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2008年5月17日 (土)

ベサメ・ムーチョ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:コンスエロ・ベラスケス、
日本語詞:鈴木 勝

ベサメ ベサメ ムーチョ
燃ゆる口づけを交わすたびに
ベサメ ムーチョ
いつもいつも流れる調べ
どんなに雨が降っても
風が吹き荒れても
も一度 またも一度
燃ゆるあの口づけ
ベサメ ベサメ ムーチョ
私のすべてはあなたなのよ
ベサメ ムーチョ
いつもいつも いつまでもよ
             (繰り返す)

      Bésame Mucho

Bésame, bésame mucho,
Como si fuera esta noche la última vez.
Bésame, bésame mucho,
Que tengo miedo perderte,
Perderte otra vez.

Quiero tenerte muy
Cerca, mirarme en tus
Ojos, verte junto a mí,
Piensa que tal vez
Mañana yo ya estaré
Lejos, muy lejos de ti.

Bésame, bésame mucho,
Como si fuera esta noche la última vez.
Bésame mucho,
Que tengo miedo perderte,
Perderte después
                   (繰り返す)

《蛇足》 メキシコの女流作曲家でピアニストのコンスエロ・ベラスケスが1941年に作曲して、たちまち世界的なヒットとなった作品。

 当時、日本は戦争中で、洋楽の演奏もレコードの輸入も禁止されていたため、ほとんどだれもこのヒット曲を知りませんでした。敗戦後、進駐軍放送を通じて、やっと日本人の耳にも届くようになりました。
 トリオ・ロス・パンチョス、ペレス・プラ-ド楽団、マックス・グレーガー楽団など多くの有名楽団が演奏しましたが、日本人にとくに人気のあったのは、トリオ・ロス・パンチョスの歌と演奏でした。

 日本語版が出たのは昭和25年(1950)で、「早川真平とオルケスタ・ティピカ東京」の伴奏で、黒木曜子が歌ってヒットしました。その日本語詞は、上に示したものとほぼ同じです。

 コンスエロ・ベラスケスは、メキシコ西部ハリースコ州のシウダード・グスマン市で生まれました。
 生年については諸説あり、永らく1924年8月29日生まれで、『ベサメ・ムーチョ』を作ったのは17歳のとき、とされていました。

 しかし、彼女の死を報じた『ニューヨークタイムズ』(2005年1月30日付け)によると、彼女は1916年生まれだが、ときどき1920年生まれと称していたそうです。(Ms. Velázquez was born in Ciudad Guzmán, Mexico, in 1916. She sometimes gave the date as 1920.)
 息子のセルジオ・リベラも、1916年生まれだと証言しているそうですから、まあそれが正解でしょう。となると、『ベサメ・ムーチョ』を発表したのは25歳のとき、ということになります。

 2005年1月22日、骨折で入院中に死去、88歳でした。没年には疑問がありません。

 彼女はメキシコRCAビクターの社長と結婚したので、演奏活動はあまり行いませんでしたが、作曲には熱心でした。傑作を何曲も作っているのに、『ベサメ・ムーチョ』があまりに有名なため、これと『カチート』以外は、一般にはあまり知られていません。

 ベサメ・ムーチョは「いっぱいキスして」という意味で、あまい恋の歌として歌われていますが、竹村淳著『ラテン音楽 名曲名演名唱ベスト100』(講談社刊)によると、ベラスケスがこの曲を作ったかげには、ある悲しいエピソードが隠されているそうです。

 彼女の女友だちが入院中の自分の夫を見舞ったとき、重病で最期の近いことを悟っていた夫が夫人に「いっぱいキスして」とせがんだというのです。ベラスケスは、ここからメロディと歌詞を発想したということになります。

 この話は竹村氏がメキシコで人から聞いたもので、作者本人に確かめたのではないようですから、真実かどうかはわかりません。しかし、原詞を読むと、確かに告別の歌と感じても不自然ではありません。

(二木紘三)

