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2009年3月22日 (日)

故郷の廃家

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:William Shakespeare Hays、
日本語詞:犬童球溪

1 幾年(いくとせ)ふるさと 来てみれば
  咲く花 鳴く鳥 そよぐ風
  門辺(かどべ)の小川の ささやきも
  なれにし昔に 変わらねど
  あれたる 我家(わがいえ)
  住む人 絶えてなく

2 昔を語るか そよぐ風
  昔をうつすか 澄める水
  朝夕かたみに 手をとりて
  遊びし友人(ともびと) いまいずこ
  さびしき 故郷(ふるさと)
  さびしき 我家(わがいえ)

        My Dear Old Sunny Home

1. Where the mocking bird sang sweetly
   Many years ago,
   Where the sweet magnolia blossoms
   Grew as white as snow,
   There I never thought that sorrow,
   Grief nor pain could come,
   E'er to crush the joys and pleasures
   Of my sunny home.
       (Chorus:)
        Oh! I'm weeping,
        Lonely I must roam.
        Must I leave thee,
        Dear old sunny home?

2. Flowers withered, roses drooping,
   'Round the cottage door,
   And the birds that sang so sweetly,
   Sing, alas, no more.
   Ev'ry thing seems chang'd in Nature,
   Since I cross'd the foam,
   To return, my poor heart breaking,
   To my sunny home.
       (Chorus:)

3. Other forms and stranger faces,
   All that I can see,
   Brings to mem'ry thoughts of loved ones
   Who were dear to me.
   But my poor heart sinks within me
   When I turn to roam,
   Far from all I lov'd and cherish'd,
   Good bye, sunny home.
       (Chorus:)

《蛇足》 アメリカのソングライター、ウィリアム・シェークスピア・ヘイズによって1871年に作られました。
 彼は、シェークスピアというミドルネームが気恥ずかしかったらしく、ほとんど使わなかったそうです。

 ヘイズは1837年、ケンタッキー州のルーイヴィルで生まれ、1907年、70歳のとき、同地で亡くなりました。
 生涯に約350曲作りましたが、そのうちわが国でもよく知られているのが、この曲と『冬の星座
(原題は"Mollie Darling")です。

 ヘイズは非常に子煩悩な人だったようで、子どもが生まれるたびに、それを記念する曲を作っています。

 原詞は、「モノマネドリが歌い、白木蓮の花が咲いていた家に、海原を越えて久しぶりに戻ってきたら、花は枯れ、鳥は歌わなくなっていた。まわりは知らない人ばかりで、私はまたさすらいの旅に出なければならない」といった内容。
 2番のfoamは泡ではなく、大洋という意味。

 犬童球溪(いんどう・きゅうけい)が明治40年(1907)に発表した日本語詞は、これとほぼ同じ設定になっています。

 2番の「かたみに」は、「たがいに」とか「代わる代わる」という意味の副詞です。

(二木紘三)

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コメント

   村境の春や錆びたる捨て車輪
   ふるさとまとめて花いちもんめ  (寺山修司)

 故郷を離れて幾十星霜。このたび『故郷の廃家』を新たにご提供いただき、改めて望郷の想いを深く致しております。
 今の時代は変化のスピードが早く、その変化を全国津々浦々いずこもまぬがれ得ないような状況です。久しぶりで帰郷してみますと、郷里のあまりの変わりように愕然とさせられます。そして思うのです。『ここはもう、オレが思い返していた所とは違うな』。
 故郷―それは宝物のような幼少時代の思い出がびっしりつまった特別な場所。そのよすがの多くが消失してしまっている喪失感。そういう感じを抱くのは私だけでしょうか?

