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ニコライの鐘

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:門田ゆたか、 作曲:古関裕而、唄:藤山一郎

  あーあーあーあーあー
  あーあーあーあ-あー

1 青い空さえ 小さな谷間
  日暮れはこぼれる 涙の夕陽
  姿変われど 変わらぬ夢を
  今日も歌うか 都の空に
  ああ ニコライの 鐘がなる

2 きのう花咲き 今日散る落葉
  河面に映して 流れる月日
  思い出しても かえらぬ人の
  胸もゆするか 雁啼く空に
  ああ ニコライの 鐘がなる

3 誰が読んだか 悲しい詩集
  頁をひらけば 出て来た手紙
  恋に破れた 乙女は今宵
  何を祈るか 暮れゆく空に
  ああ ニコライの 鐘がなる

《蛇足》 60歳で亡くなった友人・川又一英の『我ら生涯の決意――大主教ニコライと山下りん』(新潮社)を読み直しているうちに、『ニコライの鐘』という歌があったことを思い出し、mp3にしてみました。レコードの発売は昭和26年(1951)です。

 川又君は熱心な正教信者で、その埋葬式・一年祭(仏教の一周忌に当たる)は神田駿河台のニコライ堂で行われました。私は埋葬式には都合で出られませんでしたが、一年祭で初めてニコライ堂に入りました。正教の典礼が物珍しく、感銘を受けました。

 川又君は、酒を飲んだときは、いつも気持ちよく相手をしてくれたし、深夜1時過ぎに私が酔っ払って電話しても、丁寧に応対してくれました。そのうち私は人間失格になりそうなほど酒癖が悪くなったので(要するにアル中)、何年も苦しみながら、酒を断ちました。
 その後は、コーヒーを飲みながら、
川又君と1,2時間おしゃべりするのが楽しみとなりました。彼の西洋美術、ことに正教関連の美術についての見識には感銘を受けました。

 川又君とは30年以上のつきあいでしたが、常に端正で酔っても乱れず、哄笑したり、私のように馬鹿っ話をしたりすることもありませんでした。奥様の話では、家でも声を荒げるようなことはほとんどなかったそうです。怒りなどのマイナス感情を発散せず、内に溜め込んだのがよくなかったのかもしれません。

 さて、ニコライ堂ですが、正式名称は東京復活大聖堂で、正教の教会です。ニコライ堂という呼び方は、幕末にロシアから正教布教ために来日し、明治初期に大聖堂建築を主唱したニコライ・カサートキン司祭(のちに大主教)の名に由来します。

 私も誤解していましたが、ニコライ堂はロシア正教だけの教会ではありません。ロシア正教は教派ではなく、ロシアにおける正教、もしくはロシア正教会のことです。
 8世紀中葉、ギリシアの教会がローマ教皇庁から離れてギリシア正教
(Greek Orthodox)が成立しますが、その教義や典礼がスラブ圏に広まり、グルジア正教会、ロシア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会など、国ごとに教会が設けられました。日本正教会もあります。

 しかし、教義や典礼は同じなので、単に正教と呼ばれます。その大本のギリシア正教は、教会の名前でもあるとともに、教派の名前でもあるので、ニコライ堂はギリシア正教の聖堂であるといってもまちがいではありません。

 明治24年(1891)に竣工したニコライ堂は、日本初かつ最大級の本格的なビザンティン様式の教会建築で、東京の名物となりました。夏目漱石の『それから』や、与謝野晶子、木下杢太郎(もくたろう)などの歌にも出てきます。

 大正12年(1923)関東大震災で大きな被害を受けたため、修復されましたが、その際、構成が一部変わりました。
 歌の1番に「姿変われど 変わらぬ夢を」とあるのは、このことを指しているのだと思われます。2番の「河面」は、位置からいって当然神田川でしょう。

 昭和37年(1962)には、国の重要文化財に指定されました。

(二木紘三)

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コメント

昭和26年といえば、私は小学2年生、ラジオから流れるこの歌を何度か聞いただけですが、今でも歌詞を正確に全部覚えています。今歌っても古臭くない良い歌曲だと思います。
私自身、現在はカナダに住んでいますが、中年の16年間を東京で過ごし、このニコライ堂へも何度も出かけました。1990年代前半、バブルがもう弾けるかという頃にこの建物を壊して新しい建物をなどという愚かしい話が持ち上がって、近隣の方々の猛反対でめでたく話が立ち消えになったことを記憶しています。
これなどは永久に保存しなければならない建造物の一つでしょう。

