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遠き山に日は落ちて(家路)

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo



作曲:アントニン・ドヴォルザーク

  遠き山に日は落ちて
            作詞:堀内敬三

1 遠き山に 日は落ちて
  星は空を ちりばめぬ
  きょうのわざを なし終えて
  心軽く 安らえば
  風は涼し この夕べ
  いざや 楽しき まどいせん
  まどいせん

2 やみに燃えし かがり火は
  炎今は 鎮(しず)まりて
  眠れ安く いこえよと
  さそうごとく 消えゆけば
  安き御手(みて)に 守られて
  いざや 楽しき 夢を見ん
  夢を見ん

     家路
          作詞:野上 彰

1 響きわたる 鐘の音に
  小屋に帰る 羊たち
  夕日落ちた ふるさとの
  道に立てば なつかしく
  ひとつひとつ 思い出の
  草よ 花よ 過ぎし日よ
  過ぎし日よ

2 やがて夜の 訪れに
  星のかげも 見えそめた
  草の露に ぬれながら
  つえをついて 辿るのは
  年を老いて 待ちわびる
  森の中の 母の家
  母の家

  Goin' Home
                    作詞:W. A. Fisher

Goin' home, goin' home,
I'm a-goin' home,
Quiet like some still day,
I'm jes' goin' home.

It's not far, jes' close by,
Through an open door,
Work all done, care laid by,
Gwine to fear no more.

Mother's there 'spectin' me,
Father's waitin' too,
Lot's o' folk gathered there,
All the friends I knew.

Home, home, I'm goin' home.
Nothin' lost, all's gain.
No more stumblin' on the way,
No more longin' for the day,
Gwine to roam no more.

Mornin' star lights the way,
Res'less dreams all done, all done,
Shadow's gone, break o' day,
Real life's jes' begun.

Dere's no break, ain't no end,
Jes' a-livin' on,
Wide awake with a smile,
Goin' on and on.

Goin' home, goin' home,
I'm jes goin' home,
It's not far, Jes' close by,
Through an open door,
I'm jes' goin' home.

《蛇足》 チェコ・ボヘミア生まれの作曲家ドヴォルザークの『交響曲第9番ホ短調作品95』の第二楽章のメロディに歌詞をつけた歌です。
 この作品は、ドヴォルザークの最後の交響曲で、『新世界より』というタイトルがついています。

 第二楽章『ラルゴの主題』は、荘厳なコラール(詠唱)風の序奏で始まり、イングリッシュホルンによる郷愁に満ちた演奏に移ります。このメロディが『遠き山に日は落ちて』または『家路』として知られている部分です。
 フルートとオーボエによる中間部から、緊迫感の強い第一楽章の第一主題が加わったクライマックスへと移り、最後に再び『遠き山に日は落ちて』のメロディがゆったり流れます。

 ドヴォルザークは1892年にアメリカに招かれ、95年までの4年間、ニューヨークの国民音楽院の院長として滞在しました。この期間に作ったのが『交響曲第9番―新世界より』で、ほかに『弦楽四重奏曲第12番 ―アメリカ』や『チェロ協奏曲ロ短調』なども作曲しています。

 ドヴォルザークのたいていの評伝には、これらアメリカでの作品について、次のような趣旨の説明がなされています。
 すなわち、ドヴォルザークは、アメリカで黒人やインディアンの音楽を初めて聴いて強い感銘を受け、もって生まれた東欧的な音楽感性と西欧古典音楽の教養によって、アメリカ・東欧・西欧の3種類の音楽を融合させて、新しい音楽へと昇華させた――というのです。

 この説明では、『交響曲第9番』全体の成り立ちや特徴はわかりますが、第二楽章になぜあのような素朴で安らぎに満ちたメロディを入れたのかはわかりません。
 素人考えで、多分に独断が入っていますが、私は次のように考えました。

 アメリカは1776年に建国して以降、猛烈な勢いで国作りを進めてきました。人々は先を争って西へ西へと進み、東部に残った人々は次々と新しい産業を興しました。
 そのエネルギーの基底にあったのは、「強いこと・大きいこと・勝つこと」を3本柱とするアメリカ独自の男性的価値観でした。優れているとは強いこと・大きいことであり、勝たなければ意味がなく、負けたものには何の価値もないとするのが、支配的な考え方でした。

