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仰げば尊し

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:T. H. Brosnan、作曲:H.N.D.、日本語詞:不明

1 仰げば尊し 我が師の恩
  教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)
  思えばいと疾(と)し この年月(としつき)
  今こそ別れめ いざさらば

2 互(たがい)に睦(むつみ)し 日ごろの恩
  別るる後(のち)にも やよ忘るな
  身を立て名をあげ やよ励めよ
  今こそ別れめ いざさらば

3 朝夕馴(なれ)にし 学びの窓
  蛍の灯火(ともしび) 積む白雪
  忘るる間(ま)ぞなき ゆく年月
  今こそ別れめ いざさらば


   Song for the Close of School

1. We part today to meet, perchance,
   Till God shall call us home;
   And from this room we wander forth,
   Alone, alone to roam.
   And friends we've known in childhood's days
   May live but in the past,
   But in the realms of light and love
   May we all meet at last.

2. Farewell old room, within thy walls
   No more with joy we'll meet;
   Nor voices join in morning song,
   Nor ev'ning hymn repeat.
   But when in future years we dream
   Of scenes of love and truth,
   Our fondest tho'ts will be of thee,
   The school-room of our youth.

3. Farewell to thee we loved so well,
   Farewell our schoolmates dear;
   The tie is rent that linked our souls
   In happy union here.
   Our hands are clasped, our hearts are full,
   And tears bedew each eye;
   Ah, 'tis a time for fond regrets,
   When school-mates say "Good Bye."

 

《蛇足》 ある年齢の人までは、『蛍の光』と並んで忘れられない卒業式ソングです。小・中・高校の卒業式で歌われたのは、昭和30年代後半あたりまででしょうか。その後は、文語で言葉がむずかしいとか、2番の立身出世主義が民主的でないなどの理由で、ほとんど歌われなくなりました。

  「我が師の恩」意識が薄まったせいもあるかもしれません。『旅立ちの日に』とか『贈る言葉』『さくら』など、今、卒業式でよく歌われている歌は、在校時代の思い出や将来への希望を歌ったものがほとんどで、先生はあまり出てきません。
 これも時代の流れでしょうか。

 さて、『仰げば尊し』ですが、明治15年(1882)から同17年(1884)に出版された我が国最初の児童用音楽教科書『小学唱歌集』に載ったのが最初で、以後卒業式で歌われるようになりました(『スコットランドの釣鐘草』の注参照)

 この時代の唱歌の例で、作詞・作曲者は不明とされていました。作曲者については文部省音楽取調掛(東京芸術大学の前身)の責任者だった伊沢修二とも、スコットランド民謡ともいわれていましたが、正確なことはわかりませんでした。
 ほとんどの人はこれを日本オリジナルの歌と信じて歌ってきました。

 この問題に決着をつけたのが、一橋大名誉教授の桜井雅人さん。桜井さんは平成23年(2011)1月、この曲が1871年にアメリカ・ニューヨークで出版された曲集 『The Song Echo』のうちの1曲であることを発見しました。
 出版者はヘンリー・S・パーキンスで、『A Collection of Copyright Songs, Duets, Trios, and Sacred Pieces, Suitable for Public Schools, Juvenile Classes, Seminaries, and the Home Circle.』という長い副題がついています。

 曲名は『Song for the Close of School』で、ずばり卒業の歌です。8分の6拍子で、メロディも『仰げば尊し』そのまま、「別れめ」の「め」にフェルマータがついている点も同じです。

 作詞者はティモシー・H・ブロスナン(1838.~1886)で、この詞を書いたころは校長でしたが、のちに実業界に転じ、生命保険会社の社長になりました。
 作曲者については、H.N.D.としかわかりません。
 ともかく『仰げば尊し』の身許が明らかになったわけで、唱歌研究史上画期的な発見といえます。

 なお、『The Song Echo』は散逸してしまって原本はなかなか見つからないようですが、Google Booksに全ページ無料で公開されているので、関心のある方はそちらをご覧になるといいと思います。『Song for the Close of School』は141ページに載っています(下図)

Aogebagenkyoku

 かつて日本の植民地だった台湾では、現在でもこの曲が卒業式ソングとして定着しています。侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の名画『冬冬(トントン)の夏休み』では、冒頭にこの歌が流れています。
 
歌詞は台湾オリジナルのものですが、日本語の歌詞の影響が若干感じられます。

 歌詞がむずかしいので、少しばかり注釈をつけておきます。
 まず各聯の最後に出てくる「今こそ別れめ」ですが、多くの小学生はこれを「別れ目」、すなわち別れる瞬間と思って歌っていました。もちろん私もそうでした。

 が、これは係り結びという文語独特の表現法です。普通の肯定文では述語は終止形で終わりますが、内容を強調したい場合には、前に係助詞を置き、述語を連体形または已然形にします。
 係助詞が「ぞ」「なむ」「や」「か」の場合は、「
姿ぞ見ゆる」のように述語は連体形で終わります。

 いっぽう、係助詞が「こそ」の場合は述語は已然形になります。「今こそ別れめ」がその端的な例です。
 そこで「め」の意味ですが、これは意志や決意を示す助動詞「む」が元の形です。したがって、「今こそ別れめ」は「さあ今別れよう」といった意味になります。

 これ以外の言葉については、以下の通りです。
 いと疾
(と)し=非常に早い。
 睦
(むつみ)し=睦ぶ、または睦むが元の形で、仲良くする、親しく交わるといった意味。
 やよ=呼びかけの言葉。やあ、さあ、やいなど。
 蛍の灯火
(ともしび) 積む白雪=中国の故事からきた言葉。晋(しん)の時代、車胤(しゃいん)は貧しくて灯す油が買えなかったので、蛍を集めてその光で勉強し、同じく貧しかった孫康(そんこう)は、夜は窓外の雪に反射する月の光で勉強していた。二人とも、学問がなってのちに朝廷の高官に出世したという逸話から。

(二木紘三)

