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くちなしの花

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo



作詞:水木かおる、作曲:遠藤 実、唄:渡 哲也

1 いまでは指輪も まわるほど
  やせてやつれた おまえのうわさ
  くちなしの花の 花のかおりが
  旅路のはてまで ついてくる
  くちなしの白い花
  おまえのような 花だった

2 わがままいっては 困らせた
  子どもみたいな あの日のおまえ
  くちなしの雨の 雨の別れが
  いまでも心を しめつける
  くちなしの白い花
  おまえのような 花だった

3 小さな幸せ それさえも
  捨ててしまった 自分の手から
  くちなしの花を 花を見るたび
  淋しい笑顔が また浮かぶ
  くちなしの白い花
  おまえのような 花だった


《蛇足》 昭和48年(1973)8月21日にポリドールから発売され150万枚の大ヒットとなりました。

 この歌が作られたいきさつについて、遠藤実は日本経済新聞に連載した『私の履歴書』のなかで次のように書いています。

 ……ポリドールから「渡哲也さんの曲を書いてほしい」という話がきたのは四十八年のことだった。不思議なことにタイトルだけは先に決まっていた。「『くちなしの花』です」と山口光昭ディレクターは言う。 もともと山口さんは著名人に戦没学徒の遺書を朗読してもらう企画を進めていた。その依頼に行った作家の曾野綾子さんから見せられたのが、宅島徳光(のりみつ)海軍飛行予備中尉の遺稿集『くちなしの花』。その中に恋人を思って綴った詩があった。
   「俺の言葉に泣いた奴が一人
   俺を恨んでいる奴が一人
   それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人
   俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人
   みんな併せてたった一人……」
                                    (大光社刊『遺稿くちなしの花』から)
 宅島中尉は訓練中の事故で亡くなっていたため、戦没学徒の遺書を著名人に朗読してもらったレコードには収録されなかった。しかし山ロディレクターは、二十四歳の命を空に散らせた若きパイロットの詩から受けた感動を忘れられなかった。詩からにじみ出る男の強さと優しさ。そのイメージに近い渡哲也の新曲を手がけると決まったとき、タイトルは『くちなしの花』しか思いつかなかった。
 水木かおるさんの詞を受け取った私の目が、一番の「いまでは指輪も まわるほど」のところで止まった。
 まだマーキュリー専属のころ、結婚式も挙げないまま苦労ばかりをかける妻に、いつかは指輪のひとつも買ってやれるようになりたいと思っていた。西荻窪駅前の時計店のウインドーに飾られた小さなオパールの指輪を毎日のようにじっと見詰めていた。
『からたち日記』がヒットして初めてまとまった印税が入った。それで買った指輪を大事そうにはめてほほ笑む妻の面影が、脳裏に鮮やかな映像を結んだ。水木さんに「おいしいものは一番先に食べようよ」と言って、歌い出しに持ってきた。『くちなしの花』は昭和四十八(一九七三)年に発売され大ヒットしたが、後に渡さんから「レッスンでピアノを弾きながら泣いていましたね」と言われた。確かにあのときは、辛かった日々と節子のぬくもりが胸によみがえって、鍵盤に涙がにじんだ。

 これによって、この曲が海軍飛行予備中尉・宅島徳光の遺稿集『くちなしの花』がきっかけになって作られたことが明らかになりました。

 しかし、作詞家はなぜ、戦没学徒という特殊な運命を背負った男の心情を幾分かでも感じさせるフレーズを入れなかったのでしょうか。
 この作品の制作経緯を全く知らないものとして、歌詞を読んでください。別れた女性を気遣う男の優しい気持ちは感じられても、宅島徳光という戦没学徒の運命を匂わせる何かを感じ取るのは無理でしょう。
 作詞家は宅島徳光の5行詩からインスピレーションを得て「別の詞」を書いたのです。

 宅島徳光の5行詩は「不可避の死を控えているがゆえに愛する女性に身を切る思いで別れを告げなければならなかった痛切な思い」がテーマで、主体は宅島徳光です。
 いっぽう、水木かおるの詞は、自ら身を引いて去って行った女性のことを男が歌っており、主体は女性です。
2つの詩は構成上、主体が逆になっているといってよいでしょう。

 上記引用文に、遠藤実がピアノを弾きながら泣いていたとありますが、これは自分の思い出に泣いたのであって、5行詩から感じられる宅島徳光の過酷な運命に涙したわけではありません。歌詞にはそれは表れていないからです。
 水木かおるが「おいしいものは一番先に」といった指輪のフレーズは、遠藤実の思い出話を活かしたものです。

 この曲は優れた作品であるからこそ大ヒットしたわけですが、制作のきっかけが宅島徳光の遺稿集『くちなしの花』で、作詞家がそこからモチーフを得たから、彼への鎮魂歌だとするのは無理だと思います。鎮魂歌を意図したのなら、それとわかるようなフレーズが少なくとも1か所ぐらいは入っているはずです。
 遺族がこの歌を愛息への鎮魂歌として喜んでいたというのは、また別の話です。

 これは私の想像ですが、『くちなしの花』というタイトルを決めてから、作品制作を依頼してきた山ロディレクターは、宅島徳光もしくは戦没学徒への鎮魂の思いが籠もった歌を作りたかったのではないかと思います。戦没学徒遺稿の朗読集を企画したような人ですから。