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コメント

二木先生の解説で、この曲のスペイン語の歌詞が涙の出るほど悲しく重い内容だと知りました。
自分がそのような今際の状況になったとき、最後に思い浮かべるのはなにかと考えてしまいます。

投稿: GTNAA | 2008年5月22日 (木) 00時28分

日本で音楽の先生だった方が、好きなラテン音楽の歌手になりたいと、職を捨ててメキシコに渡りメキシコ・スペイン・アルゼンチン・日本と活躍されています。

私は、この方のことは何も知らず、あるとき、ある大学の特別講座を聞きに行き、知りました。そのとき彼は参加者全員に「ベサメ・ムーチョ」のスペイン語歌詞を配り、歌の指導をしてくれました。ああ、スペイン語ってローマ字みたいに読めばいいんだなって、そのとき知りました。先生の名は「エンリケ岩尾」といいます。

そのときからこの歌は私にとって、より好きな歌になりました。

投稿: 吟二 | 2008年9月14日 (日) 22時29分

サーバーを3カ所に分散されてからは,かなり調子がいいようですね.ここの「べサメムーチョ」は音が出ません.ランダムに15件ほど他を当たってみたところ,すべてOKでしたので,この項だけ特別な理由があるかもしれません.
管理人のところでは不具合箇所は自動的に分かるのでしょうか.サーバーのことは何も分からない素人で,不躾な質問お許しください.

投稿: kumy | 2008年12月30日 (火) 09時23分

私20代の頃仙台でトリオ・ロス・パンチョスの公演を観た事があります。なぜかキャバレーでの公演で、トリオ・ロス・パンチョスみたさにある男性にお願いして連れて行ってもらったところ一般女性同伴が結構いたのを記憶しています。パンチョス3人がテーブルを回ってきましたが、私の目にとまったのはひときわ大きい人の四角い大きな指輪でした。もちろん〔ベサメムーチョ〕を唄いました。懐かしい曲です。

投稿: おキヨ | 2008年12月31日 (水) 01時49分

私の高校で「予餞会」と称する演芸会がありました。
ある女生徒が、この歌を歌おうとしたら、職員室から文句が出て、急遽別の曲に変えたことがあります。司会者がそう言ったので私は初めてこれが恋の歌だと知ったのです。彼女は、エキゾチックな顔立ちの、ませた感じの人で、校則で禁止されていた異性交際の噂もありました。あれ以来、この「ベサメ・ムーチョ」を聞くたびに、禁忌の恋と情熱を思い浮かべていたのですが、実は夫婦の永遠の別れの歌だったとは。

投稿: Bianca | 2009年1月 3日 (土) 17時06分

先生に無断で申し訳ありませんが、キャッシュから取ったmp3をiPodに落として楽しんでいます。まったくの個人使用なのでお許しください。
まあ、なんともすばらしい音質で、驚くやら感激するやらしています。ネットで聞くと、どうしても転送中にパケットが落ちるので、ある程度の音質低下は避けられませんが、これだと先生が作ったままの音質で聞けます。それとも、キャッシュに残っているmp3もやはりパケット落ちしているんでしょうか。

投稿: 薩摩守タダノリ | 2009年5月30日 (土) 02時16分

昭和30~40年代はラテン音楽の全盛時代でした、久しく忘れていましたが、20年前、大阪の北のラウンジで振るコーラスのポルトガル語でこの歌を歌っている飛び入りの客がいました。徳島の写真館の長男さんということで写真家のT木Hさんのお兄さんでした。私はバイヤコンディオス専門でしたが、えらく意気投合しました。マスターは同志社の戦後すぐの卒業で、難波一番で歌っていたラリー石川の消息も教えたくれました。今は二人とも故人です。

投稿: 磯野 隆尚 | 2010年5月30日 (日) 12時56分

いい曲ですね・・・。
高校2年の時、英語クラブでの先生の送別会でその先生が最後に英語ではなく「ベサメーベサメムーチョ 燃ゆる口づけを交わすたびに・・・」と歌われた時、女子の2~3名が私の顔を見て真っ赤になっていたことを思い出しました。

