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わかば

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:松永みやお、作曲:平岡均之

1 あざやかなみどりよ
  あかるいみどりよ
  鳥居をつつみ
  わら屋をかくし
  かおる かおる
  若葉がかおる

2 さわやかなみどりよ
  ゆたかなみどりよ
  田畑をうずめ
  野山をおおい
  そよぐ そよぐ
  若葉がそよぐ

《蛇足》 昭和17年(1942)2月に発行された国民学校用の教科書『初等科音楽 二』に掲載されました。

 この前年の12月8日、日本は太平洋戦争に突入、それとともに軍国主義のくびきは、いっそう厳しさを増していました。そんな時期に、こんな爽やかな歌が作られ、それを受け入れる余裕が国民にあったことに、少しホッとするものを感じます。

 春風、蕾、花、新芽、若葉、青葉、梅雨、夏草、夕立、夏雲、秋草、紅葉、時雨、枯葉、木枯らし、雪……こうした季節の移り変わりが、年々、五感に快く響いてくるようになりました。喜ぶべきことかどうかはわかりませんが、歳をとることのメリットの1つといえるかもしれません。

(二木紘三)

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コメント

戦争時代とは思えないこの爽やかな唱歌を私が覚えてしまったのは小学校へ入る前ではなかったかと思います。兄、姉から自然に教わったのだと思います。小学校へ入ってからは先生のオルガンで。。。
なんと懐かしい歌でしょう。60数年ぶりで歌ったことになります♪
この歌の爽やかさが体中にしみわたるような感激です。

投稿: おキヨ | 2009年5月12日 (火) 12時02分

今から50年近く前、小学校の音楽の時間に覚えた歌です。静岡市の安東小学校でした。久し振りに懐かしく聴かせていただきましたが、これが戦時中に作られた歌だとは夢にも思いませんでした。校庭を吹き渡ってくる初夏のさわやかな風が、今でも鮮明に想い出されます。
近くの小川には小鮒が泳ぎ、7月には蛍を追いかけた懐かしい土地ですが、最近はどうなっているのでしょうか。
想い出は宝物です。
そしてこのサイトも私の宝物です。

投稿: 蛭子町 | 2009年5月12日 (火) 22時58分

 60余年も前の唱歌をアップしていただき、改めて当時(終戦時)を思い起こしています。二木様の解説では、この歌は初等科音楽二に掲載されたとありますから、多分わたしが国民学校4年生の時になるのでしょう。何分にも茫漠とした、遠い時間のかなたで記憶も断片的ですが、確かにこの歌を習った、かすかな記憶があります。しかし、悲しいかな、それよりも勇ましい「ひよどり越」や「広瀬中佐」を大声で歌った記憶が鮮明なのです。軍国主義教育の成果なんでしょうか。懐かしくも、また苦い思い出の唱歌です。

投稿: ひろし | 2009年5月12日 (火) 23時58分

私は戦後生まれ(昭和22年)ですが、このメロディには聞き覚えがあります。たぶん親たちの歌っていたのが耳に残っていたのでしょう。外国の曲に日本語の歌詞を充てた歌だと思っていました。ほんとに爽やかな曲ですね。戦争の風雲急を告げる時代背景の一方で、一般庶民はこのようなのどかな歌を歌っていた当時の日本社会。なんとなく『対位法』という音楽用語を思い出しました。

投稿: くまさん | 2009年5月21日 (木) 21時45分

私は、介護職をしています。
最近、認知症のおばぁちゃんがオムツ交換のときに口ずさんでいらっしゃるのを微かに聞いて、歌詞で検索してここに辿り着きました。
音楽もUPしてくださったので、なんとか楽しく一緒に歌うことができ、とても幸せな気持ちです。
今の季節にぴったりの曲ですね。

投稿: ユキ | 2009年5月24日 (日) 00時14分

数年前、朝早く、携帯ラジオでFMを聞きながら山道を歩いているとき、突然「若葉」の歌が流れ、なぜか涙がこぼれそうになるほど感動しました。実に新鮮な感動でした。緑が壊されて行くことへの寂しさであり、こんなきれいな歌があった時代への郷愁でもありました。二木先生、有難うございます。