 なお、遺稿集『くちなしの花』からインスピレーションを得て作られた歌に、松山善三作詞の『一本の鉛筆』と『八月五日の夜だった』があります。これらには、穏やかながら反戦の思いを示すフレーズが入っています。
 また、宅島徳光の5行詩に美空ひばりが補筆し、船村徹が作曲した『白い勲章 』という歌もあります。鎮魂歌というなら、むしろこちらでしょう。

(二木紘三)

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コメント

 戦没学徒宅島徳光さんの詩集を知ったのは、十数年前の定年頃でした。親父も海軍に徴用され護送船団の先頭で撃沈されたので、哀惜と同時に無念さを感じます。
 くちなしの花の生まれた経緯を初めて知りました。歌の誕生した経緯も知らず歌っていました。鎮魂歌「白い勲章」を聴きました。
 何時も有難うございます。

投稿: タケ坊 | 2011年11月 2日 (水) 19時32分

宅島中尉の遺稿集「くちなしの花」、そして「くちなしの花」制作秘話、はじめて知りました。ただ山口ディレクターも水木かおるさんも、せめてタイトルだけは変えてほしかったなあと思います。

投稿: 林 一成 | 2011年11月 8日 (火) 13時23分

大好きなヒット曲にこのような“秘話”があったとは知りませんでした。
だからと言って、この曲のメリットが下がるとは思いません。作詞家のインスピレーションは自由です。まして、渡哲也さんが歌うとなると・・・
ただ、宅島徳光予備中尉の想いはしっかりと胸に秘めたいと思います。

投稿: 矢嶋武弘 | 2011年11月 9日 (水) 17時31分

こういう“秘話”に基づく歌と知りますと、視聴する感覚が違ってくるから不思議です。
“くちなしの花”の花言葉はもちろん<沈黙>ですが、同時に<秘めた愛情>という意味もあります。そうしてみますと、水木かおる氏の詩は、状況こそ違え、まさに宅島中尉の詩の根本を捉えていて、遠藤実氏がそれを表現したという風に聞こえてきます。

投稿: 飯田 | 2011年11月10日 (木) 11時45分

「くちなしの花」・私はこの曲を聴くと、なぜか胸が切なくなります。この曲が作られたいきさつや、この曲にまつわる秘話とは、全く関係のない想いが私の胸を熱くするのです。あの阪神・淡路大震災のあった半年後に結婚し、兵庫県・芦屋の狭い社宅で結婚生活をおくっていた娘に、2年後待望の女の子が生まれました。私にとっては3人目の可愛い孫でした。 でも、この子には軽度の染色体異常があり、他の子供に比べると、成長がゆっくり、おまけに癇が強く眠りも浅い! とても育て難い子供でした。 子育ての経験も無く、近くに助けてくれる知り合いもいなかった娘にとっては、毎日が苦労の連続。そんな娘を見るにみかねて、私は遠く離れた地から、時々、子育ての応援に出かけたものでした。
夕飯の準備で忙しい時間になると、きまって愚図りだす孫は、まだ首もすわらないのに、なぜか斜め抱きを嫌がりました。 そんな孫を、私は立て抱きにして、外に連れ出し、近くの公園を歩きまわったのを昨日のように思い出します。 
 そう、あの時、あの公園には、くちなしの白い花がいっぱい咲いていました。
あの甘ーい香りと、街路灯の灯りにキラキラと反射して輝いていた白い大きな花と濃い緑色の葉っぱは、今でも私の頭の中に鮮明に残っております。
 あれから14年、孫はゆっくり、ゆっくり成長し、体は相変わらず小さいけれど、今では中学2年生になりました。 住まいも東京に移り、弟も出来ました。
孫に会う度、私はひとり「くちなしの白い花、おまえのような花だった」と口ずさんでおります。

投稿: ガーネット | 2012年2月 3日 (金) 20時17分

「くちなしの花」「アカシアの雨」を作詞された水木かおるさんは奈良県高市郡明日香村阿部山のお方で、この歌が作詞された当時は、明日香村の岡郵便局の局長代理の仕事をしておられました。
昭和48年といえば高松塚古墳壁画が発見された事で日本中が明日香村に目を向けていました。
 岡郵便局は高松塚記念切手シートの発売で、連日、記念押印に明け暮れました。このあと岡郵便局も明日香郵便局と名前を変えました。
 水木かおるさんの本名は西川さんで、高松塚古墳の側の、後にキトラ古墳が発見された大字安部山にお住まいでした。
「アカシアの雨がやむとき」の歌詞にもあるアカシアは、大字安部山の入口近くに、大きな大きなアカシアの木がありました。今もあると思います。その頃西川さんのご長男が他界されたと聞いております。その悲しいやるせない気持ちが、歌詞に影響を与えると思います。西川さんも今では二上山の西方の国で、我が子と再会されて永遠の子等を思う歌を作詞されていることでしょう。

投稿: 勝川京子 | 2012年3月21日 (水) 17時13分

かなり以前に NHKの番組 『歌はこうして生まれた』( ?)で放映されませんでしたか  紺野美沙子さんがナレーターだったような記憶があります

その時、このお話を知りました
久し振りにこの歌に接していると無性に投稿したくなった次第です 

梔子は私の古里にはたくさんあり、あの香りとともに、花びらを食べていましたよ  食料のなかった時代です  懐かしいですね
 

投稿: くろかつ | 2012年6月30日 (土) 11時18分

水木かおるの孫です。
私は、祖父がどんな詩を書いていたか、全く知らずに育ちました。

「水木かおる」は、今は私の祖父とは違う方となってますが、今はその経緯を知る者は居ません…
祖父が亡くなり、祖母が亡くなり、今年の二月には祖父の二男の叔父が亡くなりました。今では身内は母親だけです。
何となく、祖父が書いた詩を見たくなり調べていると、このページに辿りつきました。
祖父の書いた詩は、今でも愛されてるんだな…と思うと、心が暖まりました。

