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達者でナ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:横井 弘、作曲:中野忠晴、唄:三橋美智也

1 わらにまみれてヨー 育てた栗毛
  今日は買われてヨー 町へゆく
  オーラ オーラ 達者でナ
  オーラ オーラ 風邪引くな
  ああ 風邪引くな 離す手綱(たづな)
  ふるえ ふるえるぜ

2 俺が泣く時ゃヨー お前も泣いて
  ともに走ったヨー 丘の道
  オーラ オーラ 達者でナ
  オーラ オーラ 忘れるな
  ああ 忘れるな 月の河原を
  思い 思い出を

3 町のお人はヨー よい人だろが
  変わる暮らしがヨー 気にかかる
  オーラ オーラ 達者でナ
  オーラ オーラ また逢おな
  ああ また逢おな 可愛いたてがみ
  なでて なでてやろ

《蛇足》 昭和35年(1960)11月にレコード発売。

 田舎では、まだ荷馬や農耕馬が使われていた時代ですが、町へ売られていくのですから、これは競馬馬か馬術用でしょうね、たぶん。

 三橋美智也は、美空ひばりと並ぶ戦後最大の歌謡曲歌手。
 昭和58年
(1983)に、日本の歌手としては初めてレコード売り上げ総数が1億枚を突破する大記録を樹立しました。
 平成8年
(1996)1月8日に亡くなりましたが、そのときには1億6000万枚に達していました。この記録はいまだに破られていません。

 その輝かしい実績にもかかわらず、晩年は不幸でした。

(二木紘三)

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コメント

三橋美智也のあの澄み切った高い声が今にも聞こえてきそうです。

投稿: Hikoさん | 2008年9月15日 (月) 17時46分

この曲は優しい曲です、聴く度、胸が・・・

投稿: 深井重雄 | 2008年9月21日 (日) 15時48分

愛犬家も愛猫家も犬や猫が死んだ時、後々までその事実を認めたがらない人は多いとのこと。育てた栗毛が買われて町へ
行く。心情は同じではないかと思います。この唄は当時の世相を掴んだ名曲だと思います。

投稿: 海道 | 2008年9月28日 (日) 12時06分

懐かしいですね!この当時まで田舎町には馬験場があり、馬喰(博労)さんが農家から馬を購入し、馬験場で牛や馬の競りが行われました。競り日の田舎町は、まるで御祭り騒ぎでした。
馬喰・博労=(伯楽の変化)

投稿: 田舎者 | 2008年10月 8日 (水) 13時38分

◎我が里、宮城北部(栗駒)では、幼い子馬を
市に出し、それを買い取って又売りする輩が徘徊せる
者共を外道と称されていた馬喰(ばくろう)等。
馬を売り買いして生き長らえていた。山師が多く、
其処から出たのが、馬喰らいであり、鬼畜だった。
ドスを翳し、爺様の馬をも連れて行かれた恨みは
死ぬまで忘れる事はないだろう・・・。

投稿: 浜の文吉 | 2008年11月14日 (金) 22時28分

この歌は馬コを唄った歌ですが、子供に置きかえれば当時の親達がどうゆう心境で子供達を都会に送り出したのか考えさせられます。人の親(爺や)になって、やっと解る事ですね。田舎を捨てた者として親に感謝すべきでしょうか?今更農業が出来る訳が無いとみんなに言われ
自分もそれを慰めにしています。

投稿: 海道 | 2009年1月12日 (月) 16時09分

牛、馬ともに、農耕用の家畜は、家族同様の愛情を寄せて飼育していたのでしょうね。子馬が育つと町の競り市に出さねば成りません。その送り出す農家側の辛い気持ちは、察するに余り有る物があります。 三橋美智也の歌はほとんど聴いて憶えてますが、荘厳な「古城」の翌年にリリースされたこの
「達者でな」を何度も歌った記憶が有ります。横井弘の歌詞、中野忠晴の曲、詞と曲が相乗して素晴しいと思います。 ところで二木先生、こまかーい点をご修正お願いします。3番の「よい人だろか」は「よい人だろが」だと思いますので、お手数ですが宜しくお願いします。

