« 出発(たびだち)の歌 | トップページ | 満州の丘に立ちて »

東京の屋根の下

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:佐伯孝夫、作曲:服部良一、唄:灰田勝彦

1 東京の屋根の下に住む
  若い僕等は しあわせもの
  日比谷は 恋のプロムナード
  上野は 花のアベック
  なんにも なくてもよい
  口笛吹いて ゆこうよ
  希望の街 憧れの都
  二人の夢の 東京

2 東京の屋根の下に住む
  若い僕等は しあわせもの
  銀座は 宵のセレナーデ
  新宿は 夜のタンゴ
  なんにも なくてもよい
  青い月の 光に
  ギターをひき 甘い恋の唄
  二人の夢の 東京

3 東京の屋根の下に住む
  若い僕等は しあわせもの
  浅草 夢のパラダイス
  映画に レビューに ブギウギ
  なつかし 江戸のなごり
  神田 日本橋 キャピタル東京
  世界の憧れ
  楽しい夢の 東京

《蛇足》 昭和23年(1948)12月にレコード発売。

 歌詞は、前年に封切られた黒澤明監督の『素晴らしき日曜日』を思い起こさせます。
 貧しく若い恋人同士が新宿から上野、日比谷へとデートする1日のようすを描いたモノクロ作品です。夕暮れの日比谷野外音楽堂で、2人だけでコンサートのまねをする場面は、フランスで絶賛を浴びたといいます。
 舞台は焼け跡闇市の残る敗戦後の東京だし、登場人物も日本人だけ。それなのに、パリのテイストを感じさせる映画でした。上の写真はその1シーン。

 この歌も、タイトルといい、歌詞といい、シャンソンの『パリの屋根の下』や『パリの空の下』の東京版という感じがします。

(二木紘三)

|

« 出発(たびだち)の歌 | トップページ | 満州の丘に立ちて »

コメント

懐かしい歌ですね。
戦後、灰田勝彦の歌はよく聴いたものです。大好きな歌手の一人で『森の小径』や『新雪』『野球小僧』などは忘れられません。
黒澤明の『素晴らしき日曜日』は見たのかどうか記憶にありませんが、この曲はまだ焼跡が残る東京に、戦後の自由な空気があふれているようで好きです。
食べるものもロクになく全てが貧しい時代、「なんにも なくてもよい」と若い二人がそぞろ歩く姿を思い浮かべます。
我々の先輩はこうして、昭和20年代の愛を育んでいったのでしょう。

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年6月19日 (木) 14時25分

はじめまして

〔東京の屋根の下〕は昭和7年生まれの夫の好きな歌です^^
東京深川生まれの夫は戦災で酷い目に遭いましたが、戦後のこのような明るい歌に励まされたのでしょう。景気も上回り明るい兆しが見えてきた時代の歌ですものね。

私のほうは、今から27、8年前だったと思いますが、絵を一緒に習っていた方が灰田勝彦さんとゴルフ仲間というのでお目にかかったことがあります^^


投稿: おキヨ | 2008年6月27日 (金) 00時00分

ご無沙汰しています。いつも参考にさせてもらっています。
小生も今この歌の記事を書いたところですが、2点、訂正をお願いしたい件があります。一つは解説文の直後に、昭和23年(1938)とありますが、これは1948年です。
また、2番の歌詞で「青い月夜の 光に」とありますが、灰田勝彦の歌を聴き、他のいろいろなサイトを検索した結果、どうしても「青い月の~」が正しいようです。
念のため、以下に灰田勝彦の歌声をリンクしておきます。
ますますのご活躍をお祈りしております。

http://www.youtube.com/watch?v=di8zrjDmJqQ

投稿: 矢嶋武弘 | 2011年10月 7日 (金) 05時55分

映画「素晴らしき日曜日」を、最近見た様な気がします。

音楽会のチケット売り場の列に、ダフ屋が登場しました。
恋人同士、貧しげな飲食店で飲み食いして、お金が無いのでコートを置いて行くようなシーンを記憶しております。
終戦直後の荒涼とした東京で、未来は見えないような二人でしたが、無人の音楽堂で、二人素晴らしき日曜日でした。

昭和35年ごろ小生も登場するのですが、神田の明大と靖国通りの隘路に「越GO屋」という質屋が有りました。上品な女主人が対応して、裕福そうな店内でした。

投稿: 俊太郎 | 2011年10月12日 (水) 18時12分

この歌を聴いていたら、やはり「素晴らしき日曜日」の映画を思い出しました。テレビで観たのですが、懐かしい貧乏が面白かったですね。日本中の皆が貧乏だったので面白くて楽しかったのですが、今、だったら貧乏を恨み、貧乏を楽しむなんて考えられませんね。日本も豊かになったものです。もう一度あの映画を観たくなりました。

投稿: ハコベの花 | 2013年3月12日 (火) 17時04分

お世話になっています

投稿: まさじ | 2013年5月17日 (金) 10時00分

この歌を知ったのは4年前、2009年11月21日です。NHK-BSで放送されていた「どれみふぁワンダーランド」の服部良一さんの特集でした。
宮川彬良さんが音楽監修、出演されていて興味深い番組でしたね。オーケストラ演奏で歌はなかったんですが、いい歌だなとしみじみ感じました。
まだ焼け跡の広がる東京で、若い夫婦が生きていく。
歌詞の中の「なんにもなくてもよい」は心に沁みます。