投稿: Lemuria | 2009年3月24日 (火) 20時25分

実家には年老いた両親が今でも健在ですが、何時かは
この歌詞のように成るのでしょう。父は13年間も中国
戦線に行っていたのに、戦争のことは一切口にしません。これも人間の生き方の一つなのでしょう。

投稿: 海道 | 2009年4月 3日 (金) 12時25分

私にとって、故郷を想う歌はこの歌です。
高野辰之さんの「故郷」もありますが、ウサギを追う・・・という経験がありませんでしたので、小さい頃から歌の本の中の物語として別世界のような気がしていました。
この「故郷の廃家」が外国の歌と知ったのは中学生になってからです。それまで、ずっと日本の歌だと思っていました。
妻の実家で、この歌を口ずさんでいたら義母が歌いはじめ、終わりまで一緒に歌いました。
聞くと、女学校の頃この歌を全校生徒の前で独唱したという、とても好きな歌だったそうです。
その義母も、それから5年後に亡くなってしまいました。
今でも口ずさむと、義母が一緒に歌っているような気がします。

投稿: コーデリア | 2009年11月18日 (水) 11時13分

犬童球渓は『旅愁』の詞も書いてますね。本職は音楽教師で英米の歌の訳詞を専門に書いた人のようです。

投稿: ☆諒 | 2010年1月13日 (水) 09時02分

犬童先生は私の故郷人吉のご出身で、私の学んだ人吉東小学校校歌も作詞作曲して頂いております。
母の再婚で故郷を離れ52年、65歳の今も二木先生の演奏でこの「故郷の廃家」と「旅愁」を聞く度に霧深いあの懐かしい町並み、人情厚い人達が脳裏に浮かびます。
秋の夜 当時東小学校講堂(木造の大変立派な建物でした)で犬童先生を記念した音楽会が行われていました。
九州一円はもとより関西方面の音楽家も集う生演奏と 声楽家の方々の圧倒的迫力は当時の母の思い出と重なり生涯の思い出となっています。
犬童とは大変変わった人吉地方独特の苗字で、あまり多くはいらっしゃらないと思いますが小学校の先生にもこの姓の方がおられました。
ご健在でしょうか。 実は私も実父が犬童姓で川辺川沿いの相良村の出でした。
人吉にはいつか帰りたく思います。

投稿: 浜のぼくちゃん | 2010年2月 6日 (土) 10時23分

 懐かしい歌っていると涙が出てくる歌です。中学1年生から2年生頃この歌と「峠の我が家」を欲口ずさんでいたと思います。もし出来ることなら二木先生是非「峠の我が家」も入れて頂ければうれしいと思います。宜しくお願いいたします。

投稿: masa | 2010年3月11日 (木) 11時16分

二木先生にお尋ねします。
[故郷の廃家]

門辺の小川の ささやき→ が「せせらぎ」となっている
楽譜もありますが、、どちらが正しいのでしょうか。

朝夕かたみに→ 「かたみに」の意味を教えて下さい.
幼稚な質問?申し訳ありません。jyunpei

投稿: 中村順平 | 2012年8月29日 (水) 12時35分

中村順平様
「ささやき」か「せせらぎ」かですが、古い歌の歌詞は「浜辺の歌」のように、写しまちがいなどで途中で変わってしまうことがあるので、どちらが正しいかわからないことが往々にしてあります。この歌については、歌集でもネットでも「ささやき」が多いので、大勢に従いました。こちらが正しいという資料をお持ちの方はお知らせください。

「かたみに」については「蛇足」の末尾に追加しておきましたので、そちらをご覧ください。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2012年8月29日 (水) 15時01分

皆様今晩は

あたしは「故郷の廃家」が大好きです。

このじん~とくる感動は一体何でしょうか?

時の流れに共感するのかも?

歌詞に出てくる、幾年(many years)って何年くらい経過しているのでしょうか?

歌詞の内容から推察して、もう30~40年も経過しているのかも?

みなさんは、どう想われますか?

petit浦島になったような気分!

投稿: トッコ | 2012年11月28日 (水) 20時32分

本当に心の故郷ではありませんが、何年かして故郷といわれる所へ帰ってみると、まるで風景が変わって、町名まで変わって
見知らぬ町へでも迷い込んでしまった様な気持ちになる事があります。先日中学校の母校を訪ねてみたら、既に廃校になっていまして、正門には鎖で閉鎖されていました。イロイロと都合のあっての事だとは思いますが、世の中変えて良いものと、そうでないものもあるんだと、寂しい気持ちになりました。

投稿: 赤城山 | 2013年5月 6日 (月) 19時13分

この曲は中学のときに習いましたが、ヨーロッパの民謡とばかり思っていたのですが、アメリカの歌だったのですね。原詩も初めて知りました。「咲く花、鳴く鳥、そよぐ風」の「鳥」はmocking bird(ものまね鳥)のことだったのですね。先日亡くなったパティペイジ(テネシーワルツで有名な歌手)にはMocking Bird Hillという歌があって、昔よく聴いていたのですが、アメリカの歌にはこの鳥がよく出てきますね。アメリカ在住の日本人の作家が書いた小説(芥川賞受賞)「モッキングバードのいる町」はアメリカの町が舞台です。Moking Birdとはどういう鳥なのか鳴き声を聴いてみたくなりました!

