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うみ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:林 柳波、作曲:井上武士

1 うみはひろいな 大きいな
  月がのぼるし 日がしずむ

2 うみは大なみ あおいなみ
  ゆれてどこまで つづくやら

3 うみにおふねを うかばして
  いってみたいな よそのくに

《蛇足》 幼い子どもが海を見たときの驚きと感動をそのまま詩にしたような素直な歌詞です。メロディも単純で、1回聞いただけで歌えるようになります。

 「海洋政策研究財団」が平成13年(2001)に「21世紀に残したい海の歌」というアンケート調査を行ったところ、1位がこの『うみ』で、2位は『我は海の子』、4位『浜辺の歌』でした。上位5曲中、文部省唱歌が3つも入っていたわけです。

 なお、3位に『チャコの海岸物語』、5位に『TSUNAMI』と、サザンオールスターズの曲が2曲も入っています。
 おもに中高年層が文部省唱歌を、若い層がサザンを支持したという形でしょうが、あと10数年して同じアンケートをしたら、はたしてどちらが上位に残っているか、大変興味深いところです。

 『我は海の子』は言葉がむずかしいとかいう理由で、ずっと前に音楽教科書から外されたし、同じ理由で『浜辺の歌』も、いずれ教科書から消えそうです。
 『うみ』は、かなりあとまで残るでしょうが、教科書作成者が古くさいと感じれば、ほかの曲に差し替えられるかもしれません。
 しかし、授業で習わなくなっても、これらの名歌を親が子どもに歌って聞かせるような家庭が減っていなければ、案外上位にとどまるでしょう。

 『チャコの海岸物語』や『TSUNAMI』はどうでしょうか。大ヒット曲であり、支持した若者たちの思い出の歌にはなるでしょうが、親から子へ、子から孫へと歌い継がれる歌にはなりそうもありません。ポピュラーソングで3代歌い継がれる歌は非常にまれです。

 『うみ』は、それまでの尋常小学校が国民学校という名前に変えられた昭和16年(1941)、初等科1・2年生用の音楽教科書上巻『ウタノホン』に掲載されました。下巻は同じタイトルですが、『うたのほん』と平仮名表記でした。

 この年、文部省は、音楽の授業では『君が代』『一月一日』『紀元節』『天長節』『明治節』など皇国を賛美する式歌の指導を徹底すること、階名をドレミファソラシドからハニホヘトイロハに変えること、音楽教材の作者は日本人にかぎること、などの指令を出しました。

 このように軍国主義教育の強化を図る一方で、『うみ』『おうま』『ひなまつり』『田植え』『たなばたさま』『野菊』など、情感豊かな曲も取り入れました。

 同年12月8日、日本軍は真珠湾を攻撃して太平洋戦争に突入、以後、音楽の授業は軍国主義や皇国を賛美するようなもの一辺倒になっていきます。

(二木紘三)

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コメント

 私がこの歌を学校で習った頃は、昨今の観光ブームで若者がジーパンにサンダル履きで海外へ出掛けられる世の中とは全く様相が異なり、少年の想い描く海を渡って異国へ向かう己の姿と言えば、鉄砲を担いで軍艦に乗り、赤丸の周りの白地に武運長久などと寄せ書きを散りばめた布地を肌に付けた雄姿以外は考えることが出来ませんでした。「いってみたいな よそのくに」――この念いも、知らず知らずの間に少年の心の中で、如上のような形で遂げられることを、何の抵抗もなく受け容れる心境に育て上げられていたのではなかったかと、今にして思う次第ですが、僻み過ぎでしょうか。
 「夜のプラットホーム」の様に、出征兵士を駅で見送る事も無くなって、歌詞も甘美な内容に解釈し直して唄うのとは聊か経緯が異なり、素直には歌えない海の歌ではあります。

投稿: 槃特の呟き | 2008年8月12日 (火) 23時49分

私は東北の太平洋が見える土地に育ちました、玉音放送があった日、父は小学一年の私を背負いどんどん海の中へ入っていきした。見渡す限りの広い海。とても怖かったのを覚えています。あの日父がなぜ海のなかに居たかったのでしょう。単に戦争が終わった開放感だったのか。。。聞かずに終わりました。
(海は広いな、大きいな)という童謡はこの日のことを思い出す歌です。

投稿: おキヨ | 2008年8月13日 (水) 00時52分

単純な曲なのでこのように
深みのある曲に演奏できるとは
思いませんでした。
最近では鼓笛隊など衰退しましたが
私達の頃は鼓笛隊が全盛でした。
子供たちは仕方なく鼓笛隊員にされて
日々鍛錬させられましたが。。。
このような曲も良いですねぇ。

投稿: sunday | 2008年8月13日 (水) 11時36分

二木先生が注目された「海洋政策研究財団」の平成13年のアンケート結果が、10数年後には果たしてどうなっているか、私も大変興味があります。
大袈裟な、と失笑を買うかもしれませんが、日本という国の将来の姿を占う、一つの、しかも案外重要な、手がかりになるかもしれない。そんな気がします。

