« 仰げば尊し | トップページ | あの素晴しい愛をもう一度 »

遙かなる山の呼び声

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo



作詞:M. David、作曲:V.Young、日本語詞:不詳

1 青い たそがれ
  山が招くよ 呼んでいるよ
  広い草原に 陽は落ちて
  胸にせまる はてない悩み

2 山が 呼んでる
  夢もあこがれも 山の彼方
  暗い草原に ただ一人
  馬を飛ばし 何処までゆくのか

3 わたしゃ無宿の 渡り鳥だよ
  さすらいの はてはいずこ
  遠い山の あの呼び声に
  今日も 誘われてゆく

  今日も 誘われてゆく


The Call of the Faraway Hills

1. Shadows fall on the prairie
   Day is done and the sun
   Is slowly fading out of sight
   I can hear, oh, so clear
   A call that echoes in the night
   Yes, I hear sweet and clear
   The call of the faraway hills

2. There's no rest on the prairie
   There's no rest for a restless soul
   That just was born to roam
   Who can say, maybe way out there
   My heart may find a home
   And I hear sweet and clear
   The call of the faraway hills

3. There are trails I've never seen
   And my dreams are getting lean
   And beyond the sunset
   There are brand new thrills
   When a new dream or two
   May just be one star away
   I must obey the call of the faraway hills

   I must obey the call of the faraway hills


《蛇足》 1953年制作のパラマウント映画『シェーン』の主題歌。映画の原作はジャック・シェーファーの小説。
 傑作・駄作取り混ぜて大量に作られた40~50年代の西部劇のなかでも、10指に入る人気作品であることにあまり異論はないでしょう
(以下ネタバレあり)

 シェーンという流れ者のガンマン(アラン・ラッド)が、水をもらった縁で農民スターレット(ヴァン・ヘフリン)と妻のマリアン(ジーン・アーサー)、息子ジョーイ(ブランドン・デ・ワイルド)一家の農作業を手伝うようになります。

 その頃、悪徳牧畜業者ライカー一味は、農民たちの土地を取り上げようと悪辣な行為を繰り返していました。シェーンはライカーの子分たちを町の酒場で叩き伏せてしまいます。
 怒ったライカーはウィルソン(ジャック・パランス)という殺し屋を呼び寄せます。酒場で撃ち合いになったとき、シェーンはウィルソンもライカー兄弟も撃ち倒しましたが、自分も撃たれてしまいます。

 酒場の外に立つジョーイに、シェーンは「りっぱな男になれよ」といって、馬に乗ってワイオミングの山へと去っていきました。
 その後ろ姿に向かってジョーイは「シェーン!カムバック!」と必死で呼びかけ、その声は山々にこだまします。しかし、彼は振り返ろうとしません。最後にジョーイは「グッバイ!シェーン…」と別れの言葉を叫びました。

 この最後のシーンが非常に有名で、これまでパロディ、シリアス含めて、多くの映画やTVに使われています。

 この映画で私が興味をもった点が2つ。まず殺し屋のジャック・パランス。デビューして2年目に得たのがこの役。アクの強い個性が多くの人に強い印象を与え、同年のアカデミー助演男優賞にノミネートされました。

 善悪がはっきりした作品では、悪役の個性次第でおもしろさが違ってきます。『リバティ・バランスを射った男』でも、リー・マーヴィンの過剰なまでの悪ぶりが作品を盛り上げていました。

 もう1点、私がおもしろいと思ったのは、マリアンが次第にシェーンに心を寄せるようになり、彼も彼女に惹かれるようになった、という点です。こんなありふれたサイドストーリーをおもしろいと思ったのは、「まれびと」伝説の片鱗がほの見えたからです。

 人口が希薄で、人びとが相互にかなり離れた集落で暮らしていた時代には、どこからともなくやってくる流れ者ないし旅人は希な人、すなわち「まれびと」と呼ばれました。「まれびと」が訛って「まろうど=客人」になったといわれます。

 民俗学者の折口信夫(おりくち・しのぶ)は、記紀以前の時代には、どこかわからぬ遠方からくる「まれびと」は神と同義であり、常世(とこよ)の国から来訪したと思われていた、と推測しています。
 非常に遠方からきた「まれびと」は、おそらく集落の住民とは違う異貌、異装で、異言語を話したことでしょう。それが神と思われる原因だったのではないでしょうか。各地で行われる仮面をつけての祭りは、その名残かもしれません。

