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旅笠道中

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:藤田まさと、作曲:大村能章、唄:東海林太郎

1 夜が冷たい 心が寒い
  渡り鳥かよ 俺等(おいら)の旅は
  風のまにまに 吹きさらし

2 風が変れば 俺等も変る
  仁義双六(すごろく) 丁半かけて
  渡るやくざの たよりなさ

3 亭主もつなら 堅気をおもち
  とかくやくざは 苦労の種よ
  恋も人情も 旅の空

4 情けないぞえ 道中時雨(どうちゅうしぐれ)
  どうせ降るなら あの娘(こ)の宿で
  降っておくれよ しんみりと


《蛇足》 昭和10年(1935)2月28日公開の『東海の顔役』の主題歌。映画は、市川右太衛門プロ制作、中川信夫監督、松竹キネマ配給のサイレント映画サウンド版で、内容は、清水の次郎長(本名:山本長五郎)若き日の物語。

 サウンド版とは、音楽付きのサイレント映画で、サイレント映画からトーキーへの移行期に何本も作られました。

 今に伝えられる次郎長の武勇伝は、一時期彼の養子になっていた天田五郎の著書『東海遊侠伝』(明治17年〈1884〉刊行)が元になっています。
 この本にはかなりの誇張があるうえに、それをベースにした講談・浪曲・芝居・映画がさらに話をふくらませたため、一般に流布している次郎長物語は、実像とはかなりかけ離れているといわれます。

 ただし、幕軍軍艦・咸臨丸の乗員の死骸を、官軍の命に逆らって葬ったこと、富士の裾野の開拓、英語塾を開いたことなど、いくつかの事績は事実のようです。

 長年、フリーの文筆業というヤクザな稼業を続けてきた身としては、3番の「亭主もつなら堅気をおもち……」が身に染みます。
 配偶者は、(この人とは楽な生活はできないだろう)と思いながら私と結婚したようですが、実際いろいろ苦労をかけてきました。「あなたは堅気と結婚すべきだったね」と、散歩のときなどに言ってみたりしますが、何の足しにもなりません。

(二木紘三)

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コメント

>配偶者は、(この人とは楽な生活はできないだろう)と思いながら私と結婚したようですが・・・・

これはご馳走様です!そういう私も、定職のない、貯金もない宿もない年下の男性と結婚したので、奥様の気持が分ります。他の誰よりも貴方が良かったのでしょう。

投稿: Bianca | 2010年8月17日 (火) 12時20分

「手前、生国はその上の摂津の国は浪速です。姓は堀、名は周市、人呼んでフリテンの周と発します。先の大戦で越中に疎開、立山流れ落ちます真清水に育った根っからの田舎者です。思い立ったる平成17年、稚内を振り出しに長い草鞋を履きまして、鉄道全線をまかり歩いております旅人です。故あって親分子分を持ちません。道中土地土地のおぁ兄さんおぁ姐さんにご厄介かけがちなる、しがない駆け出しにございます。以後見苦しき面体お見知りおかれまして、嚮後万端引き立ってお頼み申します。」

これは私の名刺裏面の自己紹介の文言です。まさに「旅笠道中」を地で行っておりまして、妻には随分苦労をかけております。「旅笠道中」よい曲ですね。歌詞も思い出しました。なぜ旅笠道中を記憶しているのか自分でもわかりません。おそらく親父が歌っていたのでしょう。清水次郎長の歌であることもはじめて知りました。私の年代(60代)では知らない人が多いのではないでしょうか。

投稿: フリテンの周 | 2010年8月21日 (土) 01時47分

私が子供の頃、近所に岡田のおばちゃんが居りました。そのおばちゃんがレコードをかけて旅笠道中を踊っておりました。私は良く見に行っているうちに前奏から全部を覚えてしまい、レコードが無い時はハーモニカで吹いてくれと言われ、ハーモニカに合わせておばちゃんが踊っていたことを思い出します。昭和30年頃のことでした、今も生きておられれば92歳くらいですかね、懐かしく聞かせてもらいました。

投稿: トクラテス | 2010年8月31日 (火) 16時28分

二木紘三様 奥様と散歩のとき優しい言葉をかけられているそうですが、何ともうらやましい限りです。ところで「何の足しにもならない」ことを、石川県南部出身の母は「屁の足しにもならない」と言っていました。ハンサムで京大卒の秀才K君は「長野県伊那地方ではこのことを『屁の蓋にもならない』と言います」と赤い顔をして言っていたことを思い出します。そういえば少林寺拳法監督のHは「屁のつっかえにもならない」と言っていましたが、彼は神奈川県川崎の出身でした。二木様のお陰で先日三回忌を済ませた母のことを思い出しました。有難うございました。