投稿: KeiichiKoda | 2013年5月 7日 (火) 11時44分

上のコメントへの追記です。この歌の「鳥」、すなわち、Mocking Bird(ものまねどり)は
  tra-la-la tweedlee dee
と鳴くようです。パティ・ペイジのMocking Bird Hill

 http://www.youtube.com/watch?v=EXo3wTgsMB4

をお聞きください。

投稿: KeiichiKoda | 2013年7月 7日 (日) 13時30分

KeiichiKodaさん、ものまね鳥の本物鳴き声も聞けると思いご紹介YouTubeを覗きますと、歌詞中の擬音語だった。ペイジの歌は良き昔をしのぶような心地よいメロディーですね。

自然ヴォランタリーグループでいつも楽しい知人が生まれつきのvogelaar(fowler)。このフィールドに棲息する鳥すべてを物まねしてくれます。フロリダからメキシコ、ガラパゴス諸島(に多種が揃っている)含みで南米全般、パタゴニアまでのモッキングする(Mimus)仲間について「わしゃ知らんぞ」と言います。ところが「あれはカモメから他の鳥鳴き声までイッパイ上手に真似しよるから、あれ自身の鳴き声サッパリ分らん!」と教えてくれました。鳥を追って世界の果てまで行く人種に驚きます。

http://www.youtube.com/watch?v=XN-mLMnVvEw
↑分布北端フロリダ種のモッキングの器用ぶり。

MP3二木流の名アレンジが心を揺さぶります。オギャーとタライの中で生まれた黒煤で光る日本海をのぞむ家に住まう人無く、「故郷の廃家」にいつかなる…。

投稿: minatoya | 2013年7月 8日 (月) 05時05分

minatoyaさん、本物のmocking bird(ものまねどり)の映像と鳴き声、有難うございます。Northern Mockingbirdというmocking bird の一種で、フロリダ州の州鳥に指定されている由ですが、アメリカ全土に見られる典型的mocking birdでもあると説明されていますね。実にいろいろの鳴き声をするのですね!驚きました!私もアメリカは北部(ミネソタとペンシルベニア)と南部(バージニア)に住んだことがあるのですが、当時は鳥の鳴き声などには興味がなかったので、この鳥がいろいろの場所に棲息していることはまったく知りませんでした。日本にもこの種の鳥はいるのでしょうか?

投稿: KeiichiKoda | 2013年7月 8日 (月) 09時42分

KeiichiKodaさん、私も驚いています。分布、全米ですか? ヘンク(件の知人)から聞いただけで、US州鳥も含め私は全く知らないのです。全米と言っても北は昔やや寒かった筈ですから、この30年ほどの温暖化で生息域を拡大したのでしょうか?

物まね鳥はインコ類で、戦後に籠から逃げたワカケインコが中央欧州で帰化-繁殖して一寸公害っぽい存在です。日本にモッキングバード帰化は無いと思いますが、家烏が器用に物まねすると、それを楽しむ義姉から聞いています。烏だけが屋根に留まっている「故郷の廃家」が連想されます。すると、ヒッチコック‘The Birds‘が重なって、懐かしく恋しい気分が消えてしまいます。

投稿: minatoya | 2013年7月 9日 (火) 09時04分

Minatoyaさん、私もNorther Mockingbirdについて少し調べてみました。Northern Mockingbirdは日本名では「マネシツグミ」というようです。北米にいるmocking birdはこの種だけだそうです。またアメリカ全土といっても寒い、北部とくに五大湖の西のほうには棲息していないようです。以下(↓)で引用するWikipediaには棲息分布が付いていますが、マネシツグミは緑色(1年中棲息)と黄色(夏だけ棲息)で示される部分である南部と中部に生存している由。この「故郷の廃家」の作者ヘイズは二木先生によれば南部のケンタッキーで生涯を送った人のようですから、この歌の中に出てくる「鳥」はマネシツグミに間違いありません。
  http://en.wikipedia.org/wiki/Northern_Mockingbird

