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並木の雨

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:高橋掬太郎、作曲:池田不二男、
唄:ミス・コロムビア

1 並木の路に 雨が降る
  どこの人やら 傘さして
  帰る姿の なつかしや

2 並木の路は 遠い路
  いつか別れた あの人の
  帰り来る日は いつであろ

3 並木の路に 雨が降る
  どこか似ている 人故に
  後ろ姿の なつかしや

《蛇足》 昭和9年(1934)7月に、コロムビアからレコード発売されました。
 
ミス・コロムビアの本名は松原操。

 戦前、クラシックを教える音楽学校はどこも、歌謡曲という「低俗な音楽」をレコーディングしたり、舞台で歌ったりする学生は、退学処分などのペナルティを科せられるのが普通でした。
 たとえば、東洋音楽学校
(現・東京音大)出身の淡谷のり子は、歌謡曲を歌ったのが卒業後だったにもかかわらず、母校の名誉を汚したとして卒業生名簿から削られてしまいました(のちに復籍)

 こうしたことを考慮して、コロムビアレコードは、東京音楽学校(現・東京芸大音楽学部)を卒業したばかりの松原操を、ミス・コロムビアという覆面歌手としてデビューさせました。

 覆面歌手というのは、正体をいっさい公表しないだけでなく、レコードジャケットや宣伝写真に載せる顔写真も目隠しして売り出すといった作戦です。
 これは、やはり東京音楽学校の卒業生だった小林千代子
(『涙の渡り鳥』などのヒット曲がある)を、日本ビクターが金色仮面という覆面歌手として売り出し、ミステリアスな魅力で人気を得ていたのに倣ったもの。

 作戦は図にあたり、ミス・コロムビアは以後、『十九の春』『並木の雨』『旅の夜風』『一杯のコーヒーから』『目ン無い千鳥』などのヒット曲を連発します。

 昭和15年(1940)、カタカナの芸名を禁止する内務省の指令により、本名の松原操で歌うようになります。太平洋戦争中は多くの軍国歌謡を歌いました。

 戦後も人気は衰えませんでしたが、夫の霧島昇を支え、家事に専念するため、昭和23年(1948)の『三百六十五夜』を最後に芸能界を引退しました。

 作曲の池田不二男は、原野為二、金子史郎ほか、複数のペンネームを使っています。『並木の雨』のほか、『花言葉の歌』『片瀬波』などの佳作を発表し、将来を期待されましたが、38歳で亡くなりました。

 「並木の路」というと、かつてみごとな柳並木のあった銀座通りが浮かんできます。ティールームかどこかから、別れた恋人に似た人を通行人のなかに見かける、といったイメージです。

 失った人の面影を人混みのなかに見つけるというのは、よくある話です。しかし、ただの知り合いもしくは友人の1人にすぎないのに、その人によく似た人を街中で頻繁に見かける、ということはありませんか。
 もしあったら、自分の心の中を一度よく探ってみたらどうでしょう。もしかしたら、それまで気がつかなかったその人への特別な感情を発見するかもしれません。

(二木紘三)

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コメント

昭和14年といえば私の生まれた年ですが、この歌詞をすんなり歌えます。ということは〔並木の雨〕かなり長期間ヒットしていたのですね。

投稿: おキヨ | 2008年8月17日 (日) 00時51分

この頃の歌は、ラジオで聴き覚えたらしく、メロディ-を聞くと、すんなり唄えます。

投稿: Hikoさん | 2008年8月17日 (日) 06時45分

中学生時代。雨の日、休憩時間中の学校の廊下、窓外の通りを見ながら「♪♪どこの人やら傘さして」と歌っていましたら、後ろに先生がいました。ニヤリと笑って「そこに立っとれ」と言われ、1時間くらいほど立たされました。

「♪なにがわるいのか 今もわからない」という歌の文句がありますが、今もその感じです。

今期の芥川賞「時の滲む朝」に、中国の大学の学生寮の一室で4人の学生がテレサテンの「月亮代表我的心」のテープを音声や声を潜めて聴き、歌詞の内容に顔を赤らめ、亡国(腐敗)の歌であると議論する箇所がありました。

「あなたを愛する私の深い愛は、あの月です」くらいの歌詞です。1998年ころの中国ですが、・・・。

投稿: 景山 俊太郎 | 2008年8月19日 (火) 09時44分

おキヨ様
申し訳ありません。『並木の雨』のリリース年をまちがえていました。昭和14年ではなく、昭和9年(1934)でした。
 60代以上の人には、幼児期どころか、生まれる前に流行った歌を歌える人が少なくありません。50代にもそういう人がかなりいるでしょう。メディアの数が少なかったせいで、1つのヒット曲が長く歌われたからでしょう。ある意味で、これは幸せなことだったかもしれませんね。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2008年8月21日 (木) 00時20分

私は昭和22年生まれですが、この曲は幼い頃から親しんでいました。昔は、一つの曲が永く歌われたのは、二木先生が仰るように、メディアの数が少なかったのが一番の理由と思いますが、それとは別に、当時の作家の曲を作るに当たっての姿勢の違い、つまり作品を商品として作るのではなく、作品の芸術性という点をより重視したことも、ひとつの理由ではないかという気がします。