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コメント

お待ちしてました。先生のサイトにこの「仰げば尊し」がないので、不思議に思ってました。でも、今年の1月に楽譜が発見されたというニュースを聴いて、取り上げてもらう日も間近いと信じてました。有り難うございます。
 この曲が卒業式で唄われなくなって久しいですが、本当に惜しい事ですね。文語体が難しくても、後々理解できればそれでいいのだと思います。
 小生自身も中学生までは,歌詞の意味を全部は理解してはいませんでした。映画「二十四の瞳」、「ビルマの竪琴」でも使われていて、とても感動しました。メロディーを聴くたびに、胸が熱くなります。

投稿: かせい | 2011年7月 2日 (土) 19時59分

「仰げば尊し」大好きで、友達とカラオケに行ったときの締めに全員で合唱して終わります。ちなみに全員24才です(^-^)

ただこの歌が素晴らしい歌であるためには、その名のとおり「先生への尊敬と感謝の念」があることが必須条件です。
また、これはどうしようもないことではあるんですが、これを教師の側から生徒に教えたり「歌わせたり」することは構造的におかしさがあります。(じゃあ子供らはどこでこの歌の存在を知れっちゅうねん!と言われたらそれまでなんですが…)

僕の場合は、今まで出会った先生方は良い方ばかりでとても恵まれていたなと思います。この歌が本来の力を発揮するためには生徒からの自発的意志による合唱というのが必要不可欠になります。

って考えると、この歌が再び卒業式で流行するようになるのはやっぱり難しいことなんですよねぇ…

投稿: Fundosius | 2011年7月 3日 (日) 01時02分

今年の3月、娘の卒業式で「仰げば尊し」が歌われていました。やはり、厳粛な感じがしましたが、生徒はあまち大きな声では歌っていませんでした。大分県の高校です。

投稿: 上原 | 2011年7月 5日 (火) 08時02分

教員時代、「仰げば尊し我が師の恩」には抵抗がありましたが、「身を立て名をあげ やよ励めよ」のところでは子どもたちの先々に思いを込め大きな声で歌ったものでした。あの子達の今に、幸多からんことを今でも強く思っています。

投稿: 宮﨑 宏 | 2011年7月 7日 (木) 23時33分

「今こそ別れめ」は「さあ今別れよう」といった意味になるんですね。ああ、そうか、それでこそ、と合点がいきました。その他の解説も本当に素晴らしく勉強になりました。私は、多感で未熟な学生時代に「仰げば尊し」に値する先生にいかに多く出会うかでその人の人生というか人間形成が左右されると思います。昔はいい先生、恩師がたくさんいたと思います。昨今、学級崩壊のニュースを聞くと、この日本の将来はどうなるのだろうと暗澹たる思いにかられます。

投稿: SK2 | 2011年7月11日 (月) 20時51分

初めて訪問させていただきました。

仰げば尊しは、私の中学校の卒業式で歌われた曲ですが、今はあまり歌われていないとのこと、寂しい感じがします。

歌詞は難しくとも、その意味を後々理解できる時が来るのではないでしょうか。今後も歌い継がれていってほしい曲です。

投稿: yokohaha | 2011年7月13日 (水) 10時27分

みんなが云われるように、やっと載せていただきました。私の場合は、教師云々で無く、この曲が少年時代の思い出につながり、懐かしいのです。歌詞はそのようですが、先生を意識して歌ったことはありません。学校の校舎、グラウンド、今は疎遠になりましたが友達、いろんな出来事などです。それが正に、少年時代でした。

投稿: 羽田光利 | 2011年7月16日 (土) 01時38分

「仰げば尊し」がアメリカの歌だったとは驚きました。
昨年の秋、中学の担任だった先生の米寿を祝う会が高知でありました。宴たけなわの頃、恩師に祝辞を述べろ、との幹事の要請に、小生が「仰げば尊し」を歌い出すと、ほかの同窓生もつぎつぎに立ち上がり、ついには全員12名の合唱に。
でもそのうち先生ともども、みんな涙にむせんでしまい、終わりまで歌えませんでした。
まさに「二十四の瞳」を地で行く師弟愛の感動の一シーンではありませんか。
傍から見れば涙腺の緩んだ老人グループの乱痴気騒ぎにすぎなかったことでしょうが。

投稿: スンガリ河畔 | 2011年7月16日 (土) 17時01分

私の小・中学校の卒業式の定番といえば、やはり’仰げば尊し’と’蛍の光’でした。
どちらの曲もメロディーが美しくて、歌を歌っていると色々な学校時代の思い出が蘇って、心が感動で満たされたのを覚えています。

以前、新聞か何かの記事で、中学校時代の恩師が亡くなり告別式に教え子たちが集まったという記事を読みました。

最後に恩師の棺が霊柩車に運び込まれる時に、教え子のうちの一人が’仰げば尊し’を口ずさみ始めたそうです。
すると傍にいた友人達も皆一緒に歌い始め、恩師に対して最後に素晴らしいお見送りを出来たと書いてありました。

私はこの記事を読んで感動しました。 
いつまでも生徒たちに親しまれる先生。そしてその先生に対して、最後のお別れに心を込めて’仰げば尊し’を歌った生徒たち。 
今の日本もまだまだ捨てたものじゃないなと思いました。

投稿: 泉 | 2011年9月19日 (月) 18時36分

「仰げば尊し」は、大好きな歌です。
台湾でも「仰げば尊し」が歌われているそうですが、台湾での曲名は何というのでしょうか?

投稿: ken | 2011年9月19日 (月) 21時33分

ken様へ
台湾での曲名は「青青校樹」です。
ネットで「仰げば尊し 台湾」で検索すればYou Tubeの動画で中国語の歌が聞くことができます。中国語の歌詞と日本語訳も掲載されています。
 タイトル:「台湾で歌い継がれる仰げば尊し」
日本の植民地であった台湾で、このような素晴しい曲が卒業ソングとして定着しているのに、日本で歌われなくつつあるのは「政治、教育の退廃、人心の乱れ、情緒の欠落の故」と思うのは言いすぎでしょうか。

