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思い出のグリーン・グラス

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:Curly Putman、唄:Tom Jonesほか多数

         Green Green Grass Of Home

1. The old home town looks the same
   As I step down from the train,
   And there to greet me is my Mama and Papa;
   And down the road I look and there runs Mary,
   Hair of gold and lips like cherries.
   It's good to touch the green, green grass of home.
        (Chorus:)
        Yes, they'll all come to meet me,
        Arms reaching, smiling sweetly.
        It's good to touch the green, green grass of home.

2. The old house is still standing
   Though the paint is cracked and dry,
   And there's that old oak tree that I used to play on.
   Down the lane I walk with my sweet Mary,
   Hair of gold and lips like cherries,
   It's good to touch the green, green grass of home.
        (Chorus:)
        Yes, they'll all come to meet me,
        Arms reaching, smiling sweetly.
        It's good to touch the green, green grass of home.

3. Then I awake and look around me
   At the grey walls that surround me,
   And I realize that I was only dreaming,
   For there's a guard and there's a sad old padre
   Arm in arm we'll walk at daybreak.
   Again I'll touch the green, green grass of home.
        (Chorus:)
        Yes, they'll all come to see me,
        In the shade of that old oak tree,
        As they lay me 'neath the green, green grass of home.


(日本語詞:山上路夫、唄:森山良子)

汽車から降りたら 小さな駅で
迎えてくれる ママとパパ
手を振りながら呼ぶのは
彼の姿なの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム
帰った私を迎えてくれるの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム

昔と同じの 我が家の姿
庭にそびえる 樫の木よ
子供のころに のぼった
枝もそのままよ
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム

悲しい夢みて 泣いてた私
ひとり都会で迷ったの
生まれ故郷に立ったら
夢が覚めたのよ
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム

笑顔でだれも迎えてくれるの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム

《蛇足》 カントリーとジャズの聖地・テネシー州ナッシュヴィルをベースに音楽活動をしていたカーリー・プットマン・ジュニア(Curly Putman Jr.)が1965年に発表した名曲。本名はクロード・プットマン・ジュニアですが、縮れっ毛だったことから、カーリーと呼ばれるようになりました。

 カーリー・プットマンは1930年11月20日、アラバマ州プリンストンの生まれ。地元の短大を中退後、靴や住宅修理などのセールスマン、製材所の作業員などをしながら、シンガーソングライターを目指しました。
 なかなか認められませんでしたが、この歌を発表するや、一躍脚光を浴びる身となりました。

 発表してすぐにジャニー・ダレルやポーター・ワゴナーがカバーし、全米に広まります。翌年にトム・ジョーンズがレコーディングしたシングル盤は、全英シングル・チャートで7週間トップを続け、さらに全米ビルボード・チャートのポップス部門で11位、イージーリスニング部門で12位を占めました。

 このほかジェリー・L・ルイス、ジャニー・キャッシュ、ジョーン・バエズ、エルビス・プレスリー、ケニー・ロジャースなど、そうそうたるメンバーがこの歌をカバーしています。

 世界中で歌われましたが、わが国でも、昭和40年代に青春期を送った人たちには、忘れられない1曲となっているはずです。

 この歌がそれほど愛されたのは、美しく歌いやすいメロディーが理由でしょうが、それ以上に重要なキーは歌詞だろうと思われます。
 わが国では、この歌は、大都会での夢に破れて帰郷したら、両親や昔の恋人たちが温かく迎えてくれ、家も、むかし登って遊んだ樫の木も以前のままだった――という内容になっています。
 ただし、山上路夫の日本語詞では、原詞の男が女に変わっています。

 これだけでも、多くの人たちを感動させる歌になっています。しかし、名だたる大歌手たちにぜひ歌ってみたいと思わせた原因は、日本語詞では省略されている3番にあると思われます。
 3番があることによって、優しいふるさと演歌のような歌詞が、強烈な衝撃力と物語性を帯びてくるのです。原詞の意味をざっと書いてみましょう。

