遠き山に日は落ちて(家路)
(mp3制作:二木紘三)
遠き山に日は落ちて 1 遠き山に 日は落ちて 2 やみに燃えし かがり火は 家路 1 響きわたる 鐘の音に 2 やがて夜の 訪れに |
Goin' Home Goin' home, goin' home, It's not far, jes' close by, Mother's there 'spectin' me, Home, home, I'm goin' home. Mornin' star lights the way, Dere's no break, ain't no end, Goin' home, goin' home, |
《蛇足》 チェコ・ボヘミア生まれの作曲家ドヴォルザークの『交響曲第9番ホ短調作品95』の第二楽章のメロディに歌詞をつけた歌です。
この作品は、ドヴォルザークの最後の交響曲で、『新世界より』というタイトルがついています。
第二楽章『ラルゴの主題』は、荘厳なコラール(詠唱)風の序奏で始まり、イングリッシュホルンによる郷愁に満ちた演奏に移ります。このメロディが『遠き山に日は落ちて』または『家路』として知られている部分です。
フルートとオーボエによる中間部から、緊迫感の強い第一楽章の第一主題が加わったクライマックスへと移り、最後に再び『遠き山に日は落ちて』のメロディがゆったり流れます。
ドヴォルザークは1892年にアメリカに招かれ、95年までの4年間、ニューヨークの国民音楽院の院長として滞在しました。この期間に作ったのが『交響曲第9番―新世界より』で、ほかに『弦楽四重奏曲第12番 ―アメリカ』や『チェロ協奏曲ロ短調』なども作曲しています。
ドヴォルザークのたいていの評伝には、これらアメリカでの作品について、次のような趣旨の説明がなされています。
すなわち、ドヴォルザークは、アメリカで黒人やインディアンの音楽を初めて聴いて強い感銘を受け、もって生まれた東欧的な音楽感性と西欧古典音楽の教養によって、アメリカ・東欧・西欧の3種類の音楽を融合させて、新しい音楽へと昇華させた――というのです。
この説明では、『交響曲第9番』全体の成り立ちや特徴はわかりますが、第二楽章になぜあのような素朴で安らぎに満ちたメロディを入れたのかはわかりません。
素人考えで、多分に独断が入っていますが、私は次のように考えました。
アメリカは1776年に建国して以降、猛烈な勢いで国作りを進めてきました。人々は先を争って西へ西へと進み、東部に残った人々は次々と新しい産業を興しました。
そのエネルギーの基底にあったのは、「強いこと・大きいこと・勝つこと」を3本柱とするアメリカ独自の男性的価値観でした。優れているとは強いこと・大きいことであり、勝たなければ意味がなく、負けたものには何の価値もないとするのが、支配的な考え方でした。
ドヴォルザークがアメリカに来た頃、エジソンはレコード、電球、活動写真などを発明し、新しい鉄道や道路が建設され、自動車が走り、飛行機が飛び、大都市では高層ビルが次々と建ち、ジェネラル・エレクトリック社など、のちに世界企業となる会社がいくつも設立されていました。
ドヴォルザークは、こうした目覚ましい物質文明の進展とそれを生み出す活力に感嘆し、それを自分が生まれ育った旧世界=ヨーロッパに伝えたいと思ったのではないでしょうか。それが、『新世界より』というタイトルにつながったのでしょう。
しかし、ヨーロッパの繊細で洗練された文化風土のなかで人間形成をしてきた彼が、アメリカの猛々しいほどの活力や男性的価値観を何の抵抗感もなく受容できたとは考えられません。感嘆する一方で、精神的な疲れも感じていたのではないでしょうか。
若い時分なら、そうしたものに適応できたでしょうが、アメリカに行ったとき、彼はすでに52歳でした。
1893年の夏休み、ドヴォルザークはアイオワ州に出かけました。第二楽章の大部分は、このときに書かれたといわれています。