投稿: 歌の旅人 | 2011年9月21日 (水) 11時34分

歌の旅人様

「仰げば尊し」の台湾での曲名は「青青校樹」というのですかね ありがとうございます。

私もYouTube で検索しましたら、「華(田の下に華のような字)業歌」(式典唱歌 台湾篇2/2) と「青青校樹」という曲名を見つけました。

そして台湾の人達が、日本の「仰げば尊し」を歌い継いでくれていることに深く感動しました。

実は私が大学生の時(1970年代)に、二人の友人と共に三週間台湾を旅行しました。その時に台湾の人達が「蛍の光」(正確にはスコットランド民謡ですが日本語の歌詞で)と「竹田の子守唄」(何十年も経って分かった台湾の曲名は、「祈祷」)を歌っているのを聴きました。

それ以来「仰げば尊し」も、きっと台湾で歌われているのではないか、と思っていたのですが、二木先生の「蛇足」を読むまでは闇の中の状態でした。

疑問が解けて嬉しいです。 ありがとうございます。

投稿: Ken | 2011年9月24日 (土) 23時55分

半世紀も前に卒業してから殆ど行ったことがない故郷の中学校。CDで(仰げば尊し)を聞いていたら亡くなった先生を思い出しました。タイガーマスクの寄付が報道されていた時期だったので、郵便局に行って送金しました。

投稿: 妙義山のたぬき | 2011年12月23日 (金) 23時57分

60数年前を思い出す懐かしい曲です。
”こそ”が”め”に掛かる
「係り結びの法則」なんて分かって聞いている方は
幾人居られるでしょうか(;;)

投稿: 岡本良英 | 2012年1月19日 (木) 15時01分

最近は日本の学校の卒業式では長い間歌われてた「仰げば尊し」は歌われなくなったそうですが、大へん残念ですね。明治・大正期につくられた歌は―日本のオリジナル曲にしろ、外国から来た曲にしろ―歌詞がすばらしく、この歌も聴くたびに涙がでそうになります。台湾では、日本統治下にあった名残でも今でも歌われているようです。

ところで、二木先生のご説明にもありましたように、昨年の初めごろ、「仰げば尊し」は実は19世紀末にアメリカで作曲された曲であることがわかり、これまでスコットランド民謡ではないか、あるいは日本のオリジナルではないかとい論争に終止符が打たれたことは記憶に新しいところです。この歌は、アメリカで作られたにもかかわらず、アメリカでは完全に忘れ去られ、日本で卒業式の歌として明治以来日本人に愛され、生き残ってきたという珍しい経歴を持つ歌ですが、やがて、私たち古い世代が去っていくと、日本でも忘れ去られ、台湾にだけ生き残り、昔は日本でもこの歌は卒業の歌として歌われていたそうだ、などと語り継がれていくことになるのでしょうか?なんか寂しい気がします。以下、YouTubeにアップされている「仰げば尊し」の3つのバージョンのURLを挙げておきます。最初のバージョンでは日本の「仰げば尊し」を中国人の歌手Jade Yinが美しく歌っています。2番目が台湾で歌われている、中国語バージョンの「仰げば尊し」、そして最後がアメリカのある高校(?)で復活したオリジナルの「仰げば尊し」。(この忘れていた歌がアメリカで復活したについては桜井一橋名誉教授の発見が寄与しているのではないでしょうか?)興味のある方はこれら3つを聴きくらべてみてください。

http://www.youtube.com/watch?v=-4mssG1A_f4


http://www.youtube.com/watch?v=pWi93tYxXz4


http://www.youtube.com/watch?v=Nu_Uyej_1Do&feature=related

國府田 桂一

投稿: KeiichiKoda | 2012年2月28日 (火) 18時36分

大学の秋入学が検討されてるそうですが、となると、高中小も同じように秋入学ということに。桜の花びらに包まれての、「卒業式」「入学式」という
今までの日本の、当たり前の風景が消えて行くという事ですね。悲しいね。
木造三階建ての校舎がまた復活しそうです。廊下も教室の床も板張りで、
講堂もしっかり板張りで、木の香りに包まれて学校生活を送れば、慌ただしさもなく、急かるる思いもなく、思いやりの心を持った生徒が成長して、暖かい優しい「卒業式」になって、この「仰げば尊し」が再び歌われる事になるのではとおもっているのですが…。 

投稿: かせい | 2012年3月 3日 (土) 01時28分

大好きな歌です。
色々と争議をもたらした今年の卒業式ですが、本当に復活させて欲しいのは、この曲です。

私は昭和44年の小学校卒業式で歌いました。
中学校は記憶にないけれど、多分歌ったと思います。
「やよ、ハゲめよぉー」と、まあ当時は悪ふざけしてましたが。
確かに、先生がこの歌を教えて歌わせるおかしさ、しかし、じゃあどこで習えばいいんだ、という矛盾も指摘されてはいましたね。
昔の日本は良い意味でおおざっぱでした。

歌詞の立身出世主義が取沙汰され始めたのは、私たちの時代ぐらいからだったような記憶がありますが、この部分は、教え子の将来の幸せを願う教師の心と、世間の尊敬を集める人間になって恩師と母校の名を高めようという生徒の心意気を表したものだと解釈します。

明治唱歌の多くがそうであるように、これも19世紀の所謂「パーラーソング」の1つだったわけですが、正直、原詩より日本語詩のほうが格調高く優れている・・・と思うのは身内びいきかもしれませんが。

このジャンルの流行歌は膨大な数の資料が残っているので、その中から1曲を特定するのはさぞかし多大な労力を要する作業だったことでしょう。
桜井教授に感謝します。

投稿: 通りすがり | 2012年4月 3日 (火) 13時39分

二番の歌詞が立身出世主義云々と、一度ならず二度も出てきたので、一言述べます。
身を立てるとは、親兄弟に頼らずに独立して生きること。 名を上げるとは、人に後ろ指をさされないようになること。 やよ励むとは、いつも一生懸命に生きるということです。
歌詞の解釈は、人それぞれで異なって良いのでしょう。 ただし歌詞や人の考え方に、反戦、非戦、軍国主義、立身出世主義などと、簡単にレッテルをつけることを、私は好みません。 同様に、過去を現在の尺度で批判せぬよう、自分を誡めています。

投稿: 寒崎 秀一 | 2012年4月 3日 (火) 18時22分

 私がこの曲を卒業式で最後に歌ったのは、昭和49年でした。
その後に、この歌を聴いたのは、近くの小学校の卒業式です。
5年ぐらい前から、必ず、卒業生が歌っています。
私も毎年、近所の小学校に関わらせていただいていますので、卒業式への招待状をいただいています。
毎回、出席させていただいているのですが、いつ聞いても、涙が出ますね。
 それにしても、この曲が、アメリカで作られていたとは、驚きです。
スザンヌハードも、この曲を、CD、リリシズムオブジャパンの中で歌っています。

投稿: 殿川 | 2012年10月 9日 (火) 20時33分

「仰げば尊し」の2番は歌詞の意味からして先生と在校生の思いを歌ったものではないでしょうか?
従って、1番と3番は卒業生が2番は先生と在校生が歌うのが適当と思いますが、いかがでしょうか?

