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おかあさん

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:西條八十、作曲:中山晋平

おかあさん おかあさん
おかあさんてば おかあさん
なんにもご用はないけれど
なんだか呼びたい おかあさん
(繰り返す)

Araihari 《蛇足》 歌詞は短いし、メロディも単純ですが、幼子の母親に対する気持ちが ストレートに表現されていて、私は好きですね。

 「おかあさん」「なーに?」「ううん、なんでもない」――幼児はこれだけで安心するんですね。幼児だけではありません。おとなになって、何か困難や悲しいことに出会ったとき、「おかあさん」とつぶやくだけで力が湧いてくるという人が少なくありません。
 
「おかあさん」――魔法のことばですね。

 上の絵は洗い張りをしているところです。昭和20年代半ばに母が何度か洗い張りをしていたのを思い出して描きました。女の子を丸刈り頭の男の子に変えれば、そのまま私の思い出になります。

 洗い張りは布の再生方法の1つです。今はほとんど専門業者しか行いませんが、昭和20年代半ばあたりまでは、一般家庭でも行われていました。

 着物などを解いて元の反物の形に戻してから、水洗いします。次に、木綿など水で縮みにくいものは、板に貼り付けてから刷毛でのり付けします(板張り)
 いっぽう、絹など水で縮みやすいものは、上の絵のように、2本の木やクイの間に張り渡し、両端を尖らせた竹ひご
(伸子〈しんし〉を4,5センチおきに打って布をピンとさせてから、刷毛でのり付けします(伸子張り)

 生家はもうなくなってしまいましたが、明るい南庭と、そこで立ち働いていた若かったころの母の姿を思い出します。

(上の絵は平成21年の年賀状用にPhotoShopで描いたものです)。

(二木紘三)

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コメント

私は昔、会社の後輩の女性にあるとき「○○さん」と呼びかけました。「エッ、何ですか」「ちょっと呼んでみただけ」。彼女はちょっと恥ずかしそうに「ありがとう」と言いました。

私は別に女の対象として彼女に気があったわけではありませんが、彼女を見ていてふと、優しい気持になって言ったのです。特にお母さんには言ってみたい、お母さんの返事を聞きたいですよね。 場違いな事を言ってすみません。

投稿: 吟二 | 2008年12月26日 (金) 22時02分

mp3配信について皆様にご心配をおかけしましたが、データを3カ所に分散しましたので、たぶんだいじょうぶだと思います。確信はありませんが。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2008年12月29日 (月) 01時28分

孫が公園で遠くにいる母親をようやく見つけて、「おかあさ~ん」と呼んでいました。
家庭内では「とうちゃん、母ちゃん」と呼ばせていたようですが、外出先での呼び方はちゃんと「おかあさん」ななんですねえ。
まだ2歳過ぎたばかりですが、わきまえているんですね。
小生の母は91歳で子ども達の顔も見極めることもなく数ヶ月入院、そして往生しました。

投稿: video-FHK | 2009年1月16日 (金) 18時27分

小生の両親は信州の田舎でのんびり暮らしています。生まれは松本市内ですが空襲で父の田舎に引っ越したそうです。兄弟は皆男なので「おかあさん」と呼ばれた事は無いと思います。父は帰る度
葬式はこうやれ、ああやれとばかり言う。男3人
いれば何とでも成る言うのだが?母は米寿で秋に
表彰される予定です。嫁に「おかあさん」と言われても空々しいだけですね。小生は先生より1年
後に生まれました。

投稿: 海道 | 2009年1月29日 (木) 15時43分

懐かしい情景ですね。張り板は小さい頃滑り台にして遊びました。明治生まれの母は和服しか着ませんでしたから、しょっちゅう洗い張りをしていました。竹ひごを使うしんし張りはあまり見た事はありません。多分洗い張り屋にだしていたのだと思います。小さい時は母親が絶対の存在でしたが、小学校の高学年になると母親を批判する目が出てきて、他人に対して裏表のあることがわかってきました。そこへいくと父親は単純明快、怒鳴ったり殴ったりはしますが、良い事は良い、悪いことは悪いで裏表がなかったと思います。父親の愛情のほうが深いという友人が結構います。他人に見栄を張らずに娘の味方をしてくれると言います。私もそう思います。父の写真は戦災で焼いてしまったのか1枚もありませんが、信長の肖像画にそっくりで、性格も似ていました。今なら変人の部類に入ると思います。

