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君恋し(戦後版)

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:時雨音羽、作曲:佐々紅華、唄:フランク永井

1 宵闇せまれば 悩みは涯なし
  みだるる心に うつるは誰(た)が影
  君恋し 唇あせねど
  涙はあふれて 今宵も更け行く

2 唄声すぎゆき 足音ひびけど
  いずこにたずねん こころの面影
  君恋し おもいはみだれて
  苦しき幾夜を 誰がため忍ばん

  君恋し 唇あせねど
  涙はあふれて 今宵も更け行く
  今宵も更け行く 今宵も更け行く


《蛇足》 オリジナルは、昭和4年(1929)に浅草オペラの人気歌手・二村定一(ふたむら・ていいち)が歌った曲。『波浮の港』や『東京行進曲』などとともに、歌謡曲レコードの草創期を代表する作品の1つです。

 戦後の昭和36年
(1961)、この曲がフランク永井の歌でリバイバル・ヒットしました。オリジナルよりスローテンポで、スイング・ジャズ風にアレンジされています。

 たとえば、原曲で八分音符2つの組み合わせになっているところを、付点八分音符+十六分音符の組み合わせに変えるなどしてスイング感を強くしています。
 前奏・後奏も変わり、歌詞は3番が省略されました。
 原曲と聞き比べてみると、おもしろいと思います。

 原曲は映画の主題歌でしたが、このリバイバル版も、翌年公開された日活の歌謡メロドラマ『君恋し』
(森永健次郎監督)の主題歌として使われました。原作は作詞者の時雨音羽でした。

(二木紘三)

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コメント

二木先生
ご無理なお願いを,さっそっくお聞きとり下さいまして、まことに有難うございました。
今、命終近き病床にあり、繰り返し繰り返し、涙して聴いております。
心の奥深く沁みこむ、この名曲,名歌詞に往時を偲び、走馬灯のように過ぎゆく80余年の過ぎ越しが夢とよぎります。
ただただ有難く、先生のご厚情に深く、深く感謝申し上げます。
まことに有難うございました。

投稿: 篠崎信夫 | 2007年10月13日 (土) 17時58分

篠崎信夫様
どうぞお大事に。

投稿: 管理人 | 2007年10月14日 (日) 02時50分

やっぱり昔の曲は繰り返し何度聞いても飽きがこない。
最近の新しい曲は一時的にヒットしても長続きしません。
深みがないのでは、それとも現代の若者は新しいものにすぐ飛びつき
後が続かない。

いつまでも心に残る曲、思い出の曲を大切にしたいですね。

投稿: 岐阜の砂時計 | 2007年10月17日 (水) 18時54分

数年前、偶然アクセスした二木様のサイト。それ以来、だんだんと惹きつけられて来て、今は、心がうつろなとき、しみじみとしたときなどに聴かせていただいております。
ところで、君恋しの歌ですが、フランク永井のように思い入れたっぷり、かつリズミカルのと違って、昔のバージョンの方が、テンポだけはとても速かったように記憶しています。よいやみせまれば~、などはツツツーと速いスピードでどんどん進んで行ったように思います。そして、それが却ってせつなさやはかなさを印象強くさせていたような…。
違っているでしょうか。

投稿: 北山雪緒 | 2007年11月 2日 (金) 23時50分

 歌手の名は忘れたが、中学生のころハスキーな唄を聴いて心に沁みるものがあった。
 その後海軍にはいり、カッターに帆を張り瀬戸内を巡航中夜、娑婆の唄を聞きたいということで「君恋し」を唄ったところ皆黙り、一人が呻くよにいい唄だ呟いた。
 そうして一年も経たないうちに二人が海底に散った。
 フランク永井のつまらない歌声を聞きしばらく封印していたが、この唄を発見し、聴きいっている。
 正に名歌詞名曲で、往時を偲び感無量である。

投稿: 内田 辰丸 | 2007年12月 5日 (水) 20時57分

 この歌全体に込められた情感…たまりませんねえ。
 オールディズな昭和の、「君」想う「夜想曲(セレナーデ)」ですね。
 この曲にのって、昭和初期のモボ・モガの時代の、リバイバルで歌われた昭和30年代半ばの…時代背景が、私の中で独自にアレンジされた映像として甦ってまいります。