投稿: 景子 | 2013年2月11日 (月) 16時36分

1番は卒業生の先生に対する思い、2番は卒業生の同級生に対する思い、3番は卒業生の教室などに対する思い、ではないでしょうか。
今年、退職金問題で早期退職者が続発したことで先生の「聖職」論が聞かれました。戦後先生も「労働者」として基準法の適用を受けるようになったため「聖職」ではなくなったようです。
それはともかく、恩師のお陰で現在の自分が在ると仰る方に会うたびに羨ましいと思います。私はそういった先生にめぐり合いませんでした。それは多分私が見つけることが出来なかったのだと後悔しています。

投稿: 周坊 | 2013年2月15日 (金) 20時54分

 このすばらしい歌が台湾でしか歌われないというのは本当に残念です。むかし、仕事の上でおつきあいがあった学校の先生が、「子供に”我が師の恩”などと言わせるのは気恥ずかしくて」と言っておいででした。まだ若いけれど立派な真面目な方でした。その気持ちは分かる、と言いたいけれど、教師の責任から逃げているようだなあ、とも思いました。
「今こそ別れめ」では愉快な話があります。国語辞典の面目を一新したと話題になり、その語釈がしばしばき引用されるほど権威を得た「新明解国語辞典」の第一版では、「目」の用例として「今こそ別れ目」を挙げていました。さすがに新しい版では削除されましたが。この辞典の編者となっておられるのはもちろん偉い国語学者でしたが、編集部との複雑な共同作業の中で目が届かなかったのでしょう、それにしても出版社の辞典編集担当者と言えば高度なインテリのはずですが、小学生の頃の思い込みは怖いですね。そう言えば私も、「思へばいと疾し」を、なんとなく「たいそう愛しい」のつもりで歌っていたような気がします。

投稿: dorule | 2013年2月16日 (土) 12時32分

周坊様、お返事ありがとうございます。
そうですね、2番は在校生に対する思いなのですね。
おかげさまですっきりしました、ありがとうございました。
当時は意味もわからずに歌っていましたが、今の若い人たちにはやはり難しいでしょうね。

投稿: 景子 | 2013年2月19日 (火) 15時41分

景子様

いえ、改めて詞をよく読み返えしてみると2番はあなたが仰言るように、先生の卒業生に対する思いと言うか教えではないかと思い直していますがいかがでしょう。

投稿: 周坊 | 2013年2月19日 (火) 20時50分

 はじめて目にした英語の原曲の歌詞ですが、日本語以上に格調高いもので、この英語の歌詞、極めて完成度が高いと思います。
1番から3番まで完璧に韻を踏んでいるのは当然として、今では殆ど使われなくなった接続法による過去願望(回顧)と未来願望を交差させたり(1番と2番の後半部分)、教室や学友を表すのに、聖書などで多用されている二人称の古語(thyとかthee:日本語では汝などと訳す)を用いたりするなど、日本語でいうところの文語調で貫かれていて、英国国歌にも匹敵する格調があります。
しかし、それよりなにより、私が感動したのは、この歌は、単なる卒業式の歌というのを超えて、永久の別れを歌っているところです。
まず1番で、本日、ここに集った学友との思い出を胸に、これから自分達は一人で社会に出て生きていかなければならない、そしてやがて、神が皆の魂を故郷に呼び戻し、ついには天国で再会できる日まで、もう二度と相まみえることはないと歌います。
2番では、教室での楽しい日々や、朝礼の歌声、夕方の賛美歌など、もう二度と触れることはできないが、自分達の最も楽しかった思い出は、この教室とともにあり、生涯忘れることはないだろうと歌います。
そして3番では、学友達との絆が、ついに解かれてしまう瞬間がやってきたと、万感胸に迫る想いで、涙ながらに別離を告げるGood Byeで締めくくられます。
この歌が世に出た1870年頃、米国では国を挙げて最後の西部開拓に邁進していました。(カリフォルニアのゴールドラッシュが1849年ですから、それより更に20年後になります。)国は南北戦争(1861~1865)の痛手からようやく立ち直ってきた頃です。当時、東部の学校を卒業した学生達は、それぞれの希望を胸に広大な国土に散っていき、もう二度と再び故郷に戻ってくることもなかったのでしょう。新天地で、ある者は成功し、それこそ日本の歌詞にあるように、功成り名を遂げたかもしれませんし、またある者は西部の原野で野垂れ死にしたかもしれません。そういう時代背景に思いを馳せると、読んでいて思わず目頭が熱くなりました。

一方、台湾の「青青校樹」は、日本語の歌詞をベースに、更に国威発揚を強く打ち出し、国のために尽くしますというようになっています。次のリンクで、1番~3番が完全に翻訳されていますが、私はこの歌詞も大好きです。多分、日本統治時代が終了し、卒業式に歌っていた歌を中国語に切り替えようとしたとき、まさに国民党政府が台湾という国を形作って行く中で、(その過程では、いろいろと酷いこともあったのは事実でしょうが)故国という概念を台湾の人々とともに確立していった意気込みが感じられます。それまで台湾は、中国本土から見ると「人外の辺境」「東の海に浮かぶ野蛮人(夷)の棲む島」であり、その後は日本の植民地だったので、国民党政府ができるまで、国家や故国という概念があまりなかったものと考えられます。
日本の歌詞も台湾の歌詞も、ともに若い国が勃興する時代にできた曲という雰囲気が色濃く見えます。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16956408
私事ですが、最近、中学や高校時代の恩師の訃報に頻繁に接するようになり、それどころか同級生でも、既に鬼籍に入ってしまった友人も何名か出始めていて、このような歌には、ことさら懐かしさが溢れてきます。

