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真白き富士の根

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:三角錫子、作曲:ジェレマイア・インガルス

1 真白き富士の根 緑の江の島
  仰ぎ見るも 今は涙
  帰らぬ十二の 雄々しきみたまに
  捧げまつる 胸と心

2 ボートは沈みぬ 千尋(ちひろ)の海原
  風も浪も 小(ち)さき腕(かいな)
  力もつきはて 呼ぶ名は父母(ちちはは)
  恨みは深し 七里が浜辺

3 み雪は咽(むせ)びぬ 風さえ騒ぎて
  月も星も 影をひそめ
  みたまよいずこに 迷いておわすか
  帰れ早く 母の胸に

4 みそらにかがやく 朝日のみ光
  やみにしずむ 親の心
  黄金も宝も 何しに集めん
  神よ早く 我も召せよ

5 雲間に昇りし 昨日の月影
  今は見えぬ 人の姿
  悲しさ余りて 寝られぬ枕に
  響く波の おとも高し

6 帰らぬ浪路に 友呼ぶ千鳥に
  我もこいし 失(う)せし人よ
  尽きせぬ恨みに 泣くねは共々
  今日もあすも 斯(か)くてとわに

《蛇足》 明治43年(1910)1月23日午後、神奈川県・逗子開成中学校の生徒11名と小学生1人の計12名が、逗子町の田越川河口から江ノ島に向けてボートをこぎ出しました。地元の漁師たちは止めましたが、晴天で風もさして強くなかったことから、少年たちは出発しました。

 ところが、途中で突風にあおられてボートは転覆、全員が海に投げ出されました。そのうちの1名が漁船にすくい上げられたことから少年たちの遭難が判明、ただちに捜索が開始されました。しかし、漁船にすくわれた1名も含めて、全員が亡くなりました。

 同年2月6日、逗子開成中学校で追悼大法会が開催されました。そのとき鎮魂歌として披露されたのがこの歌です。

 原曲は、アメリカの牧師で作曲家のジェレマイア・インガルス(Jeremiah Ingalls、1764-1828)が讃美歌用に作曲 した"LOVE DIVINE" (または "The GARDEN HYMN")
 これが明治期の日本に移入され、大和田建樹が『夢の外
(ほか)』という歌詞をつけて、大和田建樹・奥好義編『明治唱歌 第五集』(中央堂刊)に収録されました。
 編曲者は不明ですが、別の曲ではないかと思うほど原曲とは違っています。

 この『夢の外のメロディに合わせて、逗子開成中学校の系列校・鎌倉女学校で教師をしていた三角錫子(みすみ・すずこ)が詞を作り、同女学校の生徒たちが合唱しました。
 三角錫子は石川県金沢市の出身。女子高等師範学校
(現・お茶の水女子大)を卒業後、各地の女学校で教師を務め、のちにトキワ松学園の前身校・常磐松女学校を設立するなど、女子教育に多大の貢献をしました。

 大正4年(1915)8月、この歌のレコードが発売されたことから、全国で歌われるようになりました。原題は『七里ヶ浜の哀歌』でしたが、歌い出しのフレーズをとって『真白き富士の根』と呼ぶのが定着しています。
 昭和10年
(1935)に松竹が、同29年(1954)大映が事件を映画化。この大映版のタイトルが『真白き富士の嶺(ね)』となっていたことから、この歌も、そう表記されることがあります。

 なお、JASRACのデータベースには、『真白き富士の根』『真白き富士の嶺』の両方が正題として登録されています。

 上記の歌詞は、現在まで一般に歌われてきたものですが、オリジナルとはかなり違っているようです。下記b-jackさんのコメントをご参照ください。

 古い曲集では、この歌の作曲者がガードンとなっています。これは、岩波文庫版『日本唱歌集』の編者の1人・堀内敬三が、原曲の旋律名"GARDEN HYMN"のGARDENを作曲者と見誤ったことに起因するのではないかといわれています。

(二木紘三)

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コメント

 二木先生のうた物語--ほんとうに、心からの感動を与えられながら聞かせて、また読ませていただいております。有難うございます。
 どの曲でもという訳ではありませんが、出だしから涙があふれてくることがあります。今日は「穂高よさらば」からでした。涙がとまらなくなりました。何度か《蛇足》を読ませていただいていたからでしょうか。人の死がからんでいることが強く頭に残っており、最初のメロディーから涙か噴出してきました。自分が曲の中で、一人称にも二人称にもなるのです。
 ここ一、二週間、自分が人の死にすごく反応してしまう位置にいるからなのですが--- 人の病を診る仕事なのです。七年ぶりに以前の診療所にもどり仕事が始まっています。その時間の残酷さに驚かされているのです。ほんの七年なのですが、多くの方が世を去られ、またおおくの方が病に臥されています。病、老い--ほんとうに憎いものです。また自分の無力さも、つくづくと思い知らされております。
 その中で、七里が浜哀歌(以前から、大好きな愛唱曲です)が先生のサイトにあるのか??--と探していたのですが、ふと見ると「最近の記事」の一番上に現れているではありませんか--大変、奇妙な不思議な気分になりコメントさせていただくことにしました。今、何千人かの方がアクセスしていても、僕の この気分になられた方はないだろう ということが、真意です。この偶然は何だったのでしょう。 
 うた は人生そのもの、一度 先生とはお会いしてお話できれば--
    と考えております。ほんとうに心から感謝しております。
         能勢の赤ひげ