投稿: さくらんぼ | 2012年4月 5日 (木) 02時48分

二木先生、この美しい季節に古希をお迎えになり、おめでとうございます。
どうかお体を大切に、これからもご活躍くださいませ。

若葉に光みちて爽やかな風に揺れる五月が好きです。
この歌を習ったのは小学校低学年のときだったでしょうか…。オルガンの懐かしい響きとともにその頃の思い出がよみがえります。
そろそろ散り行くときを意識する年齢になり、最後に私の心の耳に鳴り響くのは「わかば」のメロディーなのかも知れない…と、ふと思うときがあります。それも二木先生のオルガンの音色で…。

投稿: nobara | 2012年5月 6日 (日) 12時04分

 今の季節にピッタリの歌なので、今日ご近所のおばちゃん達に歌って頂きました。でも、ふと目にとまった1番の2行目の歌詞

「鳥居をつつみ わら屋をかくし」

これは一体どんな状況や問題意識を歌っているのだろうか?
そして、当時の厳しい検閲をパスした理由は何だったのだろうか?
などと何か不思議というか、奇妙な感慨にふと囚われてしまいました。

昨年のこの時期に歌ったときは「さわやかな良い曲だ」「こんな素敵な曲があの時代に歌われていたなんて信じがたい」と素直に感嘆する程度で何の疑問も感じなかったのですが、これはひょっとしたら「防空への備え」を教える目的に叶うなどという理屈で通ったのではないか・・・と余計なことを勘ぐった次第。暇だなぁ(笑)。

投稿: たしろ | 2012年5月 9日 (水) 21時08分

本当に爽やかな美しい歌ですね。広い田んぼの先の山ぎわにある神社も農家もすっぽりと新緑に包まれている情景が目に浮かびます。緑色にはどれ程の色があるかといつもこの季節になると考えます。名前のついていない緑色がまだいっぱいあるのでしょうね。
この歌が作られた頃は田舎に行くと藁屋根の家が沢山あったと思います。まだ日本に空襲はなかった(特に田舎には)と思われますので、防空という意味はないと思います。ただただ緑の美しさを素直に歌にしたのだと思います。(東京に本格的な空襲が始まったのは昭和19年11月だそうです)

投稿: ハコベの花 | 2012年5月 9日 (水) 23時49分

戦後の昭和22年12月九州・旧小倉市(現北九州市小倉北区)生まれです。色んな方が思い出を書かれていますが、私の感覚では小学校で習った記憶が強いです。ラジオかも知れませんが。親が歌っていた記憶はありませんから。
現在、当時の歴史を振り返ってみますと、日本が真珠湾攻撃からまだ対米戦で優位に有った(余裕のあった)時代だから、検閲を逃れ得たのかなあ、と思います。客観的に良い歌だからこそ、戦後も音楽の教科書に載せられたのではないかと思っています。研究者ではありませんから、断定は出来ませんが。コメントを寄せられている何人かの若い方々のも良さを感じていただいているようで、嬉しいです。

投稿: 竹永尚義 | 2012年5月10日 (木) 17時58分

風薫るこの時期にピッタリの曲ですね。戦後は、小学4年音楽教科書に掲載されたようです。25年生まれの私は「昭和34年」が小学4年時になります。
折しも、その年は「皇太子ご成婚」の年で、前年の33年に東京タワーが完成、長島の巨人入団、そして私の住む町が「市」になり、世の中、俄に活気立ってきた感じがしたのを幼心に記憶してます。なにせ、遥か田舎に住んでましたから・・・。音楽室と家庭科室を仕切る壁は無く、書院造り様の違い棚が見えて、不思議な雰囲気ながらも「わかば」を楽しく歌いました。
これからも歌い継がれて行って欲しい名曲ですね。

投稿: かせい | 2012年5月11日 (金) 00時33分

「鳥居をつつみ、わら屋をかくし」の部分を空襲を避けるための迷彩と受け取っている人がいるようですが、これは、落葉していて晩秋から冬の間は見えていた鳥居やわら屋が、若葉が生い茂ってきたために見えなくなったという意味の擬人法的表現です。これはどう見ても空襲の対象になりそうにない田舎または山里の光景です。戦争に関係ないさわやかな光景を思い浮かべながら楽しめばいいのではないでしょうか。