投稿: かせい | 2012年4月 7日 (土) 23時36分

 昭和62年の9月15日、23日、及び10月10日の3回にわたり、NHKで「心に残った昭和の歌、ベスト200」という番組が放送されたことがある(そのビデオが残っている。)全国各地、無作為で20代以上の男女2000名にアンケートを取って調査したという。中には、直接面接した人まで含まれているという。
 この調査では、三橋さんの歌は、128位哀愁列車、123位古城の2曲が入っているだけであった。レコード売り上げ枚数1億600万枚というにしては、この結果は意外というしかない。その理由を考えてみた。

 1、レコードが売れた割には、心に残るだけの歌ではなかったから。
 2、調査方法に問題があったから。
 3、ヒット曲が多すぎたから。
 4、その他の理由。

 私としては3と考える。ヒット曲が多すぎては、票も分散する。それにヒット曲が心に残るにはある程度の間がほしい。三橋さんはその間もないほど次から次にヒット曲が出ていた。売上総数1億600万枚という数字は何よりの証拠である。ベスト200に2曲しか入らないというのは、そのための犠牲である、と考えたい。
 ちなみに、同番組で昭和30年から34年(三橋美智也全盛時代)までのベスト10は以下のとおりである。

 1、有楽町で逢いましょう。
 2、南国土佐を後にして。
 3、ここに幸あり。
 4、別れの一本杉。
 5、黒い花びら。
 6、この世の花。
 7、月がとっても青いから。
 8、港町十三番地。
 9、東京だよおっかさん。
 10、おーい中村君。

そして全体のベスト10は以のとおり。

 1、青い山脈。
 2、影を慕いて。
 3、リンゴ追分
 4、上を向いて歩こう。
 5、悲しい酒。
 6、柔。
 7、瀬戸の花嫁。
 8、岸壁の母。
 9、リンゴの唄。
 10 津軽海峡雪景色。

 以上。

投稿: 谷野力 | 2012年8月 7日 (火) 14時38分

”達者でな”は発売年の紅白歌合戦で歌われ、翌年にかけて大ヒットとなった歌です。その後、NHKののど自慢でよく歌われていました。3年前、小学校の同級生で還暦クラス会で、声を張り上げて熱唱し、やんやの喝さいをあびました。 家でも、ギター片手に愛唱しています。

投稿: 堺 修介 | 2013年1月 3日 (木) 22時29分

「達者でな」は、娘を嫁がせる親の心境を歌ったものと解釈しています。例えば、
「わらにまみれてヨー 育てた栗毛
  今日は買われてヨー 町へゆく」は
『わらにまみれてヨー 育てた娘
  今日は嫁いでヨー 町へゆく』と置き換えます。

投稿: 池松敬介 | 2013年3月 2日 (土) 01時41分

この歌で亡母の幼い頃の思い出話を思い出します。私が小学生のころよく話してくれました。母の生家は群馬県の寒村、日本のチベットと言われるところです。現金収入が乏しい貧農で、戦前、子牛を1、2頭買い大きく育てて売る小規模の酪農を副業にしていたようです。成長した牛を買った業者は、当時は鼻に綱をつけて駅まで歩いて何軒かの農家を回って行くようです。母の実家の前から田舎道には珍しく1キロばかりまっすぐな道になっており幼い母が見送っていると、買われた牛はそれでも連れて行かれるのが分かるらしく引かれながら何度も何度も振り返り振り返り行くのだそうです。食肉にされるとまでは分らないにしても牛もどんな思いだったでしうか。また母の思いも想像できて胸にジンときます。明日はそんな母の七回忌です。偲んで法要してきます。

投稿: 林 滋 | 2014年3月29日 (土) 13時32分

毎日、皆さんのコメントを楽しく拝読させていただいています。
様々な歌の想い出や貴重な人生体験など考えさせられることばかりで、日頃の心の支えとなっております。

先月、「NHKラジオ深夜便」で「三橋美智也特集」をカセットテープに録音、最初に流れたのがこの曲「達者でナ」でした。
若い頃、ラジオでよく聞き懐かしく思いました。

澄みきった高い声で見事な歌唱・・・当時はやったマンボのリズムに馬子唄が融合した素敵な曲だと思います。
彼の歌では一番好きな曲です。

定年退職後、普通車の免許取得、現在、五か所目の仕事で頑張っています。
月曜日から金曜日まで、弁当・食材等の宅配で一日約70キロ近くを安全運転で走行しています。

時折、車中で「NHKラジオすっぴん」・ラジカセで「カセットテープ(ラジカセを100V電源に変換)・CD
などでリラックスしています。

中でも、特にこの「達者でナ」の曲は、後期高齢者の私を元気にさせ後押しをしてくれてます。

二木先生、コメント投稿の皆さんありがとうございます!