投稿: くちなし | 2012年9月18日 (火) 23時20分

くちなしさん、こんにちは。

二松学舎大学附属図書館に「水木かおるコーナー」があるのはご存知ですか?
「旧蔵書、約12,000冊(雑誌・レコード等を含む)を、
 令夫人奥村睦子氏より、本学へ、寄贈・・
 2005(平成17)年4月、附属図書館(柏)内に開設・・」
 と書いてありますよ。
http://www.nishogakusha-u.ac.jp/tosyokan.htm

Wikipedia に“主な作品”が書いてありますが、
“データーベース検索”の“著作者名”に名前を入れると、
登録してある 581件 載っていますよ。
http://www.minc.gr.jp/index.html
“奥村聖二”でもありますが、同じ方でしょうかね。
及川三千代(愛と死のかたみ・夕日の波止場)
叶修二(すてきな奴)好きな歌です。

“作詞者名”で検索できます。
http://www.uta-net.com/ 
http://www.utamap.com/

曲名、歌手名、歌詞等が分かれば、動画サイト等で歌が聴けますね。

・・・・・・・・・・・・
管理人さん、
「白い勲章」動画サイトは消えて変わっています。
「八月五日の夜だった」「白い勲章」
以前アドレスを入れていましたが、
「うたごえ喫茶 “のび”」に3曲とも載っています。

投稿: なち | 2012年9月19日 (水) 12時35分

 わたしはくちなしの花の香も嫌いではありませんが、汚れを知らない、純白無垢の花に多く魅せられます。艶がある濃緑の葉とのコントラストは、花ことばの「清浄」、「清潔」を具現しているように感じられます。ところが、この純白無垢の色合いは長くはもちません。数日後には見るも無残な姿になります。美から醜への変化が極端で、あたかも絶世の美女が、一炊の間に老残をさらけ出すように見えて、人生の儚さを感じるのです。この花をこうした思いで見るのは、わたしだけでしょうか。

勝川京子 様
 コメントを拝見して、いくつか疑問が生じましたので、お答えいただければ幸甚です。
①水木かおるの本名は「西川」とありますが、ネットで検索しますと、「奥村聖二」となっています。いつから姓名が変わったのでしょうか。
②かれは昭和33年にポリドールの専属作詞家になっていますが、「アカシヤの雨がやむとき」や、「霧笛が俺を呼んでいる」(いずれも昭和35年)などのヒット曲を出した後も、岡郵便局に在職していたのでしょうか。
 以上の2点です。よろしくお願いいたします。 

投稿: ひろし | 2012年9月19日 (水) 14時58分

私のブログを検索していて、目次の中からこのご質問を見つけました。私の記憶では、「水木かおる」というペンネームは次々と受け継がれていくと聞いております。現在もこのペンネームは使われているようです。何代目の「水木かおる」か調べるのも関心事です。隣町の地元の郵便局に転勤され、局長代理を定年まで勤められて、郵政事業で叙勲も受けられました。
 その後も作詞は続けられており、奈良県高市郡高取町の文化協会の役員などもされました。
 
 明日香村制定(昭和46年)三ヶ村合併(飛鳥・坂合・高市村)十五周年記念と記された「明日香村民の歌」作詞 西川正夜詩、作曲 八洲秀章、の楽譜があります。これは昭和49年にl出版されています。私達は現在も文化祭で歌っています。
 1.飛ぶ鳥の 明日香の里は さわやかに 
  みどりに映えて 風かおる
  古代の遺跡 そのままに
  山めぐらして 雲青し 
  あゝうるわしき わが明日香
 2.万葉の 明日香の里に おきふして
  こころに通う 飛鳥川
  文化のながれ 遠くより
  水清らかに はてしなく 
  あゝたくましき わが明日香
 3.神名備の 明日香の里の よろこびは
  天地のめぐみ わくところ
  歴史のすがた 保ちつつ
  希望(ゆめ)おゝらかに ひらけゆく
  あゝゆたかなる わが明日香

また明日香村のために「明日香詩情」「明日香慕情」「明日香盆唄」も作詞されています。
 

投稿: 勝川京子 | 2012年12月23日 (日) 11時30分

上記の投稿後にポリドールに勤務されていた水木かおる氏がおられたことを知りました。
 私が書きました西川正夜詩氏は隣町の郵便局から主人の母が局長をしていた明日香郵便局へ転勤してこられて定年まで勤められました。上記の書き込みは勤務局が反対になっています。
 今私が思いますには、ポリドールの水木かおる氏の傘下には無名の作詞家が歌詞を提供していたのではと言う推測です。私は「アカシアの雨が止む時」についての思いを投稿しましたので、他の歌に付いては知りません。
 

 