 ある程度人口が増えてからは、「まれびと」が神と思われることはなくなりましたが、特別扱いされる傾向はかなりあとまで続きました。

 「まれびと」がなぜ特別扱いされるか。それは彼が価値ある3つのものを集落にもたらすからです。まず情報(噂)、2つめは何かの新しい技術、3つめは遺伝子です。
 集落同士が非常に離れていると男女の出会いが少ないので、どうしても血族結婚ないし同族結婚が多くなります。

 「まれびと」に心惹かれる女性の気持ちに、異なる遺伝子を求める本能が働いていたとしても不思議ではありません。通常「まれびと」はどこともしれぬ土地へすぐ旅立ってしまうので、問題もめったに起こりません。新しい遺伝子を求める女性には都合のいい条件でしょう。

 こういう話は現実にもフィクションにもいっぱいあります。ヘッセの『クヌルプ』(邦訳題名は『漂泊の魂』他)では、泊まった家の女主人が一夜クヌルプの床へ忍んできます。
 『マディソン郡の橋』では、旅のカメラマンとの4日間の恋。
 D.ブリンのSF小説を映画化した『ポストマン』では、核戦争で男性のほとんどが無精になったため、どこから来たかわかない自称郵便配達夫の種を
女性がほしがります。

 これらを恋と呼ぶか、浮気・不倫と見なすかは人によって違うと思いますが、「まれびと」の遺伝子を求める部分が女性の心理に潜んでいると見るのは、あながち的外れではないようです。

 なお、シェーンが去ったあと、マリアンの気持ちは夫に戻ります。また、「まれびと」は通常男です。

(二木紘三)

|

« 仰げば尊し | トップページ | あの素晴しい愛をもう一度 »

コメント

ネット検索では、訳詞 岩谷時子になっていますね。

投稿: なち | 2011年8月 3日 (水) 08時09分

この曲、訳詞も大好きです。「まれびと」が「まろうど」に転化・・・。たしかに毎日のように来る人は、その内、逆さ箒で迎えたくなりますものね。「貴種を求める」ということはこどものころ、転校生に心惹かれたことなど身に覚えありです。まれびとは通常男性だそうですが、女性では事が成った後(10ヶ月+α年)の時間がかかることを思えば、無理かもしれませんね。

投稿: Bianca | 2011年8月 5日 (金) 10時03分

「遥かなる山の呼び声」と言う邦画がありました。「シェーン」からヒントを得たらしく、何となく似ていましたが、高倉と倍賞の熱演でした。

投稿: 海道 | 2011年8月18日 (木) 14時38分

この映画の最後の場面で、自分も深い傷を負ったシェーンは、馬に乗ってワイオミングの山へ登って行くのですが、やがてお墓が現れます。映画評論家の白井佳夫氏はこのシーンをもってシェーンはこの山へ死ぬために登っていったのだという解釈を、だいぶ前(1980年代だったか?)の「文芸春秋」誌上に発表したことがありましたね。あの解釈はどうなったのでしょうか?この映画の正しい解釈だったのでしょうか?

投稿: KeiichiKoda | 2012年2月29日 (水) 20時25分

上のコメントへの追記です。シェーンは死ぬために山へ登って行ったという白井佳夫氏の解釈が気になって、調べてみました。ウィキペディアには「シェーン死亡説」という解釈があると記されていました。ウィキペディアには

一般的には「少年に見送られて馬で去った」とされることの多いラストシーンだが、「この時の馬上のシェーンは実はすでに死んでいる」という解釈が存在している

とあり、そういう解釈をサポートするいくつかの根拠が書かれています。私の推測では、公開された映画では、有名な"Shane, come back"という少年の声を背後に聞きながらシェーンが馬で去っていくところで終っているのではないでしょうか?この映画をはじめて見たのは、学生のときだったのですが、そういう記憶しかありません!しかし、1980年代にはいってビデオで映画「シェーン」の完全版が手に入るようになって、シェーンが馬に乗って山を登っていくシーン、お墓があらわれるシーンが明らかになるにつれて、シェーンの新しい解釈が現れたのではないでしょうか。白井氏が「文芸春秋」誌上にこの説を発表したのも、古い映画がビデオという形で容易に見られるようになって、何度もビデオを巻き戻しながら、この結論を得たようです。私が2度目の「シェーン」を見たのは数年前のNHK衛星映画劇場でしたが、シェーンが馬で山に登っていくとお墓があらわれるシーンをはっきりと見ています。