投稿: 一章 | 2016年2月21日 (日) 10時26分

『達者でナ』、懐かしい言葉ですね。いまでも地方では使われているのでしょうか。今では、『元気でな』『さようなら』でしょうか。言葉が歌と共に残っていくのも嬉しいですね。

若い頃は故郷に帰りますと、知り合いのお婆さんに出会い、満面の笑みで『達者かナ』と声をかけてもらったような覚えもあるのですが・・・
今ではもう私も高齢者ですから、そのようなこともないでしょう、寂しいもんです。

一章様の運転のお話に続いて、私も一つ。

私は学生時代に親のすねをかじって、運転免許を得(20万円)、会社勤めの頃、これまた親のすねをかじって中古の車を買いました(60万円)。でも車の所有歴は1年半です。あるとき友人を乗せ彼の道案内で運転していた時、彼の「あ、そこ左に行って!」という指示についハンドルを左に切った時、左側面を走り抜けようとしていたバイクと接触したのです。ドン!という衝撃とともに、ボンネットの上を人が飛んでゆくのを見ました。一瞬、「僕の人生終った」と思いました。倒れていた彼がムクムクと起き上ったとき、「助かった」と思った嬉しさは言葉にできません。高校生だった彼のヘルメットと彼の衣服の背中が裂けていました。

それで運転は止めたのですが、海外出張の時だけは、しかたなく職場への通勤で、おっかなびっくりで運転していました。いつかまた車を買うこともあるだろうと思い、免許証は更新していたのですが、この30年、一度も運転したことはありません。今年の1月、67歳でついに更新しないことに決めました。

私にとってはこれも一つの”旅の終わり”という寂しさを感じています。

運転している皆様、是非安全運転にお気を付けください。

投稿: yoko | 2016年2月29日 (月) 14時45分

三橋美智也、村田英雄、春日八郎は晩年「三人の会」を結成したようですが、三橋の1億6000万枚は村田や春日を凌駕する驚愕そのものです。
『うた物語』で叙情性豊かな投稿されているyoko氏より5歳ほど年喰ってる年寄りですが、JR以外何も無い地方在住で車が無いと不便なので、相変わらずハンドル握ってます。yoko氏の体験談読んで、実は昔、夜道でバイクと出合い頭で接触し、バイク運転者が車のボンネットに尻もちついたお陰で軽い打撲で済んだ事故の加害者でした。昔の交通標語でないですが「注意1秒怪我一生」「飲んだら乗るな乗るなら飲むな」です(自分に言い聞かせてます)。

投稿: 焼酎百代 | 2016年2月29日 (月) 18時40分

本日は、私が住んでいる西九州地方では、穏やかな春日和でした。

yokoさま・焼酎百代さまの車の話を拝読いたしました。

私も、昨年の夏、それも8月下旬近くの炎天下の昼頃でした。現在の仕事で弁当・食材等の宅配の途中、道幅の狭い農道を走行中、私の前(約十数メートル)を走行していた軽トラックが、急停車したかと思ったら~急バック・・・
アッという間に私の車に追突。

私の前の車体の部分は全損、何とか当日の宅配が終わったところで、代車手配のため国道の二車線を走行中、国道の真ん中で「エンスト」立ち往生・・・大型積載車により汗だくで整備工場までたどり着きました。

私の怪我の状況は、むち打ちとまでは至らず、それでも約3ヶ月程脳神経外科に通院をしました。

現在、副作用もなく「達者でナ」(元気で頑張れよ!)
のリズムに励まされながら宅配のハンドルを握っています。 

来年、喜寿を迎える後期高齢者です。

車運転の皆さん!  
くれぐれも安全運転には注意をいたしましょう!

投稿: 一章 | 2016年3月 3日 (木) 21時11分

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