投稿: ハコベの花 | 2015年11月21日 (土) 23時53分

私の母は優しくて甘えられるようなタイプではありませんでした。私は母よりも父が好きでした。
幼い頃は夜寝る時も父の布団の中に入って寝るのが好きでした。

父と母は別居していました。父は私を引き取りたいと母に申し出ていたようです。何才くらいの頃か分かりませんが、ある日、母が私の下着のパンツとシャツを着替えさせながら、「お父さんがお前と一緒に住みたいと言っているがお父さんの所に行くか?」と問いました。私は喜んで、「行く!」と答えました。すると突然母の様子が変わり、「行くな、行かないと言え」と言いました。そして泣きだしました。私は母の気迫と涙に圧倒され、「行かない」と言わざるを得ませんでした。母はケロッと泣きやみました。

学生時代友人のF君に誘われてF君の郷里に遊びに行きました。F君のお母さんに挨拶して帰るときF君のお母さんは畳みの上に跪き両手を畳みの上に付いて、「こんな子ですがどうぞよろしくお願い致します」と言って何度も何度も頭を下げられました。どこの馬の骨とも分からない屑学生の私にです。以来私は人様からこんなに頭を下げてもらったことはありません。昨年久しぶりに会ったF君に「あの時君のお母さんには驚いたよ、素晴らしいお母さんだね」と話したところF君は、「出来の悪い息子だからいつも心配してたんだよ」と笑っていました。私の郷里にも友人が遊びに来たことがあります。私の実家に泊まってもらいました。時間がたつにつれ母が不機嫌になって行く様子がわかりました。そして聞きもしないのに「次の列車の時刻は○○だよ」、と言うようになりました。私はその友人を私の実家に誘った手前、苦しくてヒヤヒヤの思いでした。

優しくて甘えられるお母さんは永遠の憧れです。
私の妻はそれを70%くらい満たしてくれているかなぁ~、と思います。
こんなコメントは男の勝手で女性からは怒られるでしょうか?

投稿: yoko | 2015年11月22日 (日) 22時08分

「洗い張り」やっていました、祖母と母が。私どもは母の実家にやっかいになっていました。祖父母宅は一応ゆとりある家庭でしたので心配はありませんでした。挿絵のような光景は見た記憶があります。
 其の後、祖父の思案で小さな家を作ってくれました。そこに二人で何年か過ごしました。友人を連れてその家に泊まったことがあります。特に印象は残っていませんが、よかったと思っています。今母は老健にお世話になっています。

投稿: 今でも青春 | 2015年11月23日 (月) 17時55分

>「おかあさん」――魔法のことばですね。

平成28年2月29日103歳の義母が亡くなりました。
昭和23年8月4日義父は小学校の校長でしたが、過労がたたり36歳の義母と3人の子供を残し、旅立ちました。
それから3人の子供を実家にあずけ義母は看護学校の寮に学生と共に生活し、看護師養成に全力を尽くしました・・。
私は妻と見合いする前に義母にお会いしました。
その頃の義母は看護学校の生徒さんから、母、姉、教育者として慕われしていました。先日義母の葬儀で駆けつけてくれた80歳前の元看護師さんは「私が校則を破り退学処分になりかけた時、先生は私を命がけで守っていただいた。今、ここに私がいるのは先生のおかげです」と涙ながらに語ってくれました。

そんなおかあさんと人生の後半をすごせたことを誇りに思います。

たまたま二木先生のページに「お母さん」の歌をみつけ涙しています。最近の新聞、TVなどでおかさんに見捨てられている子供さんのことを知り胸が痛くなります。

この曲をお母さん聞いてください。大好きなおかあさんを
いつもおもっている素直な子供さんの想いにこたえていただきたいと思います。
 私は4月になれば73さです。
いい歌を 有難うございました。
                  練馬区 けん

投稿: けん | 2016年3月26日 (土) 12時07分

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