アイオワ州はボヘミアからの移民がとりわけ多い土地ですから、彼は多くの同郷人に会ったはずです。同郷の人々が維持していた生活習慣、話しぶり、人との接し方、ひょっとしたら食べ物などによっても、彼の精神的疲れが和らげられたと思われます。
まるで故郷に帰ったときのような安堵感から、あの暖かく素朴で安らぎに満ちたメロディが自然に湧き出てきたのではないか、と私は想像しています。
1922年、ドヴォルザークの弟子のウィリアム・A・フィッシャーが詩をつけ、『Goin' Home(帰郷)』という題の歌曲を発表しました。
フィッシャーがドヴォルザークから「このメロディのモチーフは故郷だ」と聞いていたかどうかはわかりません。
しかし、彼がそう聞いていようがいまいが、また実際には違うモチーフだったとしても、このメロディから自然に浮かんで来るのは、懐かしい故郷や暖かい我が家のイメージです。
日本語の2つの詩も同じでしょう。ほかの各国でこのメロディにつけられている詩も、その大部分は、故郷や我が家をテーマとしたものだろうと思われます。
(二木紘三)
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訪問者の感想等

コメント
私は、中学校で「家路」という題で習いました。
歌詞はたしか、“遠くけむる野辺のはて めぐる川の銀の帯”といった出だしでした。
画家・安野光雅氏の、懐かしい歌とその歌にちなんだ絵にエッセイを付した「繒本歌の旅」という本に、「家路」も載っています。
題は家路ですが、歌詞は“遠き山に日は落ちて”です。
絵は、ドボルザークの生家を中心に描いたチェコのネラホゼヴェスという村(プラハの北50km)の風景画です。
その本のあとがきで、氏はこういうことを言っています。
『子どものころうたった歌は、そのころの空気といっしょに密封されていて、ちょうど缶の蓋を開けたときのように、その時代のいろんな時間などといっしょになってもどってくる。・・・中略・・・
大人になってふりかえれば、その歌詞の意味を読み取ろうとするが、缶を開けて出てくる歌は、軍歌だろうと、恋歌だろうと、歌詞の意味はあまり問わない。「あいつは共産党なのに、酔うと軍歌を歌う」といわれた男があるが、彼にとっては軍歌は青春の歌だったのだ。意味は問わないのだから、軍歌をうたうなというのは気の毒である。・・・後略・・・』。
投稿 周坊 | 2008年3月24日 (月) 13時45分
寒昴(かんすばる)昇るを見つつ家路かな (拙句)
私にとっての『家路』といえば、やはり郷里での思い出ということになります。
高校時代の三年間を私は、郷里の山形で汽車通学をしておりました。
学校からの帰りの汽車を降りて、地元の駅から、私がお世話になっていた母子寮までは、東西に伸びた数キロの、町で何本かの大路の一つでした。それを私は、ほぼ真東に向けて、町外れまでの家路につくことになります。
晩秋から冬にかけては、日が沈むのが早いですから、いつもとっぷりと暮れた中を帰っておりました。
昭和四十年代初頭頃の、まだ街の灯りも乏しかった東北の田舎町です。道にそった東の空を見上げると、それはそれは見事なばかりの、満天の星空です。オリオンも、シリウスも見えすぎるほど、煌々と煌いていました。
するとそのうち、東の真正面の中空に、いつも決まって薄ぼんやりと煙ったような星の塊りが浮いていることに気がつきました。『あれっ。何だろう?』。何回もそうしてその星の塊りに出くわすうちに、興味を持って天文図鑑などで調べてみると、それが「昴(プレアデス星団)」であるということが解りました。
冒頭の句は、その頃の感懐を思い出して、数年前句にしたものです。
現居住地でも、明るすぎる夜景の上空に、目を凝らして見ようとすれば見えますけれど、あの頃の「寒昴」のインパクトとは、およそ比べものになりません。
投稿 大場光太郎 | 2008年3月24日 (月) 19時08分