 ドヴォルザークがアメリカに来た頃、エジソンはレコード、電球、活動写真などを発明し、新しい鉄道や道路が建設され、自動車が走り、大都市では高層ビルが建ち始め、ジェネラル・エレクトリック社など、のちに世界企業となる会社がいくつも設立されていました。

 ドヴォルザークは、こうした目覚ましい物質文明の進展とそれを生み出す活力に感嘆し、それを自分が生まれ育った旧世界=ヨーロッパに伝えたいと思ったのではないでしょうか。それが、『新世界より』というタイトルにつながったのでしょう。

 しかし、ヨーロッパの繊細で洗練された文化風土のなかで人間形成をしてきた彼が、アメリカの猛々しいほどの活力や男性的価値観を何の抵抗感もなく受容できたとは考えられません。感嘆する一方で、精神的な疲れも感じていたのではないでしょうか。
 若い時分なら、そうしたものに適応できたでしょうが、アメリカに行ったとき、彼はすでに52歳でした。

 1893年の夏休み、ドヴォルザークはアイオワ州に出かけました。第二楽章の大部分は、このときに書かれたといわれています。

 アイオワ州はボヘミアからの移民がとりわけ多い土地ですから、彼は多くの同郷人に会ったはずです。同郷の人々が維持していた生活習慣、話しぶり、人との接し方、ひょっとしたら食べ物などによっても、彼の精神的疲れが和らげられたと思われます。

 まるで故郷に帰ったときのような安堵感から、あの暖かく素朴で安らぎに満ちたメロディが自然に湧き出てきたのではないか、と私は想像しています。

 1922年、ドヴォルザークの弟子のウィリアム・A・フィッシャーが詩をつけ、『Goin' Home(帰郷)』という題の歌曲を発表しました。
 フィッシャーがドヴォルザークから「このメロディのモチーフは故郷だ」と聞いていたかどうかはわかりません。
 しかし、彼がそう聞いていようがいまいが、また実際には違うモチーフだったとしても、このメロディから自然に浮かんで来るのは、懐かしい故郷や暖かい我が家のイメージです。
 日本語の2つの詩も同じでしょう。ほかの各国でこのメロディにつけられている詩も、その大部分は、故郷や我が家をテーマとしたものだろうと思われます。

(二木紘三)

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コメント

私は、中学校で「家路」という題で習いました。
歌詞はたしか、“遠くけむる野辺のはて めぐる川の銀の帯”といった出だしでした。
画家・安野光雅氏の、懐かしい歌とその歌にちなんだ絵にエッセイを付した「繒本歌の旅」という本に、「家路」も載っています。
題は家路ですが、歌詞は“遠き山に日は落ちて”です。
絵は、ドボルザークの生家を中心に描いたチェコのネラホゼヴェスという村(プラハの北50km)の風景画です。
その本のあとがきで、氏はこういうことを言っています。
『子どものころうたった歌は、そのころの空気といっしょに密封されていて、ちょうど缶の蓋を開けたときのように、その時代のいろんな時間などといっしょになってもどってくる。・・・中略・・・
大人になってふりかえれば、その歌詞の意味を読み取ろうとするが、缶を開けて出てくる歌は、軍歌だろうと、恋歌だろうと、歌詞の意味はあまり問わない。「あいつは共産党なのに、酔うと軍歌を歌う」といわれた男があるが、彼にとっては軍歌は青春の歌だったのだ。意味は問わないのだから、軍歌をうたうなというのは気の毒である。・・・後略・・・』。

投稿: 周坊 | 2008年3月24日 (月) 13時45分

   寒昴(かんすばる)昇るを見つつ家路かな   (拙句)

 私にとっての『家路』といえば、やはり郷里での思い出ということになります。
 高校時代の三年間を私は、郷里の山形で汽車通学をしておりました。
 学校からの帰りの汽車を降りて、地元の駅から、私がお世話になっていた母子寮までは、東西に伸びた数キロの、町で何本かの大路の一つでした。それを私は、ほぼ真東に向けて、町外れまでの家路につくことになります。
 晩秋から冬にかけては、日が沈むのが早いですから、いつもとっぷりと暮れた中を帰っておりました。
 昭和四十年代初頭頃の、まだ街の灯りも乏しかった東北の田舎町です。道にそった東の空を見上げると、それはそれは見事なばかりの、満天の星空です。オリオンも、シリウスも見えすぎるほど、煌々と煌いていました。
 するとそのうち、東の真正面の中空に、いつも決まって薄ぼんやりと煙ったような星の塊りが浮いていることに気がつきました。『あれっ。何だろう?』。何回もそうしてその星の塊りに出くわすうちに、興味を持って天文図鑑などで調べてみると、それが「昴(プレアデス星団)」であるということが解りました。

