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能登半島

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:阿久 悠、作曲:三木たかし、唄:石川さゆり

1 夜明け間近か 北の海は波も荒く
  心細い旅の女 泣かせるよう
  ほつれ髪を指に巻いて ためいきつき
  通り過ぎる景色ばかり 見つめていた
  十九なかばの恋知らず
  十九なかばで恋を知り
  あなた あなたたずねて 行く旅は
  夏から秋への 能登半島

2 ここにいると 旅の葉書もらった時
  胸の奥で何か急に はじけたよう
  一夜だけの旅の仕度 すぐにつくり
  熱い胸にとびこみたい 私だった
  十九なかばの恋知らず
  十九なかばで恋を知り
  すべて すべて投げ出し 駈けつける
  夏から秋への 能登半島

  あなた あなたたずねて 行く旅は
  夏から秋への 能登半島

《蛇足》 石川さゆりは、昭和51年(1976)の『十九の純情』あたりから阿久悠+三木たかしの作品をよく歌うようになりました。
 その絶頂が翌52年の元旦に発売された『津軽海峡冬景色』で、このブームを活かそうと作られたのが、同年5月10日に発売されたこの『能登半島』です。
 そのせいか、『津軽海峡冬景色』より多少テンポは速いものの、曲調が似ています。

 作戦が図に当たった感じで、この歌もオリコン10位に食い込むヒットとなりました。同年の日本テレビ音楽祭グランプリ受賞。

 西田佐知子『香林坊ブルース』、北島三郎『加賀の女(ひと)』などとともに石川県の代表的なご当地ソングになっています。

(二木紘三)

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コメント

名曲だと思っています。津軽海峡も良いですが、こちらの方が歌い易いと感じています。

投稿: 海道 | 2010年5月18日 (火) 13時35分

「ここにいると 旅の葉書もらった時・・・」のフレーズは実にいいですね。作詞者阿久悠さんは、誰をイメージし、能登のどこから旅のはがきを愛おしい人に送らせたか、今でも気になります。

投稿: 亜浪沙 | 2010年5月21日 (金) 17時35分

この歌詞を読んでいて、ふと気がついたのですが、この歌詞の中に、能登を詠み込んだものが何もないんですね。ですから最後の行の「能登半島」を消してしまうと、北日本のどこの海岸にも通用する歌になってしまうんです。ご当地ソングというと、必ず1か所や2か所に、その土地の名所や地名が詠み込まれているものですが、実に不思議です。
 そこで、わたしなりに推理してみました。もちろん、確たる証拠は何もないのですから、真相をご存知の方は苦笑されるでしょうね。
 石川さゆりが、阿久悠・三木たかしコンビで唄ったのは、『十九の純情』が最初でした。この歌は、彼女がアイドル歌手からの脱皮をはかった馴初めだと思うんです。阿久・三木ご両人も、しばらくは、この純情路線でいくつもりだった。ところが、『津軽海峡・冬景色』のご当地ソングが大ヒットしたので、あわてて純情路線として作っておいた歌詞に、ご当地ソングに欠かせない地名の「能登半島」だけを入れてレコーディングしたのではないか、と勘ぐってしまうんです。こんなコメントを書くと、泉下のお二人に叱られそうですね。
 
 大学生活最後の夏休み(昭和34年)に、親友と金沢から能登半島をめぐる3泊4日の旅行をしました。金沢では学生寮で1泊して、蚊の大群の襲来に悩まされました。能登屈指の和倉温泉は貧乏学生には敷居が高く敬遠して、輪島に1泊。有名な朝市を見物し、平家の落人といわれる「時国家」を見て、宇出津経由で半島最先端の禄剛崎灯台に行きました。縹渺とした、日本海の水平線を見ていると、その先はシベリアかと、思わず旅のロマンを掻き立てられました。
 特筆すべきは、途中蛸島付近の漁村に1泊したことです。その村の浜辺は、盛夏の午後の強烈な陽に揺らめく陽炎の中にあって、しかも見渡す限り白砂の海岸には、人っ子ひとり見えないのです。ちょうど「白昼夢」を見ているような感覚に陥りました。こういうときには、人間は「自然人」に還りたくなるのでしょう。誰も見ていないことを幸いに、わたしたちは「素っ裸」になって海に入りました。後にも先にも、「素っ裸」で泳いだのはこのときだけです。強烈な思い出として残る、この海岸は、今でも当時のままなのでしょうか。ぜひそうあってほしいという想いとともに、懐かしく思い出します。

投稿: ひろし | 2010年5月24日 (月) 15時37分

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