投稿: 名古屋サンゾウ | 2012年5月12日 (土) 02時51分

私の投げた小さな疑問に対して多くの方がコメントを下さり、お礼を申し上げます。

この歌の情感を素直に捉えれば皆様のお感じの通りだと思います。ただ、先に書きました「防空への備え」については、鳥居は神国日本の象徴的な存在でしたし、国民の心構えの問題として「木々の緑さえ無駄なものは何一つとして無い」ことを教えているという風に感じました。

とは言え、曲そのものが素敵で、あの時代に3拍子の曲がこのようなさわやかな形で生まれたことにも驚きを禁じ得ません。今日なお愛唱歌として生き残る所以かと思います。

しかしながら、日本の近代史の中で政府は一貫して音楽教育を重視してきましたし、現に昭和12年には中国の南京や重慶に対して日本は空爆をしていますし、特に昭和13年の国家総動員法施行以降は戦時体制にあったと考えるべきかと思います。(私は昭和14年生です)

今回調べてみると宮城県山元町の深山自然観察路の亀石コースの入り口には「わかば」の2番だけの歌碑が有るようですが、これも何故2番だけなのか一寸不思議ですね。作詞者の松永みやお氏の生地その他おわかりの方、是非お教え下さい。

最後になりましたが、このような場を提供して下さっている二木先生に対してこころからのお礼を申し上げます。しかし、不適切な部分がありましたら何時でも削除下さるようお願いします。

投稿: たしろ | 2012年5月12日 (土) 22時15分

唱歌「わかば」、ビージーズの「若葉の頃」、ジョン・デンバーの「緑の風のアニー」のこの3曲が、薫風爽やかなこの季節にラジオから競って流れてくるメロディではないでしょうか。 あざやかな、生き生きとしたあかるい緑葉は、今も昔も生命力を象徴しているような気がします。 「僕の好きなのはみどり〜、君のすきなのもみどり〜 みどりは世界の希望〜‥‥」といった合唱曲も50年程昔にあったような‥‥。青い空に若葉、薫るやさしい風、理想的なお天気が欲しい‥‥。竜巻なんて起きないでほしいなぁ‥‥。

投稿: かせい | 2012年5月13日 (日) 00時02分

たしろさま 僭越ですが検索の結果をお知らせします。
「池田小百合『なっとく童謡唱歌』」によりますと、
松永みやお氏は鹿児島県大島郡伊仙村阿三で生まれています。
初等唱歌Ⅱに載ったこの歌は、軍国主義的なものを排した昭和22年5月発行の音楽の教科書(4年用)にも取り入れられました。優れた歌詞や曲が認められたのでしょう。
「わかば」の詩碑は、松永みやお氏が住んでいた東京都町田市の杉山神社境内と、同市飯守神社境内に一番二番とも刻まれた同じ詩碑があるそうです。その他、故郷伊仙町の義名山神社の境内にもあるそうです。

また、作曲者の故郷の秋田県田沢湖町に「作曲家 平岡均之 音楽碑」が建てられ、『若葉』の一番の歌詞と楽譜が刻まれているということです。

池田小百合氏のサイトには、この歌について非常に詳しく書かれていますが、宮城県の詩碑については何も触れていません。

たしろさんが書いていらっしゃる宮城県の詩碑の隅には、「一九九七年 金田石材(有)刻 鈴木亮冶 協力」と刻まれています。金田石材に問い合わせれば、なぜ二番だけなのか、そのいきさつがわかるのではないでしょうか。確かに二番の歌詞のみですが、漢字、ひらがなの使い方が、教科書とは違う所が私は気になります。


投稿: nobara | 2012年5月13日 (日) 09時21分

『初等科音楽 二』を「初等唱歌Ⅱ」と、うっかり書いてしまいました。お詫びいたします。

投稿: nobara | 2012年5月13日 (日) 09時37分

nobaraさま
情報を有り難うございました。お陰でかなりのことが判りましたが、本来なら国がどのように調査検討して教科書にしたかという問題なので、このような事柄については国の情報公開が有ってしかるべきという思いを強くしました。

投稿: たしろ | 2012年5月13日 (日) 16時10分

昭和17年、仙台の向山国民学校4年生で習い、なんて素敵な歌だろうと心に残って今も忘れられない歌です。
兄姉が4人もあり、教室で習う歌のほとんどすべては事前に覚えていた私にとって、この年に初めて聞いた「わかば」はすごく新鮮で印象的なものでした。