投稿: 勝川京子 | 2012年12月23日 (日) 13時15分

勝川京子 様
 わたしの勝手な質問にお答えくださり、ありがとうございます。
 あなた様からのお答えで解ったことは、次のようにまとめてよろしいでしょうか。
①「水木かおる」名の作詞家は代々受け継がれて、複数いるようである。(このことは、本ブログの「くちなし」様のコメントからも理解できます。)
②『アカシアの雨がやむとき』の作詞家「水木かおる」は、定年まで岡(明日香)郵便局に勤めた、西村正夜であることは事実である。
③しかし、『アカシアの雨……』がどういう経緯で、本名奥村聖二の「水木かおる」名になっているのかは不明である。
④おそらく、無名の作詞家が、複数の「水木かおる」に歌詞を提供しているのではないか。③は、そのことと関係しているのかも知れない。
⑤本歌を含め、「水木かおる」作詞による歌曲のなかで、『アカシアの雨……』以外に、「西川正夜」によるものがあるか、否かは不明である。
 

 お忙しいなか、お手数をおかけしました。重ねて御礼申します。
 こうした例は、音楽界に限らず、さまざな分野に見られるようですが、これこそが、持ちつ持たれつのファジーな人間関係を得意とする、日本社会特有のものなのかも知れません。しかし、何か空しい気もしますね。

投稿: ひろし | 2012年12月24日 (月) 15時06分

くちなし様
 西川正夜詩作詞・桑野靖子作曲の「明日香詩情」という明日香歌曲があります。
 後の世までも伝えたい歌だと思いますので、歌詞を掲載させて戴きます。

 「明日香詩情」
そのかみの 水の流れは いまもなお 美しく
ああ 清らかに 万葉の 歌の調べを ひびかせる 
瀬々の玉藻の 飛鳥川

名もゆかし 明日香風ふく ふるさとは
みかんの花の 咲くところ
ああ さわやかなその素顔 飛鳥采女を 想わせる 
白いうなじの ひとゆえに

甘樫の 丘にのれば 神名備の 山並み青く 絵のすがた 
ああ ほのかにも 夢さそい 飛鳥古京を 偲ばせる 
石の舞台も 謎かけて

明日香路は いまも昔に つづく道 さびたるものの 声がする 
ああ つややかなうつし世に 何を嘆くか はじけるか
大和三山(みやま)に雲が湧く


投稿: 勝川京子 | 2012年12月26日 (水) 01時56分

 かつて、カラオケバーでこの歌はよく聞きました。
おぼえやすい歌ですが、まあ、好きでもきらいでもない歌で、歌ったことなしです。
 しかし、遅ればせながら、今日はじめてこの<蛇足>を読み、すくなからぬ感銘がありました。
 曽野綾子経由で、宅島中尉の遺稿を見た山口光昭ディレクター。
そして作詞を手がけた水木かおる氏。さらに作曲をした遠藤実氏。
三者三様の受け止め方で『くちなしの花』ができあがっていく過程が、なんとも不思議です。
 ひとりの感銘や感動は、当然ながら他人にまっすぐには伝わらない。
受けとめる人それぞれの屈折率で歪められ、感動の内容が取捨選択される。
山口氏の思いとは違ったものになったでしょうが、それはしかたのないことです。
 
 なぜ水木かおる氏は、戦没学徒の思いを歌詞の上に全く残さなかったのでしょうか。
 私も、戦没学徒の思いを歌詞のどこかに伝えてほしかったと思いました。
しかし、世の中には『きけわだつみの声』を読むだけで、軍国主義の美化だと叫ぶ人がいます。
実際、私の友人にもいます。彼らにとって,『きけわだつみの声』は禁書あつかいで、きちんと読んだこともない。
天皇陛下万歳といっているからアウトだそうです。
 連中は、曽野綾子と聞いただけで「あの右翼が~」とまちがいなく言います。とほほ。
 
 ある時、私がカラオケで、『吉田松陰』(尾形大作)を歌った。「なにももたない 若者たちの 無欲無限の 赤心が 日本の明日をつくるのだ~」の歌詞に因縁をつけられた。「赤心とは天皇への忠誠心だ。それを讃えるのか」と。
「あのね、赤心って、うそいつわりのない、まごころのことですよ」と言いましたが、わかってくれない。
さらに「あのね、伊勢の名物、赤福餅も、赤心慶福、すなわち、お客さんへのまごころをつくし、しあわせをよろこぶという商人の心得を説いたものですよ。天皇は関係ないんですよ」と説明しても、通じなかった、というより、聞く耳を持っていなかった。とほほ。 
自称左翼、自称反軍国主義者に底の浅い人も多い。自分の不勉強を恥じることなく、無知の強さをウリにしている感じ。たまりませんわ。
 世の中には、そんな人もたくさんいる。だから水木氏は、演歌の歌詞に戦没学徒めいたものを入れることを野暮と考えたのでしょうか。
 まあ秘話として伝えられる方が、「知る人ぞ知る話」としてよいと思います。

 最後に・・、宅島中尉は事故死であったと二木先生は明確に書いています。事故死は、戦死とは名誉の上で劣るわけです。兵士の死に等級をつける軍隊の不合理を告発する姿勢を感じました。

投稿: 屋形船 | 2014年9月11日 (木) 15時47分

宅島徳光氏は昭和15年7月、18歳の日記に、母君も好きだったくちなしの花への思いを書いているようです。
 …
 くちなしの花が萎れている。沈思の少女のような格好で。今日も黄昏だ。黄金の光とばらの香りが漂い始める。
  *
 ましろき花 青きうてな
 香ぐわしきかおり深く秘め
 吾が枕辺を一人なぐさむ
 灯消ゆれば青き夜の
 つめたく光る星見えて
 ゆれる葉かげにまたたきぬ