投稿: くまさん | 2008年8月21日 (木) 23時06分

 私は二木先生のフアンの一人です。
人間が生きていくうえで出会いもあれば必ず別れもあり、思い出は心の中に人それぞれにあります、この曲はそれにぴったりなのではないでしょうか。 
 先生の人間性も伺える曲についての評論など、偏らない心の広さに何時も感心しております。
 ご自分では毛もない胃もない根性もないとご謙遜しておられますが年齢も私が少し下程度、アクセス数がフアンの多さを表しておりますね、と同時に先生の人間性に引かれた方がほとんどではないかと感じております。
 これからも末永くお元気で続けてくださいね。
 

投稿: トクラテス | 2008年8月26日 (火) 08時07分

昭和元年生まれの私は先生のページでどれだけ楽しませていただいたことか・・。本当に有り難う御座います。これからも益々のご発展を・・。おと

投稿: おと | 2008年10月 7日 (火) 12時41分

久しぶりにファイルを開き、「並木の雨」を偶然かけてみました。この曲は母がよくうたっていたものです。二木さんの演奏も情感がでていて、とても懐かしい思いでした。早速うる覚えですがたどたどしくうたってみました。段々とメロディに合うようになり、母のこころの片鱗に触れられたようです。母はどんな思いでこの歌をうたっていたのでしょう。
そして、二木さんの解説を読んで、当時の時代背景も重なってこの歌の切ない思いがよけいに忍ばれます。
ちなみに戦後生まれの私ですが、同年代や諸先輩と昔懐かしい曲をカラオケバーなどで存分に歌い合いたいものです。

投稿: ヒロ | 2008年10月14日 (火) 00時04分

二木先生有り難うございます。常常、情緒豊かな、かぐわしい、歌の数々を、しみじみと聞かせて頂いております。 「並木の雨」は数年前にお願いさせ頂いた歌の一つです。 「並木の雨」は、私にとっては、懐かしく、そして悲しい歌の一つです。若かりし頃、友達(女性)の一人の兄上(文系の大学生)もこの歌が好きだっそうですが、学徒出陣で戦地に赴き、そのまま帰らぬ人になってしまったと、その友は、しばしば、この歌を並木の下で涙ぐみながら歌っていました。私も何時しか、この歌を覚え、好きになり、一緒に歌っていました。しかし、その友も今はなく、「好きだけれど悲しい歌」だけが私の心の中に残っています。

投稿: 小花 隆司 | 2008年11月10日 (月) 17時36分

 子供の時兄姉たちがよく唄っていました。私も唄うことができるようになりました。終戦後、青年団素人演芸会がよく演じられていました。親に黙って見に行きました。化粧した男女が演ずる舞踊は「並木の雨」でした。若い男女が傘をさして、もつれて舞う姿に皆溜息と拍手のあめでした。楽団の演奏するレコードの並木の雨の歌には、子供心にも心地よい響きでした。
 並木の雨を唄うとき、聴くとき何故か、心が安らぎます。この歌は私の心の若さのエネルギーです。

投稿: 中林みのる | 2009年9月14日 (月) 17時23分

並木の雨。この歌を聴くといつも二階の窓から並木道を眺めている女性のイメージが胸にうかびます。しっとりとした日本人がかつてもっていたこころの情感。歌詞は長い必要がないですね。
先の大戦中、戦地で慰安会が催されると舞台に出る人出る人みんなこの「並木の雨」を歌ったそうです。
そういえば「NHKのど自慢」は戦地ののど自慢大会がその発端だと何かで読んだような気がするのですがどうでしょう。

投稿: 堀 周市 | 2010年4月14日 (水) 02時30分

私は昭和6年生まれのもう直ぐ80歳、荊妻はこの曲が世に出た昭和9年生まれでしたが3年前に他界。生前、何故かこの歌を台所に立ちながら、何時も口ずさんでいました。私も二木先生のこの演奏を聴くと、本当に懐かしく、生前の元気な頃の愛する妻の姿が脳裏に浮かび、涙が滲んで参ります。でも、これからまだまだ元気に生きなくては!!

投稿: 藤本 忠男 | 2011年6月29日 (水) 14時13分

堀 周市 さまの投稿を拝見して、驚いています。
実はわたくし、毎日二階の窓から家の前を通る道を眺めております。
道は遠く南に走り、ひとけの少ない、とても静かな道です。
6か月前に他界した夫は通院中、この道を丁寧な運転で帰ってきました。
いまも、哀しさで眠れぬ日があって、しらじらと明けゆく道を、また、黄昏の道をながめては「並木の雨」を聴きながら、夫を偲んでおります。
生前は、買い物のときなど、夫の運転する車の助手席に乗って、わたくしはいつもこの歌をうたい、夫はじっと聴いていました。後から生まれてくる、わたくしのために、3年早く生まれてきてくれたのではないかと、思えるほど、優しい夫との生活を、いまは幻のように思えてなりません。

