遙かなる山の呼び声
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1 青い たそがれ 2 山が 呼んでる 3 わたしゃ無宿の 渡り鳥だよ 今日も 誘われてゆく The Call of the Faraway Hills 1. Shadows fall on the prairie |
《蛇足》 1953年制作のパラマウント映画『シェーン』の主題歌。映画の原作はジャック・シェーファーの小説。
傑作・駄作取り混ぜて大量に作られた40~50年代の西部劇のなかでも、10指に入る人気作品であることにあまり異論はないでしょう(以下ネタバレあり)。
シェーンという流れ者のガンマン(アラン・ラッド)が、水をもらった縁で農民スターレット(ヴァン・ヘフリン)と妻のマリアン(ジーン・アーサー)、息子ジョーイ(ブランドン・デ・ワイルド)一家の農作業を手伝うようになります。
その頃、悪徳牧畜業者ライカー一味は、農民たちの土地を取り上げようと悪辣な行為を繰り返していました。シェーンはライカーの子分たちを町の酒場で叩き伏せてしまいます。
怒ったライカーはウィルソン(ジャック・パランス)という殺し屋を呼び寄せます。酒場で撃ち合いになったとき、シェーンはウィルソンもライカー兄弟も撃ち倒しましたが、自分も撃たれてしまいます。酒場の外に立つジョーイに、シェーンは「りっぱな男になれよ」といって、馬に乗ってワイオミングの山へと去っていきました。
その後ろ姿に向かってジョーイは「シェーン!カムバック!」と必死で呼びかけ、その声は山々にこだまします。しかし、彼は振り返ろうとしません。最後にジョーイは「グッバイ!シェーン…」と別れの言葉を叫びました。
この最後のシーンが非常に有名で、これまでパロディ、シリアス含めて、多くの映画やTVに使われています。
この映画で私が興味をもった点が2つ。まず殺し屋のジャック・パランス。デビューして2年目に得たのがこの役。アクの強い個性が多くの人に強い印象を与え、同年のアカデミー助演男優賞にノミネートされました。
善悪がはっきりした作品では、悪役の個性次第でおもしろさが違ってきます。『リバティ・バランスを射った男』でも、リー・マーヴィンの過剰なまでの悪ぶりが作品を盛り上げていました。
もう1点、私がおもしろいと思ったのは、マリアンが次第にシェーンに心を寄せるようになり、彼も彼女に惹かれるようになった、という点です。こんなありふれたサイドストーリーをおもしろいと思ったのは、「まれびと」伝説の片鱗がほの見えたからです。
人口が希薄で、人びとが相互にかなり離れた集落で暮らしていた時代には、どこからともなくやってくる流れ者ないし旅人は希な人、すなわち「まれびと」と呼ばれました。「まれびと」が訛って「まろうど=客人」になったといわれます。
民俗学者の折口信夫(おりくち・しのぶ)は、記紀以前の時代には、どこかわからぬ遠方からくる「まれびと」は神と同義であり、常世(とこよ)の国から来訪したと思われていた、と推測しています。
非常に遠方からきた「まれびと」は、おそらく集落の住民とは違う異貌、異装で、異言語を話したことでしょう。それが神と思われる原因だったのではないでしょうか。各地で行われる仮面をつけての祭りは、その名残かもしれません。
ある程度人口が増えてからは、「まれびと」が神と思われることはなくなりましたが、特別扱いされる傾向はかなりあとまで続きました。
「まれびと」がなぜ特別扱いされるか。それは彼が価値ある3つのものを集落にもたらすからです。まず情報(噂)、2つめは何かの新しい技術、3つめは遺伝子です。
集落同士が非常に離れていると男女の出会いが少ないので、どうしても血族結婚ないし同族結婚が多くなります。
「まれびと」に心惹かれる女性の気持ちに、異なる遺伝子を求める本能が働いていたとしても不思議ではありません。通常「まれびと」はどこともしれぬ土地へすぐ旅立ってしまうので、問題もめったに起こりません。新しい遺伝子を求める女性には都合のいい条件でしょう。
こういう話は現実にもフィクションにもいっぱいあります。ヘッセの『クヌルプ』(邦訳題名は『漂泊の魂』他)では、泊まった家の女主人が一夜クヌルプの床へ忍んできます。
『マディソン郡の橋』では、旅のカメラマンとの4日間の恋。
D.ブリンのSF小説を映画化した『ポストマン』では、核戦争で男性のほとんどが無精になったため、どこから来たかわかない自称郵便配達夫の種を女性がほしがります。
これらを恋と呼ぶか、浮気・不倫と見なすかは人によって違うと思いますが、「まれびと」の遺伝子を求める部分が女性の心理に潜んでいると見るのは、あながち的外れではないようです。
なお、シェーンが去ったあと、マリアンの気持ちは夫に戻ります。また、「まれびと」は通常男です。
(二木紘三)
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コメント
ネット検索では、訳詞 岩谷時子になっていますね。
投稿: なち | 2011年8月 3日 (水) 08時09分
この曲、訳詞も大好きです。「まれびと」が「まろうど」に転化・・・。たしかに毎日のように来る人は、その内、逆さ箒で迎えたくなりますものね。「貴種を求める」ということはこどものころ、転校生に心惹かれたことなど身に覚えありです。まれびとは通常男性だそうですが、女性では事が成った後(10ヶ月+α年)の時間がかかることを思えば、無理かもしれませんね。
投稿: Bianca | 2011年8月 5日 (金) 10時03分
「遥かなる山の呼び声」と言う邦画がありました。「シェーン」からヒントを得たらしく、何となく似ていましたが、高倉と倍賞の熱演でした。
投稿: 海道 | 2011年8月18日 (木) 14時38分
この映画の最後の場面で、自分も深い傷を負ったシェーンは、馬に乗ってワイオミングの山へ登って行くのですが、やがてお墓が現れます。映画評論家の白井佳夫氏はこのシーンをもってシェーンはこの山へ死ぬために登っていったのだという解釈を、だいぶ前(1980年代だったか?)の「文芸春秋」誌上に発表したことがありましたね。あの解釈はどうなったのでしょうか?この映画の正しい解釈だったのでしょうか?
投稿: KeiichiKoda | 2012年2月29日 (水) 20時25分
上のコメントへの追記です。シェーンは死ぬために山へ登って行ったという白井佳夫氏の解釈が気になって、調べてみました。ウィキペディアには「シェーン死亡説」という解釈があると記されていました。ウィキペディアには
一般的には「少年に見送られて馬で去った」とされることの多いラストシーンだが、「この時の馬上のシェーンは実はすでに死んでいる」という解釈が存在している
とあり、そういう解釈をサポートするいくつかの根拠が書かれています。私の推測では、公開された映画では、有名な"Shane, come back"という少年の声を背後に聞きながらシェーンが馬で去っていくところで終っているのではないでしょうか?この映画をはじめて見たのは、学生のときだったのですが、そういう記憶しかありません!しかし、1980年代にはいってビデオで映画「シェーン」の完全版が手に入るようになって、シェーンが馬に乗って山を登っていくシーン、お墓があらわれるシーンが明らかになるにつれて、シェーンの新しい解釈が現れたのではないでしょうか。白井氏が「文芸春秋」誌上にこの説を発表したのも、古い映画がビデオという形で容易に見られるようになって、何度もビデオを巻き戻しながら、この結論を得たようです。私が2度目の「シェーン」を見たのは数年前のNHK衛星映画劇場でしたが、シェーンが馬で山に登っていくとお墓があらわれるシーンをはっきりと見ています。
投稿: KeiichiKoda | 2012年3月23日 (金) 19時26分