投稿: KeiichiKoda | 2013年7月 9日 (火) 12時05分

今朝(2015年3月3日)のラジオ体操の首の運動のピアノの伴奏曲でした。切れ切れに覚えていた歌詞を頼りに、このホームページで故郷の廃家にたどり着きました。
「咲く花鳴く鳥そよぐ風」は故郷を五感を呼び起こさせるすばらしい歌詞ですね。

投稿: MIIKO | 2015年3月 3日 (火) 09時27分

MIIKOさま、私も朝早く起きられたときは、NHKEテレ6:25AMにはじまるラジオ(テレビ?)体操をしています。本日は寝坊してできませんでしたが。。。最近購入した島田祐子さんのCD「こころの歌100曲」にはこの歌「故郷の廃家」がはいっていて、私の大好きな歌でもあるるので、よく聴いています。ラジオ体操といえば、体操のピアノ伴奏をしている3人のうち、どの方だったか、「懐かしのバージニア」を伴奏曲として用いています。この曲も私は好きなんです。この歌は二木先生のサイトではまだ取り上げられていないので、二木先生にいつか解説をしていただけたらと思っています。

投稿: KeiichiKoda | 2015年3月 3日 (火) 17時10分

故郷の歌はどれも素晴らしいですね。歌の誕生や秘められた歴史、歌詞に心を揺さぶられます。随分前になりますが、懐かしくて故郷の山野を歩き回ったことがあります。そのとき人里離れた山のただなかにぽつりと一軒、家が残されていました。家の前には秋の日差しを浴びて真っ白な洗濯ものが干し竿に掛けられ輝いていました。こんなところに人が住んでいる、小さな子供さんもいる・・・、と驚きました。小川のせせらぎ、小鳥のさえずりが聞こえ、花がさきほこるであろうまさに歌に示されるような山のただなかです。赤ちゃんをおんぶしたお母さんが現れるのではないかと、しばし足が止まりました。あれからもう20年以上も経ちます。まだあのご家族は住んでいらっしゃるのだろうか、子供さんはもう巣立たれたのだろうか・・・、などと思い出されます。私はフォスターの「懐かしのケンタッキーの我が家」も好きです。故郷をしのぶ歌はどれも甲乙つけがたいですね。歳をとって故郷の田舎に帰りますと父母やもうお会いできない多くの方々がしのばれ、昔の光今いずこ、の心境になります。

投稿: yoko | 2015年3月 3日 (火) 21時26分

私の2015/3/3のコメントへの追記です。今朝3/6(金)の「テレビ体操」の伴奏はピアニスト加藤由美子さんの担当で、伴奏曲が「懐かしのバージニア」でした。この曲がどんなメロディだったか忘れた方は、ここ(↓)にアクセスしてみてください。

https://www.youtube.com/watch?v=csnC-TUDD0Q

このYouTubeのまわりには別の歌手によるいろいろのバージョンのこの曲がアップされています。

投稿: KeiichiKoda | 2015年3月 6日 (金) 08時09分

人吉に何回も行っていますが、ようやく犬童先生の生家を訪ねることが出来ました。裏通りの狭い路地に一部洋館風の建物がありました。中には入れる雰囲気はなく、写真だけ撮って、相良村から清流川辺川に沿って五木村へまた行きました。∨字型の険しい山道はダム建設の
お陰(?)でかなり上の方を走っています。結局ダムは作られず、沈む予定だった村々は新しい住宅団地に変わりました。中心にある道の駅の傍に、村の藁葺き屋根が移転展示されています。そのお家の名前も犬童家でした。
 せめて あの うすみどり色に輝く川辺川がいつまでも変わらぬ故郷の姿を写してほしいと思いました。ハーモニカで吹いています。

