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夜霧の第二国道

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:宮川哲夫、作曲:吉田 正、唄:フランク永井

1 つらい恋なら ネオンの海へ
  捨てて来たのに 忘れてきたに
  バック・ミラーに あの娘(こ)の顔が
  浮かぶ夜霧の ああ 第二国道

2 花の唇 泪(なみだ)の瞳
  想い出さすな 帰らぬ夢を
  ヘッド・ライトの 光の中に
  つづくはてない ああ 第二国道

3 闇を見つめて ハンドル切れば
  サイン・ボードの 灯りも暗い
  泣かぬつもりの 男の胸を
  濡らす夜霧の ああ 第二国道

《蛇足》 昭和32年(1957)9月にレコード発売。
 フランク永井の低音を生かしたスローバラードでした。このmp3はオリジナルよりややテンポを上げてあります。

 ここで歌われている第二国道は、国土交通省の管理番号でいうと、国道1号線のことで、国道2号線のことではありません。
 国道1号線は東京都中央区から大阪市までの一般国道、国道2号線は大阪市から北九州市へ至る一般国道です。

 国道1号線のうち、起点から五反田までは桜田通り、五反田から横浜までは第二京浜道路という通称で呼ばれています。この歌の第二国道は第二京浜道路を指しています。
 彼女の面影を振り捨てて、横浜に向かって夜霧の第二京浜道路を走っているわけですね。

 第二京浜道路は当初、第一京浜道路=旧国道1号線のバイパスとして建設されたのですが、その後第二京浜道路が国道1号線に、第一京浜道路が国道15号線と変わったために、このような混乱が起こったわけです。

 歌がヒットしたため、翌年、日活が映画化しました(舛田利雄監督)。日活お得意のギャング映画で、主演は小林旭、岡田眞澄や香月美奈子などが脇を固めました。
 フランク永井も、フランク永山という名前のクラブ歌手
(実は保険調査員)として出演しています。

(二木紘三)

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コメント

つい先頃は「君恋し」、そしてこの度「夜霧の第二国道」。小生が二木先生の名演奏(といっていいのでしょうか?)で是非聴いてみたいと日頃思っておりました名曲を提供していただき、繰り返し拝聴しております。
 これはまことにぶしつけなリクエストであり、先生の今後のご計画もおありでしょうが、いつの日か、「燦めく星座」「星の流れに」「別れの磯千鳥」「落葉しぐれ」「下町の太陽」などのいずれかをお取り上げいただければ幸甚です。
 なお、先生のサイト、2年程前からいつも利用させていただいたおります。社会全体も、個人的にも日々難題の多いこの時代。本当に良い曲、名曲にはすごい「癒しの力」があると思います。
 末尾ながら、二木先生の益々のご健勝、ご活躍をお祈り申し上げます。
 

投稿: 大場 光太郎 | 2007年12月28日 (金) 23時23分

この曲の発売から10何年も後に、大田区下丸子に勤めることになりました。
車で首都高速を降りると、第二京浜です。大好きな歌を口ずさみながらの通勤を昨日の事のように思い出されます。昭和46年の入社から15年間第二京浜は自分の庭のように、何処に何が・・記憶していました。新幹線の下を過ぎまもなく、東洋ボール。その後のオイルショックから高度成長期。最近何十年ぶりの下丸子、環状8号線の完成に伴い、あまりの様変わりに戸惑うばかり。20年もの時間は・・・・・おかげでこのサイトの二木先生にも出会いました。私の中ではあの時のままの、第二京浜国道です。ありがとうございました。

投稿: do_ぱぱ | 2008年1月 8日 (火) 16時30分

子供のころ、耳で覚えた‘夜霧の第二国道’、てっきり、同じ低音ボイスの三船浩の歌だとばっかり思っていました!フランク永井の歌声だったのですね!ちなみに、わたくし、昭和23年生まれです・・・。むかしの歌は良かったな・・・。

投稿: しずっぺ | 2008年8月29日 (金) 19時56分

フランク永井様 謹んでご冥福を申し上げます。高度経済成長を引っ張ってこられた歌手の一人だと思います。貴方の唄が無かったら、もっと殺伐とした人間関係となっていたと思われてしかたが有りません。
氏の歌い方は心を癒してくれる名曲ばかりです。またそうゆう歌詞であり、唄い方でした。