投稿: なとりがおか | 2010年9月11日 (土) 12時40分

 私の住む長野県諏訪の夏祭りに、お諏訪節が約40年ぶりに復活しました、盆踊りの定番でしたが、SPレコードの消滅と共に、忘れられていました。
 この度、オリジナル音源で、CD化され、復活しました、この歌は、郷土(長野県)出身者で作られ、諏訪の作詞家の歌詞に、作曲:中山晋平、唄:市丸でした。
 そこで二木先生にお願いがあります、この唄と同じく中山~市丸コンビの大ヒット曲、『天竜下れば』を是非、製作、UP、をと願っております。                                因みに、市丸さんの出身は長野県松本と聞いております、二木先生とは同郷と思いますが?。
花笠道中の項をお借り致しました。 

投稿: 月の輪熊 | 2010年9月12日 (日) 17時30分

この曲、次郎長の若き日を主題にした曲だったのですね。近所にいる90何歳かのお婆ちゃんが次郎長の親戚で幼い頃これからは英語が大切だといわれ、彼の英語塾に入れられたそうです。歌自体も好きですが、何となく親しみも湧きます。

投稿: ブンブン | 2010年10月12日 (火) 16時23分

松本には小里頼永さんが市長で白髪の方でした。市丸の妹がきれいな女学生で、母親と市長のお隣に住まいしていました。松本といっても狭い範囲の静かな町で、城よりも東北のここと演技座、電気館というのが松竹と日活の小屋でした。
」私は小学5年生で、そのくせ この2つの活動館の常連になっていたものです。右太衛門のオールサウンド版をゆっくりと楽しみました。小屋を離れるときにはこの歌が頭に残ってしまったものです、正直活動は小学生にとって禁制も禁制でした。
 例の忠治旅日記は大河内伝次郎の大のファンで、何日も日活の小屋のほうで、ませていたのでもない 堪能したものです。
 この本当に70年をもっとさかのぼった昔の唄をこんなに愛着される方のお達者な文章とともども懐かしむ出来た幸運を感謝いたします。

投稿: くぼたこうじ | 2010年10月14日 (木) 16時59分

私は本年の初め位から二木先生のサイトに寄せていただいているものです。昭和22年12月九州小倉生まれの若輩ものです。今は、茨城県で定年農業をやっています。でも、先生始め皆様のコメントに見るそれぞれの曲への洞察の深さに圧倒されつつ楽しんでいます。今後ともよろしくお願いします。

投稿: アイゼンバーン | 2010年10月27日 (水) 17時10分

若い頃旅と言えばユースホステルにお世話になりました。安い、安全が売り物でしたし、実際もそうでした。
若い男女の交流の場として最適でした。今でも高齢者や
家族も加わって盛況のようです。

投稿: 海道 | 2011年10月 9日 (日) 11時04分

先日、甥の新築祝いの席に出向きましたが、寄る身内の男の中で最年長でした。昭和もすでに遠くなり、時代の流れを感じないではいられませんでした。唯一このコーナーが昭和を感じる憩いのひと時です。末長い存続を祈りつつ晩酌の友として楽しんでおります。
長崎の自由人

投稿: 谷口 修 | 2016年5月 1日 (日) 18時03分

私が勤めるデイケアでは、カラオケの人気曲の一つです。
利用者の皆さんはこうした曲を聞くと、口々にやはり昔の歌がいいとおっしゃいますね。
私も今は戦前歌謡の魅力にはまっています。のんびり・ゆったりとした包容感と品の良さが戦前歌謡の魅力の一つかな。
この曲など、ヨナ抜きの五音階でよくもこんなに個性的で美しいメロディができるものだと感心します。
大正生まれの父がSP蒐集をしていたせいか、戦後生まれの私も聞き覚えがありましたが、デイケアで初めて歌詞を覚え、このサイトで歌の背景を知りました。コメントも含めて大変面白いサイトで、有り難く拝読しております。

投稿: 中村 文明 | 2016年8月14日 (日) 19時05分

『同期の桜』も大村能章の作曲とされておりますが、本当なんでしょうね。彼の三女は相沢喜久子さんという女医さんで長野県小谷地方の医療を最近まで担っていました。歳を取っても美人でしたが数年前に亡くなりました。

投稿: ザジ | 2016年11月24日 (木) 00時17分

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