投稿: 野村 秀樹 | 2012年1月22日 (日) 07時17分

子供の頃、意味も分からず聴いていた歌を60年経った今、しみじみと聴いています。思い通りにならなかった人生をそう生きるしか仕方がなかったと、そろそろ達観しなければと思っているのですが、これは難しいことですね。今日も空を仰いで涙する人が幾人いる事でしょうか。人生の哀感をこれほど巧みに歌った歌はあまりないと私は思っています。

投稿: ハコベの花 | 2012年1月22日 (日) 22時20分

古関先生の曲は別れ歌でも明日に向かって前向きに生きろと言われているような気になります。この曲もいいですが「夢淡き東京」も良いですね。スポーツ関係には名曲ばかりですね。

投稿: 海道 | 2012年1月23日 (月) 16時06分

 懐かしい名曲有難う御座います。
作詞の門田ゆたかは「東京ラプソディ」でもニコライの鐘を取り上げていますが、余程強い印象を持っていたのでしょう。しかし藤山一郎はテレビで「鐘の音はそんなに良くないですがね・・」と言っていたのが印象的です。
 古賀政男、服部良一、とともに古関祐而の名曲を今後もぜひ取り上げて、残してください。  老フアン

投稿: k.k | 2012年1月24日 (火) 16時59分

また、二木さんの亡友に対する哀惜と青春にふれられました。26年といえば日本がようやく苦境のうえに顔を出し始めた時代でした。五木寛之の著書に「歌謡曲は時代の歌」とありますが、まさにその通りだと思います。藤原正彦の「日本人の矜持」(題名が大げさすぎますが)の中に五木の平壌からの逃避行と藤原さんの同じ体験が歌謡曲で支えられた対談は「なるほど!」と思わせる物がありました。この歌も口笛を吹くと出てきます。ありがとうございます。

投稿: 菅原 主 | 2012年2月19日 (日) 12時22分

二木さんの歌物語を楽しく読ませてもらっています。  このニコライの鐘は私の好きな1曲です。 アメリカに住んでもう31年になりますが、益々日本、昭和の歌が好きで、よく聞いています。 それと、二木さんもお酒を止めたのですね。 私も体調が悪くて20年前に止めました。 いま思うとあの時止めてよかったと。。
ではまた、
ココア

投稿: kokoa | 2012年3月11日 (日) 22時20分

72才の男性、15、6才の頃、趣味らしきものもなく、ただただ唄うのが好きで大声で「ニコライの鐘」「高原の宿」「イヨマンテの夜」「山のけむり」などを唄い、時々「のど自慢」に出ては、賞品の味噌や醤油その他調味料等をゲットしたものです。「のど自慢」は特に歌唱力が問われ、歌のうまいのが出場する・・が印象でした。この種のナンバーを自分的には正統派と呼び、口づさみ楽しんでいます。

投稿: 73面相 | 2012年5月11日 (金) 10時02分

「思いだしても帰らぬ人の・・」の歌詞が胸に沁みてここ数日毎日この歌を聴いています。古い手帳に浜名湖のほとりの食堂で仲良く分け合って食べたお寿司の思い出が書いてありました。あれから50年、時間が止まったようにその時のことが思い出されます。思い出は古びる事もなく、鮮明になってきています。脳は不思議な作用をするものですね。夢でも会えれば楽しいのに、なかなか会えません。思い出は私にとっては千金の価値があります。

投稿: ハコベの花 | 2014年5月13日 (火) 23時18分

「ニコライの鐘」をご高齢の鳴海日出夫さんが歌われるご様子が、Youtubeにありました。淡々と朗々と歌われ、情感や気品がにじんで、歴史を経たニコライ堂そのものでいらっしゃるようでした。最後にお辞儀された時、私も思わずお辞儀をしてしまいました。

投稿: kazu | 2017年6月 5日 (月) 02時53分

 「ニコライの鐘」ニコライ堂。とっても懐かしいです。
アテネ.フランセで学んでいた頃を思い出します。人生の転機を考えた頃のことです。忙しさの中で学びましたが、お友達もできて、たのしい学び舎でした。戻りたいなぁ。もう一度あの頃に...。