投稿: 能勢の赤ひげ | 2007年10月 7日 (日) 00時11分

二木先生 いつも有難うございます。
この曲も 素晴らしい。
蛇足の蛇足ですが

「難しいので有名な」?文芸評論家
柄谷行人氏 の 評論の中に
この曲の事件 に 関する
後日談がありました。
(本の名を忘れ尻切れトンボですみません)

投稿: 二宮 博 | 2007年10月10日 (水) 00時18分

この「真白き冨士の嶺」の映画化されたのを小学生時代に先生に内緒で友達と見に行きました。その時の主演女優の及川道子の美しさが今でも焼きついています。それからこの曲が大好きになりました。

投稿: 小森 義翁 | 2007年10月26日 (金) 17時01分

いつもカラオケで歌わせていただいています
ますます発展され、曲目を多くしてください
楽しみにしています

投稿: azui | 2007年10月27日 (土) 17時58分

しばしば閲覧させて頂いています。
ところで「真白き富士の根」について、「捧げまつらん」と覚えていたので、ネットを探しまくってみました。
大半が「捧げまつる」でしたが、原詞を扱っているサイトを一つ見つけました。
ご参考までに紹介致します。

http://blogs.yahoo.co.jp/teds3d/5402558.html
「帝大生ゆめじの大道芸日記」

投稿: b-jack | 2007年11月 5日 (月) 17時41分

こんにちは、二木先生

 何度もアクセスして、本業はどうした??とお叱りをうけそうです。
 それまでは、大人しく曲を聴かせていただくだけだったのですが、このサイトを利用させていただいていた時、その瞬間に頭に浮かんだこの曲が新たにアップされた、その偶然性に後押しされ初めてコメントさせていただいたのでした。昨年の10月初めのことです。

 ですが、偶然はこれだけではありませんでした。これからが今日の本題です。

 小生の姪っ子がいます。四国の子なのですが、東京に学び、鎌倉の女子高の教師を最近までしておりました。深く考えず流れていた事実なのですが、ふと先生の蛇足からヒントがあり、ひょつとして鎌倉女学校が前身の女子高かと考え、消息伺いをかねて尋ねてみました。そうだったのです。現在の鎌倉女学院が、彼女の勤務先だったのです。この曲に対する自分の思いを縷々話させていただきました。
 するとどうでしょう、一ヶ月後くらいに郵便物が届けられました。何だろうと怪訝に思いつつあけてみました。流麗な筆跡の手紙とともに、鎌倉女学院回想録の七里ヶ浜の哀歌に関係した部位のコピーがはいっているではありませんか。早速、礼の電話をし、楽しみに読ませていただいたのです。

 先生の蛇足に書かれていることは、間違いのない事実としてうけとっていますが、何故なのだろうという疑問も浮かんできました。
 鎌倉女学院の回想録に書かれていることとして、お聞きください。

 1・ 題名は   七里ヶ浜の哀歌
 1・ 一番の歌詞 真白き富士の嶺
 1・ 作曲    ガーデン 
 1・ 逗子開成中学校  第二開成中学校
    (いやこれは、明治42年に東京開成中学校より独立し逗子開成中学校と改称とあるから、遭難事故のあった明治43年には逗子開成中学校が正しい校名なのですね。しかし、事故当時はまだ改名後日たたず、巷では、第二の子達がーーーなどと噂されたのでしょうか??) 
 1・ 歌詞は3番までしか回想録には記載されていません。

 となっており、この回想録の編纂時期(これはつかめておりません。)とも相まって興味深く見させていただいた次第です。まだまだ、資料の多く残る時代なのにいくつかの疑問符がついてくる。もっと古い時代の歴史解明の困難さ、痛感する次第です。

 これは、どうでもいい偶然ですが
  ちなみに 母の名を すずこ(鈴子)と申します。

 

投稿: 能勢の赤ひげ | 2008年3月21日 (金) 14時00分

 昭和14年初冬。日中戦争は泥沼化し、対米戦争ももはや避け難しと映り出した頃。一人の人物が伴の者を連れて、京都は綾部(あやべ)のある施設跡を訪れました。その人は、昭和10年「12月8日未明」に起きた「第二次○○事件」の首謀者の一人との嫌疑から、以来直前まで監獄に収監され釈放されたばかりの身でした。
 それは、およそ近代宗教弾圧史上世界にも類を見ないと言われるほどの、凄まじい弾圧でした。不敬罪と治安維持法違反の疑い(戦後両罪とも無罪が確定)で、「地上から○○を抹殺せよ」との極秘指令のもと行われた、国家権力によるものだったのです。綾部や亀岡の広大な施設はもとより、全国の施設、歌碑の類いに至るまで悉く破壊し尽くされ、教祖の墓まで暴かれました。信徒3000人余を検挙、拷問で16人が死亡。聖師と呼ばれた中心人物や多くの同志は、依然収監中。
 この人は三代目の女婿として、聖師の補佐的立場だったことから取り調べは苛酷を極め、歯は多く抜け落ち、鼻はひん曲がり、髪の毛は引きちぎられ、一時は半狂乱となり…。京都帝国大学出身の美男子の面影は、どこにも残らないほどの変わりようでした。
 …その人が綾部の地に立って口ずさんだのが、この『真白き富士の根』だったのです。それはまるで、一望の限りに破壊し尽くされた施設、獄中で死んでいった多くの同志たちへの鎮魂歌のようで、伴の者は涙が止まらなかったといいます。
 1番、2番、3番…と静かに歌い継ぎ歌い終わって、その人は呻くように呟いたそうです。「何もかも、皆無くなっちまったなあ」。
 それを聞いた伴の者は、『日本は、もう二度と立ち直れないようになるのではないのか?』と、暗澹たる想いにとらわれたそうです。○○の教えでは、「○○は日本と世界の型をするところ」とか「○○が潰れれば日本も潰れる」と、かねがね聞かされていたからです。幸い、その後の戦争敗戦を経て、戦後日本は奇跡的な復興と、かつてない繁栄を成し遂げましたけれども。
 私はこの場面を、戦前戦中史の隠れた名場面の一つと考えております。
 (特定の教団のため、名称は○○としました。なお私は当時の○○には大いに関心を持ちつつも、現在の○○教団とは何の関係もありません。謝長文。)  戦争と平和を考える季節の中で

