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バラ色の人生(ラ・ヴィ・アン・ローズ)

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・唄:Edith Piaf、作曲:Perre Louguy、日本語詞:薩摩 忠

花におとずれる 愛のそよ風は
二人の心を バラ色に染める
愛の喜び胸にあふれ
おお ラ・ヴィ・アン・ローズ
あなたの瞳は 甘いバラの香りのように
私を見つめて 微笑むとき夢見ごこち
胸に満ちる幸せ 心酔わす愛の歌
あなたと二人で暮らしてこそ
ラ・ヴィ・アン・ローズ(繰り返す)

        La Vie En Rose

Des yeux qui font baisser les miens
Un rire qui se perd sur sa bouche
Voilà le portrait sans retouches
De l'homme auquel j'appartiens

Quand il me prend dans ses bras
Il me parle tout bas
Je vois la vie en rose
Il me dit des mots d'amour
Des mots de tous les jours
Et ça m'fait quelque chose
Il est entré dans mon coeur
Une part de bonheur
Dont je connais la cause
C'est lui pour moi, moi pour lui, dans la vie
Il me l'a dit, l'a juré, pour la vie
Et dès que je l'aperçois
Alors je sens dans moi,
Mon coeur qui bat

Des nuits d'amour à plus finir
Un grand bonheur qui prend sa place
Les ennuis, les chagrins s'effacent
Heureux, heureux à en mourir

Quand il me prend dans ses bras
Il me parle tout bas
Je vois la vie en rose
Il me dit des mots d'amour
Des mots de tous les jours
Et ça m'fait quelque chose
Il est entré dans mon coeur
Une part de bonheur
Dont je connais la cause
C'est toi pour moi, moi pour toi, dans la vie
Tu me l'as dit, l'as juré, pour la vie
Et dès que je t'aperçois
Alors je sens dans moi
Mon coeur qui bat

《蛇足》 シャンソンの歴史に神話的栄光に包まれた名を遺すエディット・ピアフ(写真)が、1946年に創唱した傑作。

 彼女については数多くの伝記・評伝が書かれているので、ここでは簡単な紹介にとどめましょう。

 エディット・ピアフ、本名エディット・ジョヴァンナ・ガション(Édith Giovanna Gassion)は、第一次世界大戦勃発の翌年、すなわち1915年の12月19日、大道芸人の父と酒場歌手の母の間に生まれました。
 生まれてまもなく、彼女は、売春宿を営む母方の祖母に預けられ、そこで、娼婦など底辺の人びとの暮らしを見ながら育ちました。

 14歳になったとき、父親に引き取られ、大道芸をする父親についてフランス各地を巡業して回るようになります。そうした生活のなかで、歌うことを自然に覚えたようです。
 しかし、やがて酒癖の悪い父親を嫌って別れ、パリ市内や郊外の路上でひとりで歌うようになります。

 彼女を最初に見出したのは、ナイトクラブの経営者ルイ・ルプレーでした。パリの歌舞伎町・ピガールの路上で歌っていた彼女の歌を偶然聴いた彼は、その並々ならぬ才能に驚き、自分の店で歌うように勧めました。
 彼の店はシャンゼリゼー通りに面したところにあり、高級クラブではありませんでしたが、さまざまな階層の人びとが出入りする人気クラブでした。

 神経質なうえに、そういう華やかなところで歌ったことのなかった彼女は尻込みしましたが、ルプレーは励まして舞台に立たせました。

 身長が142センチしかなかった彼女を、ルプレーは"La Môme Piaf"と呼んで盛んに引き立てました。mômeは小僧、 piafはスズメですから、「小スズメちゃん」といったところでしょうか。そこから、彼女はEdith Piafを芸名として使うようになりました。

 人生の哀歓がにじみ出すような彼女の歌い方は、多くの人びとを惹きつけ、作家で映画監督のジャン・コクトーや名優モーリス・シュヴァリエ、詩人のジャック・ボーガットといった文化人たちと交流を深めていきました。

 第二次世界大戦中の対独レジスタンス運動に対する彼女の貢献は、フランスでは広く知られています。
 フランス北半がドイツに占領されると、多くの文化人・芸能人はドイツへの協力を拒否して、地下に潜りました。

 しかし、彼女はドイツ軍の求めに応じて歌い続けました。その協力ぶりが認められて、彼女は捕虜収容所でフランス兵たちといっしょに写真を撮ることを許されました。
 実は、その写真は、兵たちの顔の部分を切り取って脱走の際の偽造証明書に使うためのものでした。
 また、何人かのフランス人捕虜を楽団員と偽って脱走させるという映画もどきの冒険をしたことも伝えられています。

