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久しき昔(思い出)

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:Thomas H. Bayly、日本語詞:近藤朔風

1.語れ愛(め)でし真心 久しき昔の
  歌えゆかし調べを 過ぎし昔の
  汝(なれ)帰りぬ ああ嬉し
  永き別れ ああ夢か
  愛(め)ずる思い変わらず 久しき今も

2.逢いし小道忘れじ 久しき昔の
  げにもかたき誓いよ 過ぎし昔の
  汝(な)が笑(え)まい 人にほめ
  汝(な)が語る 愛に酔う
  やさし言葉のこれり 久しき今も

3.いよよ燃ゆる情(こころ)や 久しき昔の
  語る面はゆかしや すぎし昔の
  永く汝(なれ)と 別れて
  いよよ知りぬ 真心
  ともにあらば楽しや 久しき今も

          Long, Long Ago

Tell me the tales that to me were so dear,
Long, long ago, long, long ago,
Sing me the songs I delighted to hear,
Long, long ago, long ago,
Now you are come all my grief is removed,
Let me forget that so long you have roved.
Let me believe that you love as you loved,
Long, long ago, long ago.

Do you remember the paths where we met?
Long, long ago, long, long ago.
Ah, yes, you told me you'd never forget,
Long, long ago, long ago.
Then to all others, my smile you preferred,
Love, when you spoke, gave a charm to each word.
Still my heart treasures the phrases I heard,
Long, long ago, long ago.

Tho' by your kindness my fond hopes were raised,
Long, long ago, long, long ago.
You by more eloquent lips have been praised,
Long, long ago, long, long ago,
But, by long absence your truth has been tried,
Still to your accents I listen with pride,
Blessed as I was when I sat by your side.
Long, long ago, long ago.

《蛇足》 トーマス・ヘインズ・ベイリー(Thomas Haynes Bayly)は1797年、イングランドの裕福な法律家の息子として生まれました。父親は彼が法律家になることを希望しましたが、ベイリーは大学で神学を学びます。

 しかし、やがて神学に興味を失って、新聞や雑誌にユーモアのあるエッセイなどを寄稿するようになりました。そうしているうちに、詩人、作家、ソングライターとして認められるようになり、その作品は高額な収入ももたらしました。加えて、大金持ちの娘と結婚したことにより、さらに裕福になりました。

 彼が作った歌は英語圏で広く歌われ、アイルランドのトーマス・ムーアを除けば、19世紀前半における最も人気のあるソングライターでした。

 ベイリーは1男2女に恵まれ、6年ほどは幸せに暮らしましたが、息子が死んだ頃から、運命が暗転します。ベイリーは健康を害し、あまり作品が書けなくなり、さらに妻の莫大な持参金を炭坑に投資して失敗し、経済的に破綻してしまいます。
 生活を支えるために、病気をおして作品を書き続けますが、結局1839年、42歳で亡くなりました。
 "Long, Long Ago"は、ベイリーの運命が傾き始めた1833年に書かれました。

 "Long, long ago, long, long ago" という繰り返しが耳に快いのか、替え歌がいくつも作られています。
 原曲・替え歌とも、20世紀に入っても、多くの歌手に歌われました。たとえばマーティ・ロビンス
(本名Martin Robinson 1925~1982)は原詞のまま歌っているし、ディーン・マーティン(1917~1995)は、M.フィッシャーとR.アルフレッド作詞の歌詞で歌っています。

 日本に最初に紹介されたのは、明治20年(1887)のことです。東京と大阪で発行された『幼稚唱歌集』(普通社)に『むかし乃昔』というタイトルで掲載されています。
 ただし、これはキリスト教の宣教師によるマイナーな出版だったせいか、あまり注目されませんでした。

 翌明治21年(1888)、『青葉の笛』の作詞者として知られる大和田建樹が『旅の暮』というタイトルで作った詞が『明治唱歌(1)』に掲載されました。

 今も歌われる近藤朔風の日本語詞は、大正2年(1913)に発表されました。『久しき昔』というタイトルで、内容も、長い間別れていた恋人が帰ってきて、今も愛は変わらないと告げる、原詞に近い詞になっています。

