« 燦(きら)めく星座 | トップページ | 故郷の廃家 »

りんどうの花咲けば

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:鈴木比呂志、作曲:八洲秀章、唄:鳴海日出夫

1 心に燃えて いたけれど
  口には云えぬ 頃だった
  りんどうの花 ほの揺れて
  君のうなじも 白かった

2 かげぐちなども 言ったけど
  いとしくなって 泣いたっけ
  りんどうの花 むらさきに
  前髪匂う やさしさよ

3 こころに咲いて いたけれど
  ほのかな夢の 花だった
  りんどうの花 散る頃に
  旅ゆく雲を 見つめてた

《蛇足》 昭和29年(1954)に放送されたNHKのラジオ歌謡。
さくら貝の歌』『あざみの歌』『山のけむり』『毬藻の歌』『チャペルの鐘』ほどヒットしませんでしたが、これもまた八洲ワールドの名曲の1つです。

 むかしの抒情歌には、リンドウ・スズラン・アザミ・忘れな草・コスモスといった草の花がよく出てきました。というか、歌詞にこれらの草花が出てくるだけで抒情歌っぽくなりました。

 私が知らないだけかもしれませんが、近年のはやり歌には草の花や木の花があまり登場しなくなったような気がします。大ヒットしたSMAPの『世界にひとつだけの花』の花は、実際の花ではなく、概念としての花にすぎません。
 身辺から自然が遠のくにつれて、草の花や木の花に託す人の思いも希薄になったのでしょうか。

(二木紘三)

|

« 燦(きら)めく星座 | トップページ | 故郷の廃家 »

コメント

 『うた物語』には、私など団塊の世代以降の者にとっては、初めて聴く歌がけっこう紹介されます。この歌もそうですし、最近の『夢に故郷を』『幌馬車の唄』などもそうでした。そして各曲とも、聴くほどにしみじみ良い歌だと思います。
 二木先生の、「近年のはやり歌には、草の花も木の花もほとんど出てこない」「身辺から自然が遠のくにつれて、草の花や木の花に託す思いも希薄になった」というご指摘は、まさにその通りかと存じます。
 私なども、近年現住居周辺の畑や空地がどんどん宅地化され、身近な自然が狭められていくことに、何か私自身の一部が徐々に削り取られていくような寂しさと危機感を覚えます。「地球にやさしく」などという耳障りのいいキャンペーンでお茶を濁すことなく、身近な所にある合法的自然破壊をいかに食止めるか。今後益々問われなければならない問題だと考えます。  

投稿: 春風亭今宵 | 2009年3月19日 (木) 18時46分

たしかに、アザミやリンドウなどの自生の花すなわち自然に接する機会や環境が日常から姿を消してしまったから、このようなみずみずしい歌が日本から消えたのでしょう。今では「造花」の歌ばかり。寺田寅彦がある随筆で言ってました。足で踏まれた泥だらけの野草の一片であっても、顕微鏡で観るとその組織のなんと美しいことか。一方、どんなに美しく見えようと、顕微鏡で造花をのぞくとその組織は実に雑然としている、と。

投稿: くまさん | 2009年3月19日 (木) 23時23分

今ではYouTubeで映像付きで歌手の歌が聞けます。無料のカラオケサイトもあるし、midiサイトもいっぱいあります。しかし、このサイトには、ほかのどんなサイトにもない安らぎがあります。それが曲から生まれるものなのか、二木先生の蛇足や皆さんの投稿コメントから来るものなのかはわかりませんが、このサイトに来ると、なぜだかとてもホッとするのです。
私は仕事で神経がイライラした日には、いつもここに来てなごみます。

投稿: Hoshida | 2009年3月21日 (土) 02時39分

全く聞いた事の無い歌ですがメロディーを聞きながら良く見ると八州先生の曲ですね。2回聞けば唄えるでしょう。良い詞ですね。この時代の詞には愛があります。

投稿: 海道 | 2009年3月21日 (土) 15時59分

「さくら貝の歌」からたどっていって、ラジオ歌謡の「りんどうの花咲けば」に巡りあうとは思いませんでした。子供のころラジオ歌謡の気に入ったものを一生懸命書き取って、メロディーを覚え、歌手も記録していました。
その記録した手帳の中だけに懐かしい歌があったのですが、このサイトでそのメロディーを聴くことが出来てとても嬉しいです。そして好きなメロディーがやはり「さくら貝の歌」と同じ人で、とても感激です。