投稿: 麻友子 | 2012年7月 9日 (月) 00時16分

藤本忠男さま 『並木の雨』は数年前に亡くなられた昭9年生まれの奥様が台所仕事の合間によく口ずさんでおられた愛唱曲だとか。昭23年生まれの私とは年の離れた長兄がやはり昭9年生まれで、小学校が『国民学校』となったり、男女別学から同学へと大きな変化があった生年だと何度も繰り返していました。長兄と国民学校同級生たちの男の子はかわいい模擬銃を持って兵隊さんの匍匐訓練の真似ごと、女の子たちはその後ろで従軍看護婦の扮装で慰問袋に入れるために昭16年ころに撮った写真絵葉書が我が家のアルバムにセピア色になって残っています。その長兄も四年前に74歳で彼岸に旅立ちました。藤本さまのご健勝を心よりお祈りいたします。

投稿: 乙女座男 | 2012年10月13日 (土) 15時36分

 乙女座男様 コメントを拝読し、改めまして4年前に他界した愛しい荊妻との想い出を熱く篤く脳裏に浮かべております。今、この名曲【並木の雨】の名演奏を聴きながら
拙文を記していますが、二木先生による演奏・曲の選定について何時も感謝しています。末筆になりましたが御長兄の御冥福を祈念しつつ擱筆いたします。藤本忠男拝

投稿: 藤本 忠男 | 2012年10月16日 (火) 16時27分

二木先生、お元気にお過しのことと存じ上げます。また、以前ご投稿を頂いた乙女座男様には御健勝でしょうか?
 今回は2012年以来の投稿ですが、前回から約3年が経過してしまいました。
 でもこの名曲・名演奏の「並木の雨」を聴く度に、私を置いて旅立ってしまった亡き荊妻への思慕の情は深く募るばかりです。
 想いもかけずに。私は間もなく82歳の馬齢を迎えますが、亡き妻の在りし日の愛しい「写真」を見、そして「並木の雨」を聴きますと、悲しさの中にも生き続けて、社会の為に小さな奉仕を続ける勇気が湧いてまいります。藤本忠男 拝

投稿: 藤本 忠男 | 2013年7月26日 (金) 21時05分

藤本忠男様
お元気そうで、何よりです。
あまり長いこと寂しがっていらっしゃると、空の上の奥様がご心配でたまらないでしょうが、社会奉仕なさるほどだと、きっと安心なさっているでしょう。
ウチでは、たぶん私が先に行くでしょうが、その場合、残ったかみさんにはメリー・ウィドウで暮らしてほしいと思っています。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2013年7月27日 (土) 17時37分

長らく御無沙汰致しておりますが、二木紘三先生にはお元気にてお過ごしのことと存じます。
 私は昨年末に82歳の馬齢を迎えましたが、間もなく六回忌を迎える荊妻の類い稀でした愛情と、その姿を偲びつつ淋しさに耐えて、下水道局関連のPRボ活動支援に精進しております。
 PCは、Windows-8.1に移行して、荊妻の大好きでありました名曲「並木の雨」の二木先生の銘演奏を毎日聴かせて頂き、荊妻を偲びつつ、昔日を想い出して元気をいただいております。心から感謝!!

投稿: 藤本忠男 | 2014年1月13日 (月) 14時35分

二木絋三先生、御健勝ですか?当方事、不思議に元気を頂き、この年末には私は83歳となります。荊妻の故容子がこの世から去って、今年で7回忌を迎えましたが、この「並木の雨」を聴いておりますと、彼女の生前、元気な頃を思い浮かべては、悲しみとともに、本当にこの私の拙い心が癒され感謝しております。

投稿: 藤本忠男 | 2014年7月14日 (月) 21時35分

曲もさることながら、詞も素敵ですね!
作曲された「池田不二男」さんは、佐賀市出身の戦前期の作曲家でした。今の国立音大を卒業され、コロムビアに入社、デイレクター兼作曲家として活躍されました。
 主な曲には、幌馬車の唄・片瀬波・花言葉の唄・雨に咲く花・東京セレナーデなどがあります。
 昭和18年に御病気で亡くなられましたが、時おり蓄音機で懐かしい名曲に出会っています。
 
 

投稿: 宮原 章 | 2015年1月19日 (月) 21時32分

 いつの頃「並木の雨」を覚えたかは定かではありませんが、昭和10年代前半に生まれの私にとって、好きな歌の一つです。
 短調の美しいメロディに乗せて、雨の並木道を往く人を眺めながら、別れた人をしんみり、しっとり思い起こす情景が心に響きます。
 また、タンゴ調のオーケストラ伴奏がとてもハイカラで、聞くたびに新鮮さをに感じます。世に出てから80有余年経ちますが、古臭さは少しも感じられず、今も人の心を引き付ける傑作だと思います。
 同じ作詞家・作曲家による、「雨に咲く花」(昭和10年)も、タンゴ調歌謡曲で、これもいいですね。

投稿: yasushi | 2016年10月20日 (木) 17時06分

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