1960年頃買ったTAMPA RECORDS,INC.のLPに、アート・ペッパーカルテット演奏のこの曲があり、1956年頃にはラテンナンバーをジャズプレヤーが演奏と共にアド・リブの写譜が添付されているのは極めて珍しく、B♭譜面に書き換えて懸命に練習したしたことや結局は出来なかったことを思い出しました。
彼は麻薬や膵臓破裂の手術をのり越えてのこの曲や、ジャズの名曲「You`d be so nice to come home to」(コール・ポーター作曲)の説得力ある名演奏には聴いていて全て無気力になり、表現する言葉がいつも思いつきません
今23:30、これから正月用の残りの純金箔入菊正宗を不東(細川護熙氏)作の刷毛目酒盃で酌みつつ、じっくりとA・ペッパーのアルトサックスを聴きます。明日のエネルギーのために。アァ明日夜は橋下大阪府知事の新年会へ行かなければ・・・・・。

投稿: 尾谷 光紀 | 2011年1月20日 (木) 23時34分

昭和27年頃と思うが、黒木曜子の実演で、この歌を聴き感動した記憶がある。
その10年後、娘さんと買い物に行く途中、電車に轢かれて母子共に亡くなったのを知り、当時の記憶が甦り感慨一入である。              合唱。

投稿: せつを | 2012年11月19日 (月) 16時38分

 ベサメ ムーチョはメロディだけ知っていました。せつを様の投稿で歌手黒木曜子を知り、ウイキぺディアで検索。小田急線の無人踏切で母子ともに事故に会い、その2か月後、交際していた男性も同じ場所で服毒自殺したそうです。なんとも因縁めいた話ですね。
 人間の死に方にもいろいろあると考えてしまいました。病気でだんだん弱っていくのは、周りの人にその死を準備させる死に方。交通事故のような突然の死。聞いた人はパニックになります。消息不明で、数年後、風のたよりに死を知る。無常観がさらにつのります。
 ベサメ ムーチョ、もともとの歌の由来とともに、死の影のちらつく曲になりました。死はタブーではない、生の意味を問うものですから、いっこうにかまわないですが。
 
 

投稿: 音乃(おとの) | 2012年11月20日 (火) 11時42分

「あるかな?」と思って検索しましたら、やはりありました。

またまたリンクをさせていただきたく、コメントさせていただきます。

日本語バージョンがあることは知りませんでした。

メキシコの大手民放のテレビサの日曜日の歌謡番組『Siempre en Domingo:いつも日曜日に』に出演した彼女の動画(1990年)を以下にリンクしておきます。前奏と後奏がすごいですよ!!!

https://www.youtube.com/watch?v=0u0bX5gBCRw

そしてついでに僭越ながら、私の大好きなAndrea Bocelli、そしてアレンジが気に入ったロシア赤軍合唱団(?)がバックコーラスとして歌う動画のリンクを貼り付けておきます。

①『https://www.youtube.com/watch?v=BueVGiyx_E4
②『https://www.youtube.com/watch?v=tYaKx7RYL2I

投稿: パウロ伊藤 | 2016年5月 2日 (月) 09時42分

Besame Muchoを検索していてこちらにたどり着きました。大好きな曲です。
コロムビアの歌手黒木曜子さんがこの曲を歌ったのは本邦初公開だったそうです。
1959年12月に初来日したトリオ・ロス・パンチョスは「ヨウコ・クロキ」に会いたいとリクエストしたそうです。
しかし彼女は同年2月に小田急線の踏切で亡くなっていました。
その話を聞いたアルフレッド・ヒルがオマージュとして「東京のセレナーデ」を一夜で作曲して、レセプションで披露しました。
パンチョスは2代目ショウ・モレノの時、この曲を吹き込みましたがその後歌っていませんでした。
初来日して日本側からこの曲をリクエストされて「忘れちゃったよ」と言う事で昔のレコードを聴いて改めて編曲し直しました。
ジョニー・アルビノが歌ったこのバージョンは大好きな編曲です。
アルフレッド・ヒルが歌う部分を減らして華麗にレキント演奏をたくさん取り入れ、ロシア民謡の「二つのギター」も挿入されています。
尚黒木さんの慰霊碑にトリオ・ロス・パンチョスが訪れて慰霊したそうです。
二木先生がこの曲を取り上げて頂いた事に感謝して聞かせて戴きました。