投稿: 「もう戦後ではない」と言われた時代に生まれたおっさん | 2013年8月28日 (水) 14時57分

二木先生、いつもありがとうございます。
私は昭和39年に小学校を卒業いたしましたが、当時すでにこの歌は歌われておりませんでした。「わが師の恩」のところがいけない、ひとはみな平等だから、というような妙な理屈を聞かされた記憶があります。それなら、そのように歌われるのにふさわしい立派な教師になればいいのに、と思ったのは、ずっとのちになってからのことでした。
「過去を現在の尺度で批判すべきでない」という寒崎さんのご意見、私もまったく同感です。

投稿: 川口雄二 | 2014年6月24日 (火) 07時22分

この曲も名曲ですね。時折歌っています。最近卒業式では歌われていないようですが、是非復活させたいものです。
以前産経新聞の読者投書欄に「卒業式には仰げば尊しを」
と投稿したのが掲載され、遠方の各地から賛同の声が寄せられました。
映画二十四の瞳の卒業式での斉唱を聞くと目頭が熱くなります。
日本ではすたれ気味のこの歌が、台湾の小学校の卒業式で現実に歌われています。

投稿: 栗さん | 2014年6月24日 (火) 11時51分

1番、2番、3番を卒業生が歌うのか、在校生が歌うのか、先生が歌うのか、についてのコメントをいくつか拝見しましたが、私はすべて、生徒が歌い先生に奉げる歌であると思います。全編、”仰げば尊し”という題名の趣旨に一貫している歌詞であると思います。

映画「二十四の瞳」での”仰げば尊し”の場面をyoutubeで観ることができます。歌っているのは卒業生だけです。先生たちはこうべを垂れてじっと聞いています。先生がこれを一緒に歌うのはおかしいです。

<2番について>

互(たがい)に睦(むつみ)し 日ごろの恩
別るる後(のち)にも やよ忘るな
身を立て名をあげ やよ励めよ
今こそ別れめ いざさらば

”互いに”とは、先生と生徒達の関係でしょう。

”やよ忘るな”、”やよ励めよ”とは、
卒業生の彼ら自身へ誓いの言葉であり、これがまわり回って、先生への誓いを表すものとなります。

”身を立て”とは自分で独立して生活できること

”名おあげ”とは社会に参加し、人の役に立つこと

”やよ励めよ”とは、人格、品性を高めなさい、

ということでしょう。

学園生活でのテニスやキャンプファイアー、恋、級友たちとの友情を懐かしむ歌はごまんとあるでしょうが、生徒が先生を賛歌する歌はこれ以外ないのではないかと思えます。素晴らしい歌だと思います。

義務教育で最も重要なのは生徒の先生に対する信頼です。

文部省の指導がなくても、それぞれの学校で「仰げば尊し」を復活させて欲しいと思います。もちろん、義務唱歌となることにも反対はしません。

投稿: yoko | 2014年6月24日 (火) 14時37分

懐かしさのあまりつい参入しました。私は間もなく70歳、昭和32(1957)年から1963年に至る間に小中高校を卒業、毎回歌ったように思います。ただ強烈な記憶は小学校だけですが。その際、歌詞の1番は卒業生、2番は対面する在校生、3番は全員で。なぜなら教師は生徒の仰ぎみるもので、師弟が「互いに睦む」関係は今日ではありふれているかもしれませんが(葬式ごっこと言ういじめに教師が参加する悪い例など)本来野蛮な子供に取り入るような姿勢では教育はできないのではと思うので。

投稿: Bianca | 2014年6月24日 (火) 15時18分

解釈についてもう少し説明させてください。

<2番について>

互(たがい)に睦(むつみ)し 日ごろの恩
別るる後(のち)にも やよ忘るな
身を立て名をあげ やよ励めよ


(私は次の様に解釈しました。)
=>

私たち(卒業生)は日々仲良く遊び、勉強し、先生のご恩をお受けしました。卒業した後も決して忘れることはありません。自分の力で生活でき、社会のお役にたち、立派な大人になるよう頑張ります。

(理由1)”日ごろの恩”とは卒業生の先生に対する恩だと思います。卒業生同士の恩、先生の卒業生に対する恩、卒業生の在校生に対する恩、あるいはその反対などありえないでしょう。

(理由2)「仰げば尊し」の趣旨は、卒業生が先生に感謝の気持ちをささげるためのものです。先生や在校生が卒業生に「忘れるなよ!」、とか、「立派になれよ!」とか励ますための歌ではないと思います。

ですから、「忘るな」、とか「励めよ」とかの言葉は、卒業生への要請ではなく、卒業生自らの決心であり、先生への誓いの言葉であると思いました。

<3番について>

朝夕馴(なれ)にし 学びの窓
蛍の灯火(ともしび) 積む白雪
忘るる間(ま)ぞなき ゆく年月
今こそ別れめ いざさらば


(私は次のように解釈しました)

(私たち卒業生が)毎日通った教室では、窓から差し込む蛍の灯火や積む白雪の明かりで勉強しました。年月が経ちましたが、決して忘れることはありません。今、別れる時がきました。さようなら。

(理由)これは卒業生にとって、過ぎ去った日々の回想です。このような思い出はまさに今学校から去ることになる卒業生であるからこそ懐かしく回想できることです。先生や在校生が卒業生とともにこのような回想をして一緒に歌うとしましたら、厚かましい、と言えるでしょう。

****

以上より、「仰げば尊し」は、先生への別れと感謝の言葉として、卒業生のみが歌うための歌である、と私は解釈しました。

投稿: yoko | 2014年6月24日 (火) 17時16分

「身を立て名をあげ」について
この言葉について、私は加地伸行先生の『<教養>は死んだか』で蒙を開いていただきました。
先生のご説明は50ページから55ページ辺りが中心と思いますので、ご関心の向きは参考にしていただくとして、私が理解したところでは、『小学唱歌集』は初編から第三編のことごとく儒教倫理の羅列である。
したがってこのフレーズは明治の人の教養からは当然に『孝経』の有名な文言「身体髪膚、これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始なり」に続く、「身を立つるには道を行い、名を後世に揚げ、以て父母を顕すは孝の終わりなり」を凝縮して表していることになる、というものです。
 あと、『仰げば尊し』の関連では、上記書の第五章追悼<最後の経学者>が、加地先生と経学の泰斗吉川幸次郎先生との師弟の交流に充てられ、とくに「人たらし」の吉川先生の部分(150ページから154ページ)は私は涙なしには読めなかったことを申し添えます。

