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リンゴのひとりごと

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:武内俊子、作曲:河村光陽、唄:河村順子

1 わたしはまっかな リンゴです
  お国は寒い 北の国
  リンゴ畑の 晴れた日に
  箱につめられ 汽車ポッポ
  町の市場へ つきました
  リンゴ リンゴ リンゴ
  リンゴかわいい ひとりごと

2 果物店(みせ)の おじさんに
  お顔をきれいに みがかれて
  みんな並んだ お店さき
  青いお空を 見るたびに
  リンゴ畑を 思いだす
  リンゴ リンゴ リンゴ
  リンゴかわいい ひとりごと

3 今頃どうして いるかしら
  リンゴ畑の おじいさん
  箱にリンゴを つめながら
  歌を歌って いるかしら
  たばこふかして いるかしら
  リンゴ リンゴ リンゴ
  リンゴかわいい ひとりごと

《蛇足》 昭和14年(1939)、作詞家の武内俊子が入院中、作曲家の長妻完至から見舞いにもらったリンゴを見て書いた歌。

 見舞いに訪れたキングレコードの柳井堯夫ディレクターが、それ見てレコード化を提案。武内俊子は、思いつくままに書いたものだから、とあまり乗り気ではありませんでしたが、どうしてもというなら、作曲はリンゴの送り主の長妻完至に、と希望しました。
 しかし、柳井堯夫は、歌詞は河村光陽向きだと考え、あえて武内の希望を曲げて、河村に作曲を依頼しました。

 曲は昭和15年(1940)1月に完成し、翌月、河村光陽の娘・順子の歌でレコードが発売されました。

 なお、2番の果物店は「くだものてん」としている歌集がいくつかありますが、河村順子は「くだものみせ」と歌っているそうです。武内俊子の意図がどちらだったかはわかりません。

 武内俊子は広島県三原市の生まれで、結婚して東京・世田谷に居住。子育てをしながら、当時の主要児童誌『コドモノクニ』や『幼年倶楽部』に次々と童謡や童話を発表しました。
 童謡では、ほかに『かもめの水兵さん』などのヒット曲があります。

(二木紘三)

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コメント

河村光陽のメロディは、そこはかとないペーソスにあふれていて、聴いていると胸に迫ってきます。
光陽の生家は、私が住んでいる北九州市の南隣の福智町(平成の合併前は赤池町)にありました。現在は、生家が隣接していたとされる下宮神社に記念碑が建っています。
福智町では、光陽の功績を記念して毎年「童謡まつり」を実施しています。
五木寛之の小説「青春の門」の舞台となった田川市や香春町とも隣接していますが、赤池は上野焼(あがのやき)という焼物の里でもあり、炭鉱の町という雰囲気ではなく、光陽が幼年期を過ごした頃はのどでかな田園であったろうと想像されます。

投稿: 周坊 | 2008年6月 7日 (土) 11時15分

この曲には思い出があります。
昭和30年代。…神戸市灘区在住の頃
りんご売りの方が青森の方から来られてた
と思いますが。。。
その時必ずこの曲を鳴らして客集めを
していたからです。
その他ロバのパン屋さんなども
何故か音楽を鳴らしながら来ていたんですねぇ。

投稿: sunday | 2008年6月 9日 (月) 15時36分

涙が出るほど懐かしい曲です。
終戦直後の昭和21年4月、近くの幼稚園に入り1年通いました。こんな頃にも幼稚園があったようです。
色々な歌を習いましたが、この曲はその中の1つで今でもメロディーと1番の歌詞は鮮明に覚えています。
今ここで聴けるとは思いませんでした。有難うございます。

投稿: 清水 ひろし | 2008年6月15日 (日) 10時57分

こんにちは。
いつも聞かせていただいております。
25年生まれで知らないはずなのに、この曲はなぜか全部知っています。とてもすばらしい曲でいつも感心します。真っ青な空、真っ赤なりんご、忙しそうなおじいさん・・・その一つ一つの情景が目の前に現れてりんごの気持ちまで分かるような詩に すばらしいの賛美を贈りたいです。最近の曲にはこうした風景や情景は、残念ながら見られませんね。