投稿: 大場光太郎 | 2008年8月 8日 (金) 19時47分

5年前に亡くなった母の愛唱歌でした。
墓参の折は必ず墓前でこの曲をハーモニカで吹いてくることにしています。
曲名のことですが、私の読んだ本では『真白き富士の根』が正しく、『真白き富士の嶺』の方が間違いとありました。
誤変換ではないと考えられます。

投稿: 小泉公平 | 2009年10月11日 (日) 19時37分

今晩は。この曲を聞くと、母がよく歌っていたことを思いだします。明治43年には、ハレー彗星がとんだり(76年周期)この事故があったりしました。私もこの映画を見ました。どのような映画だったか覚えていませんが、女の先生が、みんなと一緒に歌っていたひとこまだけ今も曲とともに覚えています。子供を事故で亡くした親の悲しみ、その当時はあまりわからなかったのですが、今になるとよくわかる年齢になりました。私にとってもくちずさんでいる曲のひとつです。

投稿: 昔の少女 | 2009年10月17日 (土) 23時04分

二木先生のうた物語、楽しませてもらっています。ありがとうございます。この「真白き富士の嶺」の先生の解説を読んで、この歌にこんなに悲しい背景があったのかと知らされ、驚いています。知らなかったのです。ただ、この曲はどういうわけか、最初の一行の歌詞しか覚えていませんでした。そして、教会で聖歌623番「いつかは知らねど」を無邪気に歌っていたのが申し訳ない気持ちになりました。年配の方々はこのメロディをよく覚えておられて、好きな聖歌の一つになっています。私も大好きな歌です。これからこの歌を聖歌の歌詞で歌うときは、この歌の背景に心を留めて歌いたいと思います。本当に心に沁みるようなメロディですね。

投稿: 上原 | 2010年5月 9日 (日) 00時11分

今からちょうど100年前に起こった出来事ですね。12人の若い命が亡くなりました。賛美歌だけあって、鎮魂歌ではあるけど明るくて良い歌です。

投稿: 三瓶 | 2010年5月 9日 (日) 07時59分

ただの無謀少年の海難事故の歌。
どうして日本人はこのようなことを賛美するのでしょうか?
若者のヨットレースの遭難や、山での遭難はマスコミでも大きく取り上げられます。
しかし、漁師や猟師、山仕事での災害はマスコミのネタとして美しくないようです。
12人の少年というから何となく涙を誘うのですが、21歳を頭として20歳19歳・・・の集団なのです。
そのとき海岸にいた消防夫たちにも中止するよう止められたのに、振り切って、しかも定員オーバーとのこと。
・・・ただ可哀そうなのは、上級生の冒険の犠牲になった10歳の少年です。

投稿: コーデリア | 2010年5月18日 (火) 16時24分

コーデリア様 
 
若者のヨットレースの遭難や、山での遭難はマスコミでも大きく取り上げられます。
しかし、漁師や猟師、山仕事での災害はマスコミのネタとして美しくないようです。 
 
 お説ごもっともです。観光やレジャーで事故が起こればメディアは大々的に取り上げ、生活や仕事の中で起こる事故については、ほとんど無視するか、取り上げても3行記事程度ですね。要するに、「事件」なら取材の対象になり、単なる「事故」ならニュースにならないということです。悲憤慷慨されているあなたのお気持ちを逆撫でするようですが、マスコミとは本来そういうものです。
 この歌は解説にありますように、今から100年前の海難事故で亡くなった「無謀な」12人の少年(一部は青年)への鎮魂歌ですが、もしこの事故が現在起こったら、社会はどういう反応をするでしょうか。多分、「自己責任」という、冷たい評価が多いんではないか、と思えてなりません。マスコミもそういう切り口で報道するのでしょうね。100年前にも「無謀な」行為という取り上げ方をした記事もあったようですが、世評は比較的寛大だったようです。もちろん「自己責任」なんて世知辛い世評はなかったに違いありません。
 
  
       

