宗谷岬
(mp3制作:二木紘三)
1 流氷とけて 春風吹いて 2 吹雪が晴れて 凍(しば)れがゆるみ |
3 幸せ求め 最果ての地に |
《蛇足》 宗谷岬に特別の思い入れがあった船村徹は、何度か現地に足を運んでイメージ作りをして、それを曲に表しました。
昭和49年(1974)、稚内(わっかない)在住の作詞家・吉田弘がこれに歌詞をつけました。彼は、歌にありがちな嘘はいっさい排除し、地元の人たちに長く愛唱されるような歌を、と考えて作詞したといいます。
その結果、哀調を帯びた船村演歌とはまったく違う、春風のように暖かく伸びやかなフォークソングができあがりました。
同年、千葉紘子が吹き込みましたが、一般には広まらず、ほとんど地元だけで歌われていました。
昭和51年(1976)、NHK旭川放送局のスタッフが宗谷に取材に行った折、この歌を発掘、同年4月、ダ・カーポの歌で「みんなのうた」の1曲として放送され、全国に知られるようになりました。
宗谷岬は日本の実効支配が及んでいるうちでは最北端の地ということで、もともと旅行客の多い場所でしたが、この歌のヒットにより、訪問者が激増したといわれます。
3番のピリカはアイヌ語で「美しい」の意。
(二木紘三)
| 固定リンク
訪問者の感想等


コメント
ダカーポの 大ファンです。
歌のほうは 弾むような声が素晴らしい。
二木先生の 伴奏は
いままで 聞いたことがないような
演奏ですね。
有難うございます。
投稿: 二宮 博 | 2008年3月21日 (金) 22時08分
オルゴ-ルのような感じで良いですねぇ。。。
投稿: sunday | 2008年3月24日 (月) 06時58分
二木さん、ご無沙汰しておりました。「宗谷岬」ゆったりとしたリズムで素敵な曲に仕上がってますね。春の海ひねもすのたりのたりかな(与謝蕪村)の句にあるような雰囲気がただよいます。宗谷岬には何度か足を運びましたが、間宮林蔵がサハリンの方角を指差している大きな像が印象に残っています。
沖を通る外国船は、どこを目指しているのでしょうか。今、初孫の御守りでサンフランシスコ湾岸のBerkeleyに来ています。80歳前後の日系2世の方々とシニアセンターで交流しました。みなさん、第二次大戦中はキャンプに強制収容された経験をお持ちです。それと、日本への強制送還を受けた方もおられました。日本語を話す機会を月二回の集まりでもっていらっしゃるのです。一緒に日本民謡を歌ってきました。もちろん、かっぽれも踊り、とても喜んでいただけました。では、又。
投稿: tomoe_saloon | 2008年3月27日 (木) 01時06分
カラオケのお友達から二木先生の事をお聞きして私も
歌が大好きなので失礼乍らコメントさせて頂きました。
お気に入りに入れさせて貰いましたのでこれからも
暇を見つけて聴かせて頂きます。
投稿: 川上 槙子 | 2008年4月 6日 (日) 16時49分
この歌は千葉紘子も歌ったのですね。聞いた事がありません。千葉と言えば名曲「折鶴」ですよね。
投稿: M.U | 2008年9月15日 (月) 13時13分
「知床旅情」の(2)・・・・<岩かげによればピリカが笑う>にもあります“ピリカ”とは何?と最近まで知らなかったのですが、二木先生のアイヌ語で『美しい』と言う意味だとの解説に、目から鱗で・・・娘さんが笑ったので美しいのかもともと美しかったのか・・・
・・・波もピリカの子守のように・・・も『美しい』を置き換え想像すれば、より広くて深いロマンが思われこの歌がとても好きになりました。
見るべきものは二木先生の<蛇足>!有難う御座いました。
投稿: 尾谷 光紀 | 2009年1月13日 (火) 22時23分
昨年の今頃、私は脳梗塞で入院中でした。娘が朝日新聞日曜版を届けてくれました。歌の旅人は宗谷岬です。ダ・カーポの明るい歌声は大好きですが、それと共に掲載の写真に写っているのはサハリンの南端です。遥かに霞んではいますが、あそこは紛れもなく、小生の生まれた大泊町。いや~、懐かしい。この歌が尚一層好きになりました。
投稿: 大門坊 | 2009年6月11日 (木) 00時46分
「ピリカ」は確かにアイヌ語で「美しい」という意味ですが、知床旅情もこの歌でも北日本の海沿いで見られる海鳥の「エトピリカ」を「ピリカ」と略して歌っているのだと思います。「エト」は「くちばし」の意味でその名の通りくちばしの美しい鳥です。宗谷岬付近や知床半島ではポピュラーで愛されている鳥です。海中を飛ぶようにすばやく泳ぐのを水族館で見た事があります。
投稿: 佐藤裕司 | 2009年6月18日 (木) 23時03分