投稿: 昭和19年生 | 2014年6月24日 (火) 17時39分

昭和19年生様、 ご教示ありがとうございます。お勧めの書、購入して勉強してみます。私は「身を立て名をあげ=立身出世」の根源が意味することを否定するつもりはなく、そのまま方がよりよい精神性を含んでいるのではないかと推察します。陳腐な現代用語に置き換えるのにはためらいがあります。

投稿: yoko | 2014年6月26日 (木) 01時54分

yoko様
コメント有り難うございます。私は皆様の歌の解釈に異を唱えるつもりはなく、それぞれの方が自分の解釈で自分の思いを乗せて歌われればいいと思っています。
敢えてコメントを出させていただいたのは、寒崎さんのコメントにあったようにこの歌が立身出世主義のレッテルを貼られ、歌う価値のないもののように、貶められているのを残念に思ったからです。
≪仰げば尊し≫は、私にとっては卒業ソングに留まらず、人生のなかで、師の恩を感じた人への感謝の気持ちを、拙い私に代わって、代弁してくれる詩歌なのです。

投稿: 昭和19年生 | 2014年6月26日 (木) 13時26分

  この歌によせる皆さんの熱い思いに、触発されて、一言。
戦後、日教組は「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンをかかげて、教育の再生に立ち向かいました。軍国主義の一掃、民主教育の確立です。1951年のこのスローガンは、国民の大多数の支持があったといいます。
 この教育運動の流れの中から「君が代」の否定、「日の丸」の否定、「元号」の否定、さらには立身出世を歌う「仰げば尊し」の否定が出てきました。私はかつて一組合員として、このような理念を議案書やビラなどで何度も見たことがあります。
 「日の丸」くらいはいいだろう、「君が代」くらいはいいだろう、「仰げば尊し」くらいはいいだろうと、そこは個人の判断が、別れるところですが、運動体としては、ひとつの方向性を出さなくてはいけない。つまり、なるべくなら、すべてやりきれという方針です。出れば組合員はまもらねばならない。

 「仰げば尊し」の歌詞「身を立て名をあげ」の中に、人を蹴落とし、自己の栄誉を図ろうという「立身出世主義」を見るのは、どう考えても無理がある、拡大解釈だと思います、。一種の言葉狩りですね。
 しかし、運動体にとって、この歌の本来の意味がどうであるのかなど、どうでもいいのです。「立身出世主義」と「思いやりのある子どもを作る教育」を並べ、際立たせたかったのでしょう。そう考えれば、この歌は、イデオロギー闘争の犠牲になったといえます。
 皆さんが触れられていない、もうひとつの問題点、この歌を式典に採用すれば、「先生が生徒をして歌わしめる」つまり、尊い師であると生徒に歌わせるわけで、「やらせ」であり、「自画自賛」であり、民主的な先生としては面映いのです。そういうところもあり、ボツになったという事情もありました。(私の分会の場合もそうでした)
 
 しかし、この歌はたいへん人気があり、現在、じょじょに各学校で復活して歌われています。仕事柄、卒業式に何度も立ち会いましたが、この歌を聞くと、涙を流す先生や生徒が多いです。私自身も、すがすがしい気持ちになりました。
 歌の復活を「仰げば尊し」のもつ力とみるか、日教組運動の衰退と見るかは、人によって違うでしょう。

投稿: まぼろし探偵 | 2014年6月26日 (木) 17時27分

 上のコメントに、もう少し説明をさせてください。
 戦前までは、教師は聖職であるという考え方が支配的でした。この考えに対し、日教組運動は、教師は労働者である、ただし子どもを育てるという崇高な仕事にたずさわる専門の労働職であるという考えに到達しました。
 確かに教師聖職論では、労働運動は闘えません。賃金・労働条件・教育条件の要求などはできません。聖職であるなら子どものためにがまんしろと抑え込まれます。
 そのため、日教組の組合員は、自らを教師といわず、教員、より改まった形では、教育労働者とよびます。
 
 「仰げば尊し」には「わが師の恩」という教師聖職論を彷彿とさせる表現があります。この歌詞などは、現場の教師の拒否反応をまねきました。

 昔の先生は立派だったという人は多いが、教師聖職論の時代には、体罰は、今より日常的にあった。親も「先生、うちの子が悪いことをした時には、遠慮なくたたいてください」といっていた。 
 また学級委員長なども、クラスの選挙によらず、担任の先生が恣意的に選んでいた。教師聖職時代に、聖職に値する人が多くいたかどうかは疑わしい。
 だから教育労働者という位置づけをし、民主教育をすすめたのは、基本的に正しかったと私は思います。とはいえ、子どもを育てるという仕事は、労働者意識だけではなかなか勤まらない。献身的精神、使命感を必要とする仕事であります。「仰げば尊し」の復活は、そういう事実に皆が少しづつ、気づきはじめた証左といえるのではないでしょうか。