 もっとあとになって、津川主一版が出ました(下記)。1番は近藤朔風版と同じで、3番はちょっと違っているだけ。大きく違っているのは2番です。
 どういういきさつでこうなったかは不明ですが、JASRACの著作権データベースを見ると、訳詞:近藤朔風、編曲:津川主一となっています

 津川主一は外国曲の訳詞者として有名な人ですが、合唱の指導者であるとともに、作曲・編曲も手がけています。『久しき昔』を編曲するに当たって、2番の歌詞があまり気に入らなかったため変えたのかもしれません。
 近藤朔風は自作を何度も修正した人らしいので、彼の改作版に津川主一が少々手を加えたものが津川主一の訳とされた可能性も考えられます。

    久しき昔(津川主一)

(1番 近藤朔風版と同じ)

2 逢いし小道忘れじ 久しき昔の
  勿(な)忘れそと告げたる すぎし昔の
  わが笑(え)まい ひとにほめ
  汝(な)が語る 愛に酔う
  その言葉なお胸に 久しき今も

3 いよよ燃ゆる情や 久しき昔の
  語る面はゆかしや すぎし昔の
  ながく汝(なれ)と 別れて
  いよよ知りぬ 真心
  ともにあらな楽しや 久しき今も

     思い出(古関吉雄)

1 かきに赤い花さく いつかのあの家
  ゆめに帰るその庭 はるかな昔
  鳥の歌木々めぐり そよ風に花ゆらぐ
  なつかしい思い出よ はるかな昔

2 白い雲うかんでた いつかのあの丘
  かけおりた草のみち はるかな昔
  あの日の歌うたえば 思い出す青い空
  なつかしいあの丘よ はるかな昔

 戦後、民主主義教育が始まると、小学生にはこうした歌詞は不向きだし、言葉もむずかしすぎるという理由で、新しい日本語詞が作られました。それが、上右の古関吉雄の詞です。
 昭和22年
(1947)発行の教科書『六年生の音楽』に掲載されました。

 私もこの歌詞で習ったので、このメロディを聴いて反射的に口をついて出るのは、「かきに赤い花さく……」です。
 「かき」は垣根のことですが、柿だと思っていた生徒が多かったようです。

 さらにわかりやすい歌詞があります。バリトン歌手・伊藤武雄の作詞になるもので、幼馴染み同士が久しぶりに再会したというシーンを話し言葉で書いています。
 とくに秀逸なのは2番で、角のお菓子屋のマキノ君という個人名が出てくるため、日常生活の実感がジワッと伝わってきます。のちに『サッちゃん』『山口さんちのツトム君』という童謡が出てきますが、これも同じ効果を狙ったものといってよいでしょう。
 原詞や近藤朔風・津川主一の訳詞が折り目正しい小説だとしたら、これは気軽につけた日記ですね。楽しい歌です。

      思い出(伊藤武雄)

1 よく訪ねてくれたね よくまあねえきみ
  よく訪ねてくれたね さあさあかけたまえ
  きょうまでの出来事を みんな話そうお互いに
  よく訪ねてくれたね さあさあかけたまえ

2 あの頃はお互いに まだまだ幼くて
  ずいぶんけんかもやったよね ほんと懐かしい
  あの角(かど)のお菓子屋の マキノ君はどうしたろ
  あの頃はお互いに ずいぶんあばれたね

3 よくここを忘れずに よくまあねえきみ
  よく訪ねてくれたね ぼくはうれしいよ
  この次はきみの家 ぼくがきっと訪ねるよ
  そうだ次の日曜に ではさようなら

(二木紘三)