投稿: くまさん | 2008年8月15日 (金) 00時25分

 二木先生おっしゃいますとおり、素朴な歌詞で単純なメロディです。しかし同時に、何と大景を描ききった歌なのでしょう。
 山々の麓に開けた山形の小さな町の一少年は、『うみ』を口ずさみながら、まだ見ぬ海とその先に広がっているらしい世界を想い描いてはワクワクしたものです。
 たとえ齢(よわい)幾十歳になろうとも。身心共に健やかであるためには、このような広々とした明るいヴィジョンを、心のスクリーンに常に映し出しておくことが必要なのではないでしょうか。
 
   人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。
   人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。
   希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる。
        (サミュエル・ウルマン「青春」より)

投稿: 大場光太郎 | 2008年8月22日 (金) 17時42分

この歌大好きです。
短い詩とやさしいメロディの中に、こんなにも広がりのある世界を感じさせる歌は、数少ないですね。

投稿: コーデリア | 2010年5月19日 (水) 23時25分

我々の時代は、この曲は、学校では、1番と3番の歌詞しか習っていませんでした。2番の歌詞があったとは、驚きです。この曲の他にも、「仰げば尊し」「さよなら友よ」等も、我々の時代の学校の教科書では2番の歌詞が省略されていました。これは一体どのような理由・目的からなのでしょうか?

更に、紅白歌合戦等でも、3番まである曲は、大抵2番の歌詞が省略されていますネ(こちらは時間短縮等の目的があってのことでしょうが…)!

理由・目的は何にせよ、安易な2番の中間歌詞の省略は、この曲は2番までしか歌詞が無い等との誤解を招くだけではなく、聞くに中途半端(間抜け)な感じや違和感を与えかねないので、この点はもう少し御考慮戴けないものかと存じます。

投稿: 蒼田飯総郎 | 2013年3月24日 (日) 17時31分

今日は「海の日」です。「海の記念日」が平成7年に国民の祝日に制定され、平成8年から施行されましたね。当初は、7月20日の確定日でしたが、ハッピーマンデーとか連続休暇の促進とか社会・経済の世情から平成13年に、7月の第3月曜日と、改正?され平成15年より施行されていますね。また、資源開発面から海洋(海)が領海や排他的経済水域などのコンセンサスによって、豊かな情緒的感情醸成の場が失われるのも懸念しています。ところで、13年から十数年後の「21世紀に残したい海の歌」とても興味があります、みなさんはどうですか。

投稿: 夏橙 | 2014年7月21日 (月) 23時15分

ここ数日猛暑が続き外へ出るのにも勇気が要ります。今朝ふっとこの歌を習った日を思い出しました。昭和21年に小学校へ入学したものの、校舎が戦火で焼かれ、春は神社の庭で青空教室、さすが夏は外では授業が出来ないので、トタン屋根のついているだけの青果市場で授業がありました。青果市場もセリに出す品物がなかったのでしょう。オルガンがあり「うみ」の歌を教えて貰いました。オルガンがあったのが不思議です。1年生の時は戦争中の教科書を使いました。カタカナで「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」でした。ですから井戸のヰ、絵の具のヱの字は知っているよと自慢しています。自慢するものが他にないのです。

投稿: ハコベの花 | 2016年8月11日 (木) 11時42分

わたしは、正真正銘の国民学校1期生です。太平洋戦争開戦(昭和16年12月8日)年の4月に入学しました。しかし、この歌を習った記憶がないのです。でも、しっかり唄えますから、ただ記憶にないだけなのでしょう。
 こんな明るく素直な歌が、日米開戦必至と言われた状況下で、1年生の国定教科書に載ったのが不思議なくらいです。それだけに、作詞家 林柳波と作曲家 井上武士は、当局との折衝で苦労したようです。問題となりそうな、一番の歌詞「日がしずむ」(初出は片仮名)には、とくに気を配ったようです。当時の日本の趨勢として、「日はのぼる」ことはあっても「日がしずむ」ことは考えられなかったからでしょう。《蛇足》にもある「ドレミ」問題では、敵国語の烙印を押した当局に、ご両人は最後まで異を唱えたそうです。3番の「うみにおふねを うかばして」にも気配りがなされています。海国日本の将来を思えば、幼児から海に慣れ親しむことが大切という、ご両人の強い意志が込められているのです。ですから、戦後もかなり経って「うかばして」と言う表現が問題となり、「うかばせて」に改められたことに疑問を抱いている研究者もいます。幼児なら「おふね」を「うかばして」と言っても、「うかばせて」とは言わないはずだということなのでしょう。以上「池田小百合 なっとく童謡・唱歌」からの引用です。
 昭和16(1941)~20(1945)年に使用された国定教科書は、軍国少年・少女を育成するために改定されたものですが、他の教科はいざ知らず、音楽とくに低学年の音楽教科書には、この歌のように、あまり戦争を意識せずに済むような教材(歌)も多く見られます。戦後71年経った今日でも、次代に歌い継がれる文部省唱歌が数多くあることを喜ぶと同時に、そのためにご苦労された関係者がいたことを肝に銘じておきたいものです。

投稿: ひろし | 2016年8月12日 (金) 15時30分

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