投稿: 旅役者 | 2015年4月 1日 (水) 23時02分

 この曲の作曲者がケンタッキー出身とは知りませんでした。yoko様がコメントされているように、かのフォスターも『Old Kentucky Home』でケンタッキーを懐かしんでいます。
 ケンタッキーは芝種Kentucky Blue Grassで知られているように、青々とした牧草の続く美しい州です。我が国ではフライドチキンの方が有名かも知れませんが、テネシーとともにバーボンウィスキーの故郷と言えば、頷かれる諸氏も多いのではないでしょうか。

投稿: Yoshi | 2015年4月 4日 (土) 09時39分

犬童球渓先生へ
先生、歌詞が寂しすぎます。
故郷の廃家の歌詞を読む時、口ずさむ時、そのあまりの寂しさにいつも胸塞ぎしばらく寂寥感に包まれてしまいます。

人吉にずっと住み続けている人達と、東京、兵庫、新潟と故郷を離れた生活をされた先生とでは話が合わなくなられましたか。
先生、どうして風景ばかり歌われましたか。友は、心の通じる友は、話のできる人はもう故郷人吉にいませんでしたか。

さびしき故郷や さびしき我が家や。

この歌詞が私の心を引き裂きます。 言葉が強すぎます。犬童先生、私は寂寥感に打ちひしがれます。

投稿: 望郷人 | 2015年9月17日 (木) 13時40分

故郷の歌のなかでもこの歌は情景が呼び戻される良い歌だと思います。今でも時々、故郷に帰りますが、隣近所は皆空き家、学校には、生徒が昔の3分の1もいない状態です。いつも懐かしくて故郷の山野を歩き回りますが、入ってくる情報は、知人や同級生の訃報ばかりです。歌詞のごとく我が家も今「廃家」となろうとしています。昔遊んだ山や川、海に何の変化もありません。小川のせせらぎ、小鳥のさえずり、あれからもう半世紀が過ぎたのです。故郷を歌ったのはみんないい歌が多いですね。今、歳をとって故郷に帰りますと父母をはじめもう会えない多くの方々が偲ばれ本当に寂しい心境になります。しかし故郷はいいものです。大切にしたいと思っています。

投稿: 和田 貴行 | 2016年4月 8日 (金) 21時24分

事あるごとに、二木先生の解説、皆さま方の投稿を読ませて頂いております。いろいろな事柄が勉強になり、誠に有り難い事です。この歌は私も大好きな歌であります。
もう18年も前に、私がふと書いてみたエッセイを以下、投稿させて頂きたいと思います。

夕方帰宅し、冷えた身体を温かい風呂の湯船に横たえる。
つま先から、膝、手、腕、肩そして全身に、
ジワーッとお湯の温かい温度が心地よい感触で伝わってくる。  
『 あーぁ、幸せだなあぁ・・・・ 』 と、しみじみつぶやいてしまう。
そうつぶやくと同時に、不思議なことだが、太平洋戦争で若くして散っていった たくさんの不幸な方々のことを思い浮かべてしまう。
そして、童謡、「故郷の廃家」の歌詞が、ふと口をついて出た。
 ♪ いくとせ、ふるさと 来てみれば・・・・・ ♪
この童謡の歌詞及びメロディーが、何かしら特別の響きで、私に迫ってくるのは何故だろう。
きっと、最近、戦争にまつわる本を数冊読んだからだ。

太平洋戦争末期の硫黄島・・・・2万人以上の戦死者を出し玉砕した島
” 地下壕堀りを終えた帰り道、16歳の海軍少年兵もいたという彼らは、軍歌を歌っていても、最後はいつのまにかこの「故郷の廃家」になった。
戦意を喪失させる女々しい歌として、当時の軍隊では上官に聞かれれば、殴られても仕方のない歌だったという。
しかし、通りかかった市丸少将は、咎めようとする士官を黙って制し目を閉じて聞き入った。
少年兵たちを待ち受ける過酷な運命を思い、少将の目には涙が滲んでいたに相違ない。
まだ幼さの残る声のまま、少年兵たちは二度と故郷へ帰ることはなかったのである・・・・・ ”
        ( 梯 久美子氏の著書 「散るぞ悲しき」を参考に )
戦争のない幸せな現在に生きて、
のんびりと夕方、湯船に浸かれる恵まれた今よ!
戦火に散った多くの方々のおかげだと、感謝せずにはおれない。