1番:汽車から降りると、ふるさとの街はむかしと全然変わっていないように見えた。ママとパパが出迎えてくれ、道の向こうから、むかしの恋人のメアリーが走ってくるのが見える。サクランボのような唇をした金髪のメアリーが。ふるさとの青々とした草に触れるのは、なんてすてきなことだろう。
 みんなが私に会いに来てくれ、手を伸ばし、優しく笑いかける。ふるさとの青々とした草に触れるのは、なんてすてきなことだろう。

2番:ペンキはひび割れ、乾いているけれども、むかしの家はまだ立っている。よく登って遊んだ樫の老木も同じ場所にある。私はそこの小径をメアリーと歩いていく。サクランボのような唇をした金髪のメアリーと。ふるさとの青々とした草に触れるのは、なんてすてきなことだろう。
 みんなが私に会いに来てくれ、手を伸ばし、優しく笑いかける。ふるさとの青々とした草に触れるのは、なんてすてきなことだろう。

3番:それから私は目を覚まし、私を取り囲んでいる灰色の壁を見回す。私は、ただ夢を見ていただけだったと気がつく。なぜなら、そこに看守と悲しげなようすの老神父がいたからだ。明け方には、私は腕をとられて、彼らとともにに(処刑室へ)歩いていくだろう。そしてまた、ふるさとの青々とした草に触れることになるのだ。
 そうだ、みんなは私に会うために、樫の老木の下蔭に来るだろう。ふるさとの青々とした草の下に私を葬るときに。

 ふるさとの小さな町に帰り、懐かしい人びとや場所に出会ったのは、死刑囚が処刑の直前に見た一瞬の夢にすぎなかったというわけです。3番があるかないかで、歌のイメージががらりと変わることがよくわかります。

 それでは、日本語詞ではなぜ3番を省略したのでしょうか。
 3番は残酷すぎるから省いたのだろう、という人もいますが
、私は、最初からそういう方針だったのではなく、結果としてそうせざるを得なくなったのではないか、と考えています。
 つまり、原詞の内容を訳詞に全部盛り込むのはどうせ無理だ、それなら2番までの内容で、明るいメロディに合わせた温かい歌にしよう、と考えたと思われるのです。主人公を女にしたのも、この方針から出た変更でしょう。

 英語やフランス語など、アルファベットで書かれた文章を日本語に直すと、原文よりかなり多くのページないしスペースを要することになります。英仏語などの小説や評論の翻訳書が原書よりかなり分厚くなったり、ときには上下2巻に分けて出版されたりするのがその証拠です。
 そうなるのは、1バイト文字と2バイト文字の違いや文法構造の違いなどが原因です。

 文章なら、ページ数ないしスペースを増やせば、翻訳文の増量に対応できます。しかし、歌の場合はそれができません。音符の数で使える文字数が限定されてしまうからです。

 たとえばこの歌の2番で、crackedは八分音符1つに当てはめられています。crackedは1音節語ですから、支障なく歌えます。
 ところが、これを「ひび割れた」という日本語に直すと、これは5音節語ですから、1つの音符に当てはめるのは不可能で、音符が4つか5つは必要になります。こういう現象が歌全体に現れます。
 ですから、原詞をそのまま日本語に訳すと、大幅な字余りとなって、その楽譜では歌えなくなってしまいます。反対に、日本語の歌を英語やフランス語などで歌えるように訳すには、言葉をかなり足すことが必要になります。

 そこで、訳詞者たちは、原詞のどこかを削ったり、複数の表現を1つにまとめたり、内容を少し変えたりして、原譜で歌えるように工夫します。
 ここで短歌や俳句になじんできた日本人の感性が生かされます。芳醇なイメージや内容を17文字や31文字に凝縮する技術を使って、原詞のエッセンスを日本語で歌えるように表現してしまうのです。
 名訳者ともなると、原詞より高いレベルの日本語詞に仕上げてしまう人もいます。

