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別れたっていいじゃないか

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:西條八十、作曲:上原げんと、唄:神戸一郎

1 別れたって いいじゃないか
  泣くこたぁ ないじゃないか
  あいつだって 真けんに
  愛してくれたんだ
  ああ 花もしぼむさ
  小鳥も死ぬのさ

2 別れたって いいじゃないか
  想い出が あるじゃないか
  独りだって 目をつぶりゃ
  笑くぼが笑うんだ
  ああ 星も流れる
  心も変わるさ

3 別れたって いいじゃないか
  恋なんて こうじゃないか
  パッと散る 火花だよ
  それっきり寂しいんだ
  ああ 男涙は
  黙って流すさ

《蛇足》 昭和33年(1958)8月、レコード発売。

 ヒットしたので、大映が同タイトルで映画化しました。
 枝川弘監督で、主演は川崎敬三と川上康子。神戸一郎も、主人公の弟分役で出演しています。

 カード賭博師の英次は、愚連隊に絡まれている製薬会社社長の娘を助けたことから、彼女に惚れられる。しかし、彼女は自分とは違う世界の人だと悟り、わざと悪事を働く場面を見せて、あきらめさせる。その後、拳銃沙汰で右手をつぶしてカードが扱えなくなった英次は、『別れたっていいじゃないか』を聞きながら、堅気になる決心をする――という、たわいもない筋書です。

 2番の歌詞を見て、昭和37年(1962)3月、奥浜名湖畔での合宿で知り合った奈良女子大のNさんを思い出しました。笑うと、両頬にくっきりと笑くぼが出るひとでした。彼女とは、湖畔を2、3度散歩しただけで、その後なにも起こりませんでした。

(二木紘三)

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コメント

僕は今年八十五歳になります。
軍歌とか、昔の歌謡曲とかを楽しみながら、まだまだ長生きしたいと思っています。
これまでもお世話になりましたが、今後もよろしくお願いします。

投稿: 樋口常久 | 2009年4月28日 (火) 13時30分

2、3歩一緒に歩くだけでもしてみたかった青春時代の仄かな想い。

今、その人は年金暮らしか永遠の旅路か?

先生の蛇足を詠むたびに青春が蘇ります。(^^)

投稿: 佐伯K | 2009年4月28日 (火) 18時50分

永遠の旅路ではなく、第二の青春を楽しんでいるのだと信じたい。「その後何も起こりませんでした」意味が深い一節ですね。

投稿: 海道 | 2009年4月29日 (水) 05時03分

この歌が歌われたときは低音ブームのときだったと思います。フランク永井、石原裕次郎、三船 浩、水原 弘などがいましたね。神戸一郎もさわやかな般若顔のイケメンで、甘い低音でした。「銀座九丁目は水の上」も流行りましたね。

彼は今はどうしているんでしょうか。

投稿: 藤村大蔵 | 2009年5月10日 (日) 22時36分

神戸一郎さんは、小生が中学一年生の頃、故郷の島に就航した定期船の歌を唄っていました。甘い低音で、子供心にいいなぁと思ったものです。で、そのつながりからか、通っていた中学校の体育館で歌謡ショーが催されました。生のプロ歌手を見たのは神戸一郎さんが最初です。中学生、高校生には観覧の許可は下りなかったのですが、体育館の横の土手の上から覗きの只見でした。すごく濃い顔でびっくりしました。「銀座九丁目水の上」良い曲ですよね。本当にどうしてらっしゃるのでしょうね。

投稿: かせい | 2010年3月 4日 (木) 00時36分

何となく投げやりな歌詞ですが一番から三番まで通して歌うとやるせない男の気持ちをチャンと表現した良い歌ですね。こう言ってはいるが別れが辛くない訳が無いと思われます。

投稿: 海道 | 2012年6月 8日 (金) 15時27分

 昔、仕事をしていた頃、部下が悩みがあると言ってきた。その人の管理するその下の部下が真剣に仕事をしてくれないという相談だった。聞いてみると、どうもその当事者ののんびりした性格に起因しているようだった。それで「その事が、あなたの生き死にかかわるような事なの?なかったら悩む必要ないじゃないか」と答えた。