投稿: 天草つりお | 2018年2月21日 (水) 14時25分

天草つりおさま 
 兵士たちの口ずさむ故郷へ想い、普通の人々が「玉砕を義し」として過酷で悲惨な戦争を強いられてしまった拭い去れない過去、コメントを拝読して胸がつまります。憲法9条を都合良く拡大解釈出来るようにすることは決して許すことはできません。

投稿: konoha | 2018年2月21日 (水) 17時00分

百人一首「契りきなかたみに袖をしぼりつつ」と同じ用法なのですね。

投稿: hurry | 2018年2月21日 (水) 21時46分

両親が逝ってから十数年になります。人里離れた山深い我が家ですが「故郷の廃家」歌詞そのままです。住む人が絶えても、昔のまんま柱も頑丈で、静かに故郷を守ってくれています。あまりの寂しさから、大きな声で「おとうさあーん」「かあさーん」「今帰ったよー」と呼びたくなります。この前、同窓会の帰り、家の周りの竹や草木をかき分け、昔を偲びながらカメラに収めました。写真は遠方の姉たちに送るつもりです。

投稿: 笑瓶 | 2018年8月 1日 (水) 15時42分

 笑瓶様
 この歌は、かつて若い頃(30代)の職場の同僚と小旅行をしたとき訪れた人吉で夜皆で歌いました。そういう思い出のある歌です。翌日は人吉城址に行きました。今のようカラオケがなく誰かが歌い出すと皆で合唱するのです。
 思い出させていただきありがとうございました。

投稿: 今でも青春 | 2018年8月 1日 (水) 18時45分

昔々の外国の歌なのに私は今現在の日本を歌っていると思います。田舎の道は村(ほとんどが村ではなく町ですが)をバイパスしていて村の生活の邪魔にならないようになってます。たまに民家を見たくて村に入ると住んでいなさそうなお家の何と多いことか。日に数回走るバスにも人は乗っていません。軽トラが止まっていたり洗濯物が干してあればホッとするくらいです。廃校になった小中学校もよく見かけます。二宮金次郎の残った木造校舎の寂しさはどうでしょう。犬童先生に追加の歌詞を書いてもらいたいくらいです。団塊の世代も古稀を越えようとしています。多くが村を捨てました。故郷の廃家は今の日本の田舎を歌っているようです。

投稿: まーちゃん | 2019年7月19日 (金) 01時24分

 令和元年7月7日「喜寿(77歳)の祝い」で今は無い旧浜町中学校第12回生77名が故郷「山都町(旧浜町→旧矢部町)に全国から集まった。
 当時は4組あり卒業生210名(物故者42名、連絡取れない人30名)。田舎では大人数の中学校だった。各組4名の幹事は、今回の「喜寿を祝う会」のため1年前から6回集まり会合を重ねたそうだ。招待された担任の先生は88歳の米寿、参加者は童心に還り和気藹々で楽しい会になった。次回は3年後、次々回は88歳になった時とY会長は挨拶し全員の賛同を得た。誇りをもって幸せに暮らす故郷の同級生に会え嬉しかった。
 
 60数年ぶりに会う同級生の一人は毎日農作業に出て血色も良く昔のように快活に話してくれた。しかし3年前に妻を亡くし、結婚しない息子の将来を案じてもいた。また3週間前に実母を亡くし、数日前に夫が倒れ、夫の看病後病院から駆けつけた女性もいた。田んぼに出ると猪が荒らして困るという話、子供が医者になり地域貢献して信頼されている話も聞いた。人生に肯定的に向き合う同級生の話は心地よかった。
 
 私が満州生れでハルピンからの引揚げ者であることを知った5名の同級生はそれぞれ「チチハル、牡丹江、奉天、大連生れでそれぞれ苦労しながら山都町に引揚げてきた・・」ことを語ってくれた。幼くて覚えていないが皆満州では恵まれた生活をしていたようだ。その5名中、山都町に残り故郷を守っている人は1名だけ。そのTH君は地元高校を卒業した女性と結婚、子供・孫たちと元気に過ごしていることを聞いた。私が草笛で「故郷」を吹いたら「あ、その草笛 満州から引揚た親父がいつも吹いていた」とYH君。私は「草笛の音色を幼い頃どこかで聞いた?」ような気がしていた。
 