大場光太郎様
星を見上げながら家路につくというちょっとした感動は誰しもあるんですね。
山形と九州では星空の様子が違うものかどうか知りませんが、宵の口に東に向かって歩けば冬の星座はほぼ正面から上ってくるのではないでしょうか。
私は最近視力が落ちて、肉眼では昴が見えなくなりました。
歌を通じてさまざまな思い出や感動を吐露したり、人様の感想を知ることができることは有難いことだと思います。
今後ともよろしくお願いします。
投稿 周坊 | 2008年3月24日 (月) 20時45分
周坊 様
お便りまことにありがとうございます。
まず「冬の星座はほぼ正面から上ってくるのではないでしょうか」というご指摘ですが、私の文意は、オリオン星座やシリウスがやや南の方向に位置しているのに対して、「昴」はほぼ真東に位置している。そのような意味合いでした。なお、「東の真正面の中空」は、単に「東の中空」だけでもよかったかもしれません。
なおこのたびは、私の出すぎた所見のために、周坊様、能勢の赤ひげ様を巻き込ませてしまい、大変申し訳ございませんでした。同コメントの中で「一身でお受け致します」と加えましたのは、これはあくまでも私個人の問題提起であり、他のどなたも巻き込ませたくはないな、という思いからでしたが。
ただ私と致しましては、『うた物語』運営上の二木先生の基本方針を明確に確認させていただき、かえって良かったかなと、考えております。
ともあれ、周坊様のおっしゃるとおり、「歌を通じてさまざまな思い出や感動を吐露したり、人様の感想を知ることができることは有難いこと」ですね。
周坊様。こちらこそ、今後ともよろしくお願い申し上げます。 大場光太郎拝
投稿 大場光太郎 | 2008年3月25日 (火) 01時28分
こんばんは。はじめまして。
昭和40年代に、歌声喫茶で聴いた曲で、「別れたひと」と記憶しているのですが、ご存知でしょうか?ご存知でしたら、歌詞その他を、是非お教えください。よろしくお願いします。
投稿 クレージー・アーロン | 2008年3月26日 (水) 23時05分
「家路」は55年前に学校で教わりました。カラオケで唄えるかなと思って、カラオケ本で検索しましたが出ていませんでしたので諦めていましたところ、最近偶然に「遠き山に日は落ちて」というタイトル名を見つけたので、時々唄っています。
郷愁を誘ういい歌ですね。
投稿 秋山勝浩 | 2008年4月30日 (水) 05時47分
若い頃。。。天王寺で遊びまわっていた私は、夕方5時になると通天閣からこの曲が鳴り響くのを知りました。
通天閣あたりは新世界と呼ばれているし。。。あのあたりには関東方面から来られている方が沢山いらっしゃいました。まさにぴったりの選曲でした。
そして遊びまわっていた私も神戸に帰えらなきゃと言う気持ちになったものでした。
あれから。。。幾星霜。。。今も通天閣ではこの曲がなっているのでしょうか?
天王寺には行くのですが。。。夕方までゆっくりしている暇がありません。
投稿 sunday | 2008年4月30日 (水) 06時25分
懐かしい曲ですね。中・高時代には、一番よく口ずさんだ曲 でしょうか。
キャンプファイアーの時、必ず火を囲みつつうたった歌---別に何も考えずとも歌詞どおりの気持ちに導いてくれた曲、自然と一体にさせてくれた曲 そういうものだったように記憶しています。
sunday様、今でも通天閣からは、この曲ながれるそうです。でも、時間は午後8時-----時代のながれでしょうか??
投稿 能勢の赤ひげ | 2008年5月 6日 (火) 12時05分
そうでしたか?
午後八時からですか?
真面目な学生のつもりで居ましたが。。。。今自分が親になってみると
危なっかしい子供でしたねぇ。
それでも。。。家路を聞くと家に帰らなきゃと思って孝行娘のつもりでいたんですねぇ。
投稿 sunday | 2008年5月 6日 (火) 16時47分