投稿: ひろし | 2010年5月19日 (水) 16時35分

ひろし様

私がマスコミに対して悲憤慷慨していると、あなたがお感じになられたのなら私の文の拙いところとしてお許しください。
私は、マスコミに対して多くの期待も信頼も持っておりませんので、怒る気にもなりません。
したがって事故・事件の類にしても「こんなもんだろう」くらいの気持ちです。
私が小学生の時、母からこの歌と事故のことを教えてもらい、海が好きな少年として泣きながら歌っていたことを覚えております。
しかし、長じて事故の事実に接してからは、ただ甘いだけの美しさは消えうせたと言うことです。
今でもメロディはとても綺麗で、「夢の外」(大和田建樹作詞)を口ずさむことはあります。

投稿: コーデリア | 2010年5月19日 (水) 22時38分

コーデリア様

 わたしは、あなた様の主旨が、無謀な行為をした12名を美化してヒーローにしたマスコミ批判かと誤解をしたようです。そうではなく、この歌にまつわる事件の真相を知れば、哀切な、甘美な詩に惑わされることはないのではないか、という、この歌についてのご感想のようですね。
 わたしは、なるほどそういう見方、接し方もできるのか、と思う一方、確かに許可なく、規則を破り、消防団の制止を振り切ってまで、無謀な行為に走ったかれらの非を非として認めても、前途有為な青少年のかれら自身が無念の想いで死んで行ったであろうことや、かれらの遺族の嘆き、悲しみ、さらには教え子を多数一度に失った校長・教諭などの学校関係者の無念さを思うと、単純にあなたのご感想に同意はできないのです。とくに、哀れをさそうのは、犠牲者の4人までが徳田家(逗子在住)の子息だったことで、ご両親の嘆きはいかばかりだったか、はかり知れません。
 この事件が世人の涙を誘ったのは、ひとつは前途ある若人が多数亡くなったということの他に、発見されたかれらの遺体の中に、互いに手を取り、抱き合った姿や、とくに徳田兄弟の場合は、兄(19歳)が弟(10歳)をしっかり抱き締め、遺体を離そうとしても離れなかったという事実があったからでしょう。こうした死に臨んでの友情や兄弟愛の発露がマスコミによって美化された面は確かにあるのですが、それは、この歌を作られた三角錫子さんの責任ではありません。彼女は純粋に亡くなった生徒を思う教師の立場で作詞され、その哀切で美しい詩が、これも哀調の賛美歌に託されて人口に膾炙されていったのです。
 くわしくお知りになりたい方は、逗子開成中学校・高等学校のHP(学校の歴史・真白き富士の根)をご参照ください。

投稿: ひろし | 2010年5月20日 (木) 11時11分

二木先生

私の伯父がこの歌の同級生でした。
私は昭和16年に逗子開成中学校に入学しましたが、当時の学校は軍国主義で、特に大東亜戦争開戦の12月8日からは軍隊並になりました。
この歌は校則を守らなかった者のことだからといって禁歌になっていました。両親から聞いていて歌詞は知っていましたが、歌うことはありませんでした。

投稿: 遠藤雅夫 | 2010年5月21日 (金) 10時14分

二木先生、

私は子供の頃からずっと気になっている事があります。
19世紀のアメリカの牧師、ジェレマイア・インガルスが賛美歌として作曲したこの曲に、三角錫子が詩を付けた’七里ガ浜の哀歌’(真白き富士の根)とイギリス民謡の’灯台守り’のメロディーが似ているような気がしてならないのです。

この2つの曲のメロディーには何か関連があるのでしょうか?

先生の説明によると、イギリス民謡の’灯台守り’も賛美歌として歌われていたようですし、アメリカのジェレマイア・インガルスも牧師だったので’七里ガ浜の哀歌’の元曲を賛美歌として作曲する前に、’灯台守り’の曲を聴いていたのではなかという気がしてならないのです。

アメリカの古い歌にはイングランド、スコットランド、アイルランド起源のメロディーが沢山使われているような気がします。

それでこの歌の説明を読んだ時に、この2つの曲はもしかしたら何か関連があるのではないかと思ったのです。

子供時代から漠然と感じていた疑問に何かヒントを得たような気がしました。

しかし日本の’七里ガ浜の哀歌’はジェレマイア・インガルスが作曲した元曲とは、大分変わっているという記事をどこかで読んだことがあるので、私の思い過ごしかもしれませんが・・・・・。

投稿: 気になっています | 2010年5月27日 (木) 21時11分

気になっています 様
「真白き富士の根」と「灯台守」、確かに雰囲気が似ていますね。これは元になった歌が1つあったというよりも、イングラン人、スコットランド人、アイルランド人それぞれに歌の感覚が似ているということではないではしょうか。そうした感覚がアメリカへの移住者にも引き継がれたのでしょう。
 昔、岩城宏之さんがヨーロッパで音楽仲間と飲んだとき、日本の演歌をいくつか聴かせたら、「どれももの悲しくて、同じような感じがする」と言われたそうです。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2010年5月27日 (木) 23時41分

二木先生、

お返事ありがとうございます。
そうですか。先生の感想はイングランド人、スコットランド人、アイルランド人の歌の感覚が似ているということなのですね。

私は'Celtic Woman'の歌が好きでCDをよく聴くのですが、センチメンタルな曲が多く、日本人の心情にぴったりとしているような気がします。

たしかに陽光に溢れた南欧のイタリアの旋律とは明らかに違いますね。

ありがとうございました。

投稿: 気になっています | 2010年5月28日 (金) 19時23分

気になっています 様
すみません、言葉が足りませんでした。
イングランド人同士、スコットランド人同士、アイルランド人同士ではそれぞれに音楽の感覚が似ているというつもりで申しました。
イングランド、スコットランド、アイルランドは別々の国といってよく、日本人にはこれらの地域の音楽が似ているように感じられても、現地の人びとには違いがよくわかるようです。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2010年5月28日 (金) 23時06分