投稿: KeiichiKoda | 2012年3月23日 (金) 19時26分

今日 コメントデビューいたします。この曲の「荒野はるけく 山の彼方〜」の歌詞と歌手が知りたく 投稿いたしました。ご存知の方 よろしくお願いします。そのほか 「朝な夕なに」の真夜中のブルースの歌詞で「めぐり会えるまで 今日も歩いた・・・」についてもご存知でしたらお願いいたします。

投稿: くんちゃん | 2012年10月 3日 (水) 21時42分

アラン・ラッド主演の「シェーン」が、わたしの町で上映されたのは、高校3年生のときでした。当時、わたしの高校では、学校推薦以外の映画は観覧ご法度で、上映館には生徒指導の教師が必ず巡回していると、生徒間では噂されていました。とは言え、わたしたち生徒が皆おとなしく従っていたわけではありません。教師に見つからないように映画を見るノウハウを伝授する者や、スリルだけを楽しむ剛の者もいました。「シェーン」はもちろん未推薦映画でしたが、この映画を教師の目を盗んで4回も見た者がいました。それほどこの映画の人気が高かったのです。
 
 
 
 わたしの高校の同学年にマメちゃんと呼ばれる、小柄でちょっと可愛い、男子生徒には人気の女生徒がいました。今でいうスクールアイドルです。その彼女が卒業直前の予餞会(卒業生を送る会)で、この歌を歌ったのです。配布されたプログラムにはない演目でしたし、日頃から彼女の言動は男子生徒の注目の的だったこともあり、こういう場では必ずヤジを飛ばす強者も遠慮して、彼女の熱唱に聴き入りました。歌ったのは原語ではなく、日本語訳の方でしたが、なかなかの美声で、声量もかなりのものでした。男子生徒の中には、今まで以上に彼女の魅力に取りつかれた者もいたようです。
 彼女の歌唱が職員会議で問題となったのは、この後です。何が問題になったのか。こういう流行歌(映画の主題歌)をこともあろうに公の席で歌ったからです。今の時代に映画の主題歌を歌って問題になる学校があったら、お目にかかりたいくらいですが、今から60年くらい前には、このような学校が地方では当たり前だったのです。

 問題になった彼女は、その後どうなったのか。何とかクリアして卒業できた、ということを後から聞きましたが、その後の消息は分かりません。今でも、彼女の存在が気にはかかるのですが。


 

投稿: ひろし | 2012年10月 6日 (土) 11時44分

 この歌の思い出は、習いたてのオカリナで吹いていたら友人が「その曲はオカリナにぴったりだな」というので、下手なオカリナをほめられたような気分でうれしかったことです。
 私が映画{シェーン}を見たのは1955年頃でした。「蛇足」に記されたとおりのラストシーンにこの歌が流れていましたが、KeiichiKodaさんのコメントによれば、あれは「完全版」ではなかったようですね。あのあとお墓の見えるところへ行くのならば、白井佳夫説がなり立つかもしれません。それにしても、ウイキペディアが取り上げているという、馬上のシェーンはすでに死んでいるという説は奇妙ですね。そもそも、決闘でシェーンがそれほどの重傷を受けたとは感じなかった。
 あの悪役ガンマン、早撃ちのウイルソンは実によかったですね。シェーンとの撃ち合いい、引き金を引く瞬間には勝ったと確信しているからにやりと笑う。その笑顔のまま倒れるところ。のちに見た「ヴェラ・クルス」でしたか、バート・ランカスターがゲーリー・クーパーとの決闘で、不敵な笑みを浮かべて倒れるところは「シェーン」からのヒントではないかと思いました。
 当時読んだ、「アラン・ラッドという大根役者が云々」というような解説が頭に残っていますが、彼は大根という定評なのでしょうか。別に下手だとは思いませんでしたが、ジャック・パランスに比べると確かに存在感が薄かったかもしれません。
 その後の職場で、10歳ぐらい年上の部長さんが、「ありゃあ沓掛時次郎だね」と評していましたが、私にはその名前が初耳で、きょとんとした覚えがあります。

投稿: dorule | 2013年12月 5日 (木) 12時03分

 前のコメントの続きです。白井佳夫説を読んでいませんので、それへの反論ということではありませんが、シェーンが重傷を負っているとは感じなかった私は、「完全版」で行く手に墓場が現れるのを見たならば、剣に生きるものは剣で倒れるという、シェーンの将来への暗示と受け取ったでしょう。この稼業から足を洗おうとしても、結局「あっしにゃかかわりのねえことでござんす」と言ってはいられなくなる宿命。ガンマンで平穏な末期を迎えたのはワイアット・アープだけだとか聞きました。