 それに致しましても。『うた物語』に、去年の10月にこの歌をご提供いただいてから、聴くたび思うのですが。
 『君恋し』の二木先生の演奏。まさに神品です。

投稿: 大場光太郎 | 2008年4月25日 (金) 19時09分

3番の歌詞は初めて知りました。
 心の熱い思いをじっと抑えながらも抑えきれずに、特にサビ以降の上昇音階というフレーズをくり返しして、正に男の“慕情”と言えるのではないかと・・・68歳の胸にあの遠い日のセピア色の想い出が鮮やかなカラーとなってこみ上げてきました。
 9/14 地域の小学校での「敬老の集い」で、ピアノの先生(女性)と私のT.saxで<君恋し>も演奏する予定です。

投稿: 尾谷 光紀 | 2008年8月18日 (月) 15時24分

“低音の魅力”で一世を風靡したフランク永井さんが亡くなりました。素晴らしい低音で、腹の底に響くようなサウンドが印象的でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。わたしがこの歌を覚えたのは、明治生まれの母の影響でした。ですから、フランク永井のリバイバル以前のことです。二木様の解説で、初めてリバイバルでは3番の歌詞がないことを知り、わたしが覚えていた『えんじの紅帯ゆるむもさびしや』のフレーズをかれはなぜ歌わなかったのか、理解できました。

投稿: ひろし | 2008年11月 6日 (木) 22時38分

この曲は昔、ラジオで古いバージョンを聴いた事があり、それから好きになりました。今から思えば二村氏の古い録音だったのでしょう。フランク永井のバージョンよりもはるかにアップテンポでありました。実は私、フランク永井、「つまらない」とまでは思いませんし、彼の歌唱は必ずしも嫌いではないのですが(晩年はかなり声が落ちて気の毒でしたが)、この曲については古いバージョンのテンポのほうが好きです。浅草オペラの大御所、田谷力三氏が舞台で歌っておられるのもTVでみたことがありますが、これもまた、本当に恋心を歌う情熱的な名唱でした。

私も何度か人を好きになったことがありますが、いずれも届かぬもので、そのたびにこの曲を口ずさんで来ました。。。。

投稿: ひろ | 2010年1月 9日 (土) 10時07分

二木先生によれば、<君>の呼び掛け対象は、概ね昔の流行歌では女性→男性、今(戦後)の歌謡曲では男性→女性、という解説を拝見。確かにその通りで、私は、このフランク・永井の「君恋し」の<君>は、昭和も36年ですから“女性”のことと疑わず歌っていました。即ち、男が恋に悶える歌、と。
このサイトで昭和初期の元歌に三番があると知り、歌ってみました。今の私が歌うと、一番、二番は男性の悶えを彷彿とさせますが、三番は完全に女性の恋の悶えを意味していました。二村定一の歌ですが、女性の心の歌だったのです。
昭和36年当時、<君>が、恋愛関係では男性から女性への呼称に変化していて、フランク・永井版に元歌の三番があると歌全体のイメージがごちゃごちゃになるので、三番を削除して男心の歌としたのに間違いないでしょう。同じ歌の同じ歌詞が、世に連れ歌に連れてイメージが正反対になるのですね。

投稿: 飯田 | 2011年6月15日 (水) 14時15分

飯田さまのコメント、目からウロコです。「君」といえば女性とばかり思っておりました。
確かに、戦前の元歌の三番を考えると、女性の歌と考えるのが自然でしょうね。もっとも、一番、二番は男性、三番は女性というのは、小説には確かにそういう例がありますが、歌曲の場合、そのように主人公が逆転するというケースがあるのでしょうか。お教えいただければありがたいです。
いっそのこと、一番、二番も含めて、女性の歌と考えて差し支えないようにも思えるのですが…。
とくに「君恋し、唇あせねど」という箇所は、ゴンドラの唄に「赤き唇」とあるように、女性の赤い唇を指すわけでしょうから、男性の歌として、男性が女性に向かって、唇の色が…、などと言うのは、露骨すぎて大変失礼な感じがするのですが、いかがでしょうか。
間違っているようでしたら、どなたか適切なアドバイスをお願いします。