 タイトルに「真白き富士の根」となっていますが、私の記憶では「根」ではなくて「嶺」と覚えています。上記コメントにもすでにその指摘が有りますが、また一方、「根」が正しいんだというご意見もあります。「嶺」であれば何の違和感もありませんが、「根」では山のてっぺんは雪がないのに里に近いほうでは雪が残っているようで、何か変な気がします。いったいどっちが正しいんでしょうか。私はむしろ「根」なら、当たり前ではないレトリックが感じられて面白いと思いますが、どうしてか知りたいです。

 

投稿: こぎつね | 2010年5月29日 (土) 22時54分

こぎつねさま
根か嶺か
「唱歌・童謡ものがたり」読売新聞文化部、岩波書店発行1999.8.
によりますと、「真白き富士の根」となっています。
作者の三角錫子は、女子高等師範学校(お茶の水女子大)卒業、北海道で教職につき、その後鎌倉女学校教師、常磐松女学校(トキワ松学園)創立、女性運動家。と記されていますので、根が単なる間違いとは思えません。何か作詞者の考える事があってのことと思います。

根の意味は、諸橋轍次 大漢和辞典によりますと以下のように記されています。
1. ね、草木の地下に在って養分を吸収する部分
2. ねざす、もとずく
3. ねだやしにする
4. 姓
5. 能力、作用力、心
6. ねらふ、哏に通ず、縄などを数える数詞に添えて用い  る、
7. 「邦」こん、物事に耐えうる力、精気、気力、精魂
8. イオン化することの出来ぬ部分 銅根 硫黄根の類
9. 平方または立方を開いて得る数

と記されています。嶺との関連はないようです。   

投稿: 遠藤雅夫 | 2010年5月31日 (月) 10時07分

遠藤雅夫さま

ご返事ありがとうございます。富士山のてっぺんの雪をかぶった美しい姿をタイトルにしたと私が思っていたのは皮相的で、そのように美しく純粋な少年たちの心の根を、遭難現場から見える富士山の純粋さ・美しさにかけて「根」にしたのでしょうか。ありがとうございました。

投稿: 吟二 | 2010年5月31日 (月) 17時07分

遠藤雅夫様、こぎつね様、能勢の赤ひげ様、b-jack様、管理人様

すでにひろし様が提示されているのですが、逗子開成中学校・高等学校のHP(学校の歴史・真白き富士の根)には事件の顛末だけではなく、『根』か『嶺』かについても詳しく解説されています。
http://www.zushi-kaisei.ac.jp/history/fujinone/fujinone.html
の、さらにその中の「番外編」にその記述があります。

ホントの所はどうなんだろうと思われる方も、第1回から通してご覧になると色々なことが分かると思います。Macromedia Flash Player が必要ですが、『二木紘三のうた物語』を読むだけで全く聴かない人がいるとは思えません。が、もしかするかもしれないので、要約すると、

三角錫子は、1916(大正5)年1月23日(遭難事故七回忌)に歌詞・楽譜を出版します。その中ですべて『根』としている。

根の意味として、「富士の根」は「裾広く、頂き高い富士山の全容を、大地にしっかりと食い込んでいる山」と捉えた表記と考えてよい。と言うことです。


また、唱歌・童謡ものがたり(読売新聞文化部)によれば、1932年(昭和7年)に堀内敬三が作曲者をガードンとしたのが間違いの端緒で、インガルスが正しいことが判明したのは1995年とのことです。

このことから能勢の赤ひげ様が示された『鎌倉女学院の回想録』は1932年以降の資料によるものではないかと判断されます。また、b-jack様の示された「帝大生ゆめじの大道芸日記」でのバイオリン楽譜『七里ヶ浜の仇浪』の発行年が大正12年で、三角錫子が出版した大正5年より後ですから原典を変更したのは『七里ヶ浜の仇浪』の方ではないのかと推測します。
(大正5年の出版物を確認していないのであくまでも推測域ですが可能性は高いです)

以上です。


『蛇足』を僅かに補足したに過ぎず、改めて管理人様の確かさに敬服いたします。

投稿: 浜井 | 2010年6月 2日 (水) 07時53分

浜井さま

ありがとうございます。
開成のHPを見ました。

投稿: 遠藤雅夫 | 2010年6月 2日 (水) 13時20分

今日は召天者記念礼拝ということで、聖歌623番「いつかは知らねど」を歌いました。それで、今日は、その勢いもあってか、「真白き富士の根」の歌詞で歌ってみようと思って、歌いました。しかし、1番の歌詞までは何とか歌うことができましたが、2番の歌詞はもう歌えませんでした。涙がぽろぽろ出てきて、喉は詰まるし、とても歌えるものではありませんでした。後はメロディを聞きながら、歌詞を目で追い、泣くだけでした。子供たちの思いや、子供を失った親御さんたちの心情を思うと泣くだけしかできません。何年経ってもその悲しみは消えることはありませんね。多くの悲しい出来事があり、多くの方々の涙が流されていることでしょう。天からの慰めを祈るばかりです。