戦争が末期になるにつれて、寂しく悲しい歌も習いました。「・・敵を破ったおじさんが 今日は無言で帰られた。無言の勇士の凱旋に菊の香が・・」題名も覚えていませんが、自分の将来を思った小学時代でした。これも戦意高揚・戦争賛歌の意図を込めたものだったのだろう。

投稿: せいろう | 2012年5月18日 (金) 15時19分

若葉の季節になると、思わず口ずさんでしまう歌です!
本当にさわやかな歌ですネ!
この歌と似通った「山の歌」という歌がありました。
「とぶよ とぶよ 白雲 そよぐ そよぐ 木々の葉……」
当時、男子は丸刈りの坊主頭でした。坊主頭に、銅貨のような丸い形で白くなる、シラクモという皮膚病があり、口さがない子供が「とぶよ とぶよ シラクモ」などと、ヒヤカシテいたことが、思いだされます。
でも、この歌も、さわやかな歌だと懐かしく思えます。
         井尻 賤子 80才

投稿: 井尻 賤子 | 2014年4月27日 (日) 00時24分

「若葉」爽やかなよい歌ですね。また、投稿文に記載されていた「山のうた」も懐かしく記憶にあります。2つの歌詞と題名を思い出しました。
歌詞の紹介とともに時代背景なども書かれていましたが、昭和17年は、日本が破竹の勢いで優勢に戦争を進めて中国では「三光作戦」フィリピンでは、マニラ攻略をし4月「バターン死の行進」をさせた時代です。多くの日本人は、それまでの鬱憤を晴らして明るい未来、強い日本を感じ取っていた時代です。戦争中にこのような明るい歌が生まれた・・・違う角度から考えると心が重くなります。

投稿: ひばりの子 | 2014年5月 7日 (水) 09時26分

私は国民学校に入学しました。
三年生で終戦、「若葉」の載っている初等科音楽二の本を
持っています。
多分、上のクラスの方から貰い受けたものと
思います。
「君が代」から始まり「勅語奉答」「天長節」「明治節」
「一月一日」「紀元節」と続いたあと
1「春の海」2「作業の歌」3「若葉」が出てきます。
・・・11「靖国神社」12「入営」15「グライダー」
18「広瀬中佐」19「少年戦車兵」のあと、20「無言のがいせん」で終わります。こんな教科書のなかに
♪「あざやかなみどりよ」とうたいだす「若葉」は
疎開児童の心にしみる歌でした。

「さわやかなみどりよ・・・」

投稿: 正森 博子 | 2015年5月 1日 (金) 09時13分

この歌にも多くの方々の思い出があるのですね。
私の属しているコーラスグループで6月に歌う歌という事で「わかば」が選ばれていました。どんな歌かなと、このサイトで開いてみたら、何と「この歌知っている!」と懐かしさに胸がこみあげてくるものがありました。また記憶の不思議さを思いました。子どもの時に覚えた歌で、50年近く全く歌ったことのない歌であったのに、覚えていることに自分で驚きました。私は沖縄生まれなので、「あざやかなみどり」と歌っていても、よく分かりませんでしたが、現在、別府に住んでいて、庭に柿の木があり、毎年秋には落葉し、枯れ木のようになっても、春が来ると、本当にあざやかなみどりの葉が出てくる様に毎年驚き、感動しています。今では、この歌の意味がよく分かります。本当に春のいのちの息吹きを歌ったいい歌ですね。コーラスでも心から思い切り歌うことができました。

投稿: 上原 | 2015年7月 6日 (月) 20時15分

お早うございます 今朝のNHKでこの歌が流れ 飛び起きてコピーを頂きました 私は伊那で高校まで過ごしました 今の季節の若葉の輝きは爽やかな風と共に心を満たしてくれます 難病でデイサービスに通っていますが 時々こうした歌を大きく書いて 張り出すと皆さんとても懐かしく喜んで下さいます また歌に勝手に振りを付けて皆で歌いながら 発生練習も致します なるべく早く書きたいと思います 移ろわないうちに…・・・有難うございます
又お伺いさせて下さいませ

投稿: 桑原千穂・mui | 2016年4月28日 (木) 12時00分

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