kazu様、やはり面白いですね。

投稿: junko | 2017年6月 6日 (火) 01時21分

六甲山荘での仕事を終え、久し振りにP/Cを開いたら、「ニコライの鐘」「白い花の咲く頃」と私の大好きな曲のリクエストとコメント(^^♪ ~ 思わず知らず心が浮き立って、ヘッドホーンを通して流れてくる懐かしいメロデイーに癒されながら皆様のコメントを読ませて頂きました。
今から50数年も前、社会人になって初めて 学生時代からずっと憧れ続けていた信州への出張をすることになり、大阪から長野~松本を経て帰路は飯田線の飯田に立ち寄って地元のガラス大問屋さんを訪問、新米営業マンの私のことをとても暖かく応援して下さった社長さんの話から、当時NHK喉自慢大会の中国地区予選で顔を合わせて親しくなった同年輩の(てっちゃんとしか名前が思い出せない)方が駅近くの喫茶店のオーナーをしながら、飯田市の商工会議所の青年部で歌の指導をしておられることを聞き、久し振りにお目にかかり楽しく語りあったことがありました。
彼は私より1年先輩で全国大会にまで進んだ素晴らしく上手い方でしたが、予選大会で歌った「ニコライの鐘」は、正しく他を圧倒するような歌声で、今でも生々しく私の耳に残っています。
その(てっちゃん)を私に引き合わせてくださったSガラス販売KKの社長は、残念ながら あの御巣鷹山日航機事故で亡くなられましたが、本当に“歌が思い出に寄り添い、思い出が歌に語りかける”ものですね。
「白い花の咲く頃」だったら、私も(てっちゃん)に負けないくらい歌えたのにな~と、自己中の負け惜しみですけど…。

投稿: あこがれ | 2017年6月 6日 (火) 12時16分

私が一緒に浜名湖巡りをした人は兵庫県朝来の人でした。「君と列車に乗って須磨、明石の海岸線を見せたい」と何回か言ってくれたのですがついに見ることはありませんでした。あこがれ様が六甲の事を書かれるととても懐かしさを感じます。伊藤久男の「恋を呼ぶ歌」に六甲が出てきますね。ロマンあふれる歌です。当時の世の中は貧しかったけれど、人の心はおおらかで美しかったと思います。現在は、言葉は悪いけれど「セコイ」歌が多くなってロマンを感じることが出来なくなっています。人間の心から美しい想像力が無くなってきているのかも知れません。淋しい事ですね。

投稿: ハコベの花 | 2017年6月 6日 (火) 15時26分

「君と列車に乗って須磨、明石の海岸線を見せたい」と、言ってくれた愛しい人との浜名湖巡りの思い出は、恐らく ハコベの花様の輝かしい青春のアルバムの中に生涯消えることなく残るでしょうね…。
もし今 夢の中で彼とお会いすることがあったら「君をあの天空の城につれて行きたいな~。雲海の中に浮かぶ幻想的な竹田城の姿を見せてあげたい」…と、仰って下さるかもしれませんね…。

「恋を呼ぶ歌」は、私が20代の頃から知っていて万博の年に転勤で大阪に来て、初めて六甲山の勇姿を目の当たりにした頃から、何かといえばよく口ずさんでいましたが、周囲の人達でこの歌を知っている人が意外に少なく不思議な感じがしたものです。
1番の歌詞の中で おお~ エリナよ~エリナよ~エリナよ~ と歌う所に会社の若い女の子の名前とか自分の妻の名前とかを入れて歌ったりしたことが思い出されます。
今でも、時々 六甲山から車をとばして下りてくる時、窓を開放してハスキー+ファルセットで誰憚ることなく1人悦に入りながら山を下りてきます。但し、数年前とは音程も声質も比較にはならず腹立たしい思いをしながら…が多い昨今です。

私の妻に言わせると、はこべの花 様は白い花飾りの似合う夢多き乙女=アルプスの少女 ハイジーのような方で、中田島砂丘に咲く月見草の花のそばで遠く遠州灘に打ち寄せる荒波を一人佇んで見つめているような感じの人らしい。

また、りんご 様は 時雨の記の堀川多江を思わせるような一見受身のような温和しい感じの中にきちんとした行動と判断力をお持ちの方のような感じの人らしい。
もっとも、このお二人のコメントすべてを妻に見せたわけではなく、多分に私のイメージも加算されているやも知れませんので、もしお気を害されるようなことがあれば、お許し下さい。因みに、半世紀も前のことで柳眉を逆立てられるような恐れのある私のコメントは、一切妻には拝観禁止としています。
       

投稿: あこがれ | 2017年6月 6日 (火) 19時39分

あこがれ様の投稿をもし我が夫が読んだら「月見草に申し訳ない、お前は鬼アザミだ」と言いなが卒倒すると思います。棘は痛いのですが、花(心)は美しいと自分では思っています。自画自賛です。皆様の奥様は白百合の花だと思っております。

投稿: ハコベの花 | 2017年6月 6日 (火) 22時03分

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