 冒頭の句は、その頃の感懐を思い出して、数年前句にしたものです。
 現居住地でも、明るすぎる夜景の上空に、目を凝らして見ようとすれば見えますけれど、あの頃の「寒昴」のインパクトとは、およそ比べものになりません。

投稿: 大場光太郎 | 2008年3月24日 (月) 19時08分

大場光太郎様
星を見上げながら家路につくというちょっとした感動は誰しもあるんですね。
山形と九州では星空の様子が違うものかどうか知りませんが、宵の口に東に向かって歩けば冬の星座はほぼ正面から上ってくるのではないでしょうか。
私は最近視力が落ちて、肉眼では昴が見えなくなりました。
歌を通じてさまざまな思い出や感動を吐露したり、人様の感想を知ることができることは有難いことだと思います。
今後ともよろしくお願いします。

投稿: 周坊 | 2008年3月24日 (月) 20時45分

周坊 様
 お便りまことにありがとうございます。
 まず「冬の星座はほぼ正面から上ってくるのではないでしょうか」というご指摘ですが、私の文意は、オリオン星座やシリウスがやや南の方向に位置しているのに対して、「昴」はほぼ真東に位置している。そのような意味合いでした。なお、「東の真正面の中空」は、単に「東の中空」だけでもよかったかもしれません。
 なおこのたびは、私の出すぎた所見のために、周坊様、能勢の赤ひげ様を巻き込ませてしまい、大変申し訳ございませんでした。同コメントの中で「一身でお受け致します」と加えましたのは、これはあくまでも私個人の問題提起であり、他のどなたも巻き込ませたくはないな、という思いからでしたが。
 ただ私と致しましては、『うた物語』運営上の二木先生の基本方針を明確に確認させていただき、かえって良かったかなと、考えております。
 ともあれ、周坊様のおっしゃるとおり、「歌を通じてさまざまな思い出や感動を吐露したり、人様の感想を知ることができることは有難いこと」ですね。
 周坊様。こちらこそ、今後ともよろしくお願い申し上げます。   大場光太郎拝
 

投稿: 大場光太郎 | 2008年3月25日 (火) 01時28分

こんばんは。はじめまして。
昭和40年代に、歌声喫茶で聴いた曲で、「別れたひと」と記憶しているのですが、ご存知でしょうか?ご存知でしたら、歌詞その他を、是非お教えください。よろしくお願いします。

投稿: クレージー・アーロン | 2008年3月26日 (水) 23時05分

「家路」は55年前に学校で教わりました。カラオケで唄えるかなと思って、カラオケ本で検索しましたが出ていませんでしたので諦めていましたところ、最近偶然に「遠き山に日は落ちて」というタイトル名を見つけたので、時々唄っています。
郷愁を誘ういい歌ですね。

投稿: 秋山勝浩 | 2008年4月30日 (水) 05時47分

若い頃。。。天王寺で遊びまわっていた私は、夕方5時になると通天閣からこの曲が鳴り響くのを知りました。
通天閣あたりは新世界と呼ばれているし。。。あのあたりには関東方面から来られている方が沢山いらっしゃいました。まさにぴったりの選曲でした。
そして遊びまわっていた私も神戸に帰えらなきゃと言う気持ちになったものでした。
あれから。。。幾星霜。。。今も通天閣ではこの曲がなっているのでしょうか?
天王寺には行くのですが。。。夕方までゆっくりしている暇がありません。

投稿: sunday | 2008年4月30日 (水) 06時25分

 懐かしい曲ですね。中・高時代には、一番よく口ずさんだ曲 でしょうか。
 キャンプファイアーの時、必ず火を囲みつつうたった歌---別に何も考えずとも歌詞どおりの気持ちに導いてくれた曲、自然と一体にさせてくれた曲  そういうものだったように記憶しています。
 sunday様、今でも通天閣からは、この曲ながれるそうです。でも、時間は午後8時-----時代のながれでしょうか??