 その結果、原詞と同じテーマの別の詞のようになってしまうことが少なくありません。ときには、原詞と全然違う内容になってしまうことも。私が、作詞・作曲者紹介の欄で、「訳詞」でなく、「日本語詞」としているのは、こうしたことを考えてのことです。

 なお、英語の歌詞は歌手によって単語が少しずつ違っています。
 mp3は原詞に合わせてアレンジしたので、日本語詞では歌いにくい箇所があると思います。

(二木紘三)

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コメント

 いやあ、二木先生。またまた我が懐かしの青春の歌、ご提供いただき大変ありがとうございます。
 私が当地(厚木市)に来たばかりの20代前後頃は、フォークソング全盛でした。そして本場アメリカのフォークソングも、若者たちの間でどんどん歌われていました。前にも『朝日のあたる家』でふれましたが、『花はどこへ行った』『風に吹かれて』『七つの水仙』『500マイル』『虹の彼方へ』…。そしてこの『思い出のグリーン・グラス』。
 あの頃は、同世代間の交流が今よりずっと盛んでした。田舎者で引っ込み思案な私も、地元の一つ年上の綺麗なお姉さんに誘われるまま、厚木市のコーラスグループに加わりました。この歌など、その時の仲間とよく歌ったものです。
 繰返しますが、当時が思い出されて本当に懐かしい! 重ねてありがとうございました。

投稿: 大場光太郎 | 2008年10月 2日 (木) 02時41分

 外国の歌詞の翻訳がいかに難しいのか、二木先生の解説でよく分かりました。翻訳するとボリュームが五割以上ほども増えるなど経験のない者には想像もできませんでした。
 この歌の原詞を順を追って読んでいて、何となく実際は長い間故郷に帰っていない人の、つまり帰りたいと切望している人の詞だと思いました。すべて現在形で書かれているからです。
 特に、メアリーの唇がチェリーのようだというくだりで、現実には会っていないはずだと思いました。だから1番と2番の雰囲気は、3番の存在を予想させるものではあります。ただ3番はあまりにショッキングでした。

投稿: 周坊 | 2008年10月 2日 (木) 12時11分

以前、当サイトの『この広い野原いっぱい』で、森山良子が歌う『思い出のグリーン・グラス』も天使のような歌声で大好きだと述べたことがあります。それが実現して感激しています。
私が聴いたのは3番まできちんと歌詞があり、森山良子の歌声に何度も聴き惚れたものです。悲劇的な内容ではありますが、実に爽やかで明るい印象を受けました。
死刑囚が死に臨んで故郷を思い出したのであれば、我々だって臨終の時に、遠い昔と故郷を思い浮かべるかもしれません。その時、天国へ向かう“はなむけ”として、このような歌が脳裏をかすめるのであれば、安らかにあの世へ旅立つことができるでしょう。
そして、この死刑囚が懐かしい「樫の木」の傍に葬られるように、我々も思い出のかの地に骨を埋めようではありませんか。感動に浸りながら、いまこの曲を聴いています。

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年10月 2日 (木) 21時45分

明るいけれど、どこかもの悲しいメロディだと思って聴いていましたが、3番の歌詞を知って胸がつまりました。「谷間のともしび」でも同じような気持ちでしたが、このたびはもっとショックでした。

投稿: 林 一成 | 2008年10月 2日 (木) 22時00分

私も学生時代に幾度と無く聴いたり歌ったりした懐かしい曲です。しかし、この懐かしくも穏やかなこの曲の原詩に、この様な結末があったとは初めて知りました。こんな悲しい詩に、プットマンはなぜこんなにやさしいメロディを付けたのでしょうか。死の恐怖よりも、苦しみの生から解放されて魂がふるさとに還り、父母やメアリに再会し、あの樫の木陰、青々と茂った草にふれることが出来る喜びの方が強かったからでしょうか。日本語版で3番をカットした理由についての二木先生の考察には、心底感じ入りました。たしかに日本人の感性としても、このメロディにこのようなドラスティックな内容を盛り込むのは至難の業でしょうね。
ところで3番の詩の中の Arm in arm we'l walk at daybreak の we は、看守と神父を指しているわけですが、同時に父母とメアリをも重ね合わせているのではないでしょうか。それにしても、 コーラスの最後がthey lay me'neath the green,green grass of home.で終わるのがなんとも切ないですね。
 