 もしかしたら、昔、聞いたこの歌の「別れたっていいじゃないか、泣くこたぁないじゃないか。、、、花もしぼむさ。小鳥も死ぬのさ」という超ニヒルな考え方が、私の頭にすりこまれていたのかも知れない。
 つまり「(部下が)仕事しなくたっていいじゃないか。おれたち、どうせ死ぬのさ」という気分を伝えたかった。

 見当違いの答えだったかもしれないのに、その人が転勤の時、あのアドバイスで気持ちがたいへん楽になりましたと感謝された。西条八十がすばらしかったのか、受けとめた部下がすばらしかったのか。

投稿: 紅孔雀 | 2012年11月24日 (土) 01時06分

「別れたっていいじゃないか 泣くこたぁないじゃないか」ちょっときけば、ふまじめな歌のようですが、よくきくと、お釈迦様の説く「会別離苦」(あいべつりく)「会者定離」(えしゃじょうり)を正しく表現した立派な歌です。別れはかならずある、うけいれなくてはいけない真理で、泣くとか悲しむという性質のものではない。
「いいじゃないか」の「いい」は「良い」ではなく、「どうでもいい」の「いい」、「こだわることはない」の意味でしょう。そうはいってもあきられない気持ちが人間にはある。それで「あいつだって 真けんに愛してくれたんだ」となぐさめのフレーズをいれているんでしょう。

 この歌はお葬式にも使えます。御通夜や告別式のBGMにです。
「死別したって いいじゃないか 泣くこたぁないじゃないか  家族だって 真剣に 愛してくれたんだ」と歌詞の一部をかえて吹き込み、1番のみをくり返しつかいます。明るい葬式を望む私は、「意味不明の読経はやめて、お父さん(私)の葬式はこれでたのむ」と今度、子どもに話してみるつもりです。

投稿: 音乃(おとの) | 2012年12月 1日 (土) 22時09分

吉永小百合主演の「青い山脈」の主題歌を青山和子と唄ったが殆どの主題歌を吉永本人が唄ったのに何故?

投稿: 海道 | 2012年12月 5日 (水) 14時20分

 この歌、なぜか好きです。
9歳の時の歌で、当時の記憶はありませんが、口ずさめば、尾を引くようなおかしさがあります。
1番、2番の歌詞は、失恋した人へのなぐさめです。
「小鳥も死ぬのさ」とはおおげさですが・・
しかし3番は「恋なんて こうじゃないか パッと散る花火だよ」
と上から目線で、諸行無常を説かれたような違和感があります。、
1番、2番は、今流行のカウンセラーのなぐさめ。
3番は、坊さんの説教。
 フランス文学に通じた西條の本心は、3番の歌詞ではないでしょうか。
身すぎ世すぎのため歌謡曲の作詞を引き受けた西條のテクニックは、1番、2番の歌詞。
そんなふうに妄想します。

投稿: 紅孔雀 | 2015年10月31日 (土) 16時48分

この歌は聴いたことが無かったのですが、蛇足を読んで笑ってしまいました。愚連隊って懐かしい言葉ですね。今は全く聞きません。やくざの三下になった人は何人かしっていますが、子供の頃、家庭が崩壊して行き場がなくなり何回か警察のご厄介になったりしていました。町内に何人かいましたが、皆不幸だったようで早死にしています。愚連隊は街中の所々にたむろしていましたね。今は良いお爺さんになっているでしょうね。奥浜名湖の合宿所は多分三ケ日の青少年の家だと思います。景色の良い所です。年に何回か近くへご飯を食べに行きます。可愛らしいお嬢さんが歩いて居るかも知れませんね。会えたらご報告します。