投稿: Linda | 2010年3月16日 (火) 21時37分

45年位前職場のグループで富士登山をした。途中一人
のお姉さまが気分が悪くなり、一番若い私ともう一人
の若者で介抱しながら、皆と遅れはあったが8合目に着いた。翌朝は全員で無事ご来光を拝めた。
後日お姉さまからお礼にと食事をご馳走になった。そこでじっくりとお顔を拝見して見とれてしまった。その頃
この歌を知っていたら「心に燃えていたけれど口には云えぬ頃だった」の心境だった。

投稿: 海道 | 2011年10月 4日 (火) 15時44分

男女間の係わりを表す綺麗な言葉も消えて行っている様に思います。「ゆきずり」「哀愁」「面影」「習慣」
「うなじ」など代表でしょう。

投稿: 海道 | 2012年2月24日 (金) 16時27分

釣り鐘型のフォルムがとても可愛らしいりんどうの花を見ていると、「正義」「勝利」という花言葉よりも、『あなたの悲しみに寄り添う』のほうが、私は好きです。

”こころに燃えていたけれど
 口には言えぬ頃だった・・・“
と、静かにゆったりとリリカルな感情に誘い込み、最後に

”りんどうの花 散る頃に
 旅ゆく雲を見つめてた・・”
と、遠く遙かななにかを追い求めたくなるような未練を残しながらのエンデイング・・・過ぎ去った懐かしき日々を想起させるに十分な叙情歌の名曲だと思います。

それにしても、詩といい曲といい、なんでこんなにも心を揺さぶられるのでしょうか? 『敬老の日』なんて関係ないよね!


投稿: あこがれ | 2017年9月29日 (金) 12時51分

そうですね、敬老の日なんて大きなお世話です。「16歳だから敬老会は関係ない」と言って私は出席しません。
この歌の静かな抒情に気持ちが安らぎます。リンドウは花屋で売っていますが、私は5歳の頃疎開した山里でみた小さな雑草の花が懐かしくて仕方ありません。リンドウより小さくて花は薄紫で下を向いて慎ましやかに咲いています。野の花が美しいと思ったのはこの花が最初でした。
天竜川の一番下流にあるダムのほとりに今でも咲いていると思います。花を見て思い出す初恋は涙を誘われます。遥かに遠い人よ、お元気でしょうか。一度お会いしたいと思っています。

投稿: ハコベの花 | 2017年9月29日 (金) 14時32分

野菊の墓で民子が政男に次のように話す場面がありますね。

「私りんどうが好き」「政男さんはりんどうのような人だ」

こんな恋、してみたいです。

Wikipediaには次のように記されていました。

かつては水田周辺の草地やため池の堤防などにリンドウやアキノキリンソウなどの草花がたくさん自生していたが、それは農業との関係で定期的に草刈りがなされ、草丈が低い状態に保たれていたためだった。近年、そのような手入れのはいる場所が少なくなったため、リンドウをはじめこれらの植物は見る機会が少なくなってしまい、リンドウを探すことも難しくなってしまっている。

・・・・・

田舎へ帰って、車の入らない山道の草刈りをしてみたい、とよく思います。

投稿: yoko | 2017年9月29日 (金) 16時29分

 この歌は初めて聞きます。あるとき職場の数人で近隣の高原に行きました。そのとき、ある方が「これは、ひめりんどうって言うそうですよ」と言われました。今ではどういう花だったか忘れましたが、小さな花でした。その言葉だけ覚えています。
 みなさんいろいろ思い出のある歌なんですね。最近は叫んでいるような、また前奏なしで始まる歌が多いと感じます。
 

投稿: 今でも青春 | 2017年9月29日 (金) 17時51分

私もこの歌は初めて聴きます。
それにしても、皆さんの抒情感溢れるコメントに接し心が癒される思いでした。ありがとうございました。
詞の華麗な美しさとともに、二木オーケストラの流れるような素敵な演奏にしばし心が躍りました。
繰り返し聴くうちに、中学時代の初恋の想い出・・・それも片想いの恋・・・在学中は二人きりで一度も話したこともなかった十代の恋は過ぎ去ってしまいましたが、今、しみじみとこの曲を聴きながら彼女の顔が瞼に浮かび「濃むらさきのりんどうの花」のように見えてきました。
暫くしたら、私の目がしらが潤んできたのに気づきました。

投稿: 一章 | 2017年10月 1日 (日) 14時53分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 燦(きら)めく星座 | トップページ | 故郷の廃家 »