投稿: くまさん | 2008年10月 2日 (木) 23時01分

森山良子の歌うこの歌が大好きで、よく口ずさんでいました。ある日、米国の仕事から帰ってきた夫の荷の中に、トム・ジョーンズ歌うこの曲の入ったCDを発見。ジャケットの英語の歌詞を拾い読みしてショック! これは何、と震えるほどの衝撃。翻訳なしで世界中の物に触れるなんて無理だけれど、せめても、とこれを機にはじめた街の英語教室通いが(喋れもしないのに)うん十年。「なんで英語やってんですか」なんて若い人に不思議がられると、この歌のことを思い、時には話したりしています。

投稿: 館野はつ子 | 2008年10月18日 (土) 00時50分

日本語で歌いやすく翻訳する難しさがよくわかりました。ヤンキー気質の若者が、望郷の念を明るく歌い上げる光景が目に浮かびます。3番の歌詞は衝撃的ですが、曲のイメージは暗くない。「千の風になって」と一脈通じるものを感じました。

投稿: 三瓶 | 2008年10月21日 (火) 22時28分

昨日、たまたまトム ジョーンズのこの歌を聴きながらなんとなく歌詞カードをながめていましたが、3番の歌詞を見たとき、その内容に不意打ちを食らってしまって泣きました。昔流行ったころも聴いたことはあるのですが(当方、二木先生より4歳後輩です)、歌詞の意味を考えることもありませんでした。もっとこの歌のことを知りたくて当サイトにたどり着きました。先生の訳詞良いですね。

無頼な雰囲気を持ったトム ジョーンズの歌い方もこの歌によくマッチしていて良いなと思いました。

投稿: エースケ | 2008年11月 2日 (日) 13時56分

何度思い起こしても実に意味深な作曲・作詞のストーリーですね!
グリーングリーンも、グリーンスリーブスも全て「死」を目の当たりに見る人間の束の間の「儚い夢」が背後に込められているのが伺えます。命と人生を大切にせねば、そう人間全般に呼びかけてくるシリアスな詩だと思います。

投稿: 真鍋清 | 2010年3月 7日 (日) 08時21分

 どんな凶悪犯罪者であっても,死を前にして,また絶望の中で浮かんでくるのは,やはり幼いころの思い出,そして,仮にどんなに関係がうまくいっていなくても両親・家族のこと。
 今,死刑判決を受けた人と文通しています。若気の至りで凶悪犯罪を犯し,極刑を覚悟しつつ,周囲の説得で上訴中です。自分を「真に反省できない駄目な人間」と責めています。ぼくより20歳年下ですが,人間的にはぼくより立派だと思います。もちろん遺族の処罰感情は峻烈で,それに配慮する必要があることは重々承知ですが,それでも,この人が生きて償えることを望んでいます。
 あと,ぼくは,日本の安全保障と世界の子供たちの未来のために紛争国の和平に微力を尽くしたい。その中で武装勢力などから拉致され命を奪われるかもしれない。ぼくは両親との関係がうまくいっていません。でも,死ぬとき,心に浮かぶのは,恋人でも親友でもない,故郷と両親のことだと思うのです。