 引揚げ当時は3歳半の私、ハルピンでも交流していたTH君の父の草笛を「ハルピンか故郷山都町」で聴いたのかもしれない。実父もいない私は確かめられないが故郷の野山を眺めながらそう思った。
 

投稿: けん | 2019年7月20日 (土) 05時43分

「故郷の廃家」聴く度になんとも云えず郷愁を誘うこの唄は、年齢とともにより心に沁みてくるようになりました!

時々ここにきて犬童球渓の訳詞を見ながら、このゆるやかで素朴なヘイズのメロディを聴いていると、どうしても私は幼いころに育った懐かしい故郷の景色を想い浮かべてしまいます。

私は故郷を離れてはや50年の月日が経とうとしていますが、今も印象に強く残るのは、昭和44年ころだったと思いますが、当時私が住んでいた田舎の山の麓に、新築の老人施設が出来、その施設に当時の皇太子殿下と美智子様の一行が来られたことがあります。それまでは人が通る道路と云えば、雨が降れば歩くと泥が跳ね、晴れれば土ぼこりがするという、そんな石ころだらけの道路ばかりでしたが、皇太子ご夫妻のお車が走る道筋だけ、当時では珍しいアスファルト舗装の突貫工事が行われ、その道だけが、特別に綺麗になったことがありました。そしてその後一時期だけですが、私は早朝のヤクルト配達のアルバイトで担当したその老人施設までの舗装された道を自転車で通ったことも懐かしい想い出です。

これは最近のことですが、故郷への思いがつのり、一度だけグーグルのストリートビューで私の住んでいた地域をくまなく探してみたことがあります。すると昔私が住んでいただろう場所は、残念ながらもうすでに建物らしきものはほとんど無く、ほんの数か所に存在する60年以上は経っただろうと思われる、瓦の一部は落ちかけ、いかにも壊れかけた木造住宅には草木が生い茂っていました。

懐かしさからくる衝動に負けて、探してみたその映像に映る私の故郷は廃墟化しており、昔の面影はなくその景色は変わり果てていました。
その映像での光景を目にしてふと思ったのは、故郷に帰るには50年というあまりにも時が過ぎてしまったような、そんなことを感じてしまい、何だかとても寂しい気がしました。

でもその一方で、少年のころに楽しく遊んで過ごした山や川のその景色は、50年が経った今も私の心の中にそのころのまま鮮明に保存されています。

投稿: 芳勝 | 2019年7月20日 (土) 22時52分

 芳勝さんのコメントをうなづきながら拝読しました。
私が満州引揚げ後 中学2年迄住んでいた故郷も、現在はだいぶ変わりました。昭和26年にできた老人ホーム(当時は養老院)もなくなり、建物があった場所に石碑がたっています。当時の藁屋根は瓦屋根に、田んぼも休耕田になっています。稲を植えてある田んぼの周囲は猪よけの電線(?)が張ってあります。少子高齢化でその内・・・。
 当時の道路はまだ県道以外は舗装されずに砂利道でした。起伏が激しく、くねくねと曲がった砂利道を友達と走り回っていました。こんな話を他県の友人に話したら、「自分の町にはじめて道路が舗装された時、靴を脱いではだしになり何度も歩き回った。車がほとんど走らない夜はその舗装道路に寝そべり、流れ星を数えていた。道路に寝そべるのは危ないと親に叱られた。」と思い出話をしてくれた。

 2番の歌詞の「遊びし友人(ともびと) いまいずこ」と共に故郷を思い出します。故郷で農業をしている友の一人は曾孫もできその地域の相談役をしているようです。熊本地震で被災した友は、病院と自宅の往復で弱ってきたようです。故郷の「喜寿を祝う会」参加者に故郷を離れた同級生夫人から「主人は、身体が不自由で今、施設にお世話になっております。残念ですが失礼します。」とコメントが届きました。

投稿: けん | 2019年7月23日 (火) 13時21分

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