愛息をなくした父君、徳次郎氏の悲しみを忖度して、谷村新司の紺青は作られたのか、と思ったことがあります。
徳光氏が24歳で殉職する前に、運命として断念した恋歌が遺っていますね。
 吾が恋し 多摩の川べの 八重桜 色はにほえど 実のならずして

投稿: 樹美 | 2014年9月11日 (木) 22時28分

西川正夜さんが作詞された「明日香詩情」に曲を作った桑野靖子の息子です。確か中学生だったと思いますが、毎日この曲を聞いてました。向井さんとおっしゃる方だったと思いますが、テノール歌手の方が歌っておられて、いい曲です。(今でも覚えております)。この曲は奈良を描いた映画でも挿入歌となっていたと聞きました。西川さん(水木さん)にはお会いしたことがありませんが、非常に優しい方だと聞いております。
私事ですが、月に10本程度のアコースティックライブをしておりますが、いつかはこのような曲を作りたいと思ってます。。

投稿: 桑野 聡 | 2014年10月15日 (水) 11時03分

くちなし様
勝川京子様

わたくしの父も郵便局に勤めていていました。
父が亡くなった後に兄から『このはがきの差出人は、アカシアの雨がやむとき を作った人や』と『西川正夜詩』さんからのはがきを渡されました。
昭和42年8月29日で奈良・高取局の消印が押されています。表の下段には郵政の研修所でご一緒だったこととご挨拶文が、裏面には『海の讃歌』(樋口翅 作曲・谷田信子 歌)という曲の詞が書かれています。
また、『この思い出の歌は、昭和14、5、14 東京神田、一ツ橋共立講堂において、玉川音楽院主催 第7回「音楽と舞踊の会」で発表した作品集の一つである。
(西川正夜詩)』と書かれています。
わたくしも『アカシアの雨がやむとき』をネットで検索し、水木かおる、本名奥村・・とあるので違うのかなと思っていました。

投稿: みっき | 2015年1月25日 (日) 21時32分

ご無沙汰しています。
「アカシアの雨〜」「くちなしの花」以外、2年前に引越しの為に祖父母の遺品整理をしましたが、何も分かりませんでした(もしかしたら、母はもう少し知ってるかもしれませんが)。ただ、遺品の中に「水木かおる」のハンコ、新聞記事のスクラップを見つけた時に「やっぱり、本当なんだなぁ…」と思いました。祖父に直接聞けない今となっては分かりませんが、時々カラオケで履歴をみて歌ってる方がいると、本当に嬉しい気持ちになります。

二年前に、遺品整理をした時に祖父が書いた短い詩を読んで涙が止まりませんでした。私は「水木かおる」でなく、本名の「西川正義(正夜詩)」しか知りませんが、とても温かで優しくて大好きな祖父でした。
世間での「水木かおる」は、もう祖父ではないかもしれませんが、ずっとずっと愛される詩である事がこのブログを拝見させていただいて感じる事が出来たので、とても幸せです。

ありがとうございます。

投稿: くちなし | 2015年8月 2日 (日) 10時04分

64歳の私はいつの間にか「いまでは指輪もまわるほどやせてやつれたおまえのうわさ」を「いまでは指輪もまわるほどやせてやつれたおまえの指さ」と間違って歌ってきました。先日久しぶりにカラオケで歌い記憶間違いを知りました。指がまわるほどにやつれてしまったお前のうわさを聞いたよという意味なんですね。自分の読解力のなさを再認識した次第です。とほほ。

投稿: SK2 | 2016年10月 5日 (水) 11時40分

この歌の誕生秘話、「くちなしの花」しか思いつかなかったディレクターの話、心に留まるものがあります。今までは、ただ「ああ、あの歌」ということで終わってましたが、なるほどそういうことでしたか。また、作詞者の孫という方のメッセージも読み、なんとなくブログを書きたくなりました。

投稿: 今でも青春 | 2016年10月29日 (土) 21時02分

私は22才の頃、名古屋市中区栄のビル街にある職場に勤務していましたが、ある事がきっかけで、大会社の御曹司との縁があり、幸いにもその方は私をとても可愛がってくださいました。
ある日、その方のお誘いに甘えて、連れられて行った粋な女将さんがいる小料理屋で、意気投合し、時間も忘れ、楽しく美味しい酒を酌み交わしました。
その方はいづれは君の勉強にもなるからと言って、近くにあるクラブに私を招待してくれました。二人がクラブに入ると、夜遅かったこともあり、広いスペースにお客さんは少なく、静かな雰囲気でしたが、その奥においてあるピアノを弾いている人に見覚えがあったので、ママに確認しました。
2013年に亡くなられた12代目市川團十郎(その当時の海老蔵)さんでした。その時の海老蔵さんはほろ酔い気味でご機嫌がよく、近くにいた私に♪くちなしの花♪は歌えますか?と声をかけて下さり、実はこの曲を練習したんですよ!と言われましたので、この歌は好きですと私がお答えたら、じゃ一緒に楽しくやろうということになり、海老蔵さんのピアノ伴奏で私は♪くちなしの花♪を歌わせていただきました。
歌い終えた後、貴方は歌がお上手ですね!と海老蔵さんはお世辞も言ってくださり、ビックリしていた私に、クラブのママさんも御曹司方も羨ましいよと言ってくれました。また帰り際には、数人の取り巻きの方と一緒の海老蔵さんは、お立ちになり、握手と一礼をしてくださいました。あれから40年以上の月日が流れましたが、今でも感激した気持ちと、その光景はハッキリ覚えており、♪くちなしの花♪は私の忘れられない一曲になりました。