投稿: Afghan1789 | 2010年5月27日 (木) 01時26分

皆様が書かれているように、森山良子の歌を聴いてこの歌を好きになった人たちが、原詩を聞くとショックかもしれません。が,アメリカのカントリーミュージックでは、このような日本ではほとんど歌には出てこない大泥棒や殺人犯あるいは火事、お葬式(霊柩車とか棺なども)がよく出てきます。日本の愛とか恋とかの浮ついた歌詞よりは、より現実感があり、心に入ってくるのではないかと思います。宗教観の違いもあるかもしれません。カントリーにはセイクリッドソングから来た曲もたくさんありますので。

投稿: やっさん | 2010年10月17日 (日) 23時48分

私はいつごろから、この歌は死刑囚の歌だと知ったのだろうか?尾崎紀世彦の歌を聴いたときショックを受けた記憶があるのですが、いま調べてみると↓
  http://lyric.kget.jp/lyric/wu/tz/p/
1番と2番との間に

 目が覚めると/俺の回りは灰色の壁だ/俺は夢を見ていた んだ/冷たい監獄の中で/俺は夢を見ていたんだ

というセリフがはいるだけで、死刑囚だということを仄めかすことばはどこにも書いていないですね。この歌を英語で聴くようになってからなのかもしれません。

投稿: KeiichiKoda | 2012年2月23日 (木) 14時38分

トムジョーンズ版をきくと、三番の歌詞はコーラスのところ以外は台詞で語られていますね。日本語というのはつらつらと長ったらしくなりがちなので、英語やフランス語の曲を訳すとどうしても妙な感じになってしまうことがあるようです。愛の賛歌がいい例で、あれなんかは私的にはひどいものだと思います。

投稿: ひろ | 2012年3月30日 (金) 20時01分

先生の説明を読んですっきりした。確か30数年前、私は尾崎紀世彦の日本語版でこの歌は囚人の悲しい歌だなとの記憶があった。3番の語り(日本語)がそうだった。最近聴いた日本人女性歌手の日本語版では「手を振りながら呼ぶのは彼の姿・・・」聴いて「えっ」と思った。樫の木に登ったのは男か女か「えっ・・・」。英語版をみるとどんなに訳しても男にはならない。トム・ジョーンズとジョーンパエズとでは歌詞が少し違うがほぼ同じ。小生カントリーファンだが、何か違うような気がする。ただ日本語版でも西郷輝彦のは「彼の姿でなく、あの子の姿」と歌っている。自然だ。以前はみな「あの子」とばかり思っていたが・・。
ちなみに西郷は歌謡曲もだがポップスもうまい。

投稿: Shobu .t | 2012年9月 9日 (日) 00時18分

この歌(英語の元歌)ですが、死刑囚を歌ったにしては、甘く切ないメロディとの不釣り合いが、以前から気になっていました。欧米には、極めて深刻でシリアスな内容を、軽いメロディや甘い旋律で歌うことも多く(「愛は陽炎のように」とか「グリーン・グリーン」など)、そんなものかと考えていましたが、少し調べてみようと思い立ち、ネットを探してみると、これは死刑になるような凶悪犯を描いているのではなく、戦争捕虜を歌ったに違いないというような記述を見つけました。
しかし、捕虜を処刑するというのは、国際法が完成する以前であっても、あまり行われてはいませんし、それだと故郷に葬られるということは、さらに考えにくいところです。では、戦時の話というのは、どこから出てきたのか、それは多分、神父のことをポルトガル語でpadreと言っているからでしょう。これは、米国の軍隊用語で、従軍牧師をこう呼んでいて、それが英語の歌に突然出てくるので、そこからの連想だと考えます。
しかし、私は別の推理をしてみました。これは、軍隊で何か罪を冒して、軍法会議の結果、死刑になった兵士の歌ではないか、そうであれば、処刑に際して従軍牧師が立ち会うのも当然だし、故郷に葬られるというのも自然です。
ではこの兵士が犯した罪とは何だったのか。ここからは本当に推量ですが、この囚人が、そんなに凶悪な犯罪者とはとても考えられないような歌詞とメロディからして、戦場離脱(敵前逃亡)ではなかったのでしょうか。戦うのが嫌になって、軍隊から逃げ出したら、軍としての規律が崩壊するため、一番重い罪となり、どこの国の軍隊でも必ず死刑となります。それに比べたら、「単なる」殺人罪などは、軍隊にあっては、ほんの微罪です。
歌の時代は南北戦争の頃らしいので、とすると北軍か南軍かは知りませんが、戦うのが嫌になった兵士が逃亡し、自軍に捉えられ、死刑となる。でも、この兵士は、それでも敵味方で殺し合いをするよりはマシだったと考えて、故郷に葬られることを夢見ながら処刑場に赴く。そんな情景が、何となく浮かんできます。