投稿: まぼろし探偵 | 2014年6月27日 (金) 00時07分

一時期、教職に身を置いた者の愚見です。この歌に寄せる皆様方の熱い思いは、十分過ぎるくらい分かります。また、何とか卒業式歌として復活させたいというお気持ちも分かります。しかし、次の理由で、わたしは復活は無理なように思います。
①昭和40年代から、卒業式がこども(児童・生徒)主体になり、その一環として、卒業式歌も再考され、その結果、『仰げば尊し』も歌われなくなったと思います。教員組合のイデオロギー闘争とは、直接的には関係ないと、わたしは思っています。
②歌詞が文語調で難解である。とくに、2番の「身を立て名をあげ」の立身出世主義が時代に合わない、という意見が多くなった。「立身出世」が、当初は「親に孝行をつくす」の意味であったのに、のちに「立身出世主義」に変わってしまったようです。くわしくは、昭和19年生様のコメントをご覧ください。
③現代の風潮は、あらゆるものにクレームをつける時代です。学校教育も例外ではありません。メディアの取り上げるケース(モンスター・ペアレントなど)は稀にしても、教育内容や指導方法について、教育委員会や学校、教員にクレームをつけることは日常茶飯事です。「師の恩」などは、もはや死語のように思います。
 ①については、今はあまりにもこどもの側に偏り過ぎてはいないか、もっと学校側が主体性を持ち、その中で伝統的に歌われて来た、この歌を復活させてもいいのではないか、というご意見もあろうかと思います。しかし、かつて、わたしたち(70代)が経験した、お仕着せの卒業式に問題があったことも事実です。入れ替わり立ち代わり、長々と祝辞を述べる多数の来賓、形式的な祝電の羅列など、主賓の卒業生の存在などないかのような式典が多かったのです。こうした経緯を踏まえると、②や③との関連もあって、『仰げば尊し』を復活させることは至難の技です。また、②が障害になるのなら、2番を謳わなければいというご意見もおありでしょう。実際、2番を省いた「仰げば尊し」も音楽教科書にあったのです。でも、時代の趨勢でしょうか。《蛇足》にもあるように、今は残念ながら『仰げば尊し』を歌う学校は、ごく少数派で、ほとんど絶滅危惧種です。これに代わって、今の小中学校では『旅立ちの日に』が、もっともポピュラーな曲として歌われているようです。この歌詞もなかなかよく出来ています。
 「歌は世につれ 世は歌につれ」と言います。式歌とて、その埒外ではあり得ません。一大国民運動でも起こさない限り、無理なようにも思うのですが。皆様の顰蹙を買うようなコメントになり申し訳ありません。

投稿: ひろし | 2014年6月27日 (金) 11時49分

この歌が嫌いではありませんが、もっと嫌いなのが卒業式です。厳粛が優先で窮屈この上なく、ちょっとでも姿勢を崩すと教師の怒声がとびます。緊張で貧血を起こす生徒もいます。誰のための卒業式なのかさっぱりわかりません。私は高校の卒業式をさぼりました。息子も教えた訳ではありませんが、やっぱりさぼりました。あんな不愉快な式はいりません。卒業式は楽しく愉快にやれないものでしょうか。未来に向けての出発の日ですから。嫌いな教師との決別の日でもありましたね。涙を流して別れを惜しむ先生は残念ながら居られませんでした。ひろしさんよりもっと顰蹙を買いそうですね。でも本音です。

投稿: ハコベの花 | 2014年6月27日 (金) 13時03分

炎上気味だったので、投稿欄をしばらく休止していましたが、再開します。冷静なコメントをお願いします。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2014年6月27日 (金) 21時51分

2011.7.5付けで大分県で歌われたように書いてあります  実はS17年生まれの私が卒業式で “仰げば尊し”と “蛍の光”を歌わなかったのはS45年の一度だけです   だれぞや書いておられるように某教育関連団体の闘争が激しかった頃ですが、それでも私が勤務していた最も過激な分会を持つその学校だけが他の歌に替えたように聞いております  教師として務めたS40年から退職時のH15年まで上記1年を除いた37年間ほとんど問題なく歌って来ました
現在も県立高校ではすべての学校が間違いなく二つとも歌っています  別に県教委からの指示ではありません  学校の自主的判断ですが異論は全く聞いていません  東京都や大阪府などでは、国歌ですら起立しなかったり歌わなかったりする教師がいるなんて信じられません  書きたいことは山ほどありますが、もう退職した身ですのでご遠慮させて頂きます   ちなみに大分県の隣県です  毎年感動的な卒業式が行われていますよ   ただし、義務制は分かりません

投稿: くろかつ | 2016年4月 3日 (日) 18時08分

昭和20年に国民学校を卒業しました、先生は尊敬すべき立派な方々でした、卒業式でも「仰げば尊し」を歌いました、しかるに現在の教師達の行状はどうでしょうか、純真な教え子に猥褻行為をするなど教師の風上にも置けない者が多く、懲戒免職者が多数新聞などに報道されています。
 生徒たちは教師達に対し、尊敬の念を抱いているのかどうか疑問に思われます、こような現状で卒業式で「仰げば尊し」を歌うのはもう無理でしょう、

投稿: 武蔵 | 2016年4月19日 (火) 19時55分

くろかつさんの投稿を読んで大変嬉しく思いました。
二年ほど前にも思いを書きましたが、卒業式にはこの歌ほどふさわしいものはないと考えます。
難しい理屈などいりません。大分県と同様に多くの県で斉唱され引き継がれて欲しいと思っています。

投稿: 栗さん | 2016年4月23日 (土) 15時52分

教育の根源的なエッセンスとして、
 ① 教わる喜び
 ② 成長し、向上する喜び
 ③ 先生に感謝する喜び
があります。
本当は誰もがあるいは多くの人がその喜びを本能的に求めている、と私は思います。
「仰げば尊し」は、そのエッセンスをすべてを含んでいます。