投稿: ハコベの花 | 2017年5月29日 (月) 19時12分

小5の時ですが神戸一郎の歌だと知っていました。ロッテ歌のアルバムなどで聴き、自分でもよく口ずさんでいた流行歌です。

DAMにも収録されています。最後から2番目そして最後のフレーズに移るところがやや難しいかな。

子供の頃は、いつか自分もこういう失恋をするんだろうか、と漠然と思っていたような気がします。

投稿: ザジ | 2017年5月30日 (火) 16時01分

  この歌は失恋の歌ですが、私は妻と死別した時の思いを重ねながらゆっくりと聞いたことがあります。恋人と別れるのを妻との永別と同列にしたのですが、何の違和感もありませんでした。
初めて歌詞を聞いた時の反応を、記憶をたどって書いておきます。

1別れたっていいじゃないか    (なんだよ、他人事のように・・)
泣くこたぁ ないじゃないか    (伝法な言い方をしやがって、おちょくっとるのか、無責任な・・じゃ別れて笑えとでもいうのか)
あいつだって真剣に愛してくれたんだ     (!!・・ん、確かにそうだなあ・・)

2別れたっていいじゃないか
思い出があるじゃないか    (そういう考え方もあるなあ・・)

3別れたっていいじゃないか
恋なんてこうじゃないか    (ふむ、人生ってこういうものなんだ、そうもいえるな、いや確かにそういうものなんだ)

西條八十の世界に引き込まれたプロセスです。

 妻が亡くなったその日よりも、その後の荒涼とした日々のほうが、私にとって苦しく辛かった。しかし毎日、地獄の相をして思いつめたように生きていたわけではない。友人たちが深刻な顔で、同情や慰めの言葉をいってくれたが、その深刻な顔が苦手だった。むしろカラ元気で陽気にふるまっていたのに、自分を支えるために・・
 この歌詞を味わって、あるていど悲しみから解放されたような気持になりました。
諸行無常を、ユーモラスに説いた西條先生の傑作だと思っています。
人を慰めるにはどうすればいいかという命題に、一つの答えを出している歌詞だと、今も思っています。

投稿: 越村 南 | 2018年7月13日 (金) 22時48分

思えば神戸一郎はハンサムを意識した最初のスターでした。次に佐田啓二、次は児玉清。神戸一郎はいずこへ、佐田啓二はあの世へ。その為三番手の児玉清が一番の憧れのハンサムになりました。彼の知性をも含めて。その為、亡夫をいつも児玉清と比較し軽くあしらっていました。
没後8年 昨年の今ごろ 顔見知りの町内会のご婦人から「ご主人、素敵な方だったわね」と言われ甚く後悔したのです。そうか、他人はそんな風にみていたのか、それなのに 児玉清と比較していたなんて、もっと大切にすべきであったとは遅すぎる悟りでした。
それにつけても越村さま或る時は音乃、ある時は紅孔雀と過去三度も見参。よほどの思い入れですね。確かに 訳の分からない経文よりこの歌の方が説得力ありですね。
1昨日、居眠りの出そうな程長い経文に辟易。大好きだった叔母さまも あの坊主の経文では極楽往生果たせるか不安になりました。お布施の額が少ないとその場で突き返すという悪名高い坊主だけに 諸行無常の感に打たれました。

投稿: りんご | 2018年7月14日 (土) 15時00分

りんごお姉さま
何もかもお見通しで、おそれいります。
旦那様は、きっといい人でいつも幸せだったでしょう。
りんごお姉さまが奥さんなら、きっとそうだっただろうと拝察いたします。
私はあまり家庭的ではなかったので、時折悔い改めの時間が訪れます。
それにしても死別は尾を引きます。

投稿: 越村 南 | 2018年7月15日 (日) 10時26分

この歌を聴いてふっと、若い時に戻りました。振った男性は何人だろうか。振った女性は何人だったろうかと皆さん思われたのではないでしょうか。指を折って数えている方のにんまりした顔が想像できます。思い出して涙が流れた人も居られるでしょうね。青春は悲喜こもごも、それでも何にもないよりはあった方がいいですね。振っても振られても青春の思い出です。啄木の「わかれ来てふと瞬けばゆくりなくつめたきものの頬をつたへり」。その時の涙は冷たくても何年か経てばほんのりと暖かな涙に変わります。青春万歳です。

投稿: ハコベの花 | 2018年7月15日 (日) 22時56分

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