投稿: dorule | 2013年12月 5日 (木) 12時54分

dorule様
NHK衛星映画劇場の「シェーン」は残念ながら録画しなかったので、「お墓のシーン」をもう一度確かめることはできないのですが、最近この映画のDVDを購入した友人によると、この映画は確かにシェーンが馬で山を登っていくとお墓が現れるシーンで終わっているそうです。(最近は、デパート等で古い名作のDVDを安売りをしていることが多いようです。)

投稿: KeiichiKoda | 2013年12月 5日 (木) 17時57分

KeiichiKoda様
 「シェーン」DVDの情報ありがとうございました。
 公開映画で削られているお墓のシーンは、お挙げになったご自身の記憶、白井佳夫の説やウイキペディアの記述、その他最近のご友人の話などからも確実なことでしょう。折りがあれば完全版を私もみたいですね(何度でも覧ていい映画と思いますので)。私はシェーンが重傷を負ったという印象がなかったので、今度覧るとすれば、決闘のシーンと、お墓が現れる場面に目をこらしましょう。瀕死の重傷を負っているように描かれているかどうか。
 いずれにせよ、日本語訳詩に:
    さすらいの はてはいずこ
    遠い山の あの呼び声に
 というように、無宿者シェーンはこれからもさすらい続ける、遙かなる山の彼方にあのマリアンやジョーイとのような出会いがまたあるかもしれない、だがガンマンはいつかは撃たれるのだろう、と考える方が、今シェーンが死にに行く、あるいは馬上のシェーンがもう死んでいるという解釈よりも、私は好きです。ウイキペディアによれば、「交渉人」という1998年のワーナー映画で作中人物がシェーンの生死を論じているそうですが、どんな議論が展開されているのでしょう。
 前のコメントで、「剣に生きる者は〜」と書きながら、ワイアット・アープへ飛びましたが、その前に、天寿を全うした剣豪は宮本武蔵だけだった、と続けるつもりでした。

投稿: dorule | 2013年12月 7日 (土) 07時41分

dorule様、KeiichiKoda様

「シェーン」は著作権が切れたようで、書店でワンコイン(500円)でDVDが売られています(完全版)。そのには最後の墓場のシーンが登場しています。

シェーンは決闘のとき、後ろから撃たれていますが、おそらく散弾銃でしょう。最後のシーンの馬上で死んでいたかどうかはわかりませんが、生きていたとしても、かなりのダメージがあったと思います。

馬から落ちて瀕死のシェーンをヒロインが介抱し、やがて二人は、というような可能性もありそうです。

投稿: Kenichi | 2013年12月 7日 (土) 09時24分

dorle様、Kenichi様

この映画のDVDを借りて、もう一度見てしまいました。もう一度みると、以前には注意しなかったいろいろのことに気づきました。時代は南北戦争のすぐ後らしいこと、映画にはフォスターの「夢見る人」が流れていたので、フォスターというのはこの映画より前の人だったこと、シェーンを慕うジョイ少年は単なる少年ではなく、「生き証人」としてシェーンの活躍を街に伝えていくであろう語り部(狂言回し)の役を負わされているのだということ(したがって馬のように速く走ることができるのだ!)。最後の場面ですが、emr1969さんのAmazonのカストマー・レビューが秀逸ですので、それから少し引用させてもらうと、

シェーンが山の墓地に入って終わることには見る人それぞれの解釈があっていいとおもうが私はシェーンはジョーイがカンバックと叫ぶ頃には死んでいる説をとります、 そこで疑問なのがなぜラストシーンのような山中に墓地があるのかです、 劇中の葬儀シーンでわかるように普通は街はずれの高台に墓地を設営するのが街づくりの基本です(例えば「ポルターガイスト」の墓地も同じような場所です)、 クライマックスのガンファイトと別れは早朝です、 早朝からあの山中までさて夕方までかかるのか?と考えれば山中の墓地はすでにこの世ではないと考えてもいいのではないだろうか。

となります。この評者は「馬上すでにシェーン死亡説」ですが、私は残念ながら、そこまでは確認はできませんでした。。。

投稿: KeiichiKoda | 2013年12月12日 (木) 09時55分

 二木先生の《蛇足》と皆さんのコメントは大変参考になり勉強にもなりました。
シェーンが墓地へ向かって去って行くラストシーンについては、正当防衛であり正義のためだとはいえ人を殺したという事実に対し、眠っている彼らに改めてお祈りにそしてマリアンへの慕情の懺悔と一家の幸せを祈りに向かったのではと想像したく、監督の思いもそうであると確信をしています。
 物語の中に同じくV.ヤングの「Eyes of Blue(青い瞳)」His eyes are blue, the clearest blue. I love to Look in his eyes. Seems to be they comfortme and troublesseem half their size.・・・の歌でダンスのシーンがありましたが、「青い瞳」はシェーンのことでしょうか?