 彼女はまた、多くの歌手を育てたことでも知られています。シャルル・アズナヴール、イヴ・モンタン、ジルベール・ベコー、ジョルジュ・ムスタキなどは、彼女の助けがなければ、世に出るのはかなり遅れたでしょう。

 「恋多き女」であったことも、語りぐさになりました。歌手のジャック・パルと結婚したものの、4年後に離婚。その後、ギリシア人のヘアドレッサー(のちに歌手、さらに俳優に転身)のテオ・サラポと再婚しました。彼はピアフより20歳も年下でした。

 イブ・モンタンと恋仲だったこともあり、「ラ・ヴィ・アン・ローズ」はその時期に作られた歌だといわれています。

 1963年10月10日、肝臓ガンのためリヴィエラで死去。47歳でした。彼女の死は翌11日に公表されましたが、奇しくもその日、長年の友人だったジャン・コクトーも亡くなりました。

 遺体は夫のサラポによってパリまで運ばれ、ペール・ラシェーズ墓地に葬られました。葬儀の日、パリ中の商店が店を閉じて喪に服し、葬列には数万人が加わり、墓地の内外は10万人以上の会葬者によって埋め尽くされたといいます。

(二木紘三)

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コメント

「エディット・ピアフ 愛の賛歌」という映画を見ました。悲惨な生い立ちと天才的な歌唱力も印象的ですが、戦争中のできごとは始めて知りました。しかし彼女の歌を愛したドイツ人も、まさか記念写真が脱走に使われるとは思わなかったでしょう。ちょっぴり良い話ですね。

投稿: Bianca | 2009年11月10日 (火) 10時53分

昨日収録した1954年制作ビリー・ワイルダー監督、オードリー・ヘップバーン、ハンフリー・ボガード、ウイリアム・ホールデン主演の『麗しのサブリナ』を昨夜観ました。
終始懐かしい「ラ・ヴィ・アン・ローズ」がバックに流れており、ホールデンとのドライブの時ヘップバーンが歌っていました。
この歌は、今も大阪の某ホテルでシャンソンを教示されてる石井好子さん‘09.5.4 に千の風になられた高英男さん他多くの方々の歌に感動しますし、Jazz狂の私は特にL.アームストロングの艶のあるダミ声とビブラートで飾るトランペットでの「セ・シ・ボン」共に、橋下知事83%の支持率と反面世界の現状を憂いつつも富本憲吉の染付湯呑で飲む“加茂鶴”のコラボでの酔いに、<ま・・・いいか>と妥協する自分に“何かを!”との声が微かに聞こえるような昨今です。

投稿: 尾谷 光紀 | 2010年2月16日 (火) 23時26分

昨日つきっ放しのTVから聞こえるメロディーにハッとしました。白黒画面で歌っているのはオードリー・ヘプバーン。あらためて近くに座り画面に見入りました。オープンカーの後ろに流れてゆく景色が写り、運転するハンフリー・ボガートとヘプバーンは止まっている車で演技しているのが分ります。まともな映画鑑賞でなく、余計なことが浮かびイケマセンが…、ベルギー2局のキャンバスは土日にノスタルジー映画を流すようです。

歌知らず門外漢に聞き覚えがあるのですから、「ラ・ヴィ・アン・ローズ」はモノスゴイ曲なんだ!戦前戦後はざま世代の耳に、きっと沁みこんでいるんでしょうね。映画Sabrina1954年は、二木さん解説のエディット・ピアフ歌唱1946年から8年後。既に世界歌謡になっていたから当時のラブ・コメディーに巧みに採用されたんでしょう(シャンソンはフランスの歌謡曲と思っているので)。

ヘプバーンはさらに6年後映画で窓辺に腰かけてギター弾きつつムーンリバーを歌います。それと同じ印象だと昨日思いました。音域が広くないと言うか、私にはハスキーな低音(女声に言わないそうですが)に聞こえ、きっとピアフのオリジナルと全く違う雰囲気…。デビュー当時オードリーはブロードウェー芝居に打ち込んでいますから、舞台で歌うような雰囲気も感じます。[蛇足;54年当時のオープンカーで歌うならば、歌も雰囲気もエンジン騒音でかき消される!]

ムーン・リバーは作詞ジョニー・マーサー、作曲ヘンリー・マンチニ作詞だそうで、マンチニはイタリア系。ピアフの本名を見ると、彼女の父親はイタリア移民じゃないでしょうか。 熱いイタリアの血入りピアフのラ・ヴィ・アン・ローズを口ずさむヘプバーン、そのときめく映画女優の雰囲気に合わせて企画された主題歌ムーンリバーの作曲者もイタリア系。  

MP3の初奏(と言うのでしょうか?)と間奏が程よく、繰り返される主旋律と共にどこかで聞いた昔の時間が蘇えるようです。

投稿: TangoMinato | 2012年12月18日 (火) 05時48分

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