投稿: 能勢の赤ひげ | 2008年5月 6日 (火) 12時05分

bar能勢の赤ひげ様。。。
そうでしたか?
午後八時からですか?
真面目な学生のつもりで居ましたが。。。。今自分が親になってみるとfoot
危なっかしい子供でしたねぇ。
それでも。。。家路を聞くと家に帰らなきゃと思って孝行娘のつもりでいたんですねぇ。

投稿: sunday | 2008年5月 6日 (火) 16時47分

最近は曲名を聞いても直ぐメロディーが
出てこないのですが・・・
曲が流れて・・・♪思わず鼻歌が♪

投稿: き~ちゃん | 2009年9月23日 (水) 07時07分

懐かしい歌です。学校での音楽の時間でなく
小学校6年生の時の担任のM先生がガリ版刷りで10曲
ぐらいの歌集を生徒に配り 歌ったのです。
 先生は受け持ちの生徒を愛し 日曜日など
希望者をサイクリングに連れて行ってくれたり
本当によく指導していました。
私にとっても懐かしい先生と名曲です。
 有難うございます。heart04

投稿: 青果(川本) | 2010年1月26日 (火) 22時01分

帰りの音楽にも安心しました!

投稿: 日曜夜10時30分は「報道特集」 | 2010年3月12日 (金) 22時11分

 学校の音楽の時間、これはドヴォルザーク作曲のクラシック音楽の一部だと聞いて、やっぱりどこか違うな、余韻に品があるな、なんて感じたことを思い出しました。その時私が習ったのは、以下のような歌詞だったと思います。いろいろな歌詞があるのでしょうか。下記の詩をどなたか、訂正していただけたら嬉しいです。

 森のこずえ暮れ染めて 
 ねぐら急ぐ鳥の声 
 夜ごと漏るるともし火に(の?) 
 〇〇〇〇〇〇輝けば 
 遠きかなたふるさとの
 母の影の懐かしや 懐かしや 

投稿: 吟二 | 2010年8月15日 (日) 13時46分

「家路」久野静夫 作詞

1 もりのこずえ くれそめて
  ねぐらいそぐ とりむれて
  やごともるる ともしびの
  うるみうすれ またたけば
  とおきかなた ふるさとの
  ははのかげの なつかしや
  なつかしや

2 さぎりこめて みちほそく
  たどるいえじ なおはるか
  しじまもるる せせらぎの
  しらべあわく ささやけば
  とおきかなた ふるさとの
  ははのかげの なつかしや
  なつかしや

「家路」高田三九三 訳詞

いえじさして かえりゆく
こころかろく かえりゆく
みちはちかく たのしいえ
うれしいまぞ わざおえて
ふぼのもとに かえりゆく
とものつどい またうれし

駄目でしたら削除してください。
楽譜からなので、平仮名のままです。
管理人さんの参考になればと思い書きます。

投稿: なち | 2010年8月15日 (日) 16時28分

懐かしい歌詞ですね。私も「森の梢暮れ染めて」で習いました。56年も前に習ったので合っているとは思いますが・・2番は全く覚えておりません。
 森の梢暮れ染めて
 ねぐらいそぐ鳥の群れ
 夜ごともるるともしびの
 うるみ薄れまたたけば
 遠き彼方ふるさとの
 母の影の懐かしや 懐かしや

投稿: ハコベの花 | 2010年8月15日 (日) 16時45分

「夜ごと」は(よごと)ではなく(やごと)と歌っていました。ひょっとしたら(家ごと)かも知れませんね。そのほうが歌に合っていますね。マア、歌っていれば夜でも家でも「や」ですみますからわかるまで「や」で歌っていましょうか。

投稿: ハコベの花 | 2010年8月16日 (月) 10時11分

なちさま・ハコベの花様
「やごと」は「夜ごと」だろうと勝手に判断して直してしまい、すみませんでした。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2010年8月16日 (月) 10時55分

昔買っていた本ですが、もう一度見たら「やごと」になっています。
歌詞を楽譜に書く人がそう書いたのかも知れませんね。
詞を楽譜にする人が「夜毎」を「やごと」と書いたのかも知れませんね。