投稿: 「もう戦後ではない」と言われた時代に生まれたおっさん | | 2013年5月16日 (木) 17時04分

「もう戦前…おっさん」さんの話に聞き惚れつつ、その戦場離脱の推敲から硝煙の向うに見える(恐らく北部)国旗を詠ったアメリカ国歌を連想します。「…おっさん」さんによると、この歌詞の若者は戦いを放棄しながら、故郷と母親に思いを集中させている。痛く共鳴します。

`星条旗よ永遠なれは`は国歌の嚆矢の一つではないでしょうか。`君が代`より先に作られた筈。そして君が代より遙かに抒情に溢れる詩とメロディー。これに比べると、君主の時代を反映する例えば英/蘭/日などの国歌は、残念ながら、未来志向に欠けていたんですね。

投稿: minatoya | 2013年5月19日 (日) 09時42分

「「もう戦後ではない」と言われた時代に生まれたおっさん」さん、戦後を戦前にする迂闊をお詫び申し上げます。

1965年に産み出された名曲と聞き、20歳代のぼんやりし過ぎが悔やまれます。3番在りて、1/2番が光る。しかり、納得いたします。看守と神父に付き添われ電気椅子に座りに行く彼は、しかし、肉体の滅ぶ死の向うに魂の蘇りを観ているのかも知れない、とフト思います。

> Again I'll touch the green, green grass of homeの後にYes, they'll all come to see me, In the shade of that old oak tree, As they lay me 'neath the green, green grass of homeと続く詩に、肉体を離れる`彼`が再び緑みどりの草原を駆けてくるメアリーを喜びに溢れて見ている…。ネパールやインドの輪廻再生の死生観がカトリックにも(秘かに)在るのではないだろうか。すると1/2番が二重に三重に素朴な明るい意味を加えだすように思われるのですね。

投稿: minatoya | 2013年5月20日 (月) 06時58分

先の投稿で、この歌の中で歌われている情景は、南北戦争の頃らしいと書きましたが、歌の発表は1965年、ベトナム戦争たけなわの頃です。多分、ベトナム戦争そのものを題材にするには、あまりにも生々しかったのではないかと推察するのですが、私が書いた「想像」は、私自身の実体験に基づきます。1967年か68年頃、当時私は中学生になったばかりでしたが、大学生の従兄弟のところによく遊びに行っていました。そこで、従兄弟がFENを聞いていて、その中に、突然、無機質なナレーションのような雰囲気で、なにやら名前と番号、場所のようなもののリストを読み上げるというコーナーがありました。早口の英語ですし、中学生の私には、なんだかわからない放送でしたが、従兄弟の解説で、これは日本の基地から脱走した米兵を探している放送で、氏名と認識番号、所属部隊と脱走した場所を読み上げて、情報提供者を呼びかけているのだと聞いて、どこか遠い世界のことと思われたベトナム戦争が、突然目の前に現れたような衝撃を受けたのを、今でも鮮明に記憶しています。
日本の基地からの脱走ならば、捕まっても死刑にまではならないでしょうが、最前線で逃亡したら、間違いなく銃殺刑になります。当時の厭戦気分や、日本を覆っていた反米思想、そして米国でも燃え上がっていたベトナム戦争反対の動きなどに思いを馳せるとき、この歌の生まれた時代背景や、訴えたかったメッセージなどから、先のような想像をした次第です。