しかるに、最近の「卒業ソング」は、

”翼を広げてこの広い大空に飛び立とう、未来に向かって・・・”、
とこのようなものなのだそうですが・・・

ここには教育のエッセンスをあえて除こうとする意図が働いていると思わざるをえません。

劣等生で、どの先生にも反発して近寄らなかった私に言わせれば、「翼なんか要らねえよ」、と言いたくなります。
私が求めていたのはやはり教育の①、②、③、です。

私は、「仰げば尊し」を歌いたいですね。
先生個人を嫌悪するしない、好き嫌いとは別のことです。

投稿: yoko | 2016年4月23日 (土) 19時57分

再三再四の投稿、お許しください。
また、しつこくて理屈っぽいかと存じます。
これもこの曲を愛し復活を願う者の勢いとして大目に見て頂けたらと思います。

前にも述べましたように、この歌は卒業する生徒が先生を仰ぐ歌です。ですから、卒業生だけが歌うべきであり、先生も在校生も歌うべきではないと思います。

2番を例にして説明してみます。

 ”互(たがい)に睦(むつみ)し 日ごろの恩”
 =>先生自らが”日ごろの恩”を押し付けるべきではありません。

 ”別るる後(のち)にも やよ忘るな”
 =>先生自らが”恩を忘るな”などと言うべきでではありません。

  ”身を立て名をあげ やよ励めよ”
 =>先生が卒業生に”身を立て名をあげろ”と言うのは、いらぬお世話です。厚かましい。
 

  ”今こそ別れめ いざさらば”
 =>古語辞典によりますと、”いざさらば”は、”さあ、それでは”という意味で、行動の主体者が行動を始める前に発する言葉だそうです。

したがって、この場合、「さあ、それでは、(・・・お別れいたします)」というように、去る側(卒業生)の言葉であり、見送る側(先生)の言葉ではありません。


私が中学校を卒業した時、5クラスの内1クラス、50人近くが就職クラスでした。”身を立て名をあげ やよ励めよ”の歌詞に、皆、心から励まされ、頑張るぞ、と燃えていただろうと私は思います。それと比べると昨今の卒業ソングの何と軽いことでしょう。確かに時代と共に歌のとらえられ方は変わるのでしょうけれど・・・


投稿: yoko | 2016年4月24日 (日) 23時45分

 「最近の先生はなっとらん」という滑稽な意見をしばしば耳にします。最近の教師は、仰げば尊しに値しないみたいな論調です。その人たちは、今の生徒が、かつてのような礼儀正しい生徒だと思っているのだろうか。給食を食べていながら、給食費を払わない親(モンスターペアレント)がいることを知っているのだろうか。
 生徒も保護者も変質しているのに、先生だけに時代を超えた尊厳性を求めるのは、バカバカしい。結局は、時勢の変化への不満を、文句を言いやすい先生や公務員にぶつけているだけだと思われる。
 不祥事教師の報道が多いのは、マスゴミ記者のレベルの劣化と気づかないのだろうか。(そんなことしか、教育ネタがないのか!)
 中世ヨーロッパでうまれた大学は、貿易商人など富裕層が、自分の子弟に教養を身につけさせるために賢人・知識人を雇ったのが、始まり。(つまり私立大学が、大学の原型)もし、大学教授がその要請に応えられなかったらクビにした。じつにわかりやすいシステムだ。保護者はしっかり教育内容などを監視していた。
 「こんな子どもに育ててほしい」という要望があってこそ教育だ。学校を「子どもを預かってもらって、親が楽ができる」という保育所と同一視してるようではダメだ。
 現在、地域の自治会、町内会でも、無関心やエゴが噴出して、合意作りが困難とか。保護者が、好き勝手に動いているのに、先生たちが、結局は当たり障りのない「事なかれ主義」で動いていくのも至極当然です。
『仰げば尊し』は、古きよき時代の遺産であって、もう二度と、もどってはこない歌だと思います。

投稿: 紅孔雀 | 2016年4月26日 (火) 14時26分

紅孔雀さん  まさに目から鱗が落ちる御説です
でも一番最後だけは頂けません
2016.4.3付に書いているように、仰げば尊しを全く抵抗なく、全県立高校(多分私立高校も)が心から歌っている県もあるのですよ
関東・関西の都会地の学校こそ私たちから見たら異常そのものなのです
地方ではmonsterparentなる言葉自身話題にもなりません  マスコミが勝手に流して騒ぎ、視聴率上げるためとしか思えません   全国津々浦々本県のように正常化されますよう祈っています

投稿: くろかつ | 2016年4月27日 (水) 13時40分

久し振りにこの歌に接しました   その時期なんですね
連続投稿になることをお許しください

やはり、この歌詞のような生徒であり先生であって欲しいと強く願います

  戦前生まれの退職教師より……

投稿: くろかつ | 2017年2月 5日 (日) 10時42分

くろかつさんの言われることに賛成です。
私も時折この歌を口ずさんでは子供の当時を思い出している昭和15年生まれのものです。
難しい理屈は入りません、今になると言葉の意味するところがよく理解できます。
卒業式には自信をもって仰げば尊しと蛍のひかりを斉唱する学校が増えて欲しいと思っています。
今分らなくても大人になれば子供たちはきっと理解できると思います。


投稿: 栗さん | 2017年2月 5日 (日) 11時26分

この曲はずっと気になっていた曲です。以前意固地になって書き連ねていた私のコメントは恥ずかしくて、消し去っていただきたいと思っていました。

今この曲は特に小学生の卒業にとって参加者全員への祝福であるように思います。ですから文言が意味することにこだわらず校長先生含め参加者全員で大合唱すべきであるように思えるのです。言葉の意味はいつか分かるかもしれませんし言葉の意味を超えるものもいつか分かるかもしれません。

小学校、中学校の卒業式では、何人かの女生徒がこの曲を歌いながら泣いていました。当時私は「なんだ、あいつ、泣いてやがる」、と冷ややかに見ていたものです。今、目を閉じて、山間の谷間の小さな木造の校舎からこのピアノ曲が聞こえてきますのを想像しますと、私の目からも涙が流れてきます。

投稿: yoko | 2017年2月 5日 (日) 12時32分

二木先生が「『仰げば尊し』…明治15年(1882)から同17年(1884)に出版された我が国最初の児童用音楽教科書『小学唱歌集』に載ったのが最初」と解説されていた通り、yoko様指摘の”身を立て名をあげ やよ励めよ”は、事の善悪はともかく、明治維新政府における、欧米列強に追い付き追い越せを国家目標とする殖産興業・富国強兵政策の一環だった訳です。

投稿: 焼酎百代 | 2017年2月 5日 (日) 14時26分

 今、小6と小4が仰げば尊しを聞きたがっていました。そこでページをめくって曲をながして三人で歌いました。

投稿: konoha | 2017年3月11日 (土) 13時58分

家族で仰げば尊しを歌えるとは羨ましいかぎりです。
先日中学の校長先生と話した時には卒業式では歌われていないと聞かされてがっかりしました。でも校長先生は素晴らしい歌なので歌ってほしいとも言っていました。
もう中学校の卒業式は先週で終わり、つぎは小学校の卒業式です。何とか歌われてほしいのですが。

投稿: 栗さん | 2017年3月12日 (日) 13時20分

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