オリジナルももちろん何回も聞いていますが、灰田勝彦さんは新宿を「しんじく」と歌っているように聞こえます。気になるので調べたら、東京方言ではこういう風に発音するらしいですね。

投稿: ろくろう | 2013年11月30日 (土) 16時53分

この歌が流行ったときは未だ小学生でした。ハイカラさを感じる服部メロディと灰田勝彦の生き生きとした艶のある歌声がよく調和して、人を元気にさせる何かがありますね。
 戦後まもなくの復興もこれからという時代背景のもと、辛かった戦中時代から解放されて、貧しくとも、希望あふれる将来を目指す若者を明るく謳っている青春讃歌であると、自分なりに想像を膨らませています。
 東京での学生時代の後、関西で就職し、以来50余年の長きにわたり関西に居住している”関西人”ではありますが、”空気読めない”かなと多少気にしながらも、カラオケでは時々この歌を歌います。藤山一郎の「夢淡き東京」、岡晴夫の「東京の花売娘」等、”東京”のつく好きな歌についても同様です。 
 昨今、TVのコーラス番組で、若い音楽大学の学生さんたちが戦後の歌謡曲を溌剌と歌っているのに出合います(「東京の屋根の下」もありました)。懐かしく感じるとともに、よい歌は歌い継がれてゆくものだなあと心強く感じております。

投稿: yasushi | 2016年1月13日 (水) 15時09分

前回投稿から、はや1年が経ちました。
 日頃、歌謡曲は、戦前のものや戦後歌謡曲黄金期のものを中心に聴いて楽しんでいますが、「東京の屋根の下」につきましては、灰田勝彦さんによるオリジナルのもの(CD)のほか、音楽大学の学生さんたちによるのコーラス(最近TV放送番組を録画したもの)や、オペラ歌手の五郎部俊郎さんの歌(CD)も、お気に入りです。
 やや脱線かもしれませんが、歌詞の中に少し気になる言葉があります。♪上野は 花のアベック♪の”アベック”です。当時、青春時代を過ごした私達には、苦もなく、”二人連れ”、あるいは、”カップル”と受け取れますが、最近の報道によれば、今の時代では、もはや、”アベック”は死語扱いになっているようです。老婆心ながら、歌謡曲が好きな若い人たちがこの歌を歌うとき、”アベック”の意味を正しく理解されるだろうか、多少気掛かりです。
 ほかに”アベック”がないかとざっと眺めましたら、もうひとつ見つかりました。私の好きな歌の一つである、「マロニエの並木道」(矢野 亮 作詞、中野忠晴 作曲、松島詩子 唄 昭和28年)の一節に、♪むらさきの ほのかな アベック・タイム♪とありました。
 時代が変わろうと、良い歌が、歌詞が正しく理解されて、受け継いで行かれてゆくことを、願わずにいられません。 

投稿: yasushi | 2017年1月13日 (金) 17時36分

このブログで取り上げられている「おさななじみ」永六輔作詞 にも アベック が出てきます。

投稿: Hurry | 2017年1月15日 (日) 23時42分

「アベック、アベック、ラッタッタ」若い男女のあいびき場面に遭遇した幼い子供たちの反応です。顔を真赤にした男性に追いかけられ、ワーッと逃げ去る子供たち。小学校に通報されて、先生にさんざん怒られ、帰宅の時間が遅くなったと、同級の女子の作文にありました。アベックという語にその古い作文が蘇りました。しかし男女の姿もいま思えばもまともでつつましいし、その後の展開も、社会教育・学校教育が機能していたまだ良き時代だったと思いますね。

投稿: Bianca | 2017年1月16日 (月) 14時20分

「受験生ブルース」 中川五郎作詞 にも 「行けばアベックばっかりで」というのがあります。 

投稿: Hurry | 2017年1月16日 (月) 15時15分

なんて明るくて楽しい曲なんでしょう。

初めて聞く曲ではないとは思うのですが、今あらためて感動しています。 この歌、僕の歌ですよ。1970年代の中頃、東京が好きだったものですから、毎週、土日は藤沢から新宿に遊びに来て、新宿の高層ビルの鉄骨が高く組みあがって行くのを眺めていました。それから、本屋さんとか喫茶店をぶらぶらして・・・。恋人はいなかったものですから今歌詞は次のように変えて歌っています。

 ♪ 一人ぽっちでもよい
  口笛吹いて ゆこうよ
  希望の街 憧れの都
  僕の夢の 東京 ♪

当時、好きが高じて新宿のアパートに移りました。朝5時に起きて藤沢まで通勤しました。しかしこの生活、半年しか耐えられなかったです。その後、念願かなって都心に住めることになりました。

投稿: yoko | 2017年1月18日 (水) 11時42分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 出発(たびだち)の歌 | トップページ | 満州の丘に立ちて »