投稿: みのりん | 2008年6月15日 (日) 20時34分

好きな童謡の一つです。他に「うれしいひなまつり」「なかよし小道」などが好きですが、ここのサイトで作曲が全て河村光陽さんと知りました。不思議なことです。全部いわゆる「ヨナ抜き」なんでしょうか。

投稿: 陽ちゃん | 2008年6月27日 (金) 22時30分

とても懐かしい歌で、聴く度に、なぜか胸が切なくなります。 19年生まれのおばあちゃんですが、最近、二木さんの
すばらしいサイトを見つけ、時間を見つけては、パソコンの前で一人静かに心癒されております。
今日は、たまたま遊びに来た隣に住む孫を膝の上にのせて、この歌を一緒に口ずさんでみました。 1年生の孫には、この歌の意味がどの程度理解出来ているかわかりませんが、幼い胸にも、きっと何か残るものがあるのでは!と思います。

投稿: ガーネット | 2008年6月30日 (月) 16時28分

透き通るような童心と、未来へ向けた明るさが感じられる歌詞ですね。しかも曲が少し哀愁を帯びて、明るい歌詞とコラボレーションした時、チャップリンのように悲しみの中に笑いがある、笑いの中に悲しみがあるような深いものを感じます。でも、「6歳まで子供はみな天使」という言葉があるそうですが、りんごの純な気持が尊い気がします。

投稿: 吟二 | 2009年4月19日 (日) 15時19分

初めて書かせていただきます。
昭和22年(1947年)生まれです。九州・小倉に生まれ育ち、昭和45年(1970年)に、ここ日立市に出てきました。まさかここに住み着くことになるとは思いもしませんでしたが。今、定年農業をしています。
今年になって昔の懐かしい唄を探していて、二木先生のこのサイトに行き当たりました。題名を知っていた唄、知らなかった唄いづれもメロディを聴くといつか聞いたことのあるものばかりで、当時のことが思い出され、涙ぐむことが多いです。ありがとうございます。
この唄は、亡き祖母がよく唄っていました。文字も満足に書けないような人でしたが、私の学生時代にたどたどしい字で、一度手紙をくれたことがありました。その手紙は今でも持っています。
二木先生は、私より年上のようですが、どうかいつまでもお元気で、このサイトを続けていただけますようお願いします。

投稿: 竹永尚義 | 2010年3月17日 (水) 19時54分

最初にこのサイトを訪れてからもう10年くらいになります。最近はご無沙汰でしたが,たまたまリンゴのひとりごとの歌詞でわからないところがあって調べているうちにヒットしました。歌詞といい曲といい胸にぐっと来る唄ですね。昭和14年作ですか。
それと二木さんの蛇足に書いてある記事が素晴らしいです。どうやってこんな詳細な情報を入手されるのでしょうか。それとも元々ご存じなのですか。この蛇足が昔から大好きでした。MIDI自体も大変よくできています。ありがとうございました。もっともっと続けてください。

投稿: 無名人 | 2011年9月27日 (火) 10時46分

岩手のちっちゃなリンゴ農家です。
3.11後ライフライン3日間ストップし寒さの中88歳元気な母が肺炎で急逝しました。今リンゴの最後の手入れの時期です。何時も母が口ずさんでいた唄でした。この記事を見ておもわず胸が苦しくなってコメントしました。

投稿: すがわらけん | 2011年10月 9日 (日) 15時04分

2年前に職場の同僚と上野(あがの)焼の里を巡りました。そこで河村光陽さんがここの出身だと知りました。
記念碑と「かもめの水兵さん」の演奏ができる鉄琴がありました。「りんごのひとりごと」「うれしいひなまつり」など私が子供のころに好きだった童謡がみんな彼の作品だったのはきっと彼のメロディーが子供の心をとらえるものがあったのであろうと思います。

投稿: Ejiri Yoichi | 2014年4月21日 (月) 12時45分

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