投稿: おばさま@北海道 | 2018年2月22日 (木) 15時05分

「ベサメ・ムーチョ」この楽曲がコンスエロ・ヘラスケスという女流作曲家で、しかもピアニストの作品というのにも驚かされますが、この魅惑的なメロディはラテン音楽の中でも、私は最高傑作ではないかと思っています!

この曲と云えば、なんと言っても私が幼いころから聴いてきたトリオロス・パンチョスが真っ先に思い浮かびます。それとこの曲のリズムはダンス愛好家にとっては、堪らないナンバーだと思います。
また、ラテン音楽独自の楽器、ガットギター・カホン・マラカス・パリージョの音の響きも、この曲の魅力の一つだと思います。
トリオロス・パンチョスの独特なその歌声と巧みなギターテクニックには、聴く度に私は魅力を感じてきましたが、最近ではYouTube動画で見つけた、ポルトガル出身の女性歌手セザリア・エヴォラがスローテンポで歌う「ベサメ・ムーチョ」も独特な雰囲気の魅力があり、私はとても気に入っています。

昔ダンス講師をしていた長兄が、トリオロス・パンチョスのこの曲や、キサス・キサスの音楽を流しては、ルンバを踊ったりしていたことを想い出します。

投稿: 芳勝 | 2019年6月26日 (水) 23時33分

このサイトでは、なんとなくラテン音楽が少ないんじゃないかと感じておりましたが、先の芳勝さんのコメントのお陰で、まあ懐かしきこの「ベサメ・ムーチョ」に接することができました。
この歌は、私の最初のラテン音楽として、まだ高校生だったころに覚えたものです。 どうやって覚えたものか記憶にありませんが、いつの間にか歌詞が記憶されていました。 周りにはスペイン語が分かる人が全然居ませんでしたけど、どうして覚えたのか、スペイン語はローマ字通りに発音すればいいんだとか、ただし vはbと同じに発音していいのだとか、zはsと同じでいいとか・・・。 
だけどこの歌、これから遠くへ行くので恋人に離れるのがつらいんだというようなラブソングだとばかり思っておりましたが、上記の>蛇足<にあるような、悲しいお話があるとは知りませんでした。

そのころからいろんなリズムのラテン音楽がじゃんじゃんと入ってきて、それまで伝統的に静かに広まっていたタンゴとともに、ラテン音楽の最盛期に入りました。 私の学生時代はラテン音楽であけくれていたと言っていいでしょうか。 音楽を聴けば、歌詞の意味をも理解したくなるもので、学校でも、所属とは別の文学部のスペイン語の講座を聴講させてもらったりしました。
(そのスペイン語の先生もけっこうくだけた方で、ラテン音楽だけでなく、いろんなスペイン系の人々の面白い艶っぽいお話をしてくださいましたが。 スペイン語は易しいので、皮肉なことに、この講座、履修単位にならないのに肝腎のフランス語よりもいい点をとっちゃたりして)

学校を出てから、日本を出たり入ったりしているうちに、気がついたら、日本でのラテン音楽のブームもいつの間にか静まってしまったようです。どうも、エルヴィス・プレスリー、ビートルズあたりが、盛んにもてはやされるようになってきてから、ラテン音楽のほうが蔭に隠れてしまったように思われます。 私はこの両者あまり好きでないので本当に残念に思います。 いまではラテン音楽のC Dを買うのも大変です。

ベサメムーチョや、ルンバ、マンボ、タンゴなど往時の名曲の数々、一度じっくり、(強烈なテキーラ、ラムなどを飲みながら)聴いてみたいと思います。


投稿: 田主丸 | 2019年7月 1日 (月) 23時35分

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