投稿: 「もう戦後ではない」と言われた時代に生まれたおっさん | 2013年6月20日 (木) 20時18分

英語の歌詞がトム・ジョーンズなどが歌っている歌詞とちょっと違うようですが。

And there to greet me are my Mama and Papa; の are は is

And down the road I look and there runs Mary, の And はないようですが。

投稿: 関根良夫 | 2014年9月12日 (金) 08時45分

関根良夫様
(1)isかareかについて
isに直しました。文法的にはareが正しいのですが、カントリーウェスタンなどの大衆ソングには、よくこうしたまちがいが見られるようです。

(2)Andのあるなしについて
私のもっている2つの楽譜でこの部分を見ますと、1番は、八分音符3つにAnd down theと単音節語がそれぞれ当てはめられています。3番でも、八分音符3つにFor there's aと単音節語がそれぞれ当てはめられています。しかし、2番では最初の八分音符が休みになっており、次の2つの八分音符にDown theと単音節語が2つ当てはめられています。2番だけそうなっているわけはわかりませんが、原詞では1番と3番が八分音符3つに単音節語3つを当てはめるようになっているのはまちがいないようです。
この歌のように、カバーされることが多い曲では、歌手が歌いやすいように、あるいは自分の感覚に合うように一部を変えて歌うというのは、よくあることです。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2014年9月12日 (金) 15時37分

二木先生、関根良夫様

私もTom Jones, Joan Baezだけでなく、Elvis Presley, Porter Wagner, Jerry Lee Lewis, Merle Haggard等の、YouTubeにアップされているGreen Green Grass of Homeを聴いてみました。もう1箇所、二木先生の書かれている歌詞と違う部分がありました。3行目は彼らの歌では

And there to meet me is my Mama and Papa

となっていて、・・・to greet me・・・ではありませんでした。どちらでも、「(出)迎える」というような意味で、とくに意味合いに大きな違いがあるわけではありませんが。。。ちなみに、この曲の英語版のWikipediaを見てみると、この曲の、この部分の歌詞は以下のようにパラフレーズされていますので抜書きしてみます。

A man returns to his childhood home; it seems that this is his first visit home since leaving in his youth. When he steps down from the train, his parents are there to greet him, and his beloved, Mary, comes running to join them.

わざわざ his parents are there to greet him とgreetが使われています。Curly Putmanのオリジナルの歌詞ではどちらが使われているのか、興味があるところです。

投稿: KeiichiKoda | 2014年9月15日 (月) 06時59分

KeiichiKoda様、
そうですね、とても興味深い点だと思います。
私はオリジナルでは”meet”であることを望みます。

”meet”は出会う、接触する、と比較的無機質な言葉ですが、”greet”はその出会いに喜びと嬉しさが含まれている言葉であるように思います。

第三者が両親が息子を出迎える場面を”greet”として解説するのは当然でしょうが、この歌のように息子本人(特に囚人)がつぶやく言葉としては、「パパとママが会ってくれるんだ」、と一段感情を抑えた言葉(meet)であることがより相応しい言葉であると思います。

投稿: yoko | 2014年9月15日 (月) 09時59分

3番の衝撃的な内容からは、「フクロウの河」(1962年のフランス映画)とアンブローズ・ピアズの原作「アウル・クリーク橋の一事件」を思い出します。明るく甘い幸せな歌詞で満足しているのは人間的な幼稚さを意味するように思います。人生には取り返しのつかないことがあると「朝日の当たる家」も歌っています。

投稿: Bianca | 2014年9月24日 (水) 23時17分

ボブ・ディランがノーベル文学賞に決まったというので、ジョーン・バエズが歌う『思い出のグリーン・グラス』を聴いています。
50年ほど前のことを思い出し、いろいろな想いが胸に去来しています。

投稿: 矢嶋武弘 | 2016年10月15日 (土) 15時48分

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