投稿: なち | 2010年8月16日 (月) 13時06分

昭和20年代、中学2年の時初めての林間学校は伊豆達磨山でした。キャンプファイアーで歌う歌集を練習して行った中に、この「家路」もありました。
指導主任の先生が、この歌の後、今日の幸に感謝し、明日の無事を祈る、アーメン、とやりました。子ども心にアーメンやっていいのかなあ、と思いました。東京下町の、教会には縁の薄い土地柄でしたから。
皆さんの話を読むと、アーメンの締めがよく似合う歌なのだ、と思わされました。

投稿: ika-chan | 2010年8月20日 (金) 19時33分

今、友人のコーラスをやっている息子さんから、なちさんが書いて下さった歌詞と全く同じ歌詞がすべてひらがなで送られてきました。しかし、私の同級生は皆、「鳥の群れ」と歌ったと言っています。ちゃんとわかるまでドキドキします。楽しみです。
ika-cyan様 
達磨山から富士山を見ましたか。私は昭和31年に学校に親が同伴すると嘘をついて、友人4人と達磨山でキャンプをしました。朝5時ごろ、山の下の霧が少しずつ晴れ、小島の浮かんだ駿河湾の向こうにドカーンと大きな富士山が現れた時は、感動で声も出ませんでした。あれ以上の美しい景色を見たことはありません。今は道路も整備されて楽に達磨山に行くことが出来ます。富士山がお好きな方、ぜひ1度行って見てください。

投稿: ハコベの花 | 2010年8月20日 (金) 21時12分

「家路」高田三九三 訳詞

家路さして かえりゆく
心かろく かえりゆく
道は近く 楽し家
うれしいまぞ わざ終えて
父母のもとに かえりゆく
友のとづい またうれし
あゝ あゝ わが家(や)

願いごと かないたり
やすけき 旅路よ・・ 楽譜は♪やすけき 家路よ
なやみも さりてよ
いまぞ 行(ゆ)くよ

家路さして かえりゆく
道は近く 楽し家
かえりゆく 家路

------
歌詞は「旅路よ」 楽譜は「家路よ」になっています。
歌詞は3個に分けてありますが、
楽譜は続けて書いてありますし、
♪願いごと・・からは編曲したような箇所があります。

歌詞のページがありました。
http://www.city.maebashi.gunma.jp/kbn/06900016/06900016.html

・・・・・・
次のページにもありましたので、
ここを消して、上にまとめてください。

投稿: なち | 2010年9月 9日 (木) 13時08分

左に大西洋の水平線、右に熱帯雨林が海岸までせまる幅広い海岸を散策してる時、遥か彼方の海岸山脈に陽が傾き、世界が荘厳な落日に真っ赤に染まる時、いつも思い出すのはこの"遠き山に日は落ちて"、高校(横須賀学院ー僕は1期生)でよく合唱しました。この歌こそが僕を新天地に憧れさせた張本人なのです。二木先生のうた物語に接しメロヂイーに合わせて歌い始めた時、万感胸に迫って歌えなくなりました。 うちの近くの辻堂の砂丘から見た大山、富士山そしてかすかな伊豆の山々の夕暮れと重なって..懐かしい。 ちなみに、僕は56年ブラジル着、現在77才、妻(2世)とサントスから数十km北のベルチオーガBertiogaと言う海岸の街に住んで、2人とも年金生活、悠々自適? でも、特殊児童の学校でボランチアで工作の時間を受け持って折り紙を教えたり楽しくやってます。 キミオ

投稿: 佐藤公男 | 2010年11月 7日 (日) 03時17分

楽しく聴きたい

投稿: 高橋 俊三 | 2011年4月10日 (日) 16時34分

you tubeを観て居りましたら、倍賞千恵子の歌で「家路」が入っておりました。♪森の梢 暮れ染めて ねぐら急ぐ 鳥群れて~♪と歌っております。なちさんが書いて下さったとおりでした。これで、何かすっきりした気分になりました。森の梢~は中学以来聴いて居りませんでしたから、とても嬉しく懐かしい気分です。習った通りの歌は良いものですね。吟二様 you tube 、賠償千恵子「家路」で検索して聴いてみて下さい。