投稿: 海道 | 2008年11月 3日 (月) 13時05分

フランク永井の歌う「夜霧の第二国道」を何十年ぶりかに聴き、涙で何も見えなくなりました。
 当時、私は、ませた中学生でした。いまから5年前に死んだ父の仕事の失敗で、東京に出てきた一家が、追われるように下町を小さな車で移動しているあいだじゅう、僕が一人でくちずさんでいた歌です。それまでは、田舎の町で、何の不足もなく遊んでいました。あっという間の一家の急転でした(昭和34年)。
 ヘッドライト、サインボードの闇のなかを疾駆する小さなトラックの後部荷台に載って、風に吹かれていた思春期の僕に、恋の歌の意味などは分かりませんでしたが、むしろ、ある喪失感、下降する人世の、辛い、甘美な肌合いだけは、いまも鮮明に僕の心に残っています。
 フランク永井の歌がいいとかよくないとかという問題ではなく、あのように人を酔わせる歌が存在した奇蹟に驚嘆するばかりです。
 大きな不幸のとき、僕はこの歌を聴き、いままた年を取って、その声と響きの甘さ切なさと、詩の暗さにただ感動します。生きていて良かった64年でした。しみじみそう思わずにはいられません。ありがとうございました!
 フランク永井の歌が、僕の人世をひとつの記憶の中に凝集させてくれたひとときでした。

投稿: 森 秀樹 | 2009年8月 3日 (月) 15時46分

吉田正がフランク永井の運転する車で第二京浜を走って横浜のナイトクラブまでドライブし、ひとしきり飲んだ後、また第二京浜を戻って来る際に『夜霧の第二国道』を着想したと言われている。
20年位前、北関東から車を飛ばして第二京浜を通り川崎市内の知り合いの通夜に行ったことがあったが、その際、この第二京浜があの『夜霧の第二国道』かと感慨深いものがあった。

投稿: 焼酎百代 | 2014年9月13日 (土) 22時21分

古希の初老(と言わせてね)の男も上京以来はや幾年月、
指折り数えれば52年になりました。
時折 思いだしてはこの二木紘三先生のコーナーを開いて、昔懐かしの歌のメロディーに耳を傾けては思い出にふけりながら、はるかな来し方を振り返りつつ楽しませて頂いております。はなたれ小僧の小学生の頃より、歌謡曲にはずいぶん親しんで参りました。最初に聞いたのは多分ひばりさんの歌でしょうね。
「私は町の子」、「越後獅子の歌」、「悲しき口笛」
少し後には港町13番地」などです。

数えあげればきりがありません。
先ほどはフランク永井さんの「夜霧の第二国道」のメロディー聞かせていただきました。メロディーをきいただけであのフランク永井の哀愁を帯びた歌唱が耳の奥に響いて
来ます。素晴らしい歌です。
この歌の作曲者の吉田正さんは知る人ぞ知る存在ですが
作詞の宮川哲夫さんの経歴を調べてみました。
伊豆大島の網元の家の出身で、良く知られた多くの歌謡曲のヒット曲を残していますね。
今後とも二木先生のこのコーナーで歌を楽しませていただきたいと思います。

投稿: 岩野 直弘 | 2015年4月25日 (土) 18時50分

戦後歌謡曲では断トツで、茨城が生んだ大作曲家・吉田正の曲(『夜霧のエアーターミナル』『殺陣師一代』『残侠小唄』…)が好みですが、その中でも『夜霧の第二国道』は下手くそなりにカラオケがまだ8トラの頃からの愛唱歌です。
二木先生解説に「フランク永井の低音を生かしたスローバラード…オリジナルよりややテンポを上げ」とありますが、“元曲”はスロー過ぎるため、二木先生演奏の方が宮川哲夫の詞にマッチしていると思う今日この頃です。
吉田正とビクターのスタッフが銀座のクラブで飲んだ後、フランクが運転する中古外車で第二京浜をドライブし、ハマのナイトクラブ“ブルースカイ”でひと踊りし、帰路も第二京浜を走り、この歌の誕生と相成ったそうです(ユーキャン「ムード歌謡ベストコレクション」曲目解説(長田暁二氏)から抜粋)。この曲の誕生秘話一つとっても、今日ビのパッとしない低調な歌謡界が逆立ちしても敵わないほど、昭和30年代は“大人の時代”でした。

投稿: 焼酎百代 | 2016年7月 4日 (月) 20時10分

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