投稿: 芳勝 | 2017年12月18日 (月) 18時48分

芳勝さま
素敵な夢のような思い出ですね。
映画の一コマのようです。
12代目市川團十郎の早世がつくづく惜しまれますね。

投稿: りんご | 2017年12月20日 (水) 21時01分

りんご様
私の思い出話に、コメントを賜りありがとうございます!
私自身、本当に予期せぬ、昭和52年の貴重な体験でした。
そのことが、大変嬉しく、忘れられず、それ以来、歌舞伎に興味が強くなった気がします。
突然で恐縮ですが、実は東京にいる、我が家の次男の嫁は実家が山形県なんですが、もしかしたら、りんご様も山形県ではないのか?と、りんご様の他のコメントを拝読していて感じましたので、誤りでしたら失礼をお許しください。
余談ですが、私もりんごが大好きで、よく食べます。その中でも、昔からフジの味が大好きです。
年の瀬も迫り、寒さが一段と厳しくなりますので、お身体にはくれぐれもご自愛ください。

投稿: 芳勝 | 2017年12月20日 (水) 23時02分

芳勝さま
ご明察の通り私は山形県の果樹地帯に住んでいます。
霊峰月山を間近に遠く蔵王連山を仰ぎ暮らしています。
さくらんぼ、もも、スモモ、ぶどう、ラフランス、リンゴ、カキと果物王国です。
次男のお嫁さんが山形の方ですか。良いご縁に恵まれましたね。山形の親御さんも芳勝様のような温情派の紳士が娘さんの舅でご安心ですね
良いお年をお迎えr下さい。

投稿: りんご | 2017年12月21日 (木) 08時36分

追記

芳勝さま

明峰 朝日連峰を書き洩らしました。
果樹の花が一斉に咲く頃  眩いばかりに輝く
残雪の朝日連峰は例えようも無いほど素晴らしいものです。桃源郷さながらです。

投稿: りんご | 2017年12月21日 (木) 08時42分

歌舞伎については全く無知な者ですが、芳勝様が故12代目市川團十郎のピアノ伴奏で「くちなしの花」熱唱とは素晴らしい稀有な話です。“有名人”を間近で見たのは、昔、北関東の某電動工具メーカーに勤務していた頃、地元喫茶店で同僚とコーヒーを飲んでいた時、日テレ人気番組「ウイークエンダー」のリポーターやっていた漫才の青空はるお(故人)が店の赤電話(ケータイが無い頃)で取材先の〇〇県警に電話していたのを目撃した程度です。
なお、昭和30年代日活無国籍アクションでは、出身県宮城と縁がある宍戸錠(大阪生まれ→東京移住→宮城県白石市に疎開、地元の名門白石高卒→日大演劇科中退)のファンでしたが、錠の邸宅が火災で焼失したのは気の毒でした。

投稿: 焼酎 | 2018年6月 6日 (水) 12時18分

焼酎様

宍戸錠と言えば、赤城圭一郎主演映画、拳銃無頼帖シリーズには欠かせない、魅力ある俳優でしたね!
抜き射ちの竜・電光石火の男・不敵に笑う男・明日なき男・4作品すべてに出演し、ニヒルな中に凄みがあり、何と言ってもその存在感と、また拳銃さばきが抜群でした。
そしてこのシリーズで、トニー共演している、浅丘ルリ子や笹森礼子は、とても美しく素敵な女優さんでした。

40年前に海老蔵さん(当時)のピアノ伴奏で「くちなしの花」を歌った時の、私の大切な想い出に、触れて頂きありがとうございました。

投稿: 芳勝 | 2018年6月 6日 (水) 17時08分

 焼酎様
 こんばんは。有名人の話が出ていますが、かつて友人と高校生のころ、ある有名人の話になりました。そして、結論は「有名人も近くで見たら普通の人だね」ということになりました。
 そういう生意気なころだったのでしょう。今ならそういうわけにはいかないと思います。

投稿: 今でも青春 | 2018年6月 6日 (水) 21時17分

今でも青春様
こんばんは。当時は人気番組に出ていた芸能人(太ったほうの青空はるお)を間近で見たので、同僚と“大したもんだ”など意味不明のことを言ってました。
しかし有名人と言えども、人の子・人の親です。“TVの仕事で地方出張”していた訳でした。

投稿: 焼酎 | 2018年6月 6日 (水) 22時13分

連投で失礼します。
青空はるおさんを故人と記載したのは全くの勘違いでした。同じコロムビアトップライト門下の青空某さん(故人)と混同してました。青空はるおさんはスポーツ紙レポーターで活躍中だそうです(Wikipedia)。お詫びして訂正させて頂きます。

投稿: 焼酎 | 2018年6月 7日 (木) 07時03分

毎年この時期になると、決まって憂鬱病に陥ってしまいます。たまに しとしとと降る雨は、それなりに風情があっていいものですが、毎日毎日 じとじと と、降り続く雨には、気分が滅入ってしまいます。
今日は、先程から少し晴れ間が見えてきました。梅雨の合間のちょっとした恵みといったところです。