投稿: ハコベの花 | 2011年6月17日 (金) 22時27分

大場光太郎様
家路を聞いてイメージするのは、薄暮、星、草原、小道、戸明かりなどですが、東の空からのぼる晩秋の星々が私はいちばん好きです。中学時代、暗い夜道の下校時、いつもぼんやりかすんだ一団の星はなんだろうと思いながらながめたことが思い出されます。後年、すばるだと知りました。ところですばるは見つけ方のコツがあるというのを最近聞きました。見つけようとしても見つけられない。なにげなく目を空に向けた時、すばるが浮かび上がってくるんだとか。禅問答っぽいですね。
大場様にはすばらしいコメントをいつもありがとうございます。江須英知

投稿: 江須英知 | 2012年5月29日 (火) 22時18分

昨夜息子が『家路』のカセットをかけておりましたので、付いていた歌詞の本をみたところ、「やごともるる」のやは「家ごともるる」になっておりました。夜より家のほうが情景が目に浮かんできますね。作詞は堀内敬三になっております。美しい歌詞だと思います。

投稿: ハコベの花 | 2012年5月31日 (木) 09時43分

今、メールして気がついたのですが、「遠き山に日は落ちて」が堀内敬三なら多分この本が間違っていて、久野静夫が正しいと思います。訂正させて下さい。

投稿: ハコベの花 | 2012年5月31日 (木) 09時51分

私はこの曲の歌詞を次のように覚えています。
大分前のことなので途中も抜けたりと正確さは全く当てになりませんが、、でもこの詩は好きなのです。

どなたか分かる方がいましたら教えて頂ければうれしいです。

家路

道ははるか 雪の原
進め友よ   ひるむなく
いばら越えよ 川越えよ
、、、、、、、、 、、、、、、
やがて幸にめぐり合い
花ぞ薫る 故郷へ 故郷へ

投稿: 遠い国 | 2012年7月31日 (火) 11時22分

皆さん色んな、それぞれ違った歌詞で覚えて、このドヴォルザークの歌を唄われたのですね。 私は中学2年時に野上彰氏の「響きわたる 鐘の音に、、、」で習いました。
一日の仕事を終え、安らぎの我が家へ帰る安堵感は、万国共通のものでしょう。  1971年度製作のフランス映画「扉の影に誰かいる」という作品に使われていましたね。チャールズ・ブロンソン、アンソニー・パーキンスが競演したサスペンスものでした。中々効果的に、随所随所でながれていたようです。
パーキンスにピッタリのキャスティングだったような、いわば
一寸した「目っけもん」でした。
 

投稿: かせい | 2013年5月 5日 (日) 00時13分

私が中学3年の時に習った音楽教科書では、1.道ははるか 雪の原 進め友よ ひるむなく 腕を組みて 助け合い 茨越えよ 川越えよ やがて春に 巡り合い 花園薫る 故郷へ 故郷へ 2.風は吹きど 雪降れど やがて春は 来たるべし 忍び耐えて 嘆くまじ 暗き日にも のぞ めよや やがてさちの 虹を見ん 夢に描く 青空に  青空に  と云う歌詞でした。教科書は昭和39年版の  「中学の音楽3年」で作詞は詩人の 大木惇夫です。   

投稿: のんたん | 2015年1月21日 (水) 18時27分

老いぬれば今の事を今忘れ、「あれ、何を取に来たんだっけ」部屋から部屋への移動の度に。最近めっきり頻度が増え「さては」と不安が掠めます。
一方で半世紀以上も前のことがより鮮明に、つい昨日の如く蘇ります。中学生の自分に会いたくて参りました。
生まれて初めて聴いたクラシック。
音楽室の蓄音機。ドボルザークの新世界でした。
遠き山にの歌詞で教科書でもあいました。
食費を削って娘二人にはピアノとフルートを習わせました。実は天満敦子の望郷のバラードと同じくらい福田こうへいの歌う「親父の海」に心酔のりんごです。

投稿: りんごちゃん | 2015年1月22日 (木) 21時16分

驚くほど充実したブログなので、いつも感嘆しています。藤沢市で「歌う会」のピアノを弾いていますが、先日「家路」を堀内敬三訳で採り上げました。そのとき参加者から goin' homeという英語の歌詞も有るのではないかと指摘があり、このブロクで確認することが出来ました。ありがとうございます。いつもとても有益な知識を得られるブログなので、感謝しています。

投稿: 山田光義 | 2016年4月 4日 (月) 11時07分

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