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コメント

 小学校の高学年で教わったと記憶しています。聴くほどに懐かしい歌です。何しろタイトルそのものが『久しき昔(思い出)』ですから。遠く過ぎ去った思い出の数々が、シンプルなメロディに乗って甦ってきます。
 私が教わったのはやはり、
    かきに赤い花さく いつかのあの家 ……
の方でした。格調の高さでは冒頭の近藤朔風の訳詞には及ばないものの、じっくり味わってみますと、こちらもなかなか良い歌詞です。私のような望郷者は、ついつい郷里での日々のことを思い出してしまいます。
 それとともに、いつ頃覚えたのか原詞の中の、
    Long,long ago,long ago,
も心に深く残っています。二木先生も強調されていますが、このリフレインは本当にいいですよね。実に心地良いリフレインです。
 遠く過ぎ去った思い出は、もちろん楽しく愉快なものばかりではなく、時に辛く、悲しく、苦しいこともいっぱいあった。でも「Long,long ago,long ago,」。過ぎ越してきた良いことも悪いことも、「すべては必要、必然、ベストだったんだよ」と、やさしくやわらかく受容してくれて。それらすべての思い出に、「新しい光り」を投げかけてくれるようで。
 (文中の「すべては必要、必然、ベスト」は、船井幸雄という人の言葉の引用です。)

投稿: 大場光太郎 | 2008年8月29日 (金) 19時25分

私は『二木紘三のうた物語』の大大大ファン!です。また二木先生の各曲の解説には大大大感動させられています。そこでお願いです。先生の解説のタイトルが『蛇足』となっていますが、これはあまりにも勿体無い言葉です。せめて『補足』または『解説』とかに変更して戴きたいと強く思うのです。御一考を伏してお願い致します。

投稿: サーラ水心 | 2008年9月29日 (月) 18時20分

初めまして。 私もこの曲を小学校6年(メキシコオリンピックの前年)の時に習い、姉と一緒によく歌いました。 私の父(大正生まれ)も旧制中学でこの歌を習い、よく英語で、'Tell me the tales ・・・・' と歌っていました。

そういう訳で、この曲は私の家族にとっても思い出のある曲ですが、私がこの歌を習った1967年のこの歌の題名は、’思い出’で、歌の始まりも”かきに赤い花咲く いつかのあの家・・・’(古関吉雄)でした。

もしかしたら津川主一の訳詞のタイトルが、’久しき昔’なのではないでしょうか??

投稿: Kai | 2009年6月15日 (月) 14時44分

Kai様
うっかりしました。取り違えていました。
さっそく修正しました。ありがとうございました。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2009年6月15日 (月) 14時55分

 私は小学校3年になる春休みに転居しました。それまで田畑や林に囲まれた生活から、都会のど真ん中に移ったのです。新しい友達もすぐできて楽しい生活でしたが、やっぱり豊かな自然が懐かしく、よく物思いにふけることもありました。
 この歌は3年生か4年生の時の音楽で習いましたが、歌詞の内容が自分の気持ちをまるごと表現していることに驚きました。幼い頃(当時も幼かったけど、もっと幼い頃)の思い出の数々が鮮やかによみがえりました。
「かーけおりーた 草ーのみちー」
 歌いながら涙が溢れました。懐かしくて懐かしくて、あの丘に帰りたいと心から思いました。
 音楽の時間、泣きながら歌っていた小学生も、今年は還暦を迎えました。もう今では涙こそ出ませんが、やっぱり歌うだけで思い出がよみがえります。

投稿: 森脇晶子 | 2010年5月12日 (水) 15時47分

森脇晶子様

「ぶらりベトナム なりゆきまかせの一人旅」の
著者の森脇さんですか?

年代と、文体がなんとなく似ているような気がして…。

もしそうだとすれば、お元気でしょうか?
今、空港で図書館で借りたあなたの本を読み終わりました。
僕自身も8年前に初めて訪れて4度目の訪越です。
仲良くしていた友達と急に連絡が取れなくなって、
人探しの旅です。
昔と変わらぬ笑顔に逢えればいいのですが・・・。


投稿: ken | 2010年9月18日 (土) 17時18分

去年はベトナムで昔の友達と会うことができました。
今成田空港です。
今年も行っちゃいます!!

