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ベサメ・ムーチョ

 (mp3制作:二木紘三)

作詞・作曲:コンスエロ・ベラスケス、日本語詞:鈴木 勝

ベサメ ベサメ ムーチョ
燃ゆる口づけを交わすたびに
ベサメ ムーチョ
いつもいつも流れる調べ
どんなに雨が降っても
風が吹き荒れても
も一度 またも一度
燃ゆるあの口づけ
ベサメ ベサメ ムーチョ
私のすべてはあなたなのよ
ベサメ ムーチョ
いつもいつも いつまでもよ
             (繰り返す)

      Bésame Mucho

Bésame, bésame mucho,
Como si fuera esta noche la última vez.
Bésame, bésame mucho,
Que tengo miedo perderte,
Perderte otra vez.

Quiero tenerte muy
Cerca, mirarme en tus
Ojos, verte junto a mí,
Piensa que tal vez
Mañana yo ya estaré
Lejos, muy lejos de ti.

Bésame, bésame mucho,
Como si fuera esta noche la última vez.
Bésame mucho,
Que tengo miedo perderte,
Perderte después
                      (繰り返す)

《蛇足》 メキシコの女流作曲家でピアニストのコンスエロ・ベラスケスが1941年に作曲して、たちまち世界的なヒットとなった作品。

 当時、日本は戦争中で、洋楽の演奏もレコードの輸入も禁止されていたため、ほとんどだれもこのヒット曲を知りませんでした。敗戦後、進駐軍放送を通じて、やっと日本人の耳にも届くようになりました。
 トリオ・ロス・パンチョス、ペレス・プラ-ド楽団、マックス・グレーガー楽団など多くの有名楽団が演奏しましたが、日本人にとくに人気のあったのは、トリオ・ロス・パンチョスの歌と演奏でした。

 日本語版が出たのは昭和25年(1950)で、「早川真平とオルケスタ・ティピカ東京」の伴奏で、黒木曜子が歌いました。その日本語詞が上に示したものと同じかどうかはわかりませんが、レコードはヒットしました。 

 コンスエロ・ベラスケスは、メキシコ西部ハリースコ州のシウダード・グスマン市で生まれました。
 生年については諸説あり、永らく1924年8月29日生まれで、『ベサメムーチョを作ったのは17歳のとき、とされていました。

 しかし、彼女の死を報じた『ニューヨークタイムズ』(2005年1月30日付け)によると、彼女は1916年生まれだが、ときどき1920年生まれと称していたそうです。(Ms. Velázquez was born in Ciudad Guzmán, Mexico, in 1916. (She sometimes gave the date as 1920.)
 息子のセルジオ・リベラも、1916年生まれだと証言しているそうですから、まあそれが正解でしょう。となると、『ベサメ・ムーチョ』を発表したのは25歳のとき、ということになります。

 2005年1月22日、骨折で入院中に死去、88歳でした。没年には疑問の余地がありません。

 彼女はメキシコRCAビクターの社長と結婚したので、演奏活動はあまり行いませんでしたが、作曲には熱心でした。傑作を何曲も作っているのに、『ベサメ・ムーチョ』があまりに有名なため、これと『カチート』以外は、一般にはあまり知られていません。

 ベサメ・ムーチョは「いっぱいキスして」という意味で、あまい恋の歌として歌われていますが、竹村淳著『ラテン音楽 名曲名演名唱ベスト100』(講談社刊)によると、ベラスケスがこの曲を作ったかげには、ある悲しいエピソードが隠されているそうです。

 彼女の女友だちが入院中の自分の夫を見舞ったとき、重病で最期の近いことを悟っていた夫が夫人に「いっぱいキスして」とせがんだというのです。ベラスケスは、ここからメロディと歌詞を発想したということになります。

 この話は竹村氏がメキシコで人から聞いたもので、作者本人に確かめたのではないようですから、真実かどうかはわかりません。しかし、原詞を読むと、確かに告別の歌と感じても不自然ではありません。

(二木紘三)

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コメント

二木先生の解説で、この曲のスペイン語の歌詞が涙の出るほど悲しく重い内容だと知りました。
自分がそのような今際の状況になったとき、最後に思い浮かべるのはなにかと考えてしまいます。

投稿 GTNAA | 2008年5月22日 (木) 00時28分

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