明治37年)に日露戦争が始まった年です。ずいぶんモダンな音楽が演奏されていたのですね。

 アメリカに渡り「キス・オブ・ファイヤー」になったとの事。(これの驚き) 「ルイ・アームストロング」のキス・オブ・ファイヤーは知っていますが、彼のしわがれた声で聴いていると、まるで別の音楽に聞こえます。彼の声は琴線に触れてきます。

 アルゼンチンタンゴのリズムがいいですね。私はなかでも「プレイズ・ピアソラ」の「リベラルタンゴ」が一番です。「ヨーヨー・マ」の奏でるリベラルタンゴは色っぽく大好きです。ヨーヨー・マのチェロ演奏を絶対に生で聴きたいと思っていました。そして来日したとき行きました。サントリーホールで間近でみられたチェロ演奏、その様子、バッハの「無伴奏チェロ組曲」でした。この曲も好きでしたので、素晴らしかったです。

 また『蛇足』で「アルゼチンタンゴはキューバから伝来・・・」とありました。

 渋谷で「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のドキュメンタリー映画を観て、感激、彼らが来日しました。東京フォーラムへ行きました。間近でみられて最高でした。高齢のミュージシャン達ですが、すごいエネルギッシュで、そしてみんなセクシーでした。「イブライム・フェレール」の「ソン」のリズムが最高、会場でCDを買ってしまいました。酔いしれた夜でした。忘れらません。

 「ソン」は「サルサ」のリズムの元と言われています。サルサのリズムまたブラジルの「ボサノバ」のリズムも好き、観るだけですが、ダンスも好きです。今の私はあのミュージシャン達と同じ年代になりましたが、エネルギッシュと色っぽさとも縁遠い処にいます。

 末筆になりましたが、あこがれ様がこよなく京都を愛されている事は、このサイトに参加されている皆様方はすでにご存知のことと思っております。京都検定3級に合格し、さらに2級に挑戦なさっていることに、さすがと思っています。また「森羅万象」は世界共通の言葉だと思っています。
 あこがれ様、今後ともよろしくお願い致します。

投稿: konoha | 2017年7月27日 (木) 12時09分

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