今まで、飯田さまのように、一番、二番とも男性の歌と、とくに疑いもせず、思っていましたので、こういう結論になるのは、自分でも意外です。

投稿: 大枝山 昇 | 2012年10月 7日 (日) 18時52分

定年後に市の老人カラオケ講座を受けてから歌謡曲に興味を持ち、蛇足に書かれている事実を知りましたが、以前はフランク永井の歌とばかり思っていました。YouTubeで二村定一の歌唱を聞くと、テンポが速く、張りのある声でどんどん歌っていて、私が生まれる前の昭和の雰囲気と矜持を感じます。最近のように歌手が思い入れたっぷりに歌うと、逆に観客は自分の情感を広げられない気がします。なお、名歌手、藤山一郎もそっけなく歌っているので、聞くほうは置いてきぼりをくい、何度聞いてもまた聞きたくなるのではないかと思いますが、いかがなものでしょうか。

投稿: 吊るし雲 | 2012年10月19日 (金) 18時19分

Youtubeにアップした「君恋し」について調べているうちにこのサイトに出会いました。そして、管理人の二木様の写真を見て、Youtubeの「敏あづま」にとても似ていらっしゃることに驚き、勇気を出してコメントを書いています。「敏あづま」は、日本国内や海外での仕事を糧としつつ、64歳でCDデビューし、歌との二足のわらじを履いておりました。ラテン、英語、演歌、ブラジルの歌など多彩なレパートリーをもち、退職後はボランティアで各地を巡る予定だった敏あづまです。ダンディでワイルド、味のある歌声が心に沁みる一つが「君恋し」です。この歌の意味を知り、さらに心深く感じるものとなりました。ありがとうございました。

投稿: 二人静 | 2013年3月24日 (日) 17時11分

 大枝山昇様が歌曲の場合に主人公が男女逆転することがあるのかという疑問をだされています。私見では、それはあるでしょう。あとで一つ二つ例を挙げたいと思いますが、その前に、「一番、二番を含めて、女性の歌と考えて差し支えない」とのお考え、全くその通りと思います。「君恋し唇あせねど」と鏡に向かって物思いにふける姿は女性としか考えられません。男が君の唇の色は、などというのは露骨すぎて失礼、というのも同感です。フランク永井が歌おうがだれが歌おうが、これは女性の気持ちでしょう。平野愛子の歌った「港が見える丘」へのコメントで、槃特の呟きさんが「女性歌手が歌っていても男の歌ともとれますが」と呟かれたのを思い出します。恋情は共通であり、異性の心を歌うことは別に不思議ではありません。
 主人公が逆転する歌の件ですが、「篭の鳥」は一節ごとに交替します。ただし、あれはそもそも問答歌だからピンとが外れますね。私が昔知り合いと議論したことがあるのは、私の好きな西条八十・古賀政男「なつかしの歌声」についてでした。
 レコードでは一番を藤山一郎、二番を二葉あき子が歌います。しかし、一番の「あこがれれは悲しい乙女の涙 風よ運べよいとしの君へ」が、離れて来た東京の恋人と銀座の街にあこがれる女性の歌であることに異論はなさそうです。「いとしの君へ」という言い方が、この歌の昭和15年頃なら女性のもの、ということも二木先生のお説にある通りです。
 二番は、一番ほどはっきりしているとは言えませんが、「思い出の窓辺」の下の嘆きの道を歩いはているからには、場面は男性のいる東京です。「やさしく寄り添いし姿よいずこ」と追い求めるところ、やさしく寄り添う風情は、私には、女性の姿としか思われません。西条八十作詞はこういうところには神経が行き届いています。従って二番は男の歌と思っています。
 レコードが一番を藤山一郎にした理由は知りませんが、想像するに、二木先生の言われるような明るい曲調が藤山一郎にぴったりなので、歌い出しは藤山がいい、となったのではないでしょうか。
 以上、①君恋し」は一番二番もすべて女性、ただし、②主人公の変わる歌はある、という私見でした。

投稿: dorule | 2013年7月 2日 (火) 13時52分

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