投稿: 尾谷光紀 | 2013年12月12日 (木) 12時09分

上で引用したemir1969さんの映画「シェーン」のレビュー(Amazonカストマー・レビュー)に関して一言。「シェーン」の英語版ウィキペディアを読んでみました。映画最後の場面が以下のように描写されています。

Wounded, Shane sits up, with his arm hanging uselessly at his side as he rides past the grave markers on Cemetery Hill, and out of town, into the sunrise, over the mountains.

訳すと、「傷を負ったシェーンは片腕をだらりと下げたまま馬上の人となり、共同墓地丘の墓所の側を通って進み、街を抜け、太陽の昇る中を、山の向こう側へと去って行った」となるでしょう。emir1969さんのコメントにあるように決闘が行われたのは確かに明け方ですが、共同墓地に着いたとき夕暮れになっていたというのは正しくないようです。まだ明け方であたりは暗かったのです。したがって、むろん、シェーンは馬上ですでに死んでいて、「山中の墓地はすでにこの世のものではない」というemir1969さんの解釈は成り立たないでしょう。シェーンは深い傷を負ったけれど、命には別条はなく、ワイオミングの山の彼方へ去って行ったという通常の解釈が正しいのだと思います。なお、英語版のウィキペディアには「シェーン死亡説」という解釈には触れられていません。

投稿: KeiichiKoda | 2013年12月18日 (水) 09時57分

KeiichiKoda様、それからKenichi 様、 尾谷光紀様
 コメント興味津々、ありがたく拝読しています。馬上のシェーンの生死については、KeiichiKoda様が引用された英語版ウイキペディアの描写がよくうなずけると思いますが、ワンコインで完全版が入手できるなら、私ももう一度見て、シェーンが死んだと思いたい人の気持ちも理解したくなりました。

投稿: dorule | 2013年12月19日 (木) 18時13分

雪村いずみが歌った「遥かなる山の呼び声」の訳詞は井田誠一で、彼は主に雪村が歌う映画音楽の訳詩を多く手がけており、ジャイアンツ、フジヤマ・ママ、アマポーラ、バナナ・ボート、誇り高き男、不思議な国のアリス、オウ・マイ・パパ、思い出のワルツ等々で、他に利根一郎作曲 曽根史郎歌「若いお巡りさん」(もしもしベンチでささやくお二人さん・・・とひやかし気味によく歌いました)も井田の作詞で氷川きよしがカバーしています。

因みにもう一度是非見たい映画は、カーク・ダグラス『赤い砦』、ダニイ・ケイ『ぼくは憑いてる』、ジルベール・ベコー『遥かなる国から来た男』ですがDVDも出ておらず・・・トホホ・・・。

投稿: 尾谷光紀 | 2013年12月28日 (土) 10時49分

KeiichiKoda様、それからKenichi 様、 尾谷光紀様
 DVDを買って、久しぶりに西部劇をたっぷり堪能しました。ラストシーンとその解釈については語られ尽くしていると思いますが、私は改めてシェーンは死んでいない、まもなく死ぬはずもないと感じました。その理由の一番大きなのは、<語り部>ジョーイの役割です。決闘場面をのぞいていた少年は、早撃ちウイルソンだけでなく、ライカー兄弟も片付けて一瞬ほっとしたシェーンへ、危ない、シェーン!と叫び、シェーンは振り向いて最後の敵を倒します。敵の発砲(散弾銃?)で怪我はするけれど、「あ、シェーン、血が出ているよ」「大したことはない」と言葉を交わす程度です。私が感じたのは、映画の作られ方として、シェーンが下っ端との相打ち(ウイルソンとならまだしも?)で死んでしまうのでは、ジョーイが折角山川を越えて走って来て声をかけたのが空しいではありませんか。

投稿: dorule | 2014年4月20日 (日) 10時30分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 仰げば尊し | トップページ | あの素晴しい愛をもう一度 »