投稿: 上原 | 2010年7月18日 (日) 17時55分

根か嶺かは数学の先生だった三角先生の出した問題で、必ず分かってくれる人がいるはずだとした拘りでしょう。歌詞お借りしました。

投稿: araichi | 2010年7月19日 (月) 09時36分

実に良い曲です。判り易く胸に迫ってくる物があります。賛美歌には名曲が多く葬式の時の”神共にいまして・・・”や結婚式の”妹背を契る・・・”など唄いながら思い募って涙がでてしまいます。仏教に携わる者として羨ましいかぎりです。唄としては”真白き富士の根・・”今の世代はほとんど知らないでしょう。70歳過ぎた我々には懐かしく人気があるようです。嶺か根かで議論があるようですが、嶺は頂上。根は麓、すそ野でしょうね、昔は雪が多く真っ白に根を張った雄大な富士のすそ野はさぞ見事だったでしょう。厳寒の海死んでいった子供達、当時は人口も今の半分以下スポーツなどこれと言ったニュースもない時代大事件だったと思います。私の父の同級生の従兄弟(22歳の中学生)が巻きこまれ遺体がなかなか上がらず浜松の実家から大勢集まって大騒ぎだったそうです。

投稿: 釈 浄慶 | 2010年7月21日 (水) 14時50分

b-jackさんが「捧げまつらん」と覚えていたとのコメントがありますが、演歌師の桜井敏雄がそのように歌っている録音があります。大正12年に神長瞭月が発行したバイオリン楽譜通りに、「仰ぎ見る眼も」、「捧げまつらん」と歌っています。この歌詞も演歌師とともに全国に広がっていったのではと推測されます。
http://www.geocities.jp/teidaiseiv/Sound/shitirigahama.mp3

投稿: ゆめじ | 2010年8月28日 (土) 11時37分

私には此の事件に関しては単純に深い思いは有りません。
 私は昭和21年3月生まれです、自分の古い記憶の中で此の曲は母の不思議さを感じます。以来知らずに知らずに口ずさみます。母の背中で確かに聞いた歌、思えば不思議に4歳か5歳の頃である日父と喧嘩して自分を背負い家を出て、哀しい声の母の歌声は間違いなく「真白き富士の根」で歌の内容を母は泣き声を押し殺して自分に話してくれた。雄物川の金谷橋の上で、多分そんな母の気持ちを察して愚図る私をアヤシテ家に帰った記憶が・・・確かな記憶が。だから此の歌は母の歌だと今も思うんです。その母は私が小4の春に天国に召されました。思えば以来母を思い口ずさむ、涙が流れて止まず。

投稿: 田澤 璋洋 | 2011年3月23日 (水) 00時40分

昭和15年生まれの小生,同年代の麻布中学生徒の昭和29年相模湖事件を思い出します。犠牲になった同級生が「遺体が学校に送られた」時に詠み、新聞に発表された短歌数点、中でも代表の「鉄(クロガネ)の自衛隊車・・・・」を新任早々の女教諭より切々と解説され、思わず涙したのを思い出します。数年前、麻布学園に短歌の全容を教えて欲しい旨、連絡を入れましたが、この事故を記憶する歌曲のみは残っている事だけが判りました。学園としては忘れたいとの思いなのでしょう。尚、同級生たちが今も鎮魂の行事をしていることも別のインターネット記事でわかりました。

投稿: 久家重允 | 2011年6月15日 (水) 18時22分

今朝(9月11日)のラジオ体操の前に、この歌が流れ、2番までは覚えていたので鉄棒にぶら下りながら一緒にうたいました。
昭和20年7月9日、私は15歳で予科練に志願し、神奈川県久里浜の横須賀海軍通信学校に入校しました。たった1回だけですが、カッター訓練に参加しました。その時オールをながしそうになり、必死にオールを抑えているとき、班長の「オール挙げ」の号令で救われました。その時、小学校でうたった「真白き富士の根》の曲をおもいだしたのです。それ以来この歌を忘れたことはありません。
今日は東日本大震災から半年の日です。改めて震災の犠牲者と当時の私と同じ少年たちをあらためておもいだし。今朝一番にパソコンに向かいこれを書きました。 

投稿: 熊木秀夫 | 2011年9月11日 (日) 08時08分

つい先日、「仰げば尊し」が台湾で「青青校樹」とか「華(正確には田の下に華のような字)業歌」として歌われていることを二木先生の’歌物語’で知りました。

その関連でYouTubeを調べていたら、「七里ガ浜の哀歌」(「真白き富士の根」)も台湾で「魂断富士嶺」として歌われているんですね!