投稿: ken | 2011年9月10日 (土) 15時20分

私は、確か小学4,5年生の頃に習ったような気がします。作詞者は古関氏だったと思いますが、詞が幾箇所異なっていたような…。
「鳥は歌いさえずり そよぐ風に花散る」だったような…。
古関氏は、後に現代語を使って、幾箇所か書き替えたのではないのでしょうか。当然、2番も幾箇所有るものと思われます。「鳥の歌木々巡り そよ風に花揺らぐ」ではまだ硬いと思ったのでしょうか。ベィリーのメロディは文句無く素敵ですよね。

投稿: かせい | 2011年9月10日 (土) 23時45分

小学生時に習った「思い出」の歌詞、YouTubeで検索して見つけました。
唱歌-思い出-古関吉雄で検索しました。やはり二通り作られたようです。納得です。

投稿: かせい | 2011年9月11日 (日) 15時18分

小学生の頃に、かきに赤い花さく~で覚えたこの曲は、大好きな歌の一つでした。家の近くに「ころりん学校」と呼んでいた丘があって、半分は米軍の基地になっていて金網が敷かれていましたが、途中の坂を利用してお尻に段ボールを敷いてすべって遊びました。この曲を聞く度に、当時の思い出がよみがえります。今ではその丘もすべて平らになり、住宅が建ち、昔の面影は全くありません。ただこの曲だけが心に残っている故郷の風景を思い出せてくれるのみです。
「鳥の歌木々めぐり、そよ風に花ゆらぐ」のところでシンバルの音でしょうか、その強調のジャンという音がとてもいい気持ちです。

投稿: 上原 豊 | 2013年3月29日 (金) 22時47分

私も小学生のとき歌いました。69歳(男)
歌詞は以下のようでした。
1.垣に赤い花咲く いつかのあの家
  夢に帰るその庭 遥かな昔
  鳥は歌いさえずり そよぐ風に花散る
  胸にひめる思い出 遙かな昔

2.白い雲の浮かんだ いつかのあの丘
  草の光るその道 遙かな昔
  今も歌うあの歌 目にも浮かぶ青空
  ひとり思い忘れぬ 遙かな昔

投稿: 竹ちゃん | 2013年11月22日 (金) 11時48分

 「蛇足」にあるとおり、私も小学生の頃、この歌の「かきに赤い花さく」を「柿に赤い花さく」と思い込んでいた一人て、記事を読んで、思わず笑ってしまいました。深く考えてみれば、わかるのでしょうが、そこがこどもです。
 早春賦の「春は名のみの・・」の「なのみ」もなんだろうと、大人になるまで、疑問に思いつつ、聞いてました。
音楽の先生が一言説明してくれていたら、疑問が払拭されたのに、という思いもありますが、大人になってから長年の疑問が氷解するのも、また楽しからずやです。
 作家向田邦子もシューベルトの『野ばら』(日本語訳)の「童(わらべ)は見たり 野中のバラ」を「夜中のバラ」と思い込んでいたとエッセイに書いています。
 かんちがいではないのですが、それに似た中学校の校歌に関係したお話です。
神戸市立垂水中学校が私の母校です。その校歌の出だしが「ああ、垂水の清水~」です。垂水の地名は「いわばしる たるみのうえの さわらびの もえいづる はるになりにけるかも」(志貴皇子)に由来します。それを歌詞に取り入れたのでしょう。しかし男子生徒の多くは「たるみのしみーず」に女性の下着のシミーズ(スリップ)を連想して、くすくす笑ってしまいます。生徒指導の怖い先生が、こらーまじめに歌わんかーと怒れば怒るほど、なおさらおかしかったですね。思春期の思い出ですが、まあ純情なものでした。

投稿: 越村 南 | 2013年11月22日 (金) 22時28分

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