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帰ろかな

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:永 六輔、作曲:中村八大、唄:北島三郎

  (コーラス)
  帰ろかな、帰るのよそうかな

1 淋しくて 言うんじゃないが
  帰ろかな 帰ろかな
  故郷(くに)のおふくろ 便りじゃ元気
  だけど気になる やっぱり親子
  帰ろうかな 帰るのよそうかな

  (コーラス)
  帰ろかな、帰るのよそうかな

2 恋しくて 言うんじゃないが
  帰ろかな 帰ろかな
  村のあの娘(こ)は 数えて十九
  そぞろ気になる やっぱりほの字
  帰ろうかな 帰るのよそうかな

  (コーラス)
  帰ろかな、帰るのよそうかな

3 嬉しくて 言うんじゃないが
  帰ろかな 帰ろかな
  やればやれそな 東京暮らし
  嫁を貰って おふくろ孝行
  帰ろかな 迎えに行こうかな

《蛇足》 昭和40年(1965)4月、日本クラウンのレーベルで発売されました。
 永六輔・中村八大コンビの作品を演歌歌手の北島三郎が歌う
という珍しい歌です。

 東京や大阪といった大都会に田舎から出てきた人で、ふるさとに帰ろうか、どうしようか迷ったことのない人は、ほとんどいないでしょう。この場合の「帰る」はいわゆる帰省ではなく、生活の場を故郷に戻そうかどうかということです。

 大都会に憧れて出てきたものの、都会の生活習慣になじめないとか、仕事や学業が思うようにいかない、あるいは友人や恋人もできないまま孤独な生活を送っているといったことがよくあります。そんなとき、ふっと田舎へ帰ろうかなと思ったりするものです。
 多くの人が経験するそんな気持ちを歌ったのが、この歌です。

 しかし、都会での生活が20年以上に及んだら、帰るべきふるさとはなくなっていると思ったほうがいいかもしれません。
 そのくらい時間が経つと、バージニア・リー・バートンの絵本『ちいさいおうち
』(石井桃子訳)のように、ひなびた故郷が都会に変貌してしまっている可能性が高いからです。実際、そういった例が全国至るところに見られます。
 かつての清流は埋め立てられて道路になり、森も木立もなくなり、住宅やビルが建ち並び、多数のクルマが行き交い、知り人もほとんどいなくなった……多くの人がそんな経験をしているのではないでしょうか。

 これと反対に、以前は活気のあった村が少数の高齢者だけがひっそり暮らす限界集落に変わっていたり、それがさらに進んで廃村になっていたりする場合もあります。

 いずれの場合も、かつてふるさとであった場所は、地名として残っているだけ。ときには、その地名さえなくなっていることもあります。

 けっきょく、ほんとうのふるさとは自分の心の中にしか存在し得ないものなのでしょう。そのふるさとまでが消滅しないように、あそこにはこんな木があった、あの川で水遊びをした……といったように、ときどき記憶を温め直すことが必要なのかもしれません。

(二木紘三)

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コメント

久しぶりの更新ですね。「帰ろうかな~」は、サブちゃんが歌ってましたが、サブちゃんが高校生の頃、港で溺れていた5歳の男の子を救助して表彰されたことがあるのです。その男の子とは、小中学校が一緒でした。今は、函館市役所の職員になってるので、テレビでサブちゃんと一緒に出ているのを見たことがあります。

中学校の同期生約100名のうち、函館に今も住んでいるのは半分にも満たないと思います。大学を卒業して就職した人たちのほとんどが、大都市で暮らしています。中学卒業30年記念同期会以来、5年毎に開催される同期会には、いつも40名以上集まります。来年は還暦2010年には、45年記念同期会があるようです。故郷に帰りたくても「仕事がない」ため帰られなかった人たちが多かったのでしょうね。

投稿: tomoe_saloon | 2008年4月17日 (木) 13時28分

tomoe_saloonさんも仰言るように故郷には帰られなかった人がほとんどだったのでしょうし、二木さんが言われるように、すでに本当のふるさとは心の中にしかないのでしょう。
ところで、この歌の3番だけ終わりのフレーズが「迎えに行こうかな」になってるんですね。
東京暮らしにもめどがつき、村のあの娘の気持ちも確認できたことが「嬉しくって」ということなのでしょう。つまりこの歌の主人公も故郷には帰らず東京で頑張ることを暗示しているのでしょう。
北島サブちゃんは、最後の男性演歌大スターだと私は思っています。

投稿: 周坊 | 2008年4月19日 (土) 11時29分

追伸
自分の書いたことを読み返していて、ふと思ったのですが「帰る」は、3番では「帰省しようかな」ともとれるのかなと。
このあたりサブちゃんがどう歌っているのか、今度
じっくり聴いてみたいと思います。

投稿: 周坊 | 2008年4月19日 (土) 14時29分

サブ様にも
 こういう曲を 歌を歌った
  時代があったんですね

星野哲郎先生の
 旅シリーズ
の後は 妙に説教臭くなったと
 思ってましたが??????

投稿: 二宮 博 | 2008年4月21日 (月) 03時15分

♪ やればやれそな 東京暮らし
  嫁を貰って おふくろ孝行
  帰ろかな 迎えに行こうかな

つまりなんですナ、田舎のおっかさんを東京によんで
一緒に暮らそうかな、と思案してるんだと思いますけど、
現実的にはこれも中々難しいことですわなぁ?