明治43年(1910年)1月23日に起きた、神奈川県逗子開成中学校の生徒11名と小学生1人の計12人の遭難を基にした哀愁歌(鎮魂歌)で、戦前に日本全国で歌われるようになった歌ですが、台湾でも「七里ガ浜の哀歌」が「魂断富士嶺」という曲名で歌われていることが分かりました。

顔華と紀露霞という歌手によって歌われたみたいです。

この歌が台湾で今でもよく歌われているのか分かりませんが、中国語(台湾語かも知れませんが)の「真白き富士の根」に興味のある方は、YouTubeで「魂断富士嶺」で検索して聴いてみてください。

投稿: ken | 2011年9月26日 (月) 18時28分

二ツ木先生の演奏はとても歌いやすく良く出来ています。二ノ・ロッソのトランペットソロも最高です。この曲に詩をつけ唄って伝えてくれた三角錫子と鎌倉女学生達に敬意を表しております。さてこの忌まわしい事件を起こした逗子開成中学は現在の逗子開成学園の名誉のために申し上げれば関係ないようです。明治45年に事件の影響で廃校になっています。田辺新之助校長は私学の経営難に困っていたところにこの事件の多額の賠償のため鎌倉女学校の土地を売り自らも当時の金で二万五千円の借金をして身を引き、晩年は鎌倉女学校の経営と漢学者、漢詩人として過ごしました。金融業もみじ屋銀行の神田雷蔵は学校施設を買い取り横須賀の海軍軍人達とその子弟の教育のための学校をつくりました。校名校章をそのまま使用していたので田辺新之助ははずすように申し入れたのでした。

投稿: 釈 浄慶 | 2011年12月27日 (火) 01時59分

この歌は小さいころから聞き覚えてはいましたが、学校でも歌う人はいませんでした。中学生の時(1954年)に真白き富士の嶺という映画が封切られました。市川和子という新人女優がでていました。私は観ませんでしたがこの時に歌われた歌が学校で流行りました。1番しか覚えていませんが良い歌だと思います。覚えておられる方もいらっしゃると思います。私はこの歌の方が好きです。
 眉あげて富士を仰ぐ大空は今日も真澄よ
 流れ来る潮の香りによみがえる若き血潮よ
 漕ぎゆけばオール持つ手に微笑みの瞳かがやく

投稿: ハコベの花 | 2012年10月14日 (日) 10時13分

「夢呼ぶ海の歌声」唄 白根一男

動画サイトにありますね。

投稿: なち | 2012年10月14日 (日) 10時44分

なち様 お教え下さって有難うございました。級友たちが歌っているのを聴いていただけなので、題名も2番も3番も知りませんでした。57,8年ぶりに聴きました。懐かしいです。青春が蘇ってくるようです。改めて聴くと爽やかで元気が出てきます。有難うございました。

投稿: ハコベの花 | 2012年10月14日 (日) 15時45分

久し振りに、オカリナを吹いてみました。
譜面だけ見て練習するより、曲に合わせて吹く方が、ずっと心地いい気分になれます。オカリナの音色がこの曲に合っているのでしょう。
 ところで歌詞について、ですが、一番の頭、「真白き」は、「富士の根」ではなく、「富士」に掛かるんでしょうね。「真白き富士」の根 です。

投稿: MAEDA | 2013年8月 6日 (火) 01時40分

'song of the garden'と言う語句を偶然ききました。アカペラ・コーラスグループで歌う長女が世界のフォルクローレ歌を探している時です。YouTubeにて歌詞を追いました。イエス復活の福音、と言うか、神と彼の至福を庭にたくして詠う内容…'gardenとは信仰の場なの'と、少女時に神父介添え役をして、今は殆ど教会に行かぬ娘の講釈です。

三角錫子は敬虔なキリスト教者だったのでしょうね。Ingallsの旋律とその原詩に、悲しい出来事を重ね合わせているように感じられます。嵐で若い命が奪われたけれど、やがて救われ神の庭に召される、、、みごとな鎮魂詩と思います。

投稿: minatoya | 2014年7月14日 (月) 00時27分

海難事故も山岳事故も 引き留まる決断があったならと
思うにつけ哀切さが募ります。
昨日の大田原高校の山岳部の被害者の報をみたとき
即にこの歌を連想致しました。
海と山の相違はあってもあたら若い命がと思うにつけ
ご両親の心情を察して胸が痛みます。
この歌は一時期好んで愛唱したが「別名江の島エレジー」
と勘違いしておりました。
二木先生の「江の島エレジー」のアップで誤りに気づき、又、痛ましい山岳事故に海難事故を連想した次第でした。大田原高校は大田原在住の弟の次男の母校でもあり他人事とは思えません。合掌

投稿: りんご | 2017年3月28日 (火) 12時04分

昭和20年代、復員した父がよく歌っていました。
テレビもラジオも無い時代、音痴の私が聞き覚えた歌は、どれもどこか調子が外れているのです。
ところが、数十年ぶりに聞いた「真白き富士の根」は驚きました。ずれていない!11月は「富士山を見てみたい」と言いながら叶わず逝った父の33回忌です。

