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昭和ブルース

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:山上路夫、作曲:佐藤 勝、
唄:ザ・ブルーベル・シンガーズ/天知 茂

1 うまれた時が 悪いのか
  それとも俺が 悪いのか
  何もしないで 生きてゆくなら
  それはたやすい ことだけど

2 この世に生んだ お母さん
  あなたの愛に つつまれて
  何も知らずに 生きていくなら
  それはやさしい ことだけど

3 なんにもせずに 死んでいく
  俺にはそれが つらいのさ
  とめてくれるな 可愛い人よ
  涙ながれて 来るけれど

4 見えない鎖が 重いけど
  行かなきゃならぬ 俺なのさ
  だれも探しに 行かないものを
  おれは求めて ひとり行く
  おれは求めて ひとり行く

《蛇足》 昭和44年(1969)9月にザ・ブルーベル・シンガーズの歌でポリドールから発売され、東映映画『若者は行く』の主題歌として使われました。

 さらに、昭和49年(1974)には、連続TVドラマ『非情のライセンス』のエンディングテーマに使われました。主演の天知茂の歌が評判になったので、同年8月にレコード化され、ポリドールから発売されました。

 ドラマは天知茂の演ずる会田刑事が政治家や暴力団の巨悪に立ち向かってゆくというもの。天知のニヒルな感じと歌の暗さとが相俟って独特のイメージを醸しだし、人気を集めました。

 前年の昭和48年(1973)には、第4次中東戦争に端を発するオイルショックと、列島改造ブームによる急激なインフレで、人びとの生活に暗い影がさし始めていました。
 その年の末には、トイレットペーパーの奪い合いが起こり、洗剤・砂糖・塩など生活必需品の買いだめが広がりました。

 昭和49年に入ると、官庁や会社では封筒やコピーの使用制限、出張費や交際費の減額、デパートでは過剰包装の取りやめ、チラシの削減、ネオンは消され、駅の照明は暗くなり、エレベーターは間引き運転、深夜放送の自粛、映画館は午前中の上映中止……といった事態になりました。

 私はライターをしていましたが、紙不足から週刊誌は隔週刊になるし、月刊誌はページ数削減で記事が削られ、収入が急に細って、この先どうなるのかと不安になっていました。

 こうした不景気のときには、とかく暗い歌が流行るものです。天知盤『昭和ブルース』のヒットも、たまたま時代背景にマッチしたためといってよいかもしれません。
 『昭和ブルース』よりさらに暗い『昭和枯れすすき』がヒットしたのもこの年でした。

(二木紘三)

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コメント

 この歌にコメントするとしたら、私たちの世代が適任でしょう。しかしどなたもコメントされないので、不肖私が試みてみます。

 二木先生の蛇足によりますと、最初の発表が70年学生運動華やかなりし昭和44年、そのリバイバルが昭和49年だそうです。私は『若者は行く』を新宿の映画館で観ましたから、最初から知っていたと思います。

 当時私は昭和43年に郷里(山形県)の高校を卒業して、就職で現居住地でもある神奈川県厚木市に来ておりました。田舎から出てきたばかりの私は、本当に右も左も分からず、ボンクラゆえ怒鳴られて半べそをかきながら、仕事の現場を走り回っていました。
 そんな私にとって、国の歴史形成に直接参画しているらしい、学生運動をしている同世代の若者たちは実に羨ましい存在でした。当時首都の熱風は、首都圏ぎりぎりの地方都市にも容赦なく吹きつけてきましたから。(但し、私にとって最も衝撃的だったのは、それとは対極にある昭和45年の「三島事件」でした。)

 『昭和ブルース』は、「明るい系」のフォークソングとは一味違っていました。歌全体に当時の社会への批判精神が込められ、そのアウトサイダー的な内容に共鳴できました。仕事で一人で車を運転している時など、窓を締め切ってとんと意気地のない自分を鼓舞するように、大声で歌っていた歌の一つでした。
 特に3番と4番は繰り返し歌いました。3番では『可愛い人なんか、オレにはいねえよ』などと思いながら。

 初発表と同じ頃、橋本治(おさむ)の東大駒場祭のポスターが大評判でした。高倉健と思しき背を向けた凛々しい男。その腕と背中のいちょうの刺青。そして赤い地色に白抜きの大きな文字で
   とめてくれるな おっかさん
   背中(せな)のいちょうが 泣いている
   男東大どこへ行く
の名文句。(ポスターに関心おありの方は、以下で)
http://www.digital-momonga.jp/pukiwiki/pukiwiki.php?1968%C7%AF%C5%EC%C2%E7%B6%F0%BE%EC%BA%D7%A5%DD%A5%B9%A5%BF%A1%BC
これなども、昭和ブルースの基調と似かよった、当時の学生運動家たちの心情だったのでしょう。

 以来幾十星霜。早いもので我らの世代も、今や退職前後です。(私は士業ゆえ定年なしですが)。久しぶりでこの歌に接し、「戦後日本の真夏の季節」だった当時のことをあれこれ思い出しながら、ますます混迷の度合いを深めているかに思われる今の世の中、たとえ幾つ年を重ねようとも、
   だれも探しに 行かないものを
   おれは求めて ひとり行く
こんな青くさい矜持を、心のどこかに持ち続けることも必要かなと、そう思う次第です。

 以上長文かつ駄文。大変失礼致しました。


投稿: 大場 光太郎 | 2008年1月29日 (火) 19時41分

いえいえ。。隠れファンは居ります。。
ちょっと若いだけですので時代的にお話しをあわせる事が出来ませんが、
感謝してます。音楽が以前のよう聴けなくなったのは、
私のPCソフトとか(よく判りません)関連もあるのでしょうか。

それもまた結構です。
とにかく続けて頂きたいです~ 
そろそろキ印と思われてもかまいません。

末永くお願い致します。

投稿: 影を慕いて | 2008年2月21日 (木) 21時12分

蛇足を読みながら。。。そうだったかぁ?と思い出しますねぇ。
若かったのと若さゆえの脳天気で。。。暮らしのことは今と違ってピンときてませんねぇ。
暗い歌やったかな?と言う程度ですが。。。今と違って暗い歌が多かったですね。
でもまだまだ人情がありましたよね。

投稿: sunday | 2008年2月23日 (土) 08時02分

いいですねぇ。ぼくがこの曲を聴いて思い出すのはやはり天知茂さんです。天知さん扮する警視庁特捜部の凄腕・会田刑事が政治家や暴力団の巨悪相手に快刀乱麻の大活躍を繰り広げる熱演ぶりと、尾張名古屋生まれのダンディズムが光るキャラクターにこの曲はよく似合います。
もし今彼がご健在なら、どんな活躍ぶりを見せてくれたろうか、想像もつかないくらいです。

投稿: Mr.メトロポリス大木徳志 | 2009年9月20日 (日) 01時37分

 私の世代ですと「太陽にほえろ!」とか「Gメン75」の
ファンが圧倒的なのですが、私は天邪鬼なせいか、毎週水曜日に「特別機動捜査隊」を見て、木曜日には「非情のライセンス」が楽しみでした。「昭和ブルース」は天知茂の渋い声がピッタリで、ドラマの内容とともに楽しめましたね、当時
中学生だった私が、それ以来カラオケで、必ず「昭和ブルース」を歌うようになってしまいました。「特別機動捜査隊」とともに「大人のドラマ」でしたね、今のチャラチャラとしたアイドル主役のくだらないドラマと違い、この2つのドラマだけは今でも地上波で再放送してほしいと思っています。

投稿: おいちゃん | 2016年8月 8日 (月) 17時38分

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