「おらぁ、この歳になって東京暮らしなんぞ出来ねぇ~ヨ・・」
 そんなおっかさんの声が返ってきそうですナ(笑)


投稿: 伊藤 | 2008年4月21日 (月) 07時40分

  ふるさとは遠きにありて ー 室生犀星

    ふるさとは遠きにありて思ふもの
    そして悲しくうたふもの
    よしや
    うらぶれて異土の乞食となるとても
    帰るところにあるまじや
    ひとり都のゆふぐれに
    ふるさとおもひ涙ぐむ
    そのこころもて
    遠きみやこにかへらばや
    遠きみやこにかへらばや
           (「小景異情ーその二」より)   

 この歌の二木先生の解説、最初から最後まで、私にとりましては『なるほどそうだ。そのとおり』と、身につまされる内容でした。この歌を聴きながら、感涙にむせびつつ、解説読ませていただきました。先生は、私のような「望郷者」の心を、本当に良く分かっておいでです。

 …平成16年5月。母の件で、十数年ぶりで帰郷致しました。その後母の年忌と共に、不思議なことに郷里の親族の訃報が相次ぎ、昨年まで6回ほど帰省することになりました。おかげで、現状の「故郷」と真正面から向き合うことができました。
 すると先生がおっしゃっているとおりの現実が、私の郷里にも起きていたのです。まず、私が小学1年から高校卒業までお世話になりました、「宮内町立母子寮」は、昭和50年代にその社会的使命を終えて廃寮となっておりました。ある帰省の折り、懐かしの地を訪れてみました。宝物のような思い出が詰まった、我が母子寮は跡形もなく、今はだだっ広い更地になっているのみ。当時を思い出せるものは、何一つ残っておりませんでした。
 それのみか、町全体が大きく様変わりしておりました。旧の町を取り囲むように、バイパス道が敷設され、その周辺には、全国どこでも見られるようなステレオタイプの住宅が建ち並び。私らの格好の遊び場だった、川向こうの小高い丘なる貯水池や農園の所には、幅広の農道やコンクリート橋が架けられ。旧町内は古いままとしても、親戚のタクシー運転手が「いつ走っても、人の姿があまり見あたんないんだよ。」と言うように、確かにゴーストタウンのように活気なく、何かどんより澱んだような感じとなっていて。
 私が子供の頃は、確かに当時も貧しい町ではありましたが、大人は絶えず行き交い、子供らは道で遊びまわっておりましたものを。
 
 それに、あの太郎村の懐かしい「あばら家」は、昭和32年、不審火らしい、一帯を襲った大火で全焼失。一昨年のゴールデンウィーク中、そこも当然訪れました。吉野川そばの当家の跡地も、真っ平らな更地になっておりました。手前の土手に、かの「福寿草」が、それこそうるさいくらい茎を長く伸ばして、群生しておりました。
 そのほか。母の実家でありました、山の中の「七軒部落」(私はそこで生まれました。)は、昭和40年代半ば頃、全部の家が町に下りたことをもって、廃村となりました。今から20年ほど前、親族一同で訪れた時には、家々は雪の重みで押しつぶされ、無残な姿をさらしており、家の残骸から、ぺんぺん草が伸び放題伸びて覆い尽くしておりました。部落のたもとのお地蔵さんが、ひとりポツネンと、所在なげで、寂しげで…。

 こうして、生家、太郎村の家、母子寮。私と故郷を結びつける、肝心なよすがとなるべき建物は皆ことごとく、この世からその姿を消しておりました。

投稿: 大場光太郎 | 2008年4月21日 (月) 19時33分

『ちいさいおうち』は幼い頃に母に買ってもらって読んだ記憶があります。そんな懐かしさをここで発見したり、、、、そんな思い出の糧がこのサイトにはあって、ついつい訪れてしまいます。

投稿: しん | 2008年4月21日 (月) 22時51分

大場さんが書いておられた「ふるさとは……」の詩を、私は全然的はずれな解釈であることを、承知の上で愛唱しています。というのは、私は余所に出たことがないため、未だにふるさとを持てないような気がするからです。ふるさとは、そこから出た人、そこを捨てた人、そこに住めない人達のもののように感じます。

投稿: 中村恵寿 | 2008年6月29日 (日) 22時19分

中村恵寿様
 そうですよね。「ふるさと」と一言でいっても、ふるさととの実際の距離感により、その捉え方は各人各様、千差万別ですね。中村様のように、生涯ふるさとに住み続けられる方々も、全国には大勢おられることと存じます。
 そのような方々が、私が引用させていただいた詩を中村様のように違った解釈をしても、室生犀星は許してくれると思いますよ。きっと。
 それに「ふるさと」は私のような、望郷者だけのものでは決してないと思います。先ずもって、ふるさとに住み続けている方々のものなのではないでしょうか。どうぞそれぞれの「ふるさと」を大事に守り育て、次世代に引き継いでいっていただきたいと、若輩ながらそう念願致す次第です。

投稿: 大場光太郎 | 2008年6月29日 (日) 23時40分

私達の年齢の人達は田舎に帰ろうと思う時間もなかったのでは。その代償として田舎を廃村に追い込んでいる。残念だがどうしようもない。

投稿: M.U | 2008年7月16日 (水) 08時09分

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