投稿: のほほん | 2017年10月31日 (火) 19時01分

この歌を聴くと苦い思いというか不快な気分がします。歌そのものは美しく悲しいのですがこの詩と作詞者三角錫子の実像とがあまりにかけ離れていることです。それに犠牲になった生徒もその父兄達も許し難い存在です。
逗子開成中学は海軍の肝入りで作った学校で生徒はいずれ卒業後は海軍に入る人達でした。そのせいか学齢も様々で13歳位から20歳過ぎた生徒もいました。その中に独身の三角女史の愛人もいたようです。愛人関係を続けるために卒業せずに20過ぎでも在学していたのかも知れません。個人問題は別だという方もおられるでしょうが後に女学校の創設者になった人があろうことかと不潔感でいっぱいです。遭難した生徒はほとんどが寮に入っていたのですが舎監の先生が留守の間に無断で船を出して遭難したのです。この先生は転勤になる同僚の先生を鎌倉まで送りに行ったのでした。天候を考えまた普段から生徒の安全に充分気を巡らせて舎監不在の時は無断で船を出すなと厳命していました。が、生徒は舎監不在をいいことに勝手に船を出しました。途中地元の漁師に今日は海は危険だから止めろと注意を受けましたが聞かずに強行しました。いわば暴走族の不良息子の様なものです。遭難の後、舎監は父兄から息子を生きて返せと詰め寄られ学校からも責任を問われました。今のご時世なら堂々と正当性を主張して問題を問われないと思います。この当時しかも海軍の圧力もあり止むを得ず鎌倉女学校との合同葬儀(この歌が歌われた)の翌日退職して地方へ去りました。新聞等にもこの遭難の記事が出たためいたたまれず後に某家の婿に入り名字も変えました。その息子さんが早稲田大学に入り芥川賞は取れませんでしたが候補に何度か挙がっています。蛇足ですが鎌倉で送別した先生に君も結婚したらどうかと言われておりその相手がなんと三角女史だったのです。

投稿: 林 滋 | 2017年11月 1日 (水) 10時04分

 作詞者が三角錫子ということは知っていましたが、そのようなことがあったとははじめてです。よく教えていただきました。また、この蛇足もはじめて知りました。歌とは大きくかけ離れていたのですね。ありがとうございました。

投稿: 今でも青春 | 2017年11月 1日 (水) 14時48分

林滋様
愛人関係と書くとなにやらうさんくさい感じがしますが、恋人同士だったら別に問題ないのではないでしょうか。
「その中に独身の三角女史の愛人もいたようです。愛人関係を続けるために卒業せずに20過ぎでも在学していたのかも知れません」とお書きになっていますが、これについて何か証拠(文献、証言など)があるのでしょうか。なければ、あなたの推測にすぎませんね。推測の上に立って不潔と決めつけるのは、女子教育に業績のある人に対して大変礼を失する言葉だと思いますが、いかがでしょうか。

投稿: 通りすがり | 2017年11月 1日 (水) 17時15分

通りすがり様 出元は舎監の息子さんである宮内寒弥さんが書いた「七里ガ浜」です。当人はこの本は父の汚名を雪ぐためとは言ってはおらず、あくまで事故死者の鎮魂のため書いたとしています。平林たい子賞を受けています。また私の表現はあまり断定的にならぬつもりでしたが不快でしたら申しわけありません。

投稿: 林 滋 | 2017年11月 1日 (水) 20時40分

林滋さんご紹介による舎監の息子さん著作は言わば”当事者による調査リポート”のような印象を受けます。さような詳しい人と人が絡み合う事情をお聞きすると「三角錫子は敬虔なキリスト教者…」と言う私の想像は通りいっぺん過ぎますね。教育功績者たる後の資質はこの時に十二分に現れている。犠牲者父兄と大方を癒す詩歌を創案、女生徒の合唱にまで短期間に仕上げていること。

1月23日遭難発生。2月6日追悼大法会。関係者の悲しみと世間に溢れるニュースの最中に、稀なる事件に相応しい稀なる合同葬儀プランが考えられた。葬儀のための”専用詩歌”も非常に珍しく、一寸聞かない出来事では、、。三角錫子は葬儀委員会メンバーだったのか、あるいは海軍の意向と彼女自身の犠牲者との関わりとが上手に作用しあったのかもしれません。

林さんの怒り、と言うか三角へのこだわりを宮内寒弥さんの著作動機から連想してみることができます。しかし女史に対し不潔と私は感じません。性的な豪傑(可笑しい表現ながら、いつもだれか相手がいる人)はしばしばダイナミックに人生を展開していきます(Jimmy Savile や Harvey Weinsteinのようなスキャンダル連中もその典型)。この後、三角は作詞活動をしているのでしょうか、そして教育者の傍ら、しあわせな私生活を持ったのか?ほんの少し興にかられます。

投稿: minatoya | 2017年11月 3日 (金) 14時08分

3日投稿文中にて三角を三島と誤植、お詫び申し上げます。

気になっていますさんと管理人さんとのブリテン諸島独立三国(ウェールズを加えると四カ国)の話題で、インヴァネス近くの鄙びた村出身友人曰く「ゲール語と云えど三つ全て違うんだよ」。いつか酒場で出会った地元の人からハイランドゲール語の教科書のような本をもらい、消えゆく言語の保存振興を知りました。ラグビーにクリケットやサッカーの世界選手権での彼らのライバル心はきっとそれぞれ民謡への誇りと同じ背景に由来するんでしょうね。

唱歌”灯台守”だけを歌える輩に、どの民族の旋律か分かる術がありません。それは、スリランカ難民で今蘭国民でもある知人が聞かせてくれる数々の(たぶん流行歌)曲は全て同じに聞こえることに準じます。インドの音楽と口を滑らせると、彼は首を横に振り、我が鈍感振りをたしなめられます。

世界中につとに知られると思われる演歌も、殆どの欧米連中に単調な民族節として捉えられるようですね。同じに聞こえる/聞こえない度合いは言語群に於ける近い遠いの相関度に比例するのかもしれません...

投稿: minatoya | 2017年11月 4日 (土) 03時06分

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