満州の丘に立ちて
(mp3制作:二木紘三)
1 静かに霧は流れ |
2 静かに霧は流れ |
《蛇足》 日露戦争終結後の1906年、ロシア軍の軍楽隊長だったイリヤ・アレクセーイヴィチ・シャトロフによって作曲されました。
日露戦争が始まると、満州各地で激戦が展開されましたが、わけても奉天大会戦は両軍合わせて16万人の死傷者(日本側7万、ロシア側9万)を出すという史上まれに見る大激戦でした。
シャトロフが所属していた第214モクシャ歩兵連隊も、この戦いで多くの犠牲者を出しました。その死を悼んで作ったのがこの曲です。当初のタイトルは『満州の丘のモクシャ連隊』で、歌詞なしの吹奏楽でした。
ほぼ同じ頃(明治38年、1905)、日本では『戦友』が作られ、多くの人に愛唱されました。「ここは御国を何百里 離れて遠き満州の……」で始まり、14番まで続く長い歌です。一般には軍歌とされていますが、私には、表向きのフレーズの裏に強い非戦の思いが隠されているように思えてなりません。
それはさておき、『満州の丘のモクシャ連隊』は、やがてロシア全土で演奏されるようになり、それとともに歌詞を求める声が高まりました。それに応じて、何人かが歌詞をつけましたが、いずれも日本には伝わっていません。
1917年、帝政が崩壊し、ソヴィエト(労農)政府が樹立されました。時あたかも第一次大戦の真っ最中で、共産主義勢力の拡大を恐れる連合国は、革命に干渉するため、日本軍を主力としてシベリアに出兵します。
東シベリアに領土的野心を抱く日本は、米・英・仏軍が撤退したあとも、白衛軍(帝政派などの反革命軍)を支援して、赤衞軍(ソヴィエト軍、のち赤軍)と戦い続けます。
日本軍の干渉戦争は1918年から8年間に及びましたが、膨大な戦費を費やしたあげく、列強の不信を買っただけで終わりました。
1922年にはソ連、すなわちソヴィエト社会主義共和国連邦が成立。4年後の1926年、アレクセイ・イワノーヴィチ・マシストフがこの干渉戦争で倒れた兵士を悼む歌詞を発表、再びロシア人たちに愛唱されるようになりました。
のちにベンチャーズがこの曲を“MANCHURIAN BEAT”(邦訳題名『さすらいのギター』)として演奏、世界的なヒットとなりました。往時の歌声喫茶体験がない人には、この曲をベンチャーズの演奏で記憶している人が多いかもしれません(下記・小林さんのコメント参照)。
(二木紘三)
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訪問者の感想等

コメント
いつも楽しませていただきありがとうございます。「さすらいのギター」は団塊の世代、昭和22年生まれの私にとって青春のメロディと言っても過言ではありません。その頃モスクワ放送で「満州の丘に立ちて」として原曲が男性合唱で流れ、興奮したことを覚えています。世界的ヒットをしたのは確かフィンランドのグループ「ザ・サウンズ」でした。
投稿: 小林 | 2008年6月22日 (日) 21時17分
ベンチャ-ズ世代としては懐かしい曲です。
少しベンチャ-ズの感じとは違うような気もしますが。。。。
こちらの演奏のほうが追悼と言う感じが強くそういう意味あいでは良いですねぇ。
そういうことは知らずに聴いていたのだから…何も知らずに聴いていた時と今では想いが少し違うような感じもします。
投稿: sunday | 2008年6月25日 (水) 07時47分
百年の昔に創られた旋律の虜になりました 時折店内のBGMに致しております 有り難うございます それにしてもpm3の音質は CD並に素晴らしい! ではまた
投稿: 寅 君 | 2008年7月11日 (金) 19時37分
ベンチャ-ズの「さすらいのギタ-」でこの曲と出会ったのが最初です。昨年チョットしたことで、足を骨折し入院を余儀なくされ、その入院中に友人が差し入れしてくれた、DVDの中にこの曲も入っていました。
あれから一年、本日、骨折記念日です。足は完治、平常の生活に戻りました。
歌はその時代、その時の事を思い出させてくれ、この曲も例に漏れず3ケ月間の長い病院生活を思い出せてくれました。
投稿: Hikoさん | 2008年7月30日 (水) 11時28分