「くちなしの花」の渡哲也さんには、さすがにお会いしたことはありませんが、渡瀬恒彦さんとは、浅からぬ因縁??があります。
京都散策が趣味の私は、どうゆう訳か、よく映画やテレビのロケ現場に行き会わせることが多くて、渡瀬恒彦・林泰文・高橋英樹と真麻の親子・原田龍二・田村亮・福本清三(切られ役)・松方弘樹・板東英二・宇崎竜童 等々ですが、渡瀬恒彦さん・林泰文さんとは、大原野神社で「おみやさん」の撮影休憩時間中、神社の男子トイレで並んで○○○。
その後、渡瀬さんとは、「お疲れ様です!」「どちらから?」「大阪です」「頑張ってください!」「有り難う」・・・。
松方弘樹さんとは、彼の豪邸(今は売却済み)近くの吉峰寺で、奥さん(仁科亜希子)と散歩中。挨拶程度・・・。
宇崎竜童さんとは、高山行き ワイドビュー飛騨号の車中で、通路を挟んで隣同士の席(彼は飛騨古川の太鼓祭りに出演の為)名古屋から高山で私が下車するまで、何度か気さくに話しかけてくれました。いい人です。

原田龍二は、もう気さくを通り越した楽しい人でした。
もっとも、東映太秦撮影所の知人と一緒にロケ現場に紛れ込んでいましたので・・・スタッフと間違えられたのかも?・・。

どんどん歌とかけ離れていきますので、この辺でおわりとします。 梅雨の合間の戯れ言で、気分転換できれば・・・。

投稿: あこがれ | 2018年6月 7日 (木) 12時49分

 かなり有名人と同行されたいきさつがわかりました。京都が多いのですね。さすが違います。私どもは京都に行くのがそれこそ何年に1回ですので、京都そのものが遠距離になります。もちろん、東京、名古屋、大阪しかりです。それこそ歌とどんどん離れていきます。
 梔は芳香が生命ですね。かつて実家にありました。

投稿: 今でも青春 | 2018年6月 7日 (木) 14時06分

「くちなしの花」♪♪ いい歌ですね。二木先生が紹介された「遠藤実氏の私の履歴書」を読み、更にこの歌を好きになりました。
 「12代目市川團十郎(その当時の海老蔵)さんのピアノ伴奏で芳勝さんが♪くちなしの花♪を歌われた」お話 素敵ですね。市川團十郎さんは、22歳の芳勝さんに「男の強さと優しさ、それに爽やかさ」を感じられお声をかけられたのでしょう。大会社の御曹司や粋な女将さんは芳勝さんの誠実で実直な人間性に期待されていたようですね。
 焼酎さんや今でも青春さんの「有名人談義」も面白いです。私もある有名人と話をしたことがあります。
 俳優業は「失業を前提とする職業」と言う人もいます。売れっ子になっても次の作品があたるかどうか、次の作品ではどんな役をあてられるか? 厳しい業界だそうです。70歳代の俳優業をやってる方から聞いた話です。俳優業をやっている人は「不規則な生活、暴飲暴食、運動不足などで平均寿命まで生きる人は少ない。だから私は酒を飲まない、ダバコを吸わない。早寝早起きをしている」と耳の痛いことを言われました。最近は私も休肝日を設けるようにしています。
 「くちなしの花」からズレたコメント、失礼しました。

投稿: けん | 2018年6月 7日 (木) 21時52分

けん様

私はいつもけん様のコメントに励まされています!

偶然ではありますが、42年前の「くちなしの花」での体験は、私にとっては生涯忘れられない想い出です。

2018年1月22日「小さな日記」3月8日「君がすべてさ」に、けん様から頂戴した、ご感想コメントにも励まされました。
私もけん様のような、思いやりのある、人への感謝を忘れない人間を目指したいと思っています。


投稿: 芳勝 | 2018年6月 8日 (金) 00時24分

焼酎さま 芳勝さま あこがれさま けんさま
皆さまの有名人に係る心温まるコメントを拝読し、ある日の出会いの出来事が貴重な体験として生涯においても心深くに刻まれていること!素晴しいの一言に尽きると思います。

思い返してみますと、私にも有名人との出会いの懐かしい想い出が蘇ってまいりました。

以前、観光旅行で倉敷に行った時のことでした。
土産店などが軒を並べる柳並木の川端沿いで、黒山の人だかりで何事かと思い、そーと覗いてみると・・・
目がパッチとした若くて可愛い女性の方が某菓子メーカーのキャラメルのCMの撮影中でした。
暫くはその女性の方の見事な演技に見とれていました。
後日、聴いた話では、アイドル歌手としてデビュー当時の榊原郁恵さんの初々しい姿だったようです。

また、現役のころ、東京出張を終え帰路の途中で、福岡空港のターミナルからバスセンターへ向かっていた時、私とすれ違った人の顔を見たとたん・・・あ! 岡田眞澄さんだと直感しました。勇気を出して、声をかけました。
「今晩は岡田眞澄さんでしょうか」・「はいそうですが」・「いつも映画、テレビで拝見いたしております」・「ありがとうございます」・「お仕事ですか」・「長崎に撮影に行っております」・「おきお付けられ頑張ってください」と言った後、握手をしていただきました。
確か、岡田眞澄さんが40代のころではなかったかと思います。
特に目と口ひげに特徴があり、ソフトで円やかな人柄が印象的でした。

出会いこそ人生の一コマの物語だと思い、改めて懐かしく想い出しております。

最後になりましたが、「くちなしの花」いつ聴いても心に沁みます。
コメントがズレてしまい、失礼いたしました。

投稿: 一章 | 2018年6月 8日 (金) 23時35分

おはようございます。
一章さんの「くちなしの花」のコメント特に「出会いこそ人生の一コマ」のお話が目に留まりました。
 出張中に有名人と偶然の出会い。その後の有名人に対する挨拶、思いやりのある言葉・・「我も人なら、彼も人」。一章さんの温かい人間性から醸し出される心が有名人の心の鏡に映ったのでしょう。いいお話ですね。
 そろそろ起床の時間、一章さんの宅配を皆さま待っていらっしゃるでしょう。
 入梅で九州地方は大雨も?くれぐれも安全運転で。

投稿: けん | 2018年6月 9日 (土) 04時43分

遠藤実の名曲「くちなしの花」が縁で、うた物語ファン皆さんの有名人思い出を楽しく読ませて頂いています。
芳勝様・市川團十郎、あこがれ様・渡瀬恒彦~宇崎竜童、けん様・有名俳優、一章様・榊原郁恵、岡田眞澄・・・(焼酎・青空はるお)。一章様の「出会いこそ人生の一コマ」は有名人・一般人を問わず人生の面白さでないかと思う昨今です。

投稿: 焼酎 | 2018年6月 9日 (土) 07時34分

 こんばんは。「梔の花」とあればあまり人口に膾炙されなかったかもわかりません。
 管理人様の蛇足から多くの秘話を知ります。とくにこの「くちなしの花」にかくされた秘話には脱帽のほかありません。作者の立場に立ったその場のいきさつに多くの感動がひしめいています。
 
 

投稿: 今でも青春 | 2018年6月 9日 (土) 19時10分

渡哲也唄・水木かおる(本名奥村聖二)作詞・遠藤実作曲の合作には、大ヒット「くちなしの花」のほか、「あじさいの雨」「さざんかの女」「水割り」など名曲が目白押しです。
↓8823タイムトラベルさん提供「あじさいの雨」(動画小窓・松原智恵子)
http://www.youtube.com/watch?v=EU4Mx8bsvOc
↓kai hamaさん提供「さざんかの女」
http://www.youtube.com/watch?v=qLy0j40oiZM

投稿: 焼酎 | 2018年9月22日 (土) 19時09分

映画「無頼より大幹部」で、藤川五郎(人切五郎)役を演じた渡哲也を観て以来、私は彼の大ファンになりました!

昭和49年大河ドラマ「勝海舟」の主役を演じている途中、大病(急性肝機能不全)のため入院を余儀なくされ、9回のみの収録で主役をおりる報道がされた時、ファンの私としては本当にショックでした。
しかしこの前年に発売された「くちなしの花」が、この年に大ヒットして、NHK第25回紅白歌合戦に出場が決まった時は、とても嬉しかったことを憶えています。
渡哲也のレコードアルバムの中で、特に何度も聴いてきたのはタイトル「あじさいの雨」というLPレコードです。その中に収録されている「さざんかの女」という曲がありますが、メロディとともに渡哲也ならではの魅力が一段と醸し出されており、特に3番後半の歌詞が何とも言えず大好きでした。

さざんかの実がひとつ 落ちた朝 
おまえに 変わりがなければいいが
遠い空見て 胸がいたむよ

渡哲也が現在マスコミに顔を出さない日々が続いていますので、ファンの私としては心配でなりません。早く元気な顔を見せてくれる日を待ちわびています。

焼酎様のUP動画懐かしく視聴いたしましたが、偶然にも想い出のある私の大好きな2曲でした。本当に有難うございました。


投稿: 芳勝 | 2018年9月23日 (日) 02時36分

芳勝様  コメントまことに有難うございます。
渡哲也ヒット曲では「くちなしの花」以外に「あじさいの雨」「さざんかの女」が特に好きなためupさせて頂いたんですが、芳勝様もこの2曲が想い出のある大好きな曲とは本当に偶然でした!!作詞家水木かおる(奥村聖二)・作曲家遠藤実はヒットメーカーでした。
昭和50年代、渡哲也全曲集というカセットテープを買って車通勤でよく聴いたものです(音痴ですがカラオケでもよく唄ってました)。渡哲也の復活を待ちたいところです。↓「通り雨」もしみじみとした良い曲です。
(yukinojyouさん提供)http://www.youtube.com/watch?v=NyRR-E4H5zA

投稿: 焼酎 | 2018年9月23日 (日) 07時15分

焼酎さま 「通り雨」のアップありがとうございました。
初めて聴きますが、しっとりと渡哲也独特の味のある低音には心に迫ります。
詞・曲・映像と素敵な動画だと思いました。

この「くちなしの花」が流行ったころは、私が結婚した年でもあり懐かしく想い出しています。
カラオケでは、この曲と「水割り」はよく歌ったものですが。(それなりに)

私も先日、「カツオのタタキ」をつまみに「芋焼酎」で乾杯をしたところですが、やはりタタキは美味しいですね!

連休明けには、宅配がスタートします。
好きな「芋焼酎」で元気をもらい、安全運転で頑張りたいと思います。

